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このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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特説・「心が良くなる」とは-17・「開放」
不在予定のお知らせ:
明日夕方出発して、
3(火)、4(水)とスキーで検定など受けに行き不在となります。ま将棋や武道での段位みたいなやつですp(^^)q
可能であればその前にまた記事アップしたい所存。五分五分か・・。



「基礎」から「真髄」へ

では前記事箇条書きにまとめた「心が良くなる」ことの「真髄」について説明したいと思いますが、まず「基礎」からの関係について見ていきたいと思います。

「外界現実への向かい方」の向上と自信という基礎と、(『心そのものの変化1』
「欲求望みの変化」「心の業と病みの捨て去り」という真髄において、
前者だけではどのように不足するのか。それがどう後者つながるのか。

それはまず、「外界現実への向かい方」向上させることにおいても、その前提となる「望み」というものが、私たちには得てして、自分が本当に望むものが何であるのかが分からないという問題があるということです。
『「外面現実」と「外界現実」へのアプローチ』

それは「普通」に心が健康であっても多少起きること(『心そのものの変化2』)であり(心の業)、さらに、何かの根深い自己否定感情否定し去ろうとして、望むものをしたり、自分を偽った望みを自分に演じることで起きたりします(心の病み)

あと一つは、基本的に私たちが「未熟」から始まる存在であることにおいて、「望み」というのは、得てしてフラストレーション怒り嫉妬つながりやすい、未熟なものから始まるという状況があります。

ここに、2つの課題が出てくることになります。
自分の本当の「望み」を知ること。
「望み」「未熟」から「成熟」へと変化するような向かい方をすること。


「開放」

これが、前記事箇条書きにまとめた以下での、1.「望みの変化」2.「開放」対応します。
前提姿勢 「外界現実を生きる心の重心」
 「外界現実への向かい方」における「確かさの積み重なり」が「目的」「望み」の明確化として自己の内面へ
道筋(心の変化への動き)
 1.「望みの変化」
 2.「開放」
 3.「気づき」
(心の業と病みの捨て去り)
 4「自分を越えるもの
(魂と命)」・「未知への変化」
 5.最終的な姿勢
「現実を生きる」

「望みの変化」に向かうことが「未熟から成熟へ」と向かうために必須です。
それは、
自分の「望み」知ること
・その「望み」へと、それが「未熟から成熟へ」変化向かうような向かい方で、向かうこと
という2段になると考えることができます。

そして「心の業と病み」によりがされ、自分の望みが自分でも良く分からなくなっている度合いに応じて、をするのとの、つまり「開放」することが必要になってくる、という次第です。

そこでまず、「開放」について説明しましょう。


外面における「安全」を支えに内面を「開放」できる

「開放」とは、「心の底で蓋をされ見えなくなっていたものが、ありのままの形で溢れ流れ出し、自覚されること」などと定義できます。

これは箇条書きサマリー
2.「開放」
蓋をされ、閉ざされ、あるいは目をそらし、自分に嘘をついて、見えなくなっていた自己の内面のもの。
これは外面における安全を支えに、「本当に確かなもの」を見ようとする目を内面に向けることで起き始める。

と書いたように、「外面での安全」を文字通り安全弁として可能になるもの、という考えをハイブリッド心理学では取っています。
自分の内面感情をありのままに自分の心の中に開放して流しても安全だ、と心が感じている程度において、実際のところ内面感情は開放されるわけです。

実際「開放」起きるための意識作業の形は、ハイブリッド心理学では全くこだわっていません。
座禅を組んで瞑想(^^;)している時でもいいし、日常生活の中でふとした引き金自覚するのも良し。後者ラフな日記を書くなど、言葉にして文章化するのが、内面感情のキモ鮮明化し、さらにいもづる式埋もれた感情を引き出すベストの方法です^^。


「安全」を「感情」に頼ると内面は開放されない

外面における安全を支えに、内面「開放」できる。これがだと開放されない
それはどういうことか。

それは一言でいえば、自分「安全」を、「外界現実への向かい方」によって築くのではなく、自分の感情に頼っているケースです。
自分の感情マズイと、安全ではなくなる、危険だ、と考えるケースです。

「やる気」の勢いによってものごとを行おうとする傾向の強いケース。それだと、自分何に本当にどんな価値を感じているのかが、分からなくなります。一時的な熱中感を、本当に価値を感じていること混同錯覚してしまいます。

「気持ち」によって人に接しようとしているケース。まあ世の大抵の人こうでもあるでしょう。
「明るい気持ち」が湧けばオーケー。人に向かえる「暗い気持ち」が湧くと、まずい、これでは人に向かえない、となる。そしてそんな自分責め叩き気分はさらにどん底に向かいます。ま「うつ病」基本メカニズムですね。

ちなみに、では「気持ちで接する」のではない接し方とは?という疑問が出ると思います。それが今まで説明した「外界現実への向かい方」によって総合的に培われる行動力です^^。

ものごとを基本的感情で考える傾向の強いケース不安を感じると、外界が現実に危険だと考えます。「引きこもり」を起す基本メカニズムと言えるかも知れません。気分が大らかになると、逆に何でもできるような気がしてきてしまう。「躁転」ですね^^;
これだと、自分の内面感情をありのままに開放し感じることは、危険をはらむがあり、心の底厚くぼんやりとしたバリアが張られるという状態になると思われます。


「外面における安全」と「内面の確かなものへの目」

そのように「安全」感情を頼るのではなく、「外界現実への向かい方」を、以下のような「現実の法則」を学ぶことで行動するものにする。もちろん「感情と思考の分離」姿勢でです。
「現実の法則」まとめ

