ホームページ  島野隆の本
島野日記ブログ 読者広場

島野隆のブログへようこそ!

このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
本当の心の治癒と成長に向かって!
 
島野 隆プロフィール


便利リンク  詳細マップ  流れチャート
      道のり情景  姿勢

 「ブログ村」参加しています(した?^^ゞ)
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ  関連記事
  2011-09-09『お願いです(島野の最新執筆姿勢も^^)』
  2011-12-17 『再びお願いです^^ゞ』
  2017-10-14 『読者広場でコメントその他^^』

詳説・実践のポイント4・いざない2・人生の鬼門1
読者広場にて以下ご質問へのアドバイス入れています。結構重要なポイントなど出してますのでご参考頂ければ^^。
『バラバラな内面に耐えること』 Cさん No.401 2011/12/13
『はじめまして』 irohasuさん No.403 2011/12/14



「鬼門」と「扉」

では「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という逆姿勢含み得る、残り2つの問題対処について説明を続けます。

先のいざない1では、まず「心に取り組んでしまう」ことの単純な逆効果と、そうではない基本姿勢から何をするのか、そしてその先の道のりまで、ざっど説明しました。

残り2つの問題への視点が、その道のり入るために、そして進む中大きな道標至るために、決定的に重要になってきます。
2つの問題とは、「内面の優劣感覚」「現実は主観解釈という世界観」です。

なぜならその2つは、「道のり」における「鬼門」「扉」とでも言えるものにかかわるからです。どちらも、「道のり」「入り口」入る、そして「大きな道標」通過するにあたってです。


「鬼門」という言葉をここで使うのは、まずその言葉の印象最も合っていると浮かんだものとしてです。「内面優劣の感覚」についてです。
言葉正確な意味は・・と調べたところ、「邪悪な鬼が出入りする場所」とのこと。
まさにその通り。ハイブリッド心理学の言葉で言えば、人間の心に備わった「悪魔」というプログラムミスが取り付く場所です。

「扉」という言葉意味はよろしいかと。それを開いて異なる世界出入りする境界です。
「現実は主観解釈という世界観」は、ハイブリッド心理学では閉ざす方に位置づけられます。


どんな鬼門であり、何のか。一言でこう言えます。
「自尊心」「愛」という人生の鬼門であり、「未知」へのです。


「内面の優劣」という病み

まず「内面の優劣感覚」について。

これはさまざまな言葉で語られるものです。
平たくは、「あいつより自分の方が内面は優れている」「心は自分の方が上」「内面的優越感」「精神的優越感」
「内面的な豊かさ」という観念さえもが、これに属するかも知れないのです。もしそれが「外面的な豊かさ」敵対的に語られるのであれば。


これが問題となる、2つの側面があります。

1つ
は、こうした「内面的優越感」「精神的優越感」というものが、基本的病みであることを、心理学からは指摘できます。
私が集中的に学んだ精神分析であるカレン・ホーナイ指摘が印象的です。「私が関係した神経症患者の全てが、他人に対する自分の道徳的優越性を信じていたのが、実に印象的である」と。

「自分の道徳的優越性を信じていた」とは暗示的な表現ですね。それは病みつまり妄想的感覚であり、それが崩壊するのが治癒通り道になるという話になると言えるかと。

「精神的優越感」暴走どこに行くかはもう世間が良く知るところですね。カルト集団の教祖(^^;)になったり、「自分は神だ」と言い出したりする人(^^;)が現れる。

「内面的優越性」とはまさに、それを目指すことのごく健康から、その暴走の病理の極致まで、まさに「鬼門」であるわけです。


ただそうした、「病理がないのが健康」という消極形でばかり捉えるのは視線の偏りです。
私たちはもちろん精神的に豊かになることを目指して、こうした心の取り組みをするのですし、外面でどうかはさておき内面あり方人よりも優れた人間になりたいという動機で、こうした心の取り組みをするわけです。

そこからスタートするして、何が私たちの進み先を誤らせるのであり、何が本当の答えへと導くのかという、より積極的な、心の健康と成長への理解大切です。


「内面の優劣感覚」が持つもう一つの問題側面理解すると、それが見えてくると思います。
今度の話一記事に収めなくても良さそうなので、いつもの細切れで行こうかなと。

詳説・実践のポイント |   コメント(0)
心に取り組む時の罠
「内面の優劣感覚」という問題側面はかなりの心理メカニズムテーマを含むため、いざない説明で何をどこまで書くか、また結構な整理を要している今日この頃。
まずはこーいうことだという言葉がようやっと出てきたので、まず『写真と言葉』にて。12/5『心に取り組みたければ』12/6『ありのままの自分を好きになりたければ』からのシリーズになります^^。

