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このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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特説・「心が良くなる」とは-14・超エッセンス
「外面現実」を超越した心の佳境へ・・

では「心が良くなる」ことの4つの側面の、残り2つ側面について見ていきましょう。

おさらいをしますと、
1つ目の側面とは、「外界現実への向かい方」における「体得習熟の向上」であり、それにより四苦八苦することなく「外面現実」安定して良いものにできるようになり、それへの反応として感情安定して良くなる、という側面
2つ目の側面はそれとセットになるものであり、内面における「不安」「不明」「無力感」といったマイナス感情減り「安心」「安全」「自信」といったプラス感情増えてくることでした。

なおこの2つは、「外面現実」への、前者「反応感情」であり、後者「予期反応感情」だと言えるでしょう。2つ目「心そのものが源泉の感情」として説明していますが、厳密には中間的な位置づけとも言えるかも知れません。
それでも「予期反応感情」として、具体的な空想内容へのはっきりした反応感情と、もはや具体的空想などない全般的気分としてのものまで、性質かなり異なってきます。

ここで2つ目の側面としているのはもちろん、具体的空想への反応ではなく全般的気分としてそうなるものを指しています。生きること全体についての予期反応感情位置づけられるかも知れませんね。

残り2つの側面に至り、そのように「外面現実」自ら良くできるようになるという基礎の側面から、さらに「外面現実」の良し悪しを超えた真髄の側面に入ることになります。
「外面現実」という、それによって私たちが喜怒哀楽感情体験し、しばしばそれについて悩み惑うものを超えた、つまり「超越」した、心の安定と豊かさという佳境があるという、、心の探求テーマがそこに現れることになります。


「外界現実に向かっての開放」というハイブリッド心理学の根底テーマ

それは何によって、私たちの訪れさせ得るものなのか。

「心の探求の2大潮流」という話を『「外面現実」と「外界現実」へのアプローチ』でしましたが、そのアプローチ違いが、まさにこの心の佳境への道筋どう考えているかに、示されるでしょう。

「絶対精神力追求型」は、文字通り何か絶対的な精神力にって、「悟りを開く」というようなものとして。

ハイブリッド心理学その潮流に属するものではありません。「現実適応力追求型」流れにあります。ただし、その先にむしろ「絶対精神力追求型」かなり似た最終ゴール視界に入れるものとして。

ハイブリッド心理学が考える道筋とは、一言でいえばこれになります。

「外界現実に向かっての開放」なのだ、と。


答えへの超エッセンス

「外面現実」に向かってではありません。この違いが、決定的なものになります。
このブログでの執筆基盤に、『病んだ心から健康な心への道 全6巻』とはこの心理学「原典」とも位置づけられる執筆したいと思っていますが、違いはこの「外界現実」という考え方明確化にあるというになるかと。

「外面現実」に向かっての「開放」など、ありませんそもそも「外面現実」とは、私たちの閉じた内面なのです。それに向かって開放もへったくれもありません。
「外界現実」が、真の現実です。そこに向かって心を開放するのです。
は、「本当に確かなもの」です。「外界現実への向かい方」の「積み重なり」がそこにあるものとして。
そのは、私たちの内面に向けられることになります。「外面現実が良くなれば感情が良くなる」という基礎さらに根底で左右する、本当の「望み」何なのか探求としてです。
そこに「魂」「命」姿現す。するとそれは、「本当に確かなもの」として「外界現実」位置するもののようになるのです。「確かさ」のつながりとして。

そうして「魂」「命」「外界現実」渾然一体となったものとしての「外界現実」へと向かう
ここに、「自分」というものが完全に消え去るということが起きるのです。

これが答えです。ハイブリッド心理学超エッセンスになりますね^^。
「姿勢」正解図はこれを表現したものである次第。


ということで、説明さわりで書いていたら一つのトピックになった感じなのでアップしておきましょう。
今までの説明からどう上記の道筋として展開するかを次に^^。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-15・心そのものの変化2
「心が良くなる」ことの真髄の2つの側面

では「心が良くなる」こと残り2つの側面について、「位置づけ」「課題」「答えへの鍵と道筋」という視点で、ざっと説明しようと思います。

4つの側面列記しますと、
1)「外界現実への向かい方」の「体得習得」の向上
2)「自信」「自尊心」の増大
3)「欲求」「望み」の変化
4)「心の業と病み」の捨て去り

です。

この後ろ2つの、真髄となる側面ですね。


「欲求望みの変化」の位置づけ

「欲求望みの変化」は、「外面現実への反応」としての感情が、フラストレーション怒り嫉妬などのマイナス感情になりやすいものから、充実感喜び楽しみそして幸福感といったプラス感情になりやすいものへの変化、とまずは定義できるかと思います。

後者がその満足において「外面現実」に依存しなくなる、と考えるのは誤りです。満足のために必要となる「外面現実」の形が、特別なものを特権的に与えられることといった形のものと、自ら生み出し与えることができること何かに専念することができることといった形のものとの違い、と考えるのがまずは正解と思われます。

