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島野隆のブログへようこそ! このブログは、 心の健康と人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学、 「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。 ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。 変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。 ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。 本当の心の治癒と成長に向かって! |
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2011.6.16(木)
・・(略)・・
12時半。少し家の中の作業など入れながら考えたのは、今の自分のこうした心境の流れ自体を、僕自身がどう捉えるかだ。
何となくうまくまとまらない面が多々ある。自分が全てを失った・・・という観念・・・それはそうなのだろうし、一方で、そこで得たものは何だったかという疑問も出る。今の自分が、“ただ裸の命だけを持つ”という考えに、一抹の前進感を感じはする。それでも流れる抑うつ的な悲しみの気分は、自分が、人に自慢でき、それの上で生きていけるものを、持たないという事実にあるように感じられる。まっとうに人生を得た者であれば誰でも持つであろう、それをだ。いまさらにして、自分が社会において何者でもない人間になったという考え・・・。
午後6時半。その後の流れを書いておく。上のメモを書いて僕が感じたのは、自分の心が死のうとしている、という感覚だった。前後関係はどうだったか、少しオーバーに言えば軽く目まいがして、頭をしめつけられるような感覚が流れ始めていた。
しかし、「心が死ぬ」というその浮かんだ感覚が、むしろそれが正解のように思えてもいた。僕が心理学の執筆によって生きていることを感じられるのである時、それでは生きていけないのなら、事実僕の心は死ぬのだ、と。ただそれが事実でしかないこととして、事実何の収入も得ることができなくなった自分が、「人生の転落」をしただけの人間のようにもイメージされ、それが旧友達の目の先にあるイメージは、苦しみの感覚を帯びてもいた。 この窮状を、人の内面など無頓着な父に訴えるイメージも浮かぶ。もちろん僕の自我は、何も感じてはいない外面を取ることを選びながら。
「人生の転落者」が書いた「人生の生き方」など、誰も読みはしない、という自嘲的な言葉が頭に浮かぶ。婚活(注:執筆継続の岐路、および母の死などを受け、すぐにでも結婚したいという気持ちがこの頃出現。この後の流れを受け見事に消えたもの^^;)についても、今まで結局それによって女性を得ようとしたものである、「プロフィール属性」を、自分は持たないのだと思えた。
そうしてもう何もないといううち沈んだ気分を、僕はもう死ぬのだ・・・といった観念で、否定しないまま、僕はただ生活費を稼ぐための仕事へと向うのだ。その目線に、気分が沈んだまま、力があることを感じる。感情はただ無へと薄れていく。
2011.6.17(金)
きのうの続きを書いておけば、もう考えるのをやめていつもの夕食から風呂へと入った頃、早くも変化が起き始めているのを感じた。
ただ「消えている」のだ。意識が軽快に動かせるようになっているのを感じた。そして意識したのは、まずその「脳の騒がしい皮が一枚はがれた」ような状態だ。また面白いことになったきた、と。これがあるから、この歩みをやめられないのだと感じた。それまでの問題意識への考え方がどう変わるかという以前に、それまでの問題意識の全てが消えていた。結婚相手探しも、仕事への就き方についてもだ。
ただなるようになるものへと向えばいい、と感じた。これから生きていければいい形で書き続ける者として。「プロフィール属性」など、もうどうでもいいと感じた。
・・(略)・・
2011.6.20(月)
今朝感じた新しい心境を書いておけば、自分が進む先の方向感がないまま、自分で“目をみはるような”すがすがしい感覚があるのを感じた。「輝くすがすがしさの無」とでも呼べる感覚。・・(略)・・
2011.7.19(火)
先に書き漏れたことを書いておけば、全て執筆につぎ込むという腹が決まってくると共に、自分が本当にこれで、レールの外を歩き出したのだ、と感じたことだった。道もなにもない、草が茂っている、じかの野原だ。
同時に、そんなものとして、楽しめるものは楽しみたい、という気分が湧いてくるのを感じた。たとえば洋服の趣味をだ。スクールカウンセラーが不採用になり、先が見えなくなった昨年暮れ頃以来の、お洒落の趣味心の復活となる。
どんな状況においても生きることを楽しむ、「命」のエネルギーというものを感じた。