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ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
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カテゴリ: (11)心の闇との決別 の記事一覧(作成順)

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病んだ心から健康な心への道-3
「受け身意識の闇の川」

「未熟の故郷」から旅立ち、「成長の地平」を歩もうとした時に、関門として横たわるのが、「受け身意識の闇の川」です。

そこに落ちると、自分から前に進む思考が全くできずに、人にどうされる人にどう見られる・・という受け身意識の中で、感情の動揺に翻弄されてしまいます。強制的です。
これは苦しいものです。


これは私たちが未知の自分へと成長するために、避けて通れない関門です。

なぜなら、「望みに向かい全てを尽くす」ことをした時に「命」が生み出す「未知の自分への成長」とは、あくまで「未熟」から「成熟」への変化だからです。
ですから、そうした「未知の自分への変化」とは、常に、「受け身から自己能動へ」という心の転換を通るようなものに、なるのです。


逆に言えば、受け身意識での感情動揺をしないでいられるとは、それだけその「望み」がもう自分にとっては楽ちんな、軽い「望み」であるということです。
つまり、「今の自分」のまま、成長しなくても、こなせるようなことがらだということです。

ですから、すでにかなりの程度において心が成長し、心が強くなった人でさえ、より大きな望みへと向かう中で出会う課題に際しては、しばしばこの「受け身意識の闇の川」の関門を、通ることになるのです。


たとえば今の鳩山首相もそうでしょう。私は鳩山首相は基本的にかなり心のバランスの取れた、心が成長して安定した人物だと見ていますが、国家の舵取りを担う問題に際しては、やはり内心の動揺も体験するでしょう。
そこでどうしても、意識が受け身に流れ、某豪腕幹事長(^^;)の言いなりになるような行動をしてしまうこともあります。

まあそこは完全になびかない範囲で今のところ何とか切り抜けている(^^;)のが、彼のバランス感覚でもあり、その都度一皮むけるような心の前進をしているかも知れません。
一皮むけずにストレスためてるだけの可能性もないとは言えませんが・・^^;


「抜け出し力」を高める

そのように、「未熟」から「成熟」へと、一歩未知の自分に成長するとは、必ず、今「一皮むける」といった言葉を使ったような、心の変化を経るわけです。

「望みに向かう」とは、そういうことです。


それを、「心の動揺をしないようになってから・・」と思考しはじめると、心の成長と人生の豊かさをごっそりと見失ってしまいますのでご用心です。

より大きな「望み」とは、より魅力的な相手や場所に向かうということであり、その時、自分よりも相手の方がとても大きく、上に見えてしまいます。
だからどうしても、まず意識が受け身になってしまう。どう見られるかしら。どう思われるかしら。どのように私を扱ってくれるかしら。

そこに、「未熟」「心を病む」という状況の度合いに応じて、そこに「受け身意識の闇の川」が現れるわけです。

その川に落ちると、その水の中で、自分が酸素を吸えていないことを自覚できないまま、受け身の思考と感情自動的、強制的に心に溢れ、心が次第に窒息状態に陥ってしまうのです。

苦しくなります。自分はこのままではいけないと気づきます。
そこで、抜け出すのです!水面へと。全く思考法の違う、空気を吸って酸素をしっかり取り入れながらの思考法行動法へ。

そこに、川の中と、大地の上という、全く別世界の心の世界が展開します。
同時に、心が一歩、未知の自分へと成長しています。


ハイブリッド心理学が見出した『病んだ心から健康な心への道』とは、そのような「抜け出し」を、一つのサイクルとして、生涯にわたって何度でも繰り返す道のりです。
スパイラルです。
そこに、生涯終わることのない成長があります。


ですから、この取り組みとは、「心の動揺をしないようになる」ための取り組みなのではなく、心の動揺からの「抜け出し力」を高めていく取り組みなのだ、と最近ではよく言っています。
心の動揺がないところには、もう成長もありませんので^^。