これはその根源の仕組みとしては、「未熟」から「成熟」へという「命の摂理」どう歩めるかというテーマとして、この心理学では位置づけられます。絶対的精神力によって編み出すようなものではなく。

心が常に安定し満たされた状態へと至る変化、つまり「心が良くなる」という変化の、これが本道とも言える道筋になるものと位置づけられます。
「外面現実が良くなれば感情が良くなる」というベースの仕組みそのものが、根底から大きくさま変わりする。これはその仕組み前提としてある「欲求」「望み」そのように変化することによるものだ、ということです。


「心の業と病みの捨て去り」の位置づけ

一方「心の業と病みの捨て去り」は、もし「心の業と病み」あるのであれば、それをどう捨て去れるかというテーマです。

ここで「心の業と病み」とは、一言で言えば「自分から不幸になろうとする衝動」だと言えます。ものごと自分から悪く捉え、自分の感情荒げ、時に現実の何か破壊しようとする。
それが深刻に起きるものを「病み」捉えることができるのですが、そこそこ「普通」に健康な人にも、程度こそ希薄だがやはりそれがある。だからそうした、人間普遍的に見られるもの「業(ごう)」と呼ぶわけです。
従って、これがほぼ全ての人共通して存在するテーマになってくるわけです。その「捨て去り」がです。

「心が良くなる」ことについて、この「心の業と病み」影響甚大です。
いままで述べてきた3つの側面が、ゼロからいかにプラスを増大させていくかの話であるのに対して、これは最初からマイナスヘと向かおうとする力働いているのですから。

さらにこの「心の業と病み」が、まさに「業」という宿命的な重みを表現する言葉で呼ばれるのは、その力が働いていることに気づかないどころか、しばしばそれが「正しい」という感覚観念の下に、それが働くことです。これはまさに悲劇です。


「欲求望みの変化」への課題

そうした「欲求望みの変化」「心の業と病みの捨て去り」向かうために、関門もしくは隘路となるものを言うことができます。それを越えることが課題になるものとして。

「欲求望みの変化」については、まず単純に言って、どうすればそれに向かうことができるかが、私たちの生まれ持った頭と心のままどう考えても分からない、という状況を言うことができます。

しかしそれは人間以外の動物において同じでしょう。それを「あるべき姿」だと誰に教え命じられるわけでもなしに、全てを「与えられる」存在であることから、自分の足で立って歩く存在へ、そして新たな命をはぐくみ、そこに自分の全てを「与えていく」存在と、変化していくのです。
そうして人間以外の動物が示す「成熟」姿が、私たち人間が、ここで「心が良くなる」こととしている目標の姿どれだけ示せるかはさておき、そこにある「命の摂理」が、「欲求望みの変化」根源的原動力だという考えを、ハイブリッド心理学では採っています。それがこの心理学「思想」です。

これはもちろん「選択」です。こうしたテーマどう考えるかも、「関係性の領域」での「現実の法則」一つである「行動と感情の法則」として、『異次元への高まり3』でまとめたように「選択して学ぶ」ものです。
人間は動物とは違う。高貴な存在である。その「あるべき姿」を知り、絶対的な精神力によってそれを実現すべきである。
といった、この心理学とは対極となる、ただしそのゴール同じであろう他の思想との、「選択」になるようなものとして。


「命」と「望み」と「外界現実」

ハイブリッド心理学では、そうした「命の摂理」が、「望みに向かい現実に向かう」という「命の生涯」の中で、その命を生きる存在自身の意識努力を超えて、「命」が生み出すものと考えています。

それが妨げられた姿を、そこに出てくる言葉それぞれを使って表現することができます。
「望み」向かわなくなること。
「現実」
向かわなくなること。
そして、「命」から遠ざかることです。

これが一つのこと別の表現であることに注意してください。どれか1つを取り出して、小手先の思考でそれを満たそうとする間違いをしないよう。他の2つを放置したまま。
「こうすればいいのか」と。その具体例など詳しい話を始めるとキリがないのでここでは割愛しましょう。
ただこうは言うことができます。「健康にとってどれが重要ですか」と、心臓胃腸比べようとすることは全く意味のないことですが、その機能の回復のために取り組む医療措置順番は言うことができます。心臓胃腸と、その通りの順番になるでしょう。


「目的」さらに「望み」に「本当に確かなもの」への目を向ける

「命」から遠ざかり「望み」「現実」背を向けた状態に起きた時、私たちの、その機能回復のための意識努力の順番多少言えます。
それをまさに、この『心が良くなるとは』解説の中で説明してきたわけです。「個の領域」から「関係性の領域」そして「人生の領域」への「外界現実への向かい方」展開であり、そこにおける「確かさの積み重なり」です。

まずは「身体レベル感情」の、誰の目にも見える問題領域での、「目的をセットにした論理的思考」『積み重なり3』)という「外界現実への向かい方」を、皮切り確認にすることができるでしょう。それで「心が良くなる」こと答えが出のではなく、その向かうことができるかその歩めるか確認としてです。
そして「望み」問うことです。「目的」のさらに根本にあるであろうものとして。
なければならないものとして。なぜなら、自分時間と、人生と、そしてを、無駄にしないためにです。

