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島野隆のブログへようこそ! このブログは、 心の健康と人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学、 「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。 ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。 変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。 ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。 本当の心の治癒と成長に向かって! |
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・幼少期における「和の中で愛が与えられる」ことの役割
・それにしがみつくことが生み出す「自己中心性」の心の業
・置き去りにされた魂の望みの感情の回復
最後に、このような思春期要請とその結果が、今だ吸収消化されることのない愛情要求の中で起きていることを考える必要があります。
愛情への要求はこれまでの心理過程の全ての原点とも言えるものです。
健全な心理発達においては、それが満たされることによって、基本的安心感が根付き、「それがなければ生きていけない」という必須性はもはや消え去って行きます。
一方基本的不安から発達した個人の場合は、自分への自信が未発達である程度において、「生きるために必要なもの」という形での愛情への要求が残り続けるものと考えています。
持続する愛情要求は心理障害の方本人、そして治療者の双方によりしばしば自覚されます。
これがどのように克服されるべきものであるのかと考えることの違いによって、心理障害の治癒についての基本的な考え方が大きく変わってくるでしょう。
私たちが取りえる考え方の選択肢は2つです。
a)児童期を越えて残る愛情要求についても、遅まきの形ではあるが偽りない愛情を充分に与えられる必要がある。それが得られて安心感が根付くことで、障害が回復する。
b)児童期を越えて成長した個人は、その年齢に応じた発達課題が、やはり心理障害状況においても課題である。それは愛情を与えられることではなく、人格を統合し、社会の中で生きる主体性を確立することである。それに応じて変形持続した愛情要求は消え自然な愛情への潜在力が生まれる。もしそこに愛情が必要だと言うのならば、何よりも必要なのは自分自身への愛情である。
このサイトでのスタンスは後者です。理由は、正確な治癒事例観察では、前者のようなケースはなく後者のケースが一般的だからです。