人生の道をさま変わりさせるもの「人生を見失わせる道」の歯車とは、実はその
全体のほとんどが、
「心が成長する道」の歯車です。
なぜなら、私たちは事実
「未熟」からスタートして、
受け身の願望に流されながら、
自己能動へともがく中で、
成長していく存在だからです。
その中にある
最後の歯車が、その
全体をさま変わりさせてしまうのです。
「望み」に向かってもがく中で成長する道から、
「こうすればいいと分かってすぐその通りになれない自分」への、そして
自分をそのようにしてくれない他人と世界への、
処罰の怒りを向ける道へと。
まるで
自分が神になったかのような、
融通のきかなさで。
そうして心に
「悪魔」が取りついたかのような自分の姿に気づいた時、人は
自責の感情の中で、どっと
「生きるにくさ」を感じるかも知れません。
人生さま変わり(^^;)の3つのポイントそのように、
最後の歯車が
全体をさま変わりさせてしまうのは、
3つのポイントで起きることを理解できます。
「望み」に向かうことから、「望み」に
向かう前に理想通りになれていない自分を叩くものへ。
あるいは、
「望み」に向かって歩んだ先に、
「真実と嘘の錯綜」が現れた時、
自分の見せかけの嘘を叩くものへ。
(「真実と嘘の錯綜」については
『島野自身の治癒過程を振り返って-2』など参照。そこでは「真実と闇の錯綜」と書いていますね)
そしてもう一つは、そうした「望み」に向かうことかどうかに関わらず、
「こうできればいいとすぐ分かってその通りになれない自分」を
叩くものへ。
これはもう、
人生の全ての場面と言えるほどのものになります。
すぐに答えが出せない問題が、
人生には沢山あるからです。
人生には沢山あるというか、まずは
すぐ答えが出せないさまざまなものの中で進み始めるが、
人生のように思われます。
そうして、
人生の全てが、
怒りと怖れに満ちたものへと
さま変わりしてしまうのです。
「自分が神になる」という歯車そうした
人生さま変わりを起こしてしまう、
最後の歯車が、
「自分が神になる」という歯車です。
もちろん
人は、
このつながりを、理解しません。というか、
自分の心で感じることができません。
実際のところ、今書いたような「生きにくさ」の原因が、自分が神になろうとすることだなんて、誰が考えるでしょうか。しかしそこに、私たちの目に全く見えないながらも、かなり太くてはっきりしたつながりが、あるようなのです。
そこでの見えない太い線とは、「怖れ」であり、その克服について私たちが抱く思考です。今書いた
人生さま変わりポイントを、思い返してみて頂くといいと思います。
「望み」に向かう。「
真実と嘘の錯綜」が現れる。
すぐ答えの出せないことがらに向かう。
もしそこで
すぐ理想通りになれないものへの処罰の怒りを
掲げないとしたら、そこに現れるのは、
あまりにも中途半端な「不完全」なのです。
「怖れ」と「絶対なもの」の見えない線そしてここに、
人生を生きる上での
全ての前進に
つきものの、
「怖れ」というもう一つのテーマが出てきます。
「怖れ」は
あまりにも不快な感情なので、人は
そこから逃れるための方法を、必要とするのです。
そこに
「何か絶対的なもの」が登場します。
その代表が
「神」です。はっきり
「神」について考えない
現代人が最近よく使っているのは、各種の
占いです。
誕生日、
血液型その他の
運勢占いなど。
いずれにせよ、
理屈のないものです。
理屈のない、何か絶対的なものを念頭に置くことで、
安心しようとする。
これで大丈夫だと。
あるいはそうした
「理屈のないもの」を頭ごなしに否定することで、
安心しようとするかも知れません。
神などいない。
運勢など存在しない。そこにやはり、
「絶対に」という感覚をこめてです。
心の問題の根源の正体ここに、
全てをつなげる見えない線が現れます。
つまり、そうした
「怖れ」から逃れようとして人々が抱く「絶対なもの」という感覚が、未熟な望みから掲げられた「自己理想像」に、付与される、という
心の仕組みになっているらしい。
そこに、
「受け身の価値観」と
「自分を愛さない者への憎しみ」がそそがれるわけです。
理想通りになれないものへの怒り処罰へと。
人々が
「怖れ」から逃れようとした時に抱く、
「何か絶対なもの」とは、私たちの
心の根源においては、やはり
「神」という観念なのではないかと、
ハイブリッド心理学では考えています。
結論はこうです。
私たちが未熟な望みから抱く「自己理想像」が、いつしか、それによって受け身に世界から愛され賞賛され幸福にされるような、神の姿のような意味を帯びている。
そこに、「怖れ」から逃れようとする「絶対思考」が合流し、自分や他人や世界が理想通りであるかを、自分が神になったような融通のきかなさで審判を下そうとする、心の根源の歯車が生まれている。
それがやがて自分に向かうわけです。自分自身に向けられた怒りとして。この
見えないつながりを
理解するだけでは、これを
解除するためにはあまり役立たないかも知れませんが、
解除へと向かうための
視野を与えてくれるものになるでしょう。
解除は、
人間としての問いが課題になります。
一つは、
「怖れの克服」。
そしてもう一つは、
人間の価値や善悪が選り分けられるのかという問いです。
心の仕組みとして説明していると、どうしても
話が増えすぎるのが
ハイブリッド心理学ですが
(当初ここまで長たらしい説明にするつもりはなかったのですが^^;)、
実践することは
とてもシンプルです。
そろそろそこに行けるかな・・。
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