そうした「抜け出し力」を高めるために、まずは「受け身意識の闇の川」の、3種類の水の水質についてしっかりと理解しましょう。
これを次に説明します。

(11)心の闇との決別 |   コメント(0)
病んだ心から健康な心への道-4
3種類の「受け身の水」

より大きな「望み」へと向かう、未知の自分への成長に歩み出した時どうしてもそこに現れるのが、「受け身意識の闇の川」です。

意識が「受け身」に転じることから始まる、感情の動揺が押し寄せてくることになります。


その川は、私たちの心が「未熟」であるほど、幅広く、そして、「心を病む」という問題が深刻であるほど、深く、私たちの前に現れると言えるでしょう。


「受け身意識の闇の川」には、3種類の水が流れています。

「赤の水」。これは「心の力み」の水です。心が無酸素運動に流れて、窒息し始めます。

「青の水」。これは「嘆き」の水です。もがいてもうまく行かず、心がブルーに染まります。ここで、なぜか逆に気持ちが良くなってきてしまう面があるのが厄介です。

「黄色の水」。これは「善悪」の水です。ここに至り、受け身の怒り嘆き「何が正しいのか」という「善悪」の問題に化けてしまいます。こうなるともうなかなか抜け出せず、闇の川の住民になってしまいます。


「赤の水」(心の力みの水)

「受け身意識の闇の川」に落ちると、そこには「見られることから始まる世界」が広がっています。

自分を取り囲む「目」に、自分はどう見られるかという「空想」から、意識が始まる世界です。
その目とは、他人の目であったり、実は自分自身の目であったりするでしょう。
そこで自分が酸素を吸えていないことに気づかないまま、私たちは「どうすれば・・」と思考し始めます。

そこに、「赤の水」が流れてきます。
この川の水は、それが頭に染み込むと、その水によって脳が勝手に動くかのように働いてしまいます。


「赤の水」とは、「心の力み」の水です。
人はそこで、息をとめ、頭に血をのぼらせて、万力で締めつけ絞り出そうとするかのように、心に力みを加え始めます。
こんな自分でいなくっちゃ。こんな心でいなくっちゃ、と。


「心の力み」とそこからの抜け出しについては、2/6『「心の力み」を捨てる』で書いた通りです。

それは心の無酸素運動です。人生は長距離走であり、そのための心の使い方ではありません。
「こうすれば・・」「こんな心で行けば・・」と、心に型枠をはめて押し出すようなイメージで心を良くしようとする考えを捨て、「肯定形文法での思考」「建設モードの行動」によって人生を生きる体験を積んでいくことです。それによって、「命」の力が、心を自ずとより豊かで強いものへと成長変化させていきます。それに委ねることです。


「赤の水」からの抜け出し

「心の力み」を引き起こす、この「赤の水」からの抜け出しを難しくするものについて、いくつか考慮点をあげておきましょう。

それはまず、「心」というものが、「見られるもの」「見せるもの」さらには「見えるもの」のように感じる感覚です。


「心」「見られるもの」に感じる感覚とは、「見られて愛されたい」という未熟な願望の、意識表現の一つの側面そのものでもあります。
その願望が、実は「赤の水」の正体と言ってもいいかも知れません。

それに応えようと、「見せるもの」としての「心」に、力みを加える。
それは次第に、ありのままの自分から遠ざかって別人を演じようとする、自分を見失う迷路に足を踏み入れることになってしまいがちです。


そうして「心」「人に見られるもの」に感じる中で、「心」が実際に「見える」ものであるかのように感じる感覚に、要注意です。

なぜならそれは実際のところは、自分の心に蓋をして見えないようにするという方法で消し去った感情が、他人の中に最も強く映し出されるといった、心の罠のメカニズムが大きな背景だからです。
それはまず「疑り深さ」「嫉妬深さ」「競争心」「強欲さ」そしてまさに「見られて愛されようとする幼稚な願望」といった類が、典型的なものになります。

それを「人の心を見抜く目」「感受性の高さ」だなどと勘違いすることなかれ。次第に、「人の心」の空想イメージに心が埋め尽くされ、心を病んでいくようになってしまいます。

同じように未熟な他人の心は、実際良く見えるものです^^; そこには確かに事実があるかも知れません。
しかし、自分より成長し成熟した人の心は、原則としてあまり見えません


「見られて愛される」という「赤の水」の中で、私たちは「今の心」の中に自分自身を閉じ込め、心を窒息死させてしまう方向へと向かいがちです。

「感情と行動の分離」の姿勢で、 心の中に映るそうした感覚や感情ただ流し、心理学の目で理解します。
そしてそれらを鵜呑みにすることなく、肯定形の思考法と建設の行動法によって外面へと向かいます。