個の領域
・物理自然現象(身体を含む)の法則
関係性の領域・・・「行動学」
・行動と感情の法則
・社会の決まりごとの法則
・「人は変わることができる」
人生の領域
・「時間には限りがある」

それによって、内面感情関わりなく外面「安全」だと思えることで、
「本当に確かなこと」自分の内面においても見出そうとする姿勢
によって、「開放」あとは自然に起きるものとハイブリッド心理学では考えています。もし、自分の中自分で不確かに思える何か存在を感じた時。


強さに達する直前にそれを妨げた闇が開放される

ただしここで知っておいて頂くといいのは、十分に外面が安全になれば内面を開放できる」なんていう安直な状況としてそれは起きるのではないということです。そもそも十分に外面が安全と感じれれば、問題がなくなっている^^;

より正確には、外面の安全によって内面を開放できる、というより、内面感情によって孕む外面の危険を受け入れる強さによって、内面の開放が可能になる、ということになるでしょう。
それを支えるのが、上述のような「外界現実への向かい方」だということです。

その結果、心の成長への歩みの中で得る「強さ」「開放されるもの」関係は、次のように微妙にずれを伴う関係にあるというのが、私自身の体験を振り返って感じることです。

「次のステージに向かうための外面的な強さに達する直前に、それを妨げた内面の闇が開放される」
といったものにです。その「闇」とは、「業」もしくは「病み」として。

さらに微妙なものとして、この時その人は、自分がそうして開放される闇に、今まで対処できなかったのが事実であり、同時にこの時、自分がそれにもう対処できる強さを持っていることを、知らないでいることです。
かくしてこの人のは、そうして開放された闇に、飲まれることになります。それでいいのです。その時、自分がそれを乗り越える強さをすでに持っていることを知らないでいるこの人に、ただ一つ確実に重要になるアドバイスとは、それが避けなければならなかった事態などではなく、「成長の痛み」として全てを受け入れるべきものであることを、告げることです。

そうして開放されたものに対して、特別にどうこうしなければならないことはもはやないことは、言うまでもありません。
そこまでに得た「外面現実への向かい方」を、開放されたもの込みにして行うだけです。多少出直し必要になることも時にやむを得ないこととして。
それが、「感情と思考の分離」姿勢の中にある、「開放」なのです。

そこから少し時間を経て、この人自分「変化」得ていることを、はっきりと感じるはずです。
何かが変わってきている。自分は明らかに、以前より強くなっている、と。
これは箇条書きサマリー4「自分を越えるもの(魂と命)」・「未知への変化」が、その胎動始めたものだと言えます。


歩みの道のりにおける「開放」

そのように、本人の意識においては「開放」成し得る自分の心の強さ自覚と、「開放」によって現れるものの内容微妙な相互がありますので、「歩みの道のり」最初の方ほど、そしてより深刻な心の状態からの回復段階であるほど、「開放」についての本人の期待と実際(^^;)ギャップ大きい形になるのが実情と言えます。

『詳細マップ』でその全体図を示した道のりとしても、こう言えるわけです。

まず「本心」で考えることができることが課題として、そのための強さ得始め自分いかに嘘にまみれていたか、そしてどんな来歴の中で自分に嘘をついたかを、ありありと自覚するを経るでしょう。
それがうなされるような苦しみとして悶える時間を経た後に、本当に自分の本心で考えるものが何かが、見えてきます。『悲しみの彼方への旅』で、私自身のそうした経緯描写れています。

「外界現実への向かい方」としても、建設的で自立的なものに立つ直前に、自分意識しないまま抱いていた、不合理で破壊的な「信念」を、はっきりと自覚します。
そうして自覚した「信念」などを、「業と病み」を示す命題として「捨て去り」「捨て去り」向かうのです。それが3.「気づき」(心の業と病みの捨て去り)部分です。

歩み全体を通して、平たく言って、清らかな心になる節目として、置き去りにして目がそむかれていた「醜い」感情が、「開放」され自覚されます。歩み最初の方ほど、望む絵に描いたよう心の清らかさとのギャップが激しい形で。

「開放」についてこうした理解持っていないと、開放される内面感情について、それを自覚する意味知らないまま、「こんなものを感じてはいけない」再びをしてしまい、せっかく心の脱皮成長自らブロックしてしまいがちでですので、ぜひこれを知っておいて頂きたい次第です。

また、何か決定的「気づき」が、「開放」大きく促す節目にもなるでしょう。ハイブリッド心理学「取り組み実践」「習得達成目標」とも位置づけられている「否定価値の放棄」が、それによって「魂の感情」全開放する、「開放」への最大の節目となるものです。

そのように、「開放」は、「外界現実への向かい方の向上」という基礎、そして「気づき」相互促し合いながらスパイラル(螺旋階段)状繰り返し起きるもの、というイメージを持っておいて頂くとよろしいでしょう。
それは決して一直線に自分に向上を強いるようなものでは決してないと、。それが「本心で歩む」ということなのです。


ということで例によりかなり長い説明となっていますが、誤った理解ならないためにはどうしてもこうした説明が必要、という感のものを書いている次第。

「心そのものの変化」として、あと「望みの変化」および「心の業と病みの捨て去り」について、キモ理解頂くことで、「心が良くなる」ことが「外界現実への向かい方」の向上であることの真髄見えてくるかと思いますので、引き続きそれを^^。

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特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-18・望みの変化1
スキーの検定おととい講習開催されたものの、昨日猛吹雪でゲレンデ全面運休となり、検定中止でした@_@; でもまあ課題も見つかり、合格まで結構いい線に来ている自分も感じ、いい収穫あったなと^^。来シーズンにはいよいよ合格すべくまた挑戦したいなとp(^^)q


