I.気持ちオンリー・思いやり対人感情と姿勢の
第1パターンは、
「気持ちオンリー・思いやり」です。
「気持ち」で考えます。
「こんな気持ち」だから、こう行動したい。できるかしら・・と。
「心を開いて」と。
「思いやりで」と。
自分の行動を
「自分の気持ち」で考えるのと同じように、
人の行動を
「人の気持ち」の表れとして捉えます。
人とうまくやっていくためには、
「人の気持ち」を思いやることが大切だと考えます。
これは、
それだけで害があるものではありません。
心がもとから健康であれば。
「未熟」および
「心を病む」という面の割合が大きくなるにつれて、
害が目立ってきます。
何よりも、
心が窒息してくることです。
自分でも気づかないままにです。
「気持ち」をどうしても
「人に見せるためのもの」と位置づける結果、
「心に力み」が生まれ、その行動の中で
「反対の気持ち」が湧いて
混ざり込んできたりもしてしまうのです。
それを
さらに押さえつけ、
人に見せるための「気持ち」を「維持」し、搾り出すために、
さらに心に力みを加えていく。
心が壊れてしまうのです。
心を開いて自分の気持ちを人に伝えるなんて言っても、開いた中身が
嫉妬や
憎悪だとしたら、伝えられた方もとんだとばっちりです^^;
それは分かっていると、先が見えない行き詰まりに、
こんな気持ちを感じたくて感じたわけではない・・と
絶望感の中で涙した人生の時期を、私も体験しています。
人間関係も、
うまく行かなくなりがちです。
詳しい心理メカニズムを勉強しなくとも、私たちは、
「小さな思いやり」が時に
「大きなお世話」(^^;)になることを、
漫画の構図で知っています。
「思いやり」の裏にどんな
我欲があるなんて話を詳しく論じるのはさておき、
不完全な人間世界において、
この対人姿勢は、どうしても変形してしまいがちです。
「思いやり合い支え合い」が、
「気持ちのゴリ押し合い」「依存し合い」「詮索し合い」「束縛し合い」へと、果てはそれが
「たかり合い」(^^;)のような姿へと。
「ワタシはこんな気持ちでいたのよ!」「オレだってこんな気持ちだったんだ!」と。
まあまあご両人さん落ち着いて^^。「こっちの気持ちをどうしてくれるんだ!」と。
汗タラ^^;「誠意を見せろ!」と。それって
悪徳商法の常套文句なんですケド・・^^;
事実、
「思いやり」とだけ考える思考法は、
「村社会」「世間体」などによる束縛の中で実際人々が生きた、過去の時代においては、社会秩序と和の維持に役立ったのかも知れません。
個人の独立と自由を生活基盤に置く、
これからの社会で人を導ける思考ではありません。
「人のことなど考えず自分のことだけ考えればいい」といった発想も、まずは
「心の力み」への
自己反発から
「逆の気持ち」に肩を入れ込んだ、
同じ次元のものであって、論外です。
あとの3つの型においても、
「思いやり」は当然です。
そこに、
揺れ動き流れ移る「気持ち」を超えたものへの目と、それへの「思いやり」が、加わるのです。
ですから、
あとの3つの型で
「気持ち」がどう違うのかでは、まずはありません。
「気持ち」を超えたものが、
行動の原理になってくるのです。
「気持ち」の変化を超えて一貫として向上するものへと向かう、「意志」が原動力になってきます。
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