その実践の積み重ねの先に、そうした感覚や感情も次第に強さを減らし、やがて根底から消え去っていきます。

自分自身が未知の自分になると同時に、成長した人の気持ちも良く分かるようになるという、変化と共にです^^。

(11)心の闇との決別 |   コメント(0)
病んだ心から健康な心への道-5
「青の水」

「受け身意識の闇の川」に落ち、「赤の水」の中で心をいくら力ませてもうまくいかないと、そこに「青の水」が流れてきます。

「青の水」は、「嘆き」の水です。
そこで人の心はブルーに染まり、嘆きにおおわれ、ナイマス思考におおわれます。

何でこんなことになるんだ。何でこんな辛い気持ちにならなければならないのか。
もう嫌だ。全て嫌だ。自分なんて。他人なんて。人生なんて。
わあああああああー
、と^^;


「心のハウリング」

これは「心のハウリング」が起きてしまっているものでもあります。


「ハウリング」とは、マイクをスピーカーに近づけると起きることです。スピーカーのちょっとした雑音をマイクが拾って、それをスピーカーで増幅した音をマイクが拾って、さらにそれをスピーカーで増幅した音をマイクが拾って・・と雪だるま式に膨張して、「ピイーーーッ!」と耳をつんざく音がする、というあれです。

それと同じことが、でも簡単に起きます。
もちろん、「見られて愛される」という願望の「赤の水」の中で、「心」人に見せるための作品のように感じる意識の先にです。

良くできていない作品の(^^;)自分の心にじっと見入って、「こんな心では駄目だ」と考えると、そのマイナス思考が心に落ち込みのマイナスの感情を流します。そしてそのマイナスの感情を駄目だと考えると、心にマイナスの感情を流し、そのマイナスの感情を・・

そうして、「こんな自分の心なんて駄目だーーーー!」という、絶叫状態になってしまうわけです。


「ハウリング」が起きたら、マイクをスピーカーから離すことです。すると静かになります。

「心のハウリング」が起きたら、目をいったん「自分の心」から離すことです。
「自分の心」から目を離しても、心は動いています。それでいいのです。

そして、「赤の水」の中で「心の力み」を加えようとしていた自分から、内面はありのままに流し、外面はプラスの行動法をする、「感情と行動の分離」の自分へと抜け出すのがいいでしょう。


「悲嘆衝動」

さらに、「青の水」には実は、「心のハウリング」を起こさなくても自分から「嘆き」へとどんどん向かっていってしまう面があります。

心がブルーに染まるのですが、なぜかそれが逆に気持ちが良くなってきてしまう面があるのです。
「こんな自分なんて」という嘆きが、甘い味のものになってくるのです。


なぜかと言うと、「嘆き」が、「愛を求める感情」として働くことによってです。
愛を求め、愛を思い浮かべる甘い衝動によって、嘆き続けるのです。

これは草原で親にはぐれたヒナの様子にも示されます。
怖くて、心細くて、ただじっとうずくまって、親がきてくれるのを思いうかべて、鳴き続けます。なんでこんなことになったのだろう。いつ親が来て暖かく自分を包んでくれるのだろう、という嘆きを、声をからして鳴く声に乗せながら。

こうした「甘い嘆き」の感情を、「悲嘆衝動」と呼んでいます。

私も10代の頃だったか、「自分なんて!」という実に甘い感情ひたっていたのを記憶しています^^;


「魔法の悪感情」

人間の場合、こうした「悲嘆衝動」が、「嘆けば親が助けに来てくれる」という意味がぼんやりと薄れたまま、「嘆けば助けが来る」ことを期待することが体に染みついた、嘆きの衝動として機能するようになったようです。

嘆けば、それは変わってくれる、とでもいうように。
怒れば、嫌なものがはじけて消え去る、とでもいうように。
怖がれば、守られる、とでもいうように。

こうした、頭でそう考えているというより体に染み込んだ感覚のような形で、嘆けば救われるとでもいうような期待が作用しているらしい悪感情を、「魔法の悪感情」と呼んでいます。


そうして、自分から嘆きと怒りと恐怖の感情に火をくべ続ける、人間の姿があります。

もちろん、 どう嘆いても、それは変わってはくれません。
どう怒っても、嫌なものは消え去ってはくれません。
どう怖がっても守られはしません。
自分から動かない限り。