これを「鍵」として、その先にどんな道筋があるのかを、ざっとに書きましょう。


「心の業と病みの捨て去り」への課題

「心の業と病みの捨て去り」への関門もしくは隘路課題は、位置づけ自体に出ています。

つまり自分で、自分の何がそれであるかのかに、気づけないことです。

それを「気づかせる」ために、心の健康と病みとはどんなものか、幸福とは何かといった考え展開する、膨大人間の営みがあることになります。この心理学もその一つとして。
そしてこれもまた、「選択して学ぶ」ものになる。

問題は、「気づかせる」ための学びさまざまにあるとして、「気づく」という私たちの心の動き核心は、どこから生まれるのかです。

ハイブリッド心理学思想において、それがやはり、「外界現実への向かい方」展開における「確かの積み重なり」にある、という位置づけになります。
「本当に確かなこと」を見極めようとする、私たち自身の「意志」にです。
これがないと、始まらない^^。まず「身体レベル感情」領域での「目的とセットの論理的思考」でそれがまず確認できます、という話^^。


最終的道筋がどのようになるのかをに。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(1)
特説・「心が良くなる」とは-16・心そのものの変化3
ちょっとまた考察整理花粉症で(・・とこれはあまり関係ない^^;)、日が開きました^^。


「心が良くなる真髄」への鍵と道筋

では「心が良くなる」ことの真髄となる、「欲求望みの変化」「心の業と病みの捨て去り」について、前記事での「位置づけ」「課題」に引き続き、「答えへの鍵と道筋」ざっと説明しようと思います。

ここではそれを、まず下の方に掲載するような箇条書きにざっとまとめてみました。
真髄への道筋として、そこに番号を振ったような、おおよそ5つくらい「心の変化への動き」というものがある。まずはそう憶えて頂くとよろしいでしょう。

ここではその具体的な内容詳しく説明する場ではありません。それはハイブリッド心理学全てになります。
ここでお伝えしたいのは、「心が良くなる」とは「外界現実への向かい方」が良くなることの積み重ねだというのが、そうした大きな「心の変化への動き」においてどのようなことであるのかの、おおよその理解です。

それによって「現実を見る目」という「扉」感じ取って頂くという、「いざない説明」3つ目のテ-マへの特別解説になっている次第です。

いちおうざっとした説明を試みたいと思いますので、まずはこれをアップということで^^。


「心が良くなる」ことの真髄への鍵と道筋

前提
「外界現実を生きる心の重心」


「外界現実への向かい方」における「確かさの積み重なり」が、やがて「目的」「望み」の明確化として、自己の内面へも向けられるようになる。

道筋(心の変化への動き)

1.「望みの変化」
「外界現実」への視野に立って「目的」「望み」を自分に問うことで、「望み」が変化していく。

2.「開放」
蓋をされ、閉ざされ、あるいは目をそらし、自分に嘘をついて、見えなくなっていた自己の内面のもの。
これは外面における安全を支えに、「本当に確かなもの」を見ようとする目を内面に向けることで起き始める。

3.「気づき」(心の業と病みの捨て去り)
「開放」によって見えてくる自己の内面を踏まえての、「外界現実への向かい方」の深化洗練として、特に「価値観」について起きる。
これを指図するものは「外界現実」にはなく、一つの賭けのような姿になる一方、次の「自分を越えるもの」が自身にとって、その重みによって、答えを示すものになってくる。

4「自分を越えるもの(魂と命)」・「未知への変化」
ここまでの「外界現実への向かい方」が引き出す、内面の泉として、「望み」に向かう先に、「喪失」を引き金に現れる。

5.最終的な姿勢 「現実を生きる」
島野の感覚・・「外界現実」と「魂と命」が目に見えないものとしてある=外界、「外面現実」と「心」が自分=内面
真に望むのは「命」であり、そこに向かうための扉として、「自分」はこれからも浅はかに望んでいく


特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-17・「開放」
不在予定のお知らせ:
明日夕方出発して、
3(火)、4(水)とスキーで検定など受けに行き不在となります。ま将棋や武道での段位みたいなやつですp(^^)q
可能であればその前にまた記事アップしたい所存。五分五分か・・。



「基礎」から「真髄」へ

では前記事箇条書きにまとめた「心が良くなる」ことの「真髄」について説明したいと思いますが、まず「基礎」からの関係について見ていきたいと思います。

「外界現実への向かい方」の向上と自信という基礎と、(『心そのものの変化1』
「欲求望みの変化」「心の業と病みの捨て去り」という真髄において、
前者だけではどのように不足するのか。それがどう後者つながるのか。

それはまず、「外界現実への向かい方」向上させることにおいても、その前提となる「望み」というものが、私たちには得てして、自分が本当に望むものが何であるのかが分からないという問題があるということです。
『「外面現実」と「外界現実」へのアプローチ』

それは「普通」に心が健康であっても多少起きること(『心そのものの変化2』)であり(心の業)、さらに、何かの根深い自己否定感情否定し去ろうとして、望むものをしたり、自分を偽った望みを自分に演じることで起きたりします(心の病み)