おさらい

さて前記事においては、「外界現実への向かい方の向上」という基礎においても、
自分「望み」しっかりと自覚すること
・それが「未熟から成熟へ」という変化に向かうような向かい方をすること
必要になってくる、という話から始め、
自分「望み」自覚するための、いわば材料の取り出し口になるものと言える「開放」について、基本的に理解したいことをざっと説明しました。

それは外面における安全、より正確には内面感情が外面に対して孕む危険受け入れる強さによって、可能になること。それが「外界現実への向かい方の向上」という基礎や、「気づき」相互促し合いながら起こるものであること。そこに「未知への変化」胎動始まることなど。

一方で、そこではまだ、「未熟から成熟へ」変化に向かうような向かい方とはどんなものであるのかは、まだ見えません。


「望みが変化していく」ということ

ここでは、「望みが変化していく」ということについてざっと説明したいと思います。

そこで理解頂きたいのは、それが私たちの意識の中で、つまりどう意識するとどう変化するか多少は分かる形起きるものと、意識を超えて、つまり変化の仕組みが私たちの「意識」からは全く見えないものとがあることです。
そして「望み」「未熟から成熟へ」変化、つまりマイナス感情を起しやすいものからプラス感情に満たされやすいものへと変化していく、「心が良くなる」ことの最大の真髄は、後者にあるということです。

その後者についても、ここでは私自身そしてさまざまな人々の人生の事例から、それがどのように起きるのか経験的に言えることを書いてみたいと思います。
そしてそれを起きさせる心の核心は、「現実を生きる」という姿勢であろうことを。

次の記事では「心の業と病みの捨て去り」「気づき」どう起きるのかをざっと見ていきますが、やはりそれを最終的に起させるのは、同じ「現実を生きる」という見えない姿勢に行き着くようです。

そして「自分を越えたもの」に向かうというゴールにおいて、それがさらに核心としてクローズアップされる、という流れ^^。


「欲求」「望み」の変化の基礎知識

まず、「欲求」「望み」変化するという心の現象について、基礎知識を押さえておきましょう。
それは主に3つの形態のものがあることを言えます。

1つ目として、「欲求」「衝動」生起鎮静生理的サイクル食欲が一番典型的であり、欠乏状態が起きると「欲求」「衝動」生起し、食事をして充足すると衝動鎮静します。「身体レベル感情」一般に見られるメカニズムと言えるかと。
なお「性欲」については単純に生理的欲求だけではなく、愛情欲求と絡んでかなり複雑メカニズムを持っており、その理解特別テーマになると理解しておいて頂けば良いかと。

2つ目は、環境年令的要因による趣味嗜好の変化です。大人になるとビ-ルがうまい□D\(^^ ) 。が近けりゃマリンスポーツが近けりゃハイキング趣味に、という誘引が働きます。その他各種「最近なんとなくこれに興味を」という趣味嗜好の変化という流れがあります。

この2つは、取り立てて「心が良くなる」変化とは扱うには及ばないでしょう。

3つ目が、「未熟から成熟へ」の変化です。基本は、「ただ一方的に与えられることを求める」ものから、「自ら生み出し自ら与えていくことに満たされる」ものへ、という「望み」性質の変化だと理解して良いと思います。


「上位」の望みが「下位」の欲求衝動を平穏化する

ということは、「未熟から成熟へ」「望みの変化」とは、「関係性の領域」「人生の領域」についてのものだ、ということは大よそ理解できるかと思います。「個の領域」だけにとどまるものについては、やはり取り立てて関連はしない。

ここでまた理解しておいて頂くと良い、今度は上級編の(?^^;)基礎知識は、「上位」の「望み」により「下位」の「欲求衝動」が平穏化されるという仕組みがあることです。

人生の望みが見えなくなった時、人は些細なフラストレーションに耐えられなくなる、と言えます。刹那的満足その人強く駆り立てるものになります。
同じように、人生の望みを持たない人は、ちょっとした人間関係の不調に、強く悩み煩います。

人生の望みに向かう時、些細なフラストレーションも、前進することの充実感に吸収されるかのように、あまり強くは感じなくなります。

また「人生の領域」が本来、行動法を習得した中から自分にとって一番価値あるものを軌道づけていくものである時(『積み重なり2』)、人生の望みに向かうというのは基本的に、下位の欲求包括的に満たせる方向目指しているのであり、そもそもフラストレーションに陥る状況自体あまり起こさなくなれるということでもあります。


ということで「欲求」「望み」の変化ざっと見ましたが、いったんアップしておきましょう。このテ-マ一気に一記事で説明できるとなお良しでしょうが、まこま切れでも良いかと^^。
主題は、「未熟から成熟へ」「望みの変化」向かう向かい方とはどんなものかです。これを次に。



特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-19・望みの変化2
「望みの成熟変化」の基本

では単なる「欲求衝動の生起と鎮静」「趣味嗜好の変化」超えて「未熟から成熟へ」という「望みの変化」どのように起きるのかを見ていきましょう。
そこには前記事冒頭で述べたように、私たちの意識において仕組み多少は見えるものとして起きる「意識の上で起きる変化」と、全く見えないまま起きる「意識を超えた変化」があります。

まず「意識の上で起きる変化」としての「望みの成熟変化」は、ずばり、こうして起きます。

「外界現実に向かって望みを問う」ことによってです。
「外面現実」向かって、ではなく


「外界現実に向かって望みを問う」

この、「外面現実」「外界現実」違いが、決定的なものになります。

「外面現実」とは、その良し悪し感情良し悪し反応を起す、目に見える外面です。
「外界現実」とは、その背後に広がる、「見えない現実法則」を含んだ、心の外部に広がる現実世界です。
『「外面現実」と「外界現実」へのアプローチ』