そうして自ら火をくべ続ける嘆き怒り恐怖というマイナス感情に、今度はさらに「こんなマイナス感情では駄目だ」というマイナス思考を向けると・・。
もう何がなんだか分からない、悪感情の爆弾状態ですね^^;


「青の水」からの抜け出し

甘~い(^^;)「悲嘆衝動」も、嘆けば救われると体が思考しているかのような「魔法の悪感情」も、「受け身意識の闇の川」の中で起きる感情であることを、ご理解下さい。

つまり、そうした嘆き怒り恐怖思考感情を、どうこう直そうとするのが重要なのでは、ないのです。
そうではなく、「受け身意識の闇の川」から、抜け出せばいいんです。
「青の水」の上に抜け出て、空気を吸えばいいんです。


そうすれば、「悲嘆衝動」「魔法の悪感情」も、自ずと消え去ります。

それはつまり、じっとしゃがみ込んで鳴き続けているヒナであることをやめ、自分の足で立って、歩き始めることです。
もう鳴いているだけでは、お腹もすく喉もかわく。もう待っているのは野垂れ死にしか・・。そう自覚した動物の子供が、実際にそうして歩き始めるように。

するとそこには、闇の川の中で映されたさまざまな「人の目」の幻想も消え、「まっさらな現実」の空気と大地が、広がっているでしょう。
そこからの歩き方は、『プラス思考』『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』カテゴリーで解説しているものになります^^。


「未熟」「心を病む」というスタートラインから歩んだ時の、その闇の川の中で映される「人の目」とは、こんなものになるのが典型的です。

それは、子供の頃に心の底に染みた、内心の「ずる」を責めるかのような家族の目のイメージ・・。
実際にそこには何かの嘘が含まれていたのかも知れない・・そう心に一瞬現れる自分自身への懸念
しかしそれはすぐに、嘘のない苦しみによって流し隠されます。自分は本当にこんなに苦しいのに!、と。
そして理解し得る可能性の全くないような、人々の冷淡な心のイメージが頭の中で自分を取り囲むのです。

それがどんなに淀んだ、おどろおどろしい動揺イメージであろうと、同じです。

「人の目」の中で受け身意識で生きることをやめ、自分の足で歩く幼獣になることを選んだ時、それらは消え去るのです^^。

(11)心の闇との決別 |   コメント(0)
病んだ心から健康な心への道-6・「本格的な歩み」の全貌
目が醒めてこんな時間^^; たまにあります。
「本格的な歩み」に入る話の順序をあれこれ考えていたのですが、これをその皮切りとしたいと思います^^。

「病んだ心から健康な心への道」の話の続きとして、それを説明し始めましょう。


再び情景へ

ざっとおさらいしますと、こんな情景です。詳しくは『病んだ心から健康な心への道』のシリーズ記事を『「最初の一歩」まで』の記事一覧から読み返してみて頂ければ^^。

「未熟の故郷」の先に、「成長の地平」が広がっています。
「未熟の故郷」の土は足場が悪く、なかなか前に進めません。私たちは心の成長と成熟に向かうために、「成長の地平」しっかりした地面を、歩いていきたいのです。


でも、「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かう道に、深い川が流れています。「受け身意識の闇の川」です。
そこに3種類の水が流れていると説明しました。「赤・青・黄」の3種類です。

2種類まで説明しました。

「赤の水」「心の力み」の水です。私たちに心の無酸素運動を強い、ストレスを生み出し、心を窒息させてしまう水です。
これは心の有酸素運動に切り替えるのが、「抜け出し」の方法です。

「青の水」「嘆き」の水です。嘆けば解決が降ってくると体が思考しているかのように、心がブルーに染まります。またそこには、親の助けを求めて鳴き続けるヒナのような、愛を求める感覚が混ざっているようです。それで、「嘆き」が甘い味のものになってきてしまうのです。

「抜け出し」は、自分の足で立って歩いて自分で食べ物と寝場所を探しにいく幼獣になることを選ぶことだと説明しました。


「心の自立」と「心の異次元の世界」

「青の水」つまり嘆きの水からの抜け出しは、「自立」という、命のテーマに関係します。

「自立」という命のテーマが、「心の異次元の世界」への節目になります。この異次元節目を、ざっと『「対人感情と姿勢」の4型』で説明しました。


私たち人間においては、完全な自立の形はあまり取れず、「心の自立」が節目になります。

「心の自立」とは、「自分の気持ちを自分で受けとめる」ことです。「気持ち」をそのまま人とやりとりしようとする姿勢から、そこに「意志」を一枚かます姿勢へと、移行することです。