およそこの内容を、まずは直感的にも感じ取って頂くのがいざない説明になるという位置づけです。




心に取り組もうとして心に取り組むと、心が逆に悪化する。
心の優越を目指して心に取り組むと、病みの乗り越えではなく焼き直しになる。
現実は考えようだと考えると、「未知への成長」が閉ざされる。
それが心に取り組む時の罠です。

未知の現実に向かって生み出すという、思考法行動法における優越を目標にすることです。
それが答えです。


写真と言葉 |   コメント(2)
心の成長に向かう軌道に、競争心を乗せていく
「内面の優劣」という心のテーマ鬼門となる。その通り方というものがある。
その一つの面をこう言えるというのを、これもシリーズ『写真と言葉』にて。
これは心の取り組み入り直しからゴールまでに関わる、一つのテーマ軸のため、どこでどう説明するかとは別に、このように全体を直感する言葉を持っておくと良いかと。

「鬼門」もう一つの面「自意識」どう使うか根本に関わることで、今日引き続き練ろうかと。



競争心は未熟ですが、それを否定する抑圧は病みです。
私たちにできるのは、やがて他人との比較意識も競争心も消えていくような、心の成長と成熟へと向かう軌道に、競争心を乗せていくことです。
それが心の叡智です。

その軌道とはもちろん、先の『心に取り組む時の罠』最後に言った、「未知の現実に向かって生み出すという、思考法行動法における優越」です^^。

写真と言葉 |   コメント(0)
詳説・実践のポイント5・いざない3・人生の鬼門2
「病んだ内面プライド」のメカニズム

では「心に取り組む時の轍の罠」2つ目について説明したいと思います。おととい『写真と言葉』『心に取り組む時の罠』で書いた、
「心の優越を目指して心に取り組むと、病みの乗り越えではなく焼き直しになる」というもの。

いざない説明としてどのように話すと良いかと整理していましたが、まずは心理メカニズムそのものを説明するのが良かろうと。基礎知識としてです。

それは、「病んだ内面プライド」メカニズムです。


なぜここで心理メカニズム解説単独でも取り上げるかというと、その影響範囲あまりに大きいからです。
前記事『心の成長に向かう軌道に、競争心を乗せていく』では入り口からゴールまでのテーマとも書いておきましたが、思い返すと、それは個人の心の取り組みテーマ軸であるのを超えて、我々が家庭社会心をコントロールされた方法とさえ、言えるんですね。

それは内面の優劣比較をし、軽蔑攻撃をするというものです。
そんなんじゃ駄目だ。これが尊い心です。自分が情けなくないのか。いまどきの人間は。そうした言葉で語られる全て目線根底に、これがあります。
人間の内面を取り上げて優劣比較し、その善悪審判をあおごうとするものです。自分の心に鎮座させた「神」に、と言えるでしょう。
そうして、人は自分が神になろうとする。その先に、自分自身の破壊という、が控えるものとして・・。

ハイブリッド心理学進む道は、この全てが、消え去るゴールへと続くになります。


ちなみに「自意識の業」という根源「黙示書」でも言っていますが、それが生み出す具体的心理メカニズム一つが、これなのだと言えます。
他には何が・・とちょっと考えて浮かぶものを入れると、これを含め3つが浮かびますね。人呼んで(ハイブリッド心理学の島野しか呼ばないけど^^;)「自意識の業の3大メカニズム」と言えるかと。
「自己処罰感情」「病んだ内面プライド」そして『いざない1』でも書いた「自己操縦」。この結合の先に、自らを破壊していくのだ、と言えそう。まこの話はまたどこかでということで。


「病んだ内面プライド群」の動き方

「病んだ内面プライド」は、幾つかの感情連鎖発展として動くものです。

にしてみました。
このに、心を病むメカニズムから治癒までの、きわめて高度な心理学凝縮されていると言えますv。(←ぶい余計^^;) こう整理するのに数日かかった次第。