ですから、私たちはまず自分「望み」というものを、自分惹かれ意識を向ける「外面現実」について、自分がどう感じているかとして自覚するのはそれで良いのですが、そうして自覚した「望み」に向かう段になったら、「外面現実」目を奪われているだけではちょっと不足であり、その背後に広がる「外界現実」に目を向けることが、とても重要になってくるわけです。

一つは、その「望み」達成に近づき、叶えるために。「外面現実」として、望みが叶っているらしい輝かしい誰か姿見えるとしても、そこに至る道のり、「過程」は見えません。それはその人だけにしか知りえない、苦難の道であったかも知れません。そうして見えないものが実際にあるのであれば、それが「外界現実」なのです。
もし自分「望み」叶えたければ、当然、望みが叶った結果姿ただ真似ようとするのではなく、その道のり「過程」学ぶことが大切になるのは言うまでもありません。

もう一つ同時にそこに、そうした自分「望み」自分にとって本当に妥当なものであるのか・・「現実的」なものであるのかが、示唆されることにもなるでしょう。
輝かしい姿に、苦難があり、何の輝きも感じられない平凡で地味な姿に、無上の喜びがあるのかも知れません。そこには、自分自身にも共通する環境や与えられた資質条件、あるいはあまりに別世界の、その人だけの宿命があるのかも知れません。

そうした「外界現実」全て見て「望み」叶えるための道のりはどんなものか、それがどう自分にとって現実的なものであるかを問いていくことで、私たちの「望み」というものは、感情がまず反応する「外面現実」見て感じるだけでのものから、変化をしていくのです。

これはもちろん、「望み」叶えるためだけではなく、生きることの全体において、これまで説明してきた「外界現実への向かい方」「積み重なり」があり、そこにおいて「望み」自分に問いていくということです。
これによる「望みの変化」は、より広い視野の下で、より現実的で堅実な前進になっていくものとして、基本的「未熟から成熟へ」への変化になると考えて良いでしょう。


かなり細切れモードになりますがここでまたアップしておきましょう。一つ一つの話結構大きいことでもあり^^。

に、こうした「外界現実に向かって望みを問う」という視点から、具体的な思考パターンとその心への影響などを。それが次第に「意識を超えた変化」につながっていくという話の流れです^^。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-20・真髄を決定づけるもの
心の変化の真髄を決定づけるもの・・

さてちょっとまた間が開きましたが裏事情(^^;)など書いておきますと、前記事を受けて具体的思考パターンなど書こうと思ったものの、どうも話が細かくくどくなる感があり、「実践」ここまでの話を踏まえるとどうなるのか大上段から言うのがいいかと言葉を練ったものの、これもどうもぴったりと言いたいものではないという感覚

ということであれやこれや言葉頭の中でころがすこと前記事から5日(日曜は日帰りスキー^^)、ここで出てくるのがいい話のように浮き彫りになってきたのは、まずはこんなことです。

「見えないものが見えるようになってくることで、心が揺らがなくなってくる」。
これが、ここまでの話から、ここで、この後真髄部分決定づけるであろうものとして、直感的に浮かぶものとして。


「見えないものが見えるようになってくる」ための「時間」

それは「時間をかけて」です。見えないものが、見えるようになってくるとは。

たとえばこの執筆もそうです。書くべき言葉見つからない書いてアップする気になれない時、続けて書く気なれない時、私は無理にキーボードに向かおうとはせず、となる断片的な言葉頭の中でころがすことを、何日でも続けるようにしています。
今伝えようとすることがらにおいて、心に何が起きるのか今を生きる私自身の体験をも透かし通して、鮮明に表現する文章が現れるのを、待つのです。

そしてそれが現れた時、それはもはや「自分」超えて、を持った文章として、音楽のメロディのように私の頭から外に出ようとし始め、キーボードに向かう私の私自身とは別の力借りたものであるかのように、動き出すのです(この文章もまさにそう^^)。そうなるともう、人に見せる価値あるものだと、自分でも確信を持てる内容になってくる。


少し前の島野からの変化・・

書く言葉見えてこない時、以前の私であれば多少ジレる気分感じたりもしましたが、最近はそんな気分の変調めっきりなくなってきました。
例えば以前のそんな場面での心境を、「エンジンの止まった船のような気分になっている自分」と、『入門編下巻』P.188で書いたこととして。
そして再び自分は何をすべき人間なのか向き合う・・と。

しかし最近は、そこで見えなくなったものが、いつでも見えてくるようになりました(^-^)。書くべき言葉出ない時、書き続ける気なれない時、そこにはまだ見えていないもっと決定的に重要なものがあるのです。
それを探し続け、それが現れるのを待ち続けることで、やがてそれは姿現します。それなりの時間経た先に。

例えばそうして出てきた決定的な視点の一つとして、「感情と行動の分離」心の足場として「本心」があるのだというを始めたのが、2011-07-05『「感情と行動の分離」の心の足場-1』からのシリーズだったりします。もちろん、その先に「魂」「命」があるものして。
どうでもいい話ですが、「本心によって命につながるのだ」とその話のテーマが見えたのが、買い物帰りの市役所通り、空が夕暮れで赤くなり始めた頃のあの信号のあたり・・なんて情景をはっきり憶えている・・^^。