「気持ち」をさらに超えたものに、目を向けるのです。


3本の通り道

これが、いままで説明した情景です。ここに、「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かう、「3本の通り道」が現れます。

この「3本の通り道」とは、人によるケースに応じた進み方の違いでもあります。
また、私たちそれぞれに、「望み」の関わり方の重みの違いによって、その3本の通り方になる人生課題があるとも言えるでしょう。

A.
ある人は、もしくはある人生課題では、「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かうにおいて、「受け身意識の闇の川」の中に落ちることを免れ、あまり悩むことなく進んでいけます。

これは、「心を病む」という問題がほとんど関係しない、比較的心の健康な、幸運な人の場合、あるいは幸運な人生課題領域の場合です。

B.
ある人は、もしくはある人生課題では、「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かうにおいて、「受け身意識の闇の川」の中に落ち、もがいて抜け出すという形になります。

これは「心を病む」という問題がある場合です。しかし実は、全ての人間にその要素が程度の差こそあれ存在すると、ハイブリッド心理学では考えています。
この「落ちてから抜け出す」パターンこそが、実は私たちが未知の自分へと、異次元の心の成長と成熟に向かう、一つのサイクルになるのです。

C.
ある人は、もしくはある人生課題では、「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かうにおいて、「受け身意識の闇の川」の住民と化した状態からの抜け出しが必要になります。

これは「心を病む」という問題に、私たちの文化も影響する問題が加わって、起きていることです。


そこに、「受け身意識の闇の川」のもう1種類の水が登場します。「黄色の水」です。これは「正しさ」の水です。

この「正しさ」の観念によって、「抜け出し」の全てが混乱してしまうのです。抜け出さないことが「正しい」と、私たちは感じてしまうのです。


「本格的な歩み」の進み方領域

これが全貌です。ですから、ここからの「本格的な歩み」は、大きく2つの進み方領域があると考えていいでしょう。

一つは、上記Aのコースです。これは「行動学」をまず学び、誰でもすぐ役立てることのできる領域で実践します。

一つは、上記Cからの脱出を経てBに向かうコースです。これこそが、「病んだ心から健康な心への道」本道になります。


じっくり説明していきましょう^^。
また寝よ・・^^;
(11)心の闇との決別 |   コメント(0)
病んだ心から健康な心への道-7・「抜け出し」の情景
ここでは、「闇の川からの抜け出し」において、実際抜け出られる時何が見えるのかを説明しましょう。
「抜け出し力」という目標に到達した先に起きる、異次元の未知への変化映像ということになるでしょう。

少し長いのでステップをここに列記しておきましょう。

1)自分を演じられている自分
2)「心の力み」の中で狂い始める歯車
3)心の闇の歯車の正体
4)抜け出し
5)未知の自分へ

まあ考えようもない様子になると思います^^; どんな道のりの先にそんな未知の世界が訪れるかを、このあとじっくり解説して行きますので^^。

心の動きプライベ-ト場面を想定して書いたものですが、仕事場面などでも、起きることの構図は一緒です。


「抜け出せる」時に見えるもの

心の安定と豊かさ、そして清らかさにおいて異次元の未知へと成長そして成熟していく歩み。

それは、「望み」に向かい、一度「受け身意識の闇の川」に落ち、そこから抜け出す体験を、一つのサイクルにします。
そこで私たちは、「一皮むけた」新しい自分に、出会うのです。


ここでは、そこで一体何が起きるのかを、もう十分に「抜け出せる」ような心の強さへの成長を済ませている場合の流れで説明したいと思います。

先の「3本の道」においては、もうほとんど川に落ちることなく、せいぜい足が水面に少し触れてしまう程度に、闇の川飛び越えるような時に、心に起きることがらです。
Aダッシュという感じかなと。


それは私自身、かなり最近になってようやく、何が起きているのか、ほとんど動揺することなく見ることができるようになったものです。
こうなっていたんだ・・という感慨の中で。