「病んだ内面プライド群」の動き方
前期~中期 後期
1)内面の優劣 (競争心)[価値観の隔たり](向上心)   
2)病んだ内面プライド
 (内面的優越感、精神的〃)
自分の成長の過剰評価
3)卑怯な傲慢への怒り嫌悪
4)現実の裏切り 現実幻滅体嫌(治癒)
精神バランス悪化 優劣感覚が消えた「未知」へ


「病んだ内面プライド」の悪化連鎖

軽く解説しておきましょう。

まずは左側「前期~中期」つまり「否定価値の放棄」以前のもの。これが「病んだ内面プライド」悪化連鎖動きになります。

1)内面の優劣
「内面の優劣比較」が起きる心の状態です。
一般に「優」と感じられるのは、感情の豊かさ、明るさ、自発性、積極性、活発性、開放性、意志の強さなど。
「劣」と感じられるやすいのはそので、感情の貧弱、暗さ、受け身依存、消極、沈滞、内にこもる傾向、意志の弱さなど。ここにしばしば加えられやすいのが、こうした面に基づいた「自意識」、いわゆる自意識過剰状態です。

要はこれらは、「うっ屈のない心」「うっ屈のある心」というのが大きな本質でしょう。詳しくは省略しますが、「根源的自己否定感情」影響を受けていない心と、受けている心前者「優」後者「劣」のように感じてしまう、というのが根源で働くメカニズムだと考えられます。


2)病んだ内面プライド
こう定義できます。「自分が軽蔑する自分の感情を抑圧し、それを他人に映し出して、それを軽蔑攻撃する」というプライド感情
悪化連鎖核エンジンと言えますね。次のものへと連鎖発展する。

3)卑怯な傲慢への怒り嫌悪
「病んだ内面プライド」はどうしても「卑怯な傲慢」というのものになります。無実の汚名を他人に着せ攻撃することでプライドを得るのですが、その汚名は実は自分のことだという構図。つまり「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」です。
これはもちろん、こうした心理メカニズムに陥る人の外界現実の話ではありません。「病んだ内面プライド」動かすと同時に、心の底は、自分が「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」動かしていることを当然分かっているわけです。

ところがこの「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」と来た日にゃー、もう「劣」どころの騒ぎでなくなるわけだこりゃー(崩れた江戸っ子調^^;)
それはこの世で最もおぞましいゾッとする人間行為であり、幾ら攻撃しても足らないような怒り憎しみを感じて当然のものに思われる傾向があります。病んだ内面プライド動かす本人においてです。ちなみに健康な心の人は、特に感じません、というか特にそうしたものは知覚しません^^。
でその「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」がまた、「自分が軽蔑する自分の感情を抑圧し、それを他人に映し出して、それを軽蔑攻撃する」という病んだ内面プライド乗っかる
詳しくは省略しますが、「軽蔑憎悪応報型」の視線恐怖症などでは、この怒り憎悪軽蔑攻撃自分他人との間で繰り広げられ妄想が展開されているのを、本人の内省報告などから観察することができます。


4)現実の裏切り
「心は自分の方が上」「あんなやつよりは自分の心の方が」といった「内面的優越感」「精神的優越感」は、「病んだ内面プライド」ベースになるものだと言えます。
そうした感覚から、とりあえず特定相手への攻撃感情取り除いたものを、「自分への自信」の基盤感覚のように、考えがちです。
そうするとあとはもう飛んで火に入る夏の虫(^^;)心のバランスを崩す心の障害のメカニズムが見えてきます。

そうした「自分への自信」の感覚というのは、全て、「自分は分かっている」「自分は知っている」というのをベースにしているわけです。
心はこうでなければ。こんな心であってはならない。自分はそれをちゃんと分かっている。それにひきかえ他人は・・まあ問題は他人ではない。自分がしっかりすることなのだ、と。
そうして、「自分はこうあれる」という「自分の心」のイメージを心に抱いて、現実の世界へと、現実の他人へと、再び接しようとする。

そこに、「現実の裏切り」というメカニズムが起きることになります。
「自分の心はこうあれる」と思った通りには、動かない自分の心。それは場合により、他人に汚名を着せて攻撃した汚名のあり方で動こうとしている自分の心
「卑怯な傲慢への怒り憎しみ軽蔑攻撃」に、裏切られるわけです。それによって自信を持とうとしたのが、この世であり得る最大の逆転劇へ。軽蔑攻撃他人に向けるものだと約束したのに、軽蔑攻撃寝返って自分自身を攻撃しようとしてくる。