「生きる時間」

そんな例はどーでもいい話として、見えないものが見える見えるようになってくるとは、そうして、「時間」の中で起きることなのです。
「生きる時間」の中でです。

それは最初向こうからやってきます。それがあるのをまだ知らない自分に、それが訪れる形で。これはそれに対応した「開放」ができていることが前提になると言えるでしょう。

そしてそれがあることを知るのですが、しばらくするとまた見えなくなってしまいます。
そしてまたそれがないものであるかのような顔をして「生きる時間」経る中で、それがまたやってくる。するともう、それがあることがはっきりとどめられるようになる。それがないかのような顔をして生きることは、もうできなくなる。
するとやがては、それがふとまた見えなくなるとしても、自分から見ようとするならば、見えてくるようになるのです。
その時、自分がもう以前の自分とは別人であることを、知るのです。

見えないものが見える見えるようになってくるとは、そうしたことです。


「生きる時間」の中での「積み重なり」

ここで何を言いたいのかというと、「心が良くなる」ことについて、ここまで基礎部分を説明しました。
「外界現実への向かい方」向上習得と、その積み重ねの中で「望み」を問うことで、変化基本的「未熟から成熟へ」というものになるだろうと。

その「積み重ね」とは、「見えないものが見えるようになってくる」という積み重なりであり、そのために、そのように「生きる時間」歩む必要がある、ということです。

それが、「身体レベル感情」の領域というごくベースの部分から歩み出して、「関係性の領域」「人生の領域」へと展開していく中で積み重なっていく、全ての、「見えない現実法則」見えてくる過程に言えるのだということです。
たとえば多少は見えるものとしての「行動と感情の法則」「社会における決まりごとの法則」において、見えなかった部分見えてくるとは、そういうことなのです。

そこで重要なのは、変化のための「時間」持てるということです。変化を「待てる」ということです。
変化を待てる人が、変化できます。変化を待てない人は、変化できなくなります。
そうして変化を待てない時、人は現実を破壊し始めるのです。『悲しみの彼方への旅』描写した前の自分が、まさにそうだった・・と感慨


心が変わる真髄を決定づけるもの

心の変化決定づけるものが、大きく2つあることになります。

「開放」というのが前段条件としてあるという話もさておき。この段での「開放」とは、まずは基本的な思考傾向ですね。
問題は、見えないもの最初から見ようとしない姿勢です。そんなものはないと決めつける姿勢。これは「開放」とはの、心の固定化姿勢です。
これは表面の思考でかなり確認および修正検討実践ができますので、このあと「自分への論理的思考」解説確認頂くとしましょう。
そうした思考姿勢さらに越えたところでの話です。

「生きる時間」を持てるということ、変化を待てるということ。
それができない人がいる。これが「心の業と闇」関連するのは疑いのないことでしょう。
この姿勢決定づけるものとは何なのか。

そしてその先訪れるものとして、決定的な内容とは。
それがまた2つあり、「未熟から成熟へ」「望みの変化」真髄的なもの。「意識を超えて起きる変化」部分です。もう一つが、それと絡みながら現れる、「魂と命」です。


「現実を生きる」ことを芯とした歩みへ

こうして訪れる決定的なものはいずれも、この心理学考えとして「外界現実への向かい方」「姿勢」がそこで確立されるものとする「身体レベル感情」の領域での現実科学的な知識世界とは、かなりの隔たりがあります。
『異次元への高まり1』姿勢の確立はあくまで日常生活で物理自然現象レベルの「現実の法則」をしっかり論理的に思考できること”

だから他の取り組み流派として、科学的論理思考などそっちのけで最初から心にじっと見入り絶対的な精神力「悟り」としてそれが見つかるのを求めるものもあるのかも知れません。
しかしハイブリッド心理学では、「積み重なり」一番ベースになるその領域で、しっかり自分で論理的に思考できることを、そうして訪れるもの向かうための「実践」として、極めて重視します。

なぜならそれが、「現実を生きる」という、心が変わる真髄全て決定づける姿勢と、表裏一体になると考えるからです。

それがあってのものとして、まずはこの後説明する「望みの変化」の真髄部分、そして「魂」と「命」、「心の業と病みの捨て去り」という心が変わる真髄部分などざっと理解頂ければと思います。
それを踏まえて、「現実を生きる」という姿勢最終的なイメージなどを浮き彫りにしたいなと^^。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-21・望みの変化3
「望みの変化」真髄についての解説です。一記事に収めたいところですが、かなりじっくり時間かけて教科書的文章練り上げており、これが前編になるかと^^。明日はまた日帰りスキーp(^^)q


「望みの変化」の真髄

では「心が良くなる」ことの真髄部分として、「望みの変化」真髄「魂と命」「心の業と病みの捨て去り」についてざっと説明していきましょう。
それがこれまで説明してきた「外界現実への向かい方」「積み重なり」実践的思考と、前記事で説明した「現実を生きる」という根本姿勢どう関わって起きるのかなど、把握できると良いかと思います。

まずは「望みの変化」真髄部分です。

基礎部分は、「外界現実への向かい方」「積み重なり」の中で自分に「望みを問う」ことを続けることによって起きるものであることを、『望みの変化2』説明しました。それは基本的「未熟から成熟へ」方向変化になるだろうと。


「命の生涯」における「望みの成熟」

それに対し、「望みの変化」真髄部分とは、ずばり、「命の生涯」における「望みの成熟」です。

「命」というものがこの世に生まれ、文字通り「命」を尽くしてこの「現実世界」を生きることで、その個体が抱く欲求望みは、ただ貪欲に「与えられる」ことを求めるという「未熟」から、やがて自分の足で立って歩き、自ら生み出し新たな「命」を育てていく中で、「自ら与えていく」という「成熟」変化していき、その全て尽くされた時、やがてもう何も躍起に求めることなく満たされたものになる中で、その生涯終えていく。