1)自分を演じられている自分

コマの振り出しは、「こうありたい自分」を演じることができている自分です。
これも成長の過程で、新しい次元のものに入っています。さらに広く、誰とでも親しくできている自分・・。


2)「心の力み」の中で狂い始める歯車

それはもうこの段階では、かなり自然なことです。心の土台は、事実誰とでも親しくできるようになっています。まあ私の場合は、『悲しみの彼方への旅』で書いた「人生見出し体験」以降はそんな感じです。
しかし言えるのは、そこからも引き続き、生涯続く未知への成長は、同じスパイラルの中にあることです。

それは、そうして「うまくいっている」時、まさに「こうできている自分」という自意識があるのを自覚できれば、それに対応して、それ崩れるのが成長の節目だと、この過程を繰り返し体験すればもう自覚できることとしてです。


つまり、それはもう薄氷の上のストレスという感じにはならなくとも、「心の力み」の成功にもとづいていた部分なんですね。
「心の力み」であることを自覚できず自然な自分のはずだと感じられたことにおいて、それが「心の力み」の成功なんです。
やがてそのままではいられなくなる時が訪れます。

何か嫌な感じがしていくるのです。その「うまくいっていた」相手に面することに。

世の人人間関係に悩む原因としてポピュラーな、「生理的な嫌悪感」の色合いが、そこにはあります。だって、別にそう感じる特別な理由があるわけではないんですもの・・。


3)心の闇の歯車の正体

そして見えてきます。ごく最近の私では、「こうなっていたんだ・・」と感慨するような映像として。

本当の自分ではない自分を演じるのが、とても嫌なのです。
そして、そんな嫌なことの引き金になる相手に、やはり嫌悪感を感じてしまわざるを得ないのを感じます。相手には何の落ち度もないのですが。

あるいはそれは、現実にははっきりと示されていなくとも、「好かれるための無理難題」を押しつけられている、という感覚でもあります。
世の人は、これを現実の圧力が相手から自分に向けられているものだと思い込んで、その圧迫の正体の解明と戦闘(^^;)に明け暮れるようなものとして・・。

そして心の歯車が変な方に回り出しています。相手に嫌悪感を抱く自分への、相手からの白い目が、空想の中で返ってくるのです。
ここではっきり、この事態が人に「苦しみ」を感じさせるものであることが分かります。自分は、相手への嫌悪によって、相手から嫌悪されるのです。


4)抜け出し

この内面動揺の事態におよび、「これをどうにかしなければ」という思考が働き始めます。それがさらに事態を悪化させることを、私は今までの経験から十分に分かっています。

「相手への嫌悪感を率直に言って話し合ってみるのがいいでしょう」といったアドバイスをするカウンセリングをしばしば見かけますが、最悪です^^;

一番おだやかな方法は、相手との接触を避けるという話になるでしょう。私自身の最近の体験でも、ここまでが「自動思考」として動く部分です。
実際そうしたところで、相手を避ける自分の態度に、相手から不信が返ってくるという空想までが、自動的に動きます。


私の場合は、ここで「意識が停止」します。あるいは、「意識が看取られていく」という心境が、私の心の中で起きます。
全てが心の中の世界だけで起きていることなのです。ただ、立ち止まって、それを見つめるだけです。


何の答えも出ません。頭の上に鉛筆でモジャモジャと煙を書いたマンガの構図(^^;)の、すこし「こげた」気分の中で、そのまま時間を過ごします。
寝ます。
目が覚めます。

全てが消えています。そこには、新しい自分がいます。


5)未知の自分へ

またその相手に会います。するとそこには、さらに気さくに会話している自分がいます。

はっきりと変化していることがあるのが分かります。
「こうあれている自分」という、自意識が消えていることです。

それは同時に、特別にその相手個人に近づきたいという衝動自体が、消えているということでもあります。「こんな自分」になることを通してです。
そして、相手個人をとくに意識しない、他人全般への愛着感が、一歩増えています。