あと一つは、基本的に私たちが「未熟」から始まる存在であることにおいて、「望み」というのは、得てしてフラストレーション怒り嫉妬つながりやすい、未熟なものから始まるという状況があります。

ここに、2つの課題が出てくることになります。
自分の本当の「望み」を知ること。
「望み」「未熟」から「成熟」へと変化するような向かい方をすること。


「開放」

これが、前記事箇条書きにまとめた以下での、1.「望みの変化」2.「開放」対応します。
前提姿勢 「外界現実を生きる心の重心」
 「外界現実への向かい方」における「確かさの積み重なり」が「目的」「望み」の明確化として自己の内面へ
道筋(心の変化への動き)
 1.「望みの変化」
 2.「開放」
 3.「気づき」
(心の業と病みの捨て去り)
 4「自分を越えるもの
(魂と命)」・「未知への変化」
 5.最終的な姿勢
「現実を生きる」

「望みの変化」に向かうことが「未熟から成熟へ」と向かうために必須です。
それは、
自分の「望み」知ること
・その「望み」へと、それが「未熟から成熟へ」変化向かうような向かい方で、向かうこと
という2段になると考えることができます。

そして「心の業と病み」によりがされ、自分の望みが自分でも良く分からなくなっている度合いに応じて、をするのとの、つまり「開放」することが必要になってくる、という次第です。

そこでまず、「開放」について説明しましょう。


外面における「安全」を支えに内面を「開放」できる

「開放」とは、「心の底で蓋をされ見えなくなっていたものが、ありのままの形で溢れ流れ出し、自覚されること」などと定義できます。

これは箇条書きサマリー
2.「開放」
蓋をされ、閉ざされ、あるいは目をそらし、自分に嘘をついて、見えなくなっていた自己の内面のもの。
これは外面における安全を支えに、「本当に確かなもの」を見ようとする目を内面に向けることで起き始める。

と書いたように、「外面での安全」を文字通り安全弁として可能になるもの、という考えをハイブリッド心理学では取っています。
自分の内面感情をありのままに自分の心の中に開放して流しても安全だ、と心が感じている程度において、実際のところ内面感情は開放されるわけです。

実際「開放」起きるための意識作業の形は、ハイブリッド心理学では全くこだわっていません。
座禅を組んで瞑想(^^;)している時でもいいし、日常生活の中でふとした引き金自覚するのも良し。後者ラフな日記を書くなど、言葉にして文章化するのが、内面感情のキモ鮮明化し、さらにいもづる式埋もれた感情を引き出すベストの方法です^^。


「安全」を「感情」に頼ると内面は開放されない

外面における安全を支えに、内面「開放」できる。これがだと開放されない
それはどういうことか。

それは一言でいえば、自分「安全」を、「外界現実への向かい方」によって築くのではなく、自分の感情に頼っているケースです。
自分の感情マズイと、安全ではなくなる、危険だ、と考えるケースです。

「やる気」の勢いによってものごとを行おうとする傾向の強いケース。それだと、自分何に本当にどんな価値を感じているのかが、分からなくなります。一時的な熱中感を、本当に価値を感じていること混同錯覚してしまいます。

「気持ち」によって人に接しようとしているケース。まあ世の大抵の人こうでもあるでしょう。
「明るい気持ち」が湧けばオーケー。人に向かえる「暗い気持ち」が湧くと、まずい、これでは人に向かえない、となる。そしてそんな自分責め叩き気分はさらにどん底に向かいます。ま「うつ病」基本メカニズムですね。

ちなみに、では「気持ちで接する」のではない接し方とは?という疑問が出ると思います。それが今まで説明した「外界現実への向かい方」によって総合的に培われる行動力です^^。

ものごとを基本的感情で考える傾向の強いケース不安を感じると、外界が現実に危険だと考えます。「引きこもり」を起す基本メカニズムと言えるかも知れません。気分が大らかになると、逆に何でもできるような気がしてきてしまう。「躁転」ですね^^;
これだと、自分の内面感情をありのままに開放し感じることは、危険をはらむがあり、心の底厚くぼんやりとしたバリアが張られるという状態になると思われます。


「外面における安全」と「内面の確かなものへの目」

そのように「安全」感情を頼るのではなく、「外界現実への向かい方」を、以下のような「現実の法則」を学ぶことで行動するものにする。もちろん「感情と思考の分離」姿勢でです。
「現実の法則」まとめ

個の領域
・物理自然現象(身体を含む)の法則
関係性の領域・・・「行動学」
・行動と感情の法則
・社会の決まりごとの法則
・「人は変わることができる」
人生の領域
・「時間には限りがある」

それによって、内面感情関わりなく外面「安全」だと思えることで、
「本当に確かなこと」自分の内面においても見出そうとする姿勢
によって、「開放」あとは自然に起きるものとハイブリッド心理学では考えています。もし、自分の中自分で不確かに思える何か存在を感じた時。


強さに達する直前にそれを妨げた闇が開放される

ただしここで知っておいて頂くといいのは、十分に外面が安全になれば内面を開放できる」なんていう安直な状況としてそれは起きるのではないということです。そもそも十分に外面が安全と感じれれば、問題がなくなっている^^;