こうした心の動き流れが、人生重要「自尊心」さらには「愛」を、それによって得ようとする文脈の中にある場合、精神的破綻が起き、精神のバランスを損なってしまうのが、心の障害症状悪化メカニズムと考えられます。

そこまでいかなくても、この動き流れは、「現実」というものへの、全般的な対面恐怖を引き起こしがちです。それが「対人恐怖」「引きこもり」を引き起こすことが考えられます。

そのような心の障害症状ならなくとも、こうした「現実の裏切り」に出会うことの懸念は、特定相手への生理的嫌悪としてしばしば、比較的「普通」の人にも体験されるメカニズムになると考えられます。


治癒

治癒についてもざっと書いておきましょう。

まずこうした感情について、「分析」無駄です。ただそう流れているのが見えるだけ。

治癒は、まずこれら全ての心理メカニズムの影響を受けていない、現実における健康な心の世界への視野を持つことです。
これが前期課題「自分への論理的思考」ツール築きあげていく、実践課題となるものであり、このあとその実践ポイント解説へと移っていく予定です。

そうして、これらの感情が映すもの全てが、現実外界起きていることではなく自分の内面世界で起きているだけのものという状況確立し(もちろんこれは健康な心の人共に生きる相手として選択するという生き方選択必要です)、そこで「現実において生み出す」という価値観生き方確立へと向かうことです。

そこで「否定価値の放棄」によって、心で動くもの状況一変してくるのですが、面白い(?^^;)ことが起きてきます。治癒としてです。
上記のに示す通り、「否定価値の放棄」によって、「劣」であるものを他人に映して攻撃するという否定側面消える一方、心の優劣という感覚残ります。
それが今度は、「現実において生み出す」行動法習熟による自信獲得と増進の中で、心の優劣感覚の突っ走りは、自分心の成長過剰評価という形を取るようになります。

そしてそれもやはり「現実の裏切り」相当する場面を迎えることになる。こんなに成長できたと思っていた自分の心は・・と。
ところが今度は、それをさらに逆手に取るという治癒が可能になるわけです。なんということでしょう。(ビフォーアフターのナレーション調^^;)
つまりそこで、「自分はこうあれる」という「自意識」の、思い上がり自己卑下全部トータルにした、「自意識の無駄」が、意識思考を超えた心の底浸透するという事態が起きる。そして「自意識で生きる心」が、消滅に向かうわけです。
これが起きる体験重みによって、それは多少手痛い自分への幻滅体験から、「自己操縦心性の崩壊」と呼ぶ、意識一度死に向かうような切り替わり体験まで、多少バリエーションを持つものになります。
ただいかにも「崩壊」という感じのものは中期以前になりますね。後期になると、意識保たれたまま、より深い何かが見えてくる。それが「原罪の乗り越え」といった最終局面に位置づけられるものになります。


ということで、いったんメカニズム解説を入れ込んでおきました。
あくまでいざない説明のための、基礎教養科目としてです。
心の取り組みへの逆姿勢から、入り口正しく入り直すという段階における、実践的心得ポイントという本題の方を、次の記事で書いていきましょう。

詳説・実践のポイント |   コメント(0)
詳説・実践のポイント6・いざない4・人生の鬼門3
では先の記事での「病んだ内面プライド群」説明を踏まえて、「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という逆姿勢が含み得る、2つ目の問題について説明しましょう。


「内面の優劣」の中で取り組む誤り

まず直感的な言葉で書いてみましょう。

それはつまり、「内面の優劣」の感覚枠内で取り組んでしまう、というものです。
「心の優劣」において、取り組んでしまう。自分の心「優」にするために、取り組んでしまう。

これはまずそうなると思います。私もそうでした。自分の心「優」にするために、取り組んだわけです。その時、私にとって私の心は、痛々しいほど「劣」だったからです。
でもその姿勢では結局、「優」にならないんですね。「自分の心は劣」という「世界」を、抜け出せない

根本的誤っているわけです。
心に取り組むとは、生きることです。自分の心「優」にするために、心に取り組むとは、「心を優にする」ことが「生きる」ことの「目的」と化すことです。
それは違うんですね。「生きる」とは、私たちが生きるこの「現実世界」に向かって、を開放して前進していくことです。それによって自ずと、成長治癒そして成熟への変化を起こすものとして。