「黄色の水」の中で

この道を知らない人の場合、「今まで通りにはいかなくなった」段階で、悪もの探しに心が転じてしまいます。
「悪いのは誰なのか・・」と。

そして、自分がニセを演じていたことについて、自分を叩き始めるのです。その痛みが、事態全体の苦痛度を増し、それが再び悪もの探しに合流するのです。


これは、「受け身意識の闇の川」の、「黄色の水」つまり「正しさ」の水のせいです。


「病んだ心から健康な心への道」において、この「黄色の水」からの抜け出しが、最大の課題になります。

それへ、「最初の一歩」からの、引き続きの「感情と行動の分離」の姿勢の先に向かうのが、これから説明する「本格的な歩み」になります。

(11)心の闇との決別 |   コメント(2)
病んだ心から健康な心への道-8・島野を救ったもの
引き続き、ハイブリッド心理学の道のりの、ゴールの答えの説明を、ざっと続けましょう。
その後に、いったいどのようにそこに向かうかの説明をしたいと思います。

難解ゴールの姿を、おぼろげに道しるべとして得た上で、方向性を知り、それを歩むという、最も大切な一歩一歩のために・・。


ここでは、心理学の説明というより、まず私自身の人生を振り返っての感慨として感じることを、書いてみましょう。


「未知への変化」の原動力

前の記事で説明した「抜け出し」の先に、なぜ自意識が消え、全ての他人への愛着感が一歩増えるという、「未知への変化」が起きるのか。

私はそこで、「自意識を消して全ての他人への愛着感を増やす」という意識的努力を、一切行なっていません。

答えは明快です。それは私が行なったことではなく、「命」が行なったことなのです。

自意識によって、「こんな自分になることで好かれたい」という、自意識に基づく「愛への望み」の感情が崩壊した後に、「命」は、何もないところに、自意識のない、自分から愛していく感情を芽生えさせる。

その「命」の力に、委ねたのです。


島野を救った「一人遊び」の世界

それでも、私自身の「意識」の側において、何が私をその「命」の力つなぎとめたのかを、一つ言えるような気がします。人生を振り返ってです。

それは、私が「一人遊び」の世界を、そこで見出す「楽しみ」を、持っていたからではないかと。


もちろん、人との場からの逃げ込み先を持てたという位置づけにおいてでは、ありません。

「一人遊び」の世界の中で見出す、全く嘘が混じり込まない楽しみと喜びが、人との楽しみにおいても本来のものだと考え、「一人遊び」の中で見出した楽しみと喜びを手にして、人との交わりに向かう試みを、何度でもやめなかったからだと。


道徳観念のなかった子供の島野

もう一つあります。それは私が、子供の頃から、「正しい」という道徳観念を、ほとんど持たなかったことです。

思い返せば、私はほとんど道徳観念を持たない子供でした。

別にグレていた(^^;)わけではなく、自伝小説でも書きましたが、科学図鑑を眺めるのを楽しみにした子供時代という来歴から、合理的科学的説明をなしにして「良いこと悪いこと」と考える思考を、ほとんど心の土台に取り入れなかった感じです。

そして、一人遊びの世界の中で、全く嘘が混じり込まない楽しみと喜びを見出したように、私自身の心の中で、自分が拠って立てる、「人の目」には一切関わることのない、本能的善悪感覚だけで、行動をそれることなく、まあそれなりに素直に生きていたわけです。


一つ記憶があるのですが、小学校5年の道徳の授業で、先生がテーマを出して、それが良いことか悪いことか、正しいか誤りかを、生徒を二派に分け議論させたことがありました。
そこに「本音のぶつけ合い」的な情緒交流をねらった、その先生得意の演出があったのでしょう。皆が涙を流しながら意見を言い合っていました。

その中で、私もその感情のぶつけ合いにちょっと感きわまった感じだったのですが、叫んだ意見は、「“正しい”って何によって決めるんですか!!」と、一人だけ流れの違う言葉でした^^;

先生「それは難しいのでまた・・」と^^;


話が膨らみましたが、そうして道徳観念を持たないまま、本能的善悪感覚に耳をすませる姿勢を持っていたことが、自分自身の内面つまり「望み」を完全に開放し、頭の中で理屈で枠をはめことを完全に捨て、心の中の声に善悪とその行き先を決することを委ねるという姿勢に、つながったのだと感じます。