より正確には、外面の安全によって内面を開放できる、というより、内面感情によって孕む外面の危険を受け入れる強さによって、内面の開放が可能になる、ということになるでしょう。
それを支えるのが、上述のような「外界現実への向かい方」だということです。

その結果、心の成長への歩みの中で得る「強さ」「開放されるもの」関係は、次のように微妙にずれを伴う関係にあるというのが、私自身の体験を振り返って感じることです。

「次のステージに向かうための外面的な強さに達する直前に、それを妨げた内面の闇が開放される」
といったものにです。その「闇」とは、「業」もしくは「病み」として。

さらに微妙なものとして、この時その人は、自分がそうして開放される闇に、今まで対処できなかったのが事実であり、同時にこの時、自分がそれにもう対処できる強さを持っていることを、知らないでいることです。
かくしてこの人のは、そうして開放された闇に、飲まれることになります。それでいいのです。その時、自分がそれを乗り越える強さをすでに持っていることを知らないでいるこの人に、ただ一つ確実に重要になるアドバイスとは、それが避けなければならなかった事態などではなく、「成長の痛み」として全てを受け入れるべきものであることを、告げることです。

そうして開放されたものに対して、特別にどうこうしなければならないことはもはやないことは、言うまでもありません。
そこまでに得た「外面現実への向かい方」を、開放されたもの込みにして行うだけです。多少出直し必要になることも時にやむを得ないこととして。
それが、「感情と思考の分離」姿勢の中にある、「開放」なのです。

そこから少し時間を経て、この人自分「変化」得ていることを、はっきりと感じるはずです。
何かが変わってきている。自分は明らかに、以前より強くなっている、と。
これは箇条書きサマリー4「自分を越えるもの(魂と命)」・「未知への変化」が、その胎動始めたものだと言えます。


歩みの道のりにおける「開放」

そのように、本人の意識においては「開放」成し得る自分の心の強さ自覚と、「開放」によって現れるものの内容微妙な相互がありますので、「歩みの道のり」最初の方ほど、そしてより深刻な心の状態からの回復段階であるほど、「開放」についての本人の期待と実際(^^;)ギャップ大きい形になるのが実情と言えます。

『詳細マップ』でその全体図を示した道のりとしても、こう言えるわけです。

まず「本心」で考えることができることが課題として、そのための強さ得始め自分いかに嘘にまみれていたか、そしてどんな来歴の中で自分に嘘をついたかを、ありありと自覚するを経るでしょう。
それがうなされるような苦しみとして悶える時間を経た後に、本当に自分の本心で考えるものが何かが、見えてきます。『悲しみの彼方への旅』で、私自身のそうした経緯描写れています。

「外界現実への向かい方」としても、建設的で自立的なものに立つ直前に、自分意識しないまま抱いていた、不合理で破壊的な「信念」を、はっきりと自覚します。
そうして自覚した「信念」などを、「業と病み」を示す命題として「捨て去り」「捨て去り」向かうのです。それが3.「気づき」(心の業と病みの捨て去り)部分です。

歩み全体を通して、平たく言って、清らかな心になる節目として、置き去りにして目がそむかれていた「醜い」感情が、「開放」され自覚されます。歩み最初の方ほど、望む絵に描いたよう心の清らかさとのギャップが激しい形で。

「開放」についてこうした理解持っていないと、開放される内面感情について、それを自覚する意味知らないまま、「こんなものを感じてはいけない」再びをしてしまい、せっかく心の脱皮成長自らブロックしてしまいがちでですので、ぜひこれを知っておいて頂きたい次第です。

また、何か決定的「気づき」が、「開放」大きく促す節目にもなるでしょう。ハイブリッド心理学「取り組み実践」「習得達成目標」とも位置づけられている「否定価値の放棄」が、それによって「魂の感情」全開放する、「開放」への最大の節目となるものです。

そのように、「開放」は、「外界現実への向かい方の向上」という基礎、そして「気づき」相互促し合いながらスパイラル(螺旋階段)状繰り返し起きるもの、というイメージを持っておいて頂くとよろしいでしょう。
それは決して一直線に自分に向上を強いるようなものでは決してないと、。それが「本心で歩む」ということなのです。


ということで例によりかなり長い説明となっていますが、誤った理解ならないためにはどうしてもこうした説明が必要、という感のものを書いている次第。

「心そのものの変化」として、あと「望みの変化」および「心の業と病みの捨て去り」について、キモ理解頂くことで、「心が良くなる」ことが「外界現実への向かい方」の向上であることの真髄見えてくるかと思いますので、引き続きそれを^^。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-18・望みの変化1
スキーの検定おととい講習開催されたものの、昨日猛吹雪でゲレンデ全面運休となり、検定中止でした@_@; でもまあ課題も見つかり、合格まで結構いい線に来ている自分も感じ、いい収穫あったなと^^。来シーズンにはいよいよ合格すべくまた挑戦したいなとp(^^)q