「病みの焼き直し」の3パターン

どういうことか、分析的に説明していきましょう。

「内面の優劣」感覚枠内で心に取り組んでしまうのが引き起こす問題一言で表現したのが、『写真と言葉』『心に取り組む時の罠』で書いたように、「病みの乗り越えではなく焼き直しになる」というものです。

この「病みの焼き直し」様子を、3つ言えます。


「病んだ内面プライド」への箔づけ

まず程度最も悪いもの(^^;)から言いますと、「病んだ内面プライド」および「卑怯な傲慢への怒り嫌悪」という、他人の内面のあら捜し攻撃に、心理学の知識再利用(^^;)するもの。他人の内面の攻撃に、心理学の箔(^^;)を加えだだけであるのがあからさまのもの。
心の取り組み結果に、一切の改善向上が見られないまま、「心の取り組み」病んだ心にさらにお墨付きを与えてしまっているようなありさまです。

ちなみに先日もちょっと触れた(12/6『ありのままの自分を好きになりたければ』)、最近寝つけ薬がてらの読書に選んだ、『悲しみの彼方への旅』最初の方にも出てくる日本で最も著名な某人生論者(ネタばれ^^;)を読んだところ、最初から最後までひたすらこの「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」の他人(主に「親」)を批判攻撃する内容になっており、呆れたところです^^; 1行も役に立つ文章がなかった・・・ *_*;


「内面的優位性」の勘違い

次は、そのようにあからさまに他人攻撃心理学再利用されているという風ではなくとも、漠然と、心理学他人に対する自分の内面的優位性としてあるように感じているもの。
まあハイブリッド心理学なりこのブログなり幅広く読んでいれば上記パターンはないとしても、こっちはあるかも知れませんね。
前記事でちょっと触れたように、「後期」になると「自分の成長の過剰評価」というのが必ず起きます。それは多少このパターンでもある。


問題本質は、「分かること」「知ること」「わきまえること」が、「成長」直結するもののように感じていることにあります。だから、こうした心理学を「知った自分」は、他人への優位性を得たのだと・・。

それは誤りです。は、その成長豊かさあり方知ったところで、分かったところで、わきまえたところで、成長しません「現実を生きる」ことをしなければ。もちろん、「望み」に向かってです。
その点で、「本当に分かれば変われる」という感覚は、心の成長をまだ「分かっていない」ことを、まさに示す感覚です。


なお「後期」「自分の成長の過剰評価」は、それとは別ものです。実際自分の心変わってきている。分かって自分で自分の心をどうこうしようとあがいていた昔とは、もう別人のように・・。
で、その過剰評価が起きるのですが、「分かって成長する」のではないことをすでに身を持って知った段階であるからこそ、前記事で触れたように「現実の裏切り」さらに逆手にとって「自意識に生きる心」根底から捨て去るような、さらなる脱皮成長つなげることができるようになるわけです。

そんなものとして、心理学他人に対する自分の内面的優位性のように感じる取り組み姿勢とは、「分かれば変われる」という誤り意識の中にとどまっている、つまりは全く成長変化できない取り組み姿勢にあるという問題です。


心の答えは心の中にはない

心の取り組み姿勢「内面の優劣」が絡む問題面最後は、最も根本的な話になります。

上の最初に書いたように、私が犯していた誤りです。そのせいで、後に「失われた20年」と振り返るような間延びを置くことになってしまった。

それは、はどうしても「自分の心の中の“劣”」取り組んでいたのです。そんなものがあるから、大学院まで心理学を学び、「知の探究」としてそれを進めることに完全を見切りをつけ社会に出てからも、認知療法など新たな心理学にも関心を持った。「自分の心の中の“劣”」解決する答えを求めて。

もちろんそうした学びの中から得るものも、断片的にはあるのですが、その取り組み姿勢にある根本的な誤りとは、取り組みの全体が結局、前記事最初「内面の優劣」の感覚に、乗っかったものとしてある、ということです。
だから、もう他人の内面あら捜しなどは求めないようになり、自分の中で起きる悪化連鎖減らすことができたとしても、外部にそうした動揺減少よりも強い問題が起きた時に、全てが同じ感情の繰り返し戻ってしまうわけです。

心に取り組もうとする逆効果が起こす問題との連鎖の中でです。「内面の優劣」を基準にして、「心の駄目出し」「自己操縦ストレス」「見せかけへの嫌悪恐怖」に陥って「やはり自分は駄目・・」となる「現実の裏切り」に出会う。