これがハイブリッド心理学心の思想の、最大の原点になるものです。その、「命の生涯」に沿うことなのだ、と。薄っぺらい「自分」という意識、つまり「自意識」超えて。


「自意識」という「心の業」

ただしこれが大草原を生きる草食獣肉食獣念頭にすれば何となくイメージはできるとしても、人間においては、その本性からして事情はちょっと異なってきてしまうのが「現実」のようです。
人間はその本性として、「心の業」抱える存在でもある、という「現実」において。
「自意識」という心の業抱える存在であることにおいてです。

そこで起きる問題とは、自分がどう見える・・に対してであると同時に自分に対して・・に躍起なることで、「命」望みに向かい現実に向かうという、「命の生涯」本来の姿を、の中見失うことだと一言では言えるでしょう。


現代人の一つの姿・・

そうして起きる問題をさらに外面行動内面感情について一言で言うならば、外面においては、とかく内容を欠いた「頑張れば何でも」といった精神論絡みやすいものとして、「努力」という観念をめぐる、内実のないまま「盲信」「盲進」、あるいはその「反発」「嫌悪」「軽蔑」といった混迷があげられます。そのどちらもが、人生の時間前に進むことなく空回りするようになるものとしてです。

そして内面においては、命が望みに向かい現実に向かうということが、私たち自身の「気持ち」において一体どのようなものであるのかを、人生の早期見失うことです。ありのままの感情をしたり、カモフラージュし別の感情に対し、そして自分に対して装ったり本来の望みから遠ざかった別のものへの感情を、自分の望みであるよう錯覚したりといった、複雑な心理メカニズムの中でです。

この2面が結びついた結果は、自らを欺いたような、真の望みではないものに向かって、「努力」への盲信反発混迷の中で、人生というものへの不明を抱えながら時だけが過ぎていく・・といった、現代人一つの姿のようなものが見えてきます。


「命の生涯」への回帰の取り組み

ハイブリッド心理学行おうとするのは、そのように「自意識の業」によって惑う生き方から、「命の生涯」へと回帰する取り組みだと言えます。

そのために重要なポイントを、上述外面内面問題照らし合わせ、これも一言で言うならば、外面においては「目的」をはっきりと意識した「外面現実への向かい方」の論理的思考を、日常生活実践することです。

「目的」応じた「答え」が、「外界現実」あるからです。感情反応する「外面現実」ではなく、その背後にある現実世界としてです。
そうした思考積み重ねが、私たちのを、「現実」という大地によりしっかりと根を下ろしたものにしていきます。その中で、「努力」への内実を欠いた盲信盲進あるいは反発嫌悪を、「目的」に応じた合理的な行動の仕方へと変えていくことです。

そのように「外界現実」にある答えは、私たちがどう行動できるか、そして目的がどう叶えられるかと同時に、私たちがどのようには行動できないそして目的がどうは叶えられないかの不完全な「現実」をも示すことになります。
それに対して自分の心がどう感じるのかの、ありのままの姿向き合い続けることです。自分心の底一体何を望んでいるのかというのを、一番重要な視点にしてです。これが内面の話になります。


「望む気持ち」「望みの感情」を感じ取る

そこで重要になるのは、私たちが普段感じる「感情」というのは、私たちがに抱く「望み」前提として、今目の前にある「外面現実」良し悪しへの反応として起きるのですが、そのように普段「感情」を感じる姿勢だけだと、前提にある自分自身の「望み」を、「感情」「気持ち」として感じることがあまりできないという事実です。

「外面現実」への「反応」としての「感情」では、私たちは自分自身本当の「望み」を、感じ取りにくいということです。それはまさに、目の前「外面現実」流されて、大元の「望み」から遠ざかったものであるように。

これが、「望み」「未熟」であるほど端的に起きます。「望み」がというより、「未熟」であるほど、というのが正解かも知れません。
たとえばある相手との関わりにおいて、反応として「怒り」起きるとします。しかしその人「望み」は、その相手とのより良い親愛を築くことであるかも知れないし、その相手との関係をなくすことであるかも知れません。
ならば重要なのは、その怒りをどう晴らすかではなく、望みはそのどちらなのか明確にすることです。それに応じて、無駄な衝突を避けながらその望みに向かうための、より良い行動法「外界現実」の中に示されるからです。

そのため、目の前「外面現実」への反応としての感情だけではなしに、自分そもそも目の前のものとは違うどんな「外面現実」望んでいるのか、あるいは望んでいたのかを問う、それに向き合うという意識姿勢実践が、とても重要になってきます。
それを、目の前外面現実への感情においても、自分でごまかしがちなものから紐解いていく実践は、この心理学において「感情分析」と呼ぶものになります。他の取り組み「瞑想」「内観」と呼ばれる作業も、その本質的目的同じようにここにあるのかも知れません。


「望む気持ち」「望みの感情」はそのように、特別姿勢意識思考によって感じ取ることのできる、「感情」の中でも別格になるものだだと言えます。
それを羅針盤にして導かれ道のりを次に。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
特説・「心が良くなる」とは-22・「望み思考」が「人生を生きる思考」1
タイトルに入れていた「その答えxx」取り外しました。今までの記事も含め。
まあ当初
「教科書的短文」念頭に、せいぜい「その答え5」まで程度にまとめ、次に「罠と轍」という感じでまとめる話の流れを考えていたのですが、結局それどころではない沢山の記事になっている状況^^;
言葉がまとまっていくというのはこんなものですね。「変化」というのは「時間」をかけて前進していくという、『真髄を決定づけるもの』で言った話の、これも一つの例です^^。
こうして
視点ポイントをまず洗い上げる作業が通り道になるものであり、正真正銘教科書的短文は今後サイトの充実の方で掲載していこうかとp(^^)q