おさらい

さて前記事においては、「外界現実への向かい方の向上」という基礎においても、
自分「望み」しっかりと自覚すること
・それが「未熟から成熟へ」という変化に向かうような向かい方をすること
必要になってくる、という話から始め、
自分「望み」自覚するための、いわば材料の取り出し口になるものと言える「開放」について、基本的に理解したいことをざっと説明しました。

それは外面における安全、より正確には内面感情が外面に対して孕む危険受け入れる強さによって、可能になること。それが「外界現実への向かい方の向上」という基礎や、「気づき」相互促し合いながら起こるものであること。そこに「未知への変化」胎動始まることなど。

一方で、そこではまだ、「未熟から成熟へ」変化に向かうような向かい方とはどんなものであるのかは、まだ見えません。


「望みが変化していく」ということ

ここでは、「望みが変化していく」ということについてざっと説明したいと思います。

そこで理解頂きたいのは、それが私たちの意識の中で、つまりどう意識するとどう変化するか多少は分かる形起きるものと、意識を超えて、つまり変化の仕組みが私たちの「意識」からは全く見えないものとがあることです。
そして「望み」「未熟から成熟へ」変化、つまりマイナス感情を起しやすいものからプラス感情に満たされやすいものへと変化していく、「心が良くなる」ことの最大の真髄は、後者にあるということです。

その後者についても、ここでは私自身そしてさまざまな人々の人生の事例から、それがどのように起きるのか経験的に言えることを書いてみたいと思います。
そしてそれを起きさせる心の核心は、「現実を生きる」という姿勢であろうことを。

次の記事では「心の業と病みの捨て去り」「気づき」どう起きるのかをざっと見ていきますが、やはりそれを最終的に起させるのは、同じ「現実を生きる」という見えない姿勢に行き着くようです。

そして「自分を越えたもの」に向かうというゴールにおいて、それがさらに核心としてクローズアップされる、という流れ^^。


「欲求」「望み」の変化の基礎知識

まず、「欲求」「望み」変化するという心の現象について、基礎知識を押さえておきましょう。
それは主に3つの形態のものがあることを言えます。

1つ目として、「欲求」「衝動」生起鎮静生理的サイクル食欲が一番典型的であり、欠乏状態が起きると「欲求」「衝動」生起し、食事をして充足すると衝動鎮静します。「身体レベル感情」一般に見られるメカニズムと言えるかと。
なお「性欲」については単純に生理的欲求だけではなく、愛情欲求と絡んでかなり複雑メカニズムを持っており、その理解特別テーマになると理解しておいて頂けば良いかと。

2つ目は、環境年令的要因による趣味嗜好の変化です。大人になるとビ-ルがうまい□D\(^^ ) 。が近けりゃマリンスポーツが近けりゃハイキング趣味に、という誘引が働きます。その他各種「最近なんとなくこれに興味を」という趣味嗜好の変化という流れがあります。

この2つは、取り立てて「心が良くなる」変化とは扱うには及ばないでしょう。

3つ目が、「未熟から成熟へ」の変化です。基本は、「ただ一方的に与えられることを求める」ものから、「自ら生み出し自ら与えていくことに満たされる」ものへ、という「望み」性質の変化だと理解して良いと思います。


「上位」の望みが「下位」の欲求衝動を平穏化する

ということは、「未熟から成熟へ」「望みの変化」とは、「関係性の領域」「人生の領域」についてのものだ、ということは大よそ理解できるかと思います。「個の領域」だけにとどまるものについては、やはり取り立てて関連はしない。

ここでまた理解しておいて頂くと良い、今度は上級編の(?^^;)基礎知識は、「上位」の「望み」により「下位」の「欲求衝動」が平穏化されるという仕組みがあることです。

人生の望みが見えなくなった時、人は些細なフラストレーションに耐えられなくなる、と言えます。刹那的満足その人強く駆り立てるものになります。
同じように、人生の望みを持たない人は、ちょっとした人間関係の不調に、強く悩み煩います。

人生の望みに向かう時、些細なフラストレーションも、前進することの充実感に吸収されるかのように、あまり強くは感じなくなります。

また「人生の領域」が本来、行動法を習得した中から自分にとって一番価値あるものを軌道づけていくものである時(『積み重なり2』)、人生の望みに向かうというのは基本的に、下位の欲求包括的に満たせる方向目指しているのであり、そもそもフラストレーションに陥る状況自体あまり起こさなくなれるということでもあります。


ということで「欲求」「望み」の変化ざっと見ましたが、いったんアップしておきましょう。このテ-マ一気に一記事で説明できるとなお良しでしょうが、まこま切れでも良いかと^^。
主題は、「未熟から成熟へ」「望みの変化」向かう向かい方とはどんなものかです。これを次に。



特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-19・望みの変化2
「望みの成熟変化」の基本

では単なる「欲求衝動の生起と鎮静」「趣味嗜好の変化」超えて「未熟から成熟へ」という「望みの変化」どのように起きるのかを見ていきましょう。
そこには前記事冒頭で述べたように、私たちの意識において仕組み多少は見えるものとして起きる「意識の上で起きる変化」と、全く見えないまま起きる「意識を超えた変化」があります。

