ハイブリッド心理学が考える「心の仕組み」『詳説・感情を鵜呑みにしない思考』シリーズで書こうと思っていた話ですが、この
『島野が至った「命の無の世界」』シリーズで書いておくのが良さそうですね^^。
「心と魂と命」という、
ハイブリッド心理学が考える
「心の仕組み」の説明です。
「ていねいな論理的思考」とは、そうした
心の仕組みにおいて、
心をどう使うための、
どの部分のことなのかという話になってきます。
「ていねいな論理的思考」は「自意識の殻」を打ち破るためそれはとても
限定的な、
心の仕組みの
ほんの一部のためのものです。
もちろん
「ていねいな論理的思考」は、
人生を生きるための、そして
生活のための
知恵とノウハウを
正しく仕入れるための
基本的な道具になるものです。
しかし、そうした
知恵とノウハウは、あくまで
心の外部のものごとの話です。
重大なのは、私たちの
心そのものを、どのように働かせるかです。そこにおいて、
「ていねいな論理的思考」は、
心を
どのように働かせるために、
心のどんな機能をどのように使うのか。
そう考えるならば、その
役割は、
心の機能の領域(ちょっと難解な表現^^;)としては
比較的小さく、
しかし、決定的な役割のために使いたいものになります。
それは、
「自意識の殻を打ち破る」ということのために使うのだ、ということです。
私たちが
心の病みと闇に陥る
根本原因となる、
人間の心の業の
正体とも言えるものとしての、
「自意識の殻」です。
「自分」という
意識、そして
「自分」が
「どう人に見られるか」という
意識によって、
人生の道を
見誤り、心を惑わせながら生きる
根本的原因となる心の機能、
「自意識の殻」を打ち破るために、
「ていねいな論理的思考」を働かせていくのです。
それが、
ハイブリッド心理学の
実践における
「ていねいな論理的思考」の
最大の役割です。
「自意識の殻」の屁理屈を洗い落とすなぜなら、「自意識の殻」は、屁理屈ばかりを弄するものだからです。
それによって、「望みの感情」という、生きることにとって最も大切なものを、見えなくするものだからです。「望み」に蓋をし、歪めるものだからです。自分は望むことはできない・・だってこうだから、
自分が望めるのはこんな・・だって、という
屁理屈によってです。
「ていねいな論理的思考」を使うと、
それらの全てが、
てんで正しい論理などではないものとして、
洗い落とされていくのです。
そこに、
純粋な望みが姿を現す、
「望みの開放」への道が、始まるのです。
分岐路人間の
心の病みと闇、
心の業を
克服しようとする
取り組みの全てが、この
同じ目標を目指していると言えるでしょう。
「自意識の殻」を
突き破り、洗い落とすことで、「
魂」と「命」を開放しようと。
その
方法、あるいは
道筋として、
分岐路がすぐに現われることになります。
一つの道は、
「自意識の殻」の屁理屈を
捨てるために、
はなっからもう理屈抜きの話をしようとするものです。
こう感じられればいいのだと。
多くがこれに当たると思います。
全てが神の愛です
。全ての出来事に人生の恩恵としての意味があります、と。
もう一つの道は、
「自意識の殻」の屁理屈に対して、
「ていねいな論理的思考」で
真っ向から対峙していくものです。
ハイブリッド心理学は、この道を取ります。
はなっからもう理屈抜きの話で行く方法は、あくまで
「準備された範囲」において
のみ、
「魂」と「命」を開放するものになるのではと、私は感じています。
(参考:
2/21『詳説・感情を鵜呑みにしない思考-30:「命」と「無」への道筋を知る-4』)
「開放」への
準備そのものから
積み重ねるための方法は、
後者になるのではと。
そしてこの
科学の時代、
はなっからもう理屈抜きの話ではあき足りず、
理屈まで徹底的に究められることを求める人もいるであろうことにおいて、ほとんど社会で注目されない
この心理学が果たせる
役割がある。そう感じて、続けている次第です。
いずれにせよ、
「自意識の殻」を
突き破り洗い落し、「魂」と「命」を開放していく。
こうしたことが起きる、私たち人間の
心の仕組みを
図にしてみましたので、それを次に載せましょう。
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