「望み思考」が「人生を生きる思考」

さて前記事では、「望みの変化」真髄「命の生涯」における「望みの成熟」だというから始め、「望む気持ち」「望みの感情」感じ取るというをしましたが、そのように「自分の望みを感じ取る」「自分の望みを自覚する」というのが、このあと望み成熟していくことにも増してそれ自体において極めて大きな位置づけになりそうです。
これをちょっと説明しておこうかと。

それは一言で、「望み思考」「人生を生きる思考」になる、というようなこととして。

対照として、「人生を見失う思考」があるものとして。これは「善悪思考」です。『積み重なり3』で、「目的意識」「目的思考」対照になるものとして指摘しているものですね。


「望み思考」

まず「望み思考」について再度確認しておきましょう。

一言で、まず「論理的思考」「目的」セットにして生まれるものです。「自分の目的」セットにです。

外界現実うまく生きるための思考としてはです。ひいては、人生うまく生きるための思考としてはです。
冬の屋外寒い思いしないためには、どんな服装をすればいいか。心頭滅却すればいいという絶対精神力追求思想ではなく、ごく現実科学的視野に立つならば、これくらいの寒さに耐えるためにはこれくらいの厚みの服を着るといいという論理的思考ができます。「防寒機能」についての科学的思考もできるでしょう。

学校で出された試験に答える時にも論理的思考もちろん使うでしょうが、「目的」もへったくれもありません。問題出されたのなら、答えなければならない。それが学校
1たす1は2になるのは、何かの目的の下にではありませんね。これは「論理的思考」ではなく、ただの「論理的知識」です。学校では、とにかく論理的知識追求しています。

学校でそれを学ぶ目的は・・と考えた時に、いい成績を取るため・・ではその目的は・・いい大学に入り、いい就職ができるために・・と「自分の目的」追う思考ができれば、それは「人生を生きるための論理的思考」になってきます。これこれの大学に入るためには、これこれの偏差値程度成績が必要・・といった「外界現実」知識とも組み合わせた思考の積み上げになってくるわけです。

ではそれが本当に自分の望みか、と考えると、それが「望み思考」になります。

もしそれが本当に自分の望みであり可能性もあるならば、まずはそれに向かって突っ走るしかない。
それが自分の望みであったとしても、自分の今の実力では極めて難しい・・となれば、まずはその「望み」見直す必要が出てくるでしょう。もっとハードル低くするか。
それが自分の本当の望みではないとしたら・・いい大学に入っていい就職ができることが、自分の人生での本当の望みではないのであれば、そもそも学校に通うこと自体を、見直す可能性が出てきます。

いずれにせよこうして、「目的」セットにして、まず「生きるための論理思考」成立し、にその「目的」というものが、どれだけ自分の「望み」であるのか自分自身問い、確認する。

そうして「自分の望み」自分把握していることにおいて、「目的」セットにした論理的思考をしていく。
こうした思考姿勢が、「望み思考」とここで呼ぶものです。


自分自身の船主になる

まずはぜひ、そのような「望み思考」を、普段の日常の中でしているかできているか確認頂ければ^^。
「目的」しっかり意識した「外界現実への向かい方」論理的思考を、その下展開させるものとしてです。

そのように「目的意識」「目的思考」があり「望み思考」揃って、私たちの臓器機能十全状態になります。それが揃わない、多臓器不全状態ではなく。

それは人生という大海原を進む、自分という船主になることです。
それによって、「自分」舵取り、ひいては「人生」舵取りとして、「思考」機能するようになるからです。

自分向かいたい大地と、その前に広がる大海原海図があり、自分が乗る装備とその使い方があり、それを「外界現実への向かい方」として使うことで、より揺らぎなく進むことができると同時に、ふと悪感情に見舞われた時も、自分原因を知り対処を取ることも可能になります。それは進む方角を間違えていたのかも知れないし、あるいは荒れた海域に入ってしまったのかも知れない。そこからどのように抜け出せばいいのかも、海図装備経験積み重ねによって次第に良く分かるようになってきます。

にそうした「目的意識」「目的思考」「望み思考」しない思考姿勢とは、海図も持たず船主でもあれない舟に乗っているかのようです。
自分意志で決めた進路向かっているのではなく、いつのまにか進んでいる方向に進んでいるだけ。悪感情になった時、自分でもその理由が分からず論理もへったくれもないおまじないのようなものに頼ろうとし始め、やがて占い師にマインドコントロールされてしまうような姿へ^^;

あるいは「善悪思考」による生き方があります。それは他人の海図のままに舟を走らせるというです。自分悪感情になっていくとしても、その海図の通りにうまく進めていないからだとしか思考できないのです。

自分その状態にあることに気づいた時、「これでは駄目だ」と、何か「あるべき姿」を基準に自分に駄目出しをするだけでは、実は同じ「善悪思考」の繰り返しです。「評価」「品評」だけに終わる思考も、これと同じものです。

それを「望み思考」変えるとは、他人の期待に沿うこと、他人の目に高く評価されることが、自分「望み」であることを、自分に問い確認することからです。
世間の目を気にする自分変えたければ、まず世間に良く見られることがどのように自分の望みなのかに、向き合うことです。「気にしなければ」なんていう誤魔化しだらけの思考繰り返すのではなく。

そしてはっきりとそれを目的地にした海図探してみるのです。そうしてただ他人の目に写る自分の姿意識するその気に仕方で、実際自分がそのように向上できるのか。そこには、「心底からは向かえない」「自分に嘘をつく自分が嫌になる」といった暗礁、もしくは海の断崖が示されているでしょう。それをしっかりと見据えるのです。


思考を超えて「命」が「望み」を変化させていく

そうして自分という船主になった時、海図を手に向かう海路は、時にかなりの困難、場合によっては見まごうことなき自分の限界などの超えられない壁を、前にするかも知れません。

