2011-06-25 Sat 12:47:42
しかし昨日は暑かった@_@;; この夏は節電と節約のためエアコンは使わない方針を掲げた島野ですが、さすがにたまらんと方策を練った結果、「濡れた服を着る」というのが効果てきめんでかなりイイ感じの模様(洗濯機で1分だけ脱水したもの)。寝る時もこれが効果的ですが、多少調整が必要そうですね。どーでもいい詳しい話は省略^^;この記事のあたりは
考えをまとめるのに
結構時間がかかりました^^。
心を導く3つの道「本当に心底から納得」が
「心の変化の核心」の
基本として、そこから、
「心を導く3つの道」というのがあることになります。
というか、より
正確には、
「心底から納得」が
本当にそうかはちょっと置いといて、人が
自分や
他人の
心を
導こうとする
やり方に、
大きく3つ分かれる
道があるという感じ。
心が
どうあるのが良いかについて言う
内容は
多々重なるとしても、
心を
導こうとする
やり方に
根本的な姿勢の違いがあり、ちょっと
相容れない3つの道です。
1つの道で
納得して心が良くなったと
いっとき思えても、
やがてどうも元通りの傾向を感じ、
さらなる心の探求を模索する。
その時、
他の道を選ぶとすれば、
今までの納得は
いったん全て捨てなければならない。
そんな風に、
相容れない道。
そんなものとして、
まず2つの道に
答えを
見出せない人が、
3つ目の道に
真の答えを見出す。
ハイブリッド心理学は、
そのような人のための
3つ目の道だと、位置づけられるのではないかと感じています。
理屈抜きの道(^^;)心を
導こうとする
やり方の
1つ目は、
「理屈抜きの道」です。
理屈を
問わない。
理屈も
へったくれもない^^; とにかく
「こう感じられれば」というものを
模索する。
どう感じられれば。こう感じられれば、いいんです。ぜひこう感じましょうよ、と。
このあとの
2つの道は、
理屈を
問うものとして大きく分かれます。
これに分類されるのは、多くの
「スピリチュアリズム」、そして
「道徳」になるでしょう。
スピリチュアリズムではしばしば、
霊的体験が
「証左」として出されます。こんなことがあるのだから、
人は永遠の魂の存在としてこの世に生まれるのです、と。これは
形としては
「理屈」ではあり得ます。
たとえば最近寝つき薬がてら(^^;)読んだ
高橋佳子さんという
スピリチュアリストの著作では、
高橋さんが知る由もない
ご相談者の前世や親御さんの過去を伝え、
ご相談者が
大きく感銘し変化していく様子が書かれています。
しかしそれが
小学校から学ぶ
科学的な思考とはつながらない時、やはりそれは
ちょっと理屈のない話ではあると感じます。
少なくとも自分がそうした
霊的なものを実際に見れないと、
本当にそうなのかどうか、何とも言いようがない^^; ちなみに
島野自身はそうした
霊的傾向は、
見事にゼロです^^;
スピリチュアリズムせよ
道徳」にせよ、あまり
理屈を
問うことなく、
心を導く言葉に
感銘を受け心が変化していき、
人生を揺らぎなく生きていけることができれば、
それはそれに越したことはないことだと感じます。
しかし
それでは足りない人間がいる。
まずは、
自己の内部に亀裂や矛盾を抱えた人間ということになるでしょう。
心がそうあれればいいことは分かっている。しかしそうは動かない自分の心を抱え、
人生の迷路にさまよう人間がいるものです。
島野もそうして、
この人生を生き始めたわけです。そこにある
自己の内部の亀裂を、最も
端的に表現した言葉として、
かつてそこにいた別人を見る思いで思い出すのはこんな言葉ですね。
「彼女が果たして僕を好きだろうかという不安は確かにあるが、本当に信じることができないのはこの自分自身なのだ!」(『悲しみの彼方への旅』P.78)そうして
自分の中に
いったい何があるのかの
探求の道が始まり、その先に、
「魂」と
「命」があったという
流れにあいなりまする次第です。
そうして
至る答えは
同じかも知れないが、
行き着く道のりが
全く異なるものになる。
別の道として
理詰めを用いる、つまり
理屈を
追求する道が出てくるのですが、
そのうちの一つを取ると、そこに
再び轍が控えていることになります。
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しまの
[
編集] |
URL |
2011-06-26 Sun 10:53:47
どうもですー^^)/
>調節によっては逆に寒そうですねw
確かに^^; ま体が熱暴走してこのままでは熱中症?というような時の対処法の一つという感じかなと^^。
>魂の解放か?と思うような心境の変化がありまして、命のエネルギーみたいのも感じています。
ぜひ早めに書いてアップして頂ければ^^。・・というのはそうした状態はかなり短期間でまた変わるからです。いつまでもそうすがずがしい状態にはとどまらない。
しかし足元足場が一歩前進した形で、内容的には比較的同じ問題に向う、という繰り返しになります。
その都度、現われる「未知」が大きくなる、という一貫した歩みになります。
その中で、「開放」「命のエネルギー」を感じる一瞬が、「そう感じようとして感じるものではない」という「開放」のあり方を表現する言葉が書ける、短いチャンスになります。
それを過ぎるごとにと、言葉で表現するのは難しくなります。
島野の場合は日記でそれを記すことで、後からその言葉を引き出せるように蓄えていますが(その全てを伝えるのはこれからの生涯をかけて?^^;)、なるたけ多くの人のさまざまな言葉で語られることを期待している次第です^^。
ゆうすけ
[
編集] |
URL |
2011-06-26 Sun 07:22:46
濡れた服ですか;w;調節によっては逆に寒そうですねw
前回、読者広場に書き込みさせてもらった者なんですが、
魂の解放か?と思うような心境の変化がありまして、
命のエネルギーみたいのも感じています。
また落ち着いたら?書き込みます!^^