まず「意識の上で起きる変化」としての「望みの成熟変化」は、ずばり、こうして起きます。

「外界現実に向かって望みを問う」ことによってです。
「外面現実」向かって、ではなく


「外界現実に向かって望みを問う」

この、「外面現実」「外界現実」違いが、決定的なものになります。

「外面現実」とは、その良し悪し感情良し悪し反応を起す、目に見える外面です。
「外界現実」とは、その背後に広がる、「見えない現実法則」を含んだ、心の外部に広がる現実世界です。
『「外面現実」と「外界現実」へのアプローチ』

ですから、私たちはまず自分「望み」というものを、自分惹かれ意識を向ける「外面現実」について、自分がどう感じているかとして自覚するのはそれで良いのですが、そうして自覚した「望み」に向かう段になったら、「外面現実」目を奪われているだけではちょっと不足であり、その背後に広がる「外界現実」に目を向けることが、とても重要になってくるわけです。

一つは、その「望み」達成に近づき、叶えるために。「外面現実」として、望みが叶っているらしい輝かしい誰か姿見えるとしても、そこに至る道のり、「過程」は見えません。それはその人だけにしか知りえない、苦難の道であったかも知れません。そうして見えないものが実際にあるのであれば、それが「外界現実」なのです。
もし自分「望み」叶えたければ、当然、望みが叶った結果姿ただ真似ようとするのではなく、その道のり「過程」学ぶことが大切になるのは言うまでもありません。

もう一つ同時にそこに、そうした自分「望み」自分にとって本当に妥当なものであるのか・・「現実的」なものであるのかが、示唆されることにもなるでしょう。
輝かしい姿に、苦難があり、何の輝きも感じられない平凡で地味な姿に、無上の喜びがあるのかも知れません。そこには、自分自身にも共通する環境や与えられた資質条件、あるいはあまりに別世界の、その人だけの宿命があるのかも知れません。

そうした「外界現実」全て見て「望み」叶えるための道のりはどんなものか、それがどう自分にとって現実的なものであるかを問いていくことで、私たちの「望み」というものは、感情がまず反応する「外面現実」見て感じるだけでのものから、変化をしていくのです。

これはもちろん、「望み」叶えるためだけではなく、生きることの全体において、これまで説明してきた「外界現実への向かい方」「積み重なり」があり、そこにおいて「望み」自分に問いていくということです。
これによる「望みの変化」は、より広い視野の下で、より現実的で堅実な前進になっていくものとして、基本的「未熟から成熟へ」への変化になると考えて良いでしょう。


かなり細切れモードになりますがここでまたアップしておきましょう。一つ一つの話結構大きいことでもあり^^。

に、こうした「外界現実に向かって望みを問う」という視点から、具体的な思考パターンとその心への影響などを。それが次第に「意識を超えた変化」につながっていくという話の流れです^^。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-20・真髄を決定づけるもの
心の変化の真髄を決定づけるもの・・

さてちょっとまた間が開きましたが裏事情(^^;)など書いておきますと、前記事を受けて具体的思考パターンなど書こうと思ったものの、どうも話が細かくくどくなる感があり、「実践」ここまでの話を踏まえるとどうなるのか大上段から言うのがいいかと言葉を練ったものの、これもどうもぴったりと言いたいものではないという感覚

ということであれやこれや言葉頭の中でころがすこと前記事から5日(日曜は日帰りスキー^^)、ここで出てくるのがいい話のように浮き彫りになってきたのは、まずはこんなことです。

「見えないものが見えるようになってくることで、心が揺らがなくなってくる」。
これが、ここまでの話から、ここで、この後真髄部分決定づけるであろうものとして、直感的に浮かぶものとして。


「見えないものが見えるようになってくる」ための「時間」

それは「時間をかけて」です。見えないものが、見えるようになってくるとは。

たとえばこの執筆もそうです。書くべき言葉見つからない書いてアップする気になれない時、続けて書く気なれない時、私は無理にキーボードに向かおうとはせず、となる断片的な言葉頭の中でころがすことを、何日でも続けるようにしています。
今伝えようとすることがらにおいて、心に何が起きるのか今を生きる私自身の体験をも透かし通して、鮮明に表現する文章が現れるのを、待つのです。

そしてそれが現れた時、それはもはや「自分」超えて、を持った文章として、音楽のメロディのように私の頭から外に出ようとし始め、キーボードに向かう私の私自身とは別の力借りたものであるかのように、動き出すのです(この文章もまさにそう^^)。そうなるともう、人に見せる価値あるものだと、自分でも確信を持てる内容になってくる。


少し前の島野からの変化・・

書く言葉見えてこない時、以前の私であれば多少ジレる気分感じたりもしましたが、最近はそんな気分の変調めっきりなくなってきました。
例えば以前のそんな場面での心境を、「エンジンの止まった船のような気分になっている自分」と、『入門編下巻』P.188で書いたこととして。
そして再び自分は何をすべき人間なのか向き合う・・と。