2つの大きな道しるべ

それでも心の闇は、思春期から青春期へと移り変わる心の不安定の中で、私を深い闇の川の中に放り込みました。

そこからの抜け出しに、教えられることなく、その2つが多分、大きな道しるべとして働いていたのではないかと感慨します。


ですからここで、ぜひ心に入れておいて頂きたい、2点があります。

「人の目」にどう見られるかと揺らぐ感情から抜け出し、伸び伸びと自分から人を愛していける感情へと成長そして成熟していくとは、決して、「人の目」にどう見られるかから始まる意識世界のまま、うまくやっていけるような方法を見つけることではなく、その意識世界においては、恐らく自分として最もぶさまな姿で完全に崩れ落ちたあとに、何もないところに芽生える、一人遊びの楽しみの感覚に向かうことに、答えがあるということです。


そしてもう一つ
「人の目」にどう見られるかと揺らぐ意識世界で、私たちはその「人の目」に恐怖を感じるからこそ、その危険に満ちた世界で人に好かれ愛されたいという、「与えられる」形における「愛」を求める衝動を、より激しく持つのです。しかし、「人の目」の恐怖を生み出したものとは、自分自身が「正しい」と感じることにおいて、理想に満たないものを叩こうとする、自分自身の衝動なのです。「人の目」の恐怖とは、それを映し出したものなのです。


ここに、「正しい」という感覚において劣ったものを叩くという、私たちが人生で心の芯に植え付けた、「否定できる価値」という感覚完全に放棄するという、ハイブリッド心理学の最大の道しるべが現れます。

これがハイブリッド心理学の答えです。
引き続きの「感情と行動の分離」の姿勢の先に、それをより本格化させる「行動学」「自己分析」「価値観」といった取り組みを通して、私達はまずその道しるべへの到達を、目指すのです。


その扉を開けた時、あとは「命」全ての答えを出していきます。

(11)心の闇との決別 |   コメント(0)
神になるのをやめる-序
「人生を見失う道」の歯車とその取り去り方について、ここでタイトルを『神になるのをやめる』に改めお話ししていきたいと思います。
これがハイブリッド心理学の、一番キモになる部分になります^^。
カテゴリー『心の闇との決別』の方に入れておきましょう。

これを踏まえて、『「愛」と「能力」の人生課題』しめくくりをまたちょっと加えるという感じになるかと。加えるのは、「愛」「能力」という人生課題派生しながら、目のまえに大きく立ちはだかるものになる課題です。
それは、「怖れの克服」です。


さて「神になるのをやめる」とは、私自身毎日を脳天気に楽しく過ごしている、心の芯にある信条のようなものでもあります。
僕は神さまじゃないもんねー、と。

だから自分の何でも許しちゃうわけです。そして3/15『「愛」と「能力」という人生の治癒成長課題-2・真の答えへの雑感』で触れたように、どうでもいいさー好きに生きるさーパァ~~と頭を空っぽにしてお気楽モードで生きる毎日が、また始まるわけです。


これはもちろん、思考を放棄したのではありません。徹底的な思考の追求の先に行き着いた、真実だと私は感じているのです。
神になろうとするのをやめることだ、と。

それが恐らく人間の歴史を通して、先人が宗教哲学の中で見出した真実と、同じものであろうことも感じています。

ハイブリッド心理学ではそれを、神になるのを「やめる」という消極形だけで行き着くのではなく、緻密な心の歯車分析と、一歩一歩の向上を体得する中で得る豊かな心の感情足場としてという、多分最も着実な道順を用意するのが特徴と言えるでしょう。


その先に、「神になるのをやめる」とは、自分こそが神だと無意識の中で感じるのに代わる、大きなものを手に入れることです。

それは自分自身の「命」に他なりません。

それによって、神になろうとするのをやめる代わりに、ただの「まっさらな人間」に、なるのです。


この最大の転換を知った時、私たちは全てへの答えを同時に知るでしょう。

「答えはない」というのが、答えなのだと。


そして知るでしょう。人生を見失わせたさまざまなものの最後の本当の正体が、自分は「正しい」ことを分かりそれができるはずだ、という幼い信念のようなものであったことを。

そこから、新しい人生が、本当の人生が、始まるのです。


ということで、「人生を見失う道」歯車分析から始めます。


なお3/13『「生きる」とは』で触れたスキーの技能試験(明日)は、やっぱ今回は軟弱にやめー^^;
もうちょっと余裕感出たら受けたいなと。今練習するたびにうまくなれているので♪明日天気悪そうだしー。受験料もったいないしー。
ということで今日はまた近場日帰りで滑ってきます♪


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