その時「じゃこの望みはやめ♪こっちで♪」などと気安く「変更」できるものは、本当の「望み」ではありません。それができるのは、始めからポーズでしかない望みです。
本当の望みといのは、そう簡単に変えられるものではありません。

ですからもしそれがはっきりとこの「現実」において叶えられない自覚した時、「心が死ぬ」ということが場合により起きるのです。
それでいいのです。その時、私たち自身「思考」越えて、「命」が、私たちの「望み」を、根底から変化させていく、ということが起き始めるからです。
「心」一度死に、新たに「再生」される、という表現がまさに当てはまる様子で。

これを身を持って知った時、私たちの進む先様子が、はっきりと劇的変化してきます。そこには、今まで見えなかったもの見えるようになっているのです。
それは今まで見たものとしての「外界現実」ともまた別のものです。それは自分「心」根底生きるものである一方で、「自分」ではない。それは今まで見えなかった、「命」というものです。

すると今度は、「外界現実」「命」セットが、自分の向かう先にある新たな「外界現実」になってきます。
そうして目に見えるさまざまなものと、目に見えないものも次第に加わっていく「外界現実」へと、自分向かう存在になっていくのです。それを進むごとに、「自分は・・」という薄っぺらい「自意識」薄れていく形で。


「望み思考」の洗練と完成へ

このように、「心が良くなる」とは「外界現実への向かい方」が良くなることの積み重なりだ、というこの心理学考えにおいて、「目的意識」「目的思考」から「望み思考」までが、私たち自身意識実践として行うこと成立という位置づけになります。
それはまず、「外界現実への向かい方」「習得向上と自信」という基礎部分のための、実践実質そのものであることはお分かりかと思います。

その先にある真髄部分というのは、結局はこの意識姿勢によって生きる先に、この意識姿勢より洗練させ完成させていくことをめぐって「自ずと面することになる」とでも言えるようなことがらになる、という位置づけなんですね。

「望み思考」までの思考法実践できるようになる、というそれだけで大きな位置づけになることが、何となくお分かりになるのではないかと^^。


「望み思考」実践するために知っておくと良いことを、あと少し加えてから、真髄部分説明を引き続き続けたいと思います。

特説・「心が良くなる」とは |   コメント(0)
成長の道標への歩み方-15・心の成長の道のり情景図
さて今日は、『特説・「心が良くなる」とは』シリーズ(*)締めに向かって、「実践」全体にも多少触れたいこともあり、またそろそろサイト側「教典」とも言えるような正式説明本格掲載整理作業も考えたいなということで、

「心の成長の道のり情景図」
なるものを作ってみましたのでアップしましょう。
こんな感じ^^。
*カテゴリー別記事へのリンクは、今までカテゴリー順番が変わるとリンクがずれてしまうかとリンクを使っていなかったのですが、ずれることはないようです^^。

詳細マップ」「検討の流れチャート」「姿勢」のに続き、というかこれがまず見せたいものとなる絵図ということで、この記事『成長の道標への歩み方』カテゴリーに入れておきます。ブログ右上島野写真の下便利リンクにも入れておきますので^^。

こうした絵図によって、自分どんな道を歩むのか、そのために何をするのかを、しっかりと把握して頂くのが主旨になります^^。

下にちょっと見方、というかに示した言葉をそのまま文章にするだけですが、説明を書いておきましょう。



このは、遠い山の頂きに向かうような道のりとして、心の成長歩みを、もちろんたとえたもので、2011-08-24『「ハイブリッドの道」の歩み方-1・地平』で言い始めたものですね。
まそうした、次第別世界向かうものだと。ちなみにに使ったマッターホルンをちょっと幅広にしたもの^^。

登場する地形は、手前から見ていき、
「未熟と病みの大海(未熟の故郷)」
上がる「成長の大地」となり、ところどころ「受け身意識の闇の川」流れています。そこから抜け出る越えることもあるのが、「意識の断絶の断崖(心の死と再生)」です。これを越える一段階未知の次元へとワープするようなになります。これはから上がる時も同じく。
大地には「人生の道」があり、「愛」「自尊心」「恐れの克服」という3つのテーマが示されています。
それを進む先にある「魂」、頂き「命」でありゴールになります。

右の方に、3つ大きな節目「心の開放」「魂の開放」「命の開放」として標識で示してあります。
それぞれのに、実践主なポイントに、その節目の先に現れる心の状態最も特徴づけるものを書いています。
「心の開放」
「自分への論理的思考」「心の自立」によって成され「開放感・内面の力の感覚」特徴心の障害傾向「症状」というものはこの段階でまずほとんど消えます。
「魂の開放」
「否定価値の放棄」がやはり実践ポイントになりますね。「習得達成目標」位置づけているものでもあり。これを「つもり」ではなく心底から転換として成すためには、外面行動法として否定形一切使わない「行動学」習得あってこそになるでしょう。
「魂の開放」
によって魂の望みの感情大きく開放され、「生きる喜び」がこの節目特徴づけるものとして現れてきます。
「命の開放」
は、上記2つ開放のようには、はっきりした実践ポイントはあまりない感じになります。実践的新たなものはなく、進む先地平変化ということになるかと。その中で、「望み」というものが、「自分」とは別のものとして存在する「命」によるものであることを感じ取る、「命の感性」獲得することが節目になります。これにより出現する特徴的心の境地が、「無条件の愛」「豊かな無」です。

こうして、サイト冒頭説明文『入門編』にも出しているような、
「揺らぎない自尊心によって支えられ、愛によって満たされ、もはや何も恐れるもののない心」至るという次第です^^。

成長の道標への歩み方 |   コメント(0)
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