しかし最近は、そこで見えなくなったものが、いつでも見えてくるようになりました(^-^)。書くべき言葉出ない時、書き続ける気なれない時、そこにはまだ見えていないもっと決定的に重要なものがあるのです。
それを探し続け、それが現れるのを待ち続けることで、やがてそれは姿現します。それなりの時間経た先に。

例えばそうして出てきた決定的な視点の一つとして、「感情と行動の分離」心の足場として「本心」があるのだというを始めたのが、2011-07-05『「感情と行動の分離」の心の足場-1』からのシリーズだったりします。もちろん、その先に「魂」「命」があるものして。
どうでもいい話ですが、「本心によって命につながるのだ」とその話のテーマが見えたのが、買い物帰りの市役所通り、空が夕暮れで赤くなり始めた頃のあの信号のあたり・・なんて情景をはっきり憶えている・・^^。


「生きる時間」

そんな例はどーでもいい話として、見えないものが見える見えるようになってくるとは、そうして、「時間」の中で起きることなのです。
「生きる時間」の中でです。

それは最初向こうからやってきます。それがあるのをまだ知らない自分に、それが訪れる形で。これはそれに対応した「開放」ができていることが前提になると言えるでしょう。

そしてそれがあることを知るのですが、しばらくするとまた見えなくなってしまいます。
そしてまたそれがないものであるかのような顔をして「生きる時間」経る中で、それがまたやってくる。するともう、それがあることがはっきりとどめられるようになる。それがないかのような顔をして生きることは、もうできなくなる。
するとやがては、それがふとまた見えなくなるとしても、自分から見ようとするならば、見えてくるようになるのです。
その時、自分がもう以前の自分とは別人であることを、知るのです。

見えないものが見える見えるようになってくるとは、そうしたことです。


「生きる時間」の中での「積み重なり」

ここで何を言いたいのかというと、「心が良くなる」ことについて、ここまで基礎部分を説明しました。
「外界現実への向かい方」向上習得と、その積み重ねの中で「望み」を問うことで、変化基本的「未熟から成熟へ」というものになるだろうと。

その「積み重ね」とは、「見えないものが見えるようになってくる」という積み重なりであり、そのために、そのように「生きる時間」歩む必要がある、ということです。

それが、「身体レベル感情」の領域というごくベースの部分から歩み出して、「関係性の領域」「人生の領域」へと展開していく中で積み重なっていく、全ての、「見えない現実法則」見えてくる過程に言えるのだということです。
たとえば多少は見えるものとしての「行動と感情の法則」「社会における決まりごとの法則」において、見えなかった部分見えてくるとは、そういうことなのです。

そこで重要なのは、変化のための「時間」持てるということです。変化を「待てる」ということです。
変化を待てる人が、変化できます。変化を待てない人は、変化できなくなります。
そうして変化を待てない時、人は現実を破壊し始めるのです。『悲しみの彼方への旅』描写した前の自分が、まさにそうだった・・と感慨


心が変わる真髄を決定づけるもの

心の変化決定づけるものが、大きく2つあることになります。

「開放」というのが前段条件としてあるという話もさておき。この段での「開放」とは、まずは基本的な思考傾向ですね。
問題は、見えないもの最初から見ようとしない姿勢です。そんなものはないと決めつける姿勢。これは「開放」とはの、心の固定化姿勢です。
これは表面の思考でかなり確認および修正検討実践ができますので、このあと「自分への論理的思考」解説確認頂くとしましょう。
そうした思考姿勢さらに越えたところでの話です。

「生きる時間」を持てるということ、変化を待てるということ。
それができない人がいる。これが「心の業と闇」関連するのは疑いのないことでしょう。
この姿勢決定づけるものとは何なのか。

そしてその先訪れるものとして、決定的な内容とは。
それがまた2つあり、「未熟から成熟へ」「望みの変化」真髄的なもの。「意識を超えて起きる変化」部分です。もう一つが、それと絡みながら現れる、「魂と命」です。


「現実を生きる」ことを芯とした歩みへ

こうして訪れる決定的なものはいずれも、この心理学考えとして「外界現実への向かい方」「姿勢」がそこで確立されるものとする「身体レベル感情」の領域での現実科学的な知識世界とは、かなりの隔たりがあります。
『異次元への高まり1』姿勢の確立はあくまで日常生活で物理自然現象レベルの「現実の法則」をしっかり論理的に思考できること”

だから他の取り組み流派として、科学的論理思考などそっちのけで最初から心にじっと見入り絶対的な精神力「悟り」としてそれが見つかるのを求めるものもあるのかも知れません。
しかしハイブリッド心理学では、「積み重なり」一番ベースになるその領域で、しっかり自分で論理的に思考できることを、そうして訪れるもの向かうための「実践」として、極めて重視します。

なぜならそれが、「現実を生きる」という、心が変わる真髄全て決定づける姿勢と、表裏一体になると考えるからです。

それがあってのものとして、まずはこの後説明する「望みの変化」の真髄部分、そして「魂」と「命」、「心の業と病みの捨て去り」という心が変わる真髄部分などざっと理解頂ければと思います。
それを踏まえて、「現実を生きる」という姿勢最終的なイメージなどを浮き彫りにしたいなと^^。

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