心の取り組み姿勢原点「心の優劣」にある限り、「戻ってしまう」というのは必然という大きな枠があることを、ここで感じ取って頂ければと。

心の答えは心の中にはない、と言えます。それは心の外にあるのだと。


島野に答えへの視力を与えた「一つの文章」・・

にそうした「心への答えとなる心の外のもの」への視力を与え、あと戻りすることのない前進のための車輪(つまり「現実」への着地装備ですね^^)を与えるきっかけとなった、一つの文章というものを、今思い出しているところです。
それは心理学関係ではなく、当時の仕事関係で学んだ中にあったものです。

心の答えは心の外にある。このブログ執筆を通して焦点を当ててきているこの命題の、具体的な表れとなる思考を私に示したのは、あの言葉ではなかったか。自分はそれによって、「自分の心の外にある答え」に、自ずと目を向けるようになったのだ・・と。
そこから得るようになった生き方への自信足場に、やがて自分が神になろうとうする誤り根底から捨てる「否定価値の放棄」至ったのではないか・・。

そう考え、その文献いつのものだったか確認したところ、まさにその通り!でした。
私が「否定価値の放棄」に至ったのが1997年の12月(参照:2010-04-05『島野が神になるのをやめた時-1』)。私がその文献に触れたのが、1997年の初頭からでした。どんぴしゃです。


それを次に紹介しましょう(TV番組のつなぎ手法みたい^^;)この記事で書いた「病みの焼き直し」3パターンに応する、3つの対処心得の説明の中でということで^^。

詳説・実践のポイント |   コメント(3)
自分がこうあれれば相手は愛を返してくれると本当に言えるのは
「いざない説明」では、まず心に取り組んでしまう逆効果と、正しい基本姿勢何をするのか全体をざっと説明の上、「内面の優劣」心の取り組み絡んでしまう問題を説明したところです。
次に説明する、その問題への対処心得が、「自他優劣比較」鬼門とする外面向け方向性キモになるという次第です。これが右ハンドルその1キモになります。
あくまで、右ハンドルその1です。

対する、内面向け方向性キモを、先に『写真と言葉』で出しておきましょう。ちょっと浮かんだ言葉があり。
まこれがゴール視点として、入り口視点「楽しみ」になりますね。それが左ハンドルキモです。
説明を引き続き「いざない」にて^^。

そのように右ハンドル1があり、左ハンドルがあり、最後にもう一度右ハンドル2「現実」に向かい「何を望むのか」を問う。
この3ステップはぜひお忘れなく^^。





自分がこうあれれば、相手は愛を返してくれる。
本当にそう言えるのは、自分から命をかけて愛せるということなのです。

私たちの人生の問題はまず、そのように自分から命をかけて愛せるものを見出せるかどうかにあるのではありません。
それ以外のものを、自分がこうあれれば相手は愛を返してくれる、と思い込む、あるいは返してくれるべきだと考えることにあるのです。


写真と言葉 |   コメント(0)
詳説・実践のポイント7・いざない5・人生の鬼門4
「内面の優劣」視点締めちょっと長いです^^;


自分の競争心を「手なずける」

さて、「内面の優劣感覚」心の取り組み絡んでしまうことの問題を、それぞれ一言で呼べば、
「病んだ内面プライドへの箔づけ」
「心理学による内面優位性の勘違い」
「自分の心の“劣”の見入りへのとどまり」

といったものとして説明したのが先の『人生の鬼門3』です。

これに対する対処心得が、先の『写真と言葉』でも述べたように、「外面向け思考法行動法」歩み方ガイドでの右ハンドル1の、キモになります。


心の成長への歩みには大きく3つのテーマがあります。「自尊心」「愛」そして「怖れの克服」です。

ハイブリッド心理学では、まず「自尊心」目指すものと位置づけています。順番として。まず「愛」依存しないものとしてです。それを基盤にして、次に「愛」向かう
これがになると、全部崩れてしまいます。愛されることで自尊心を得ようとする。自分自尊心支えることができず望み通りに与えてくれない他人への怒りに駆られ、それが壊します。
まず「愛」に依存しない「自尊心」。次にそれを支えに、「愛」へ。それが正しい道のりです。

「怖れの克服」はその2つそれぞれ対応し、まず「世界への怖れの克服」、そして「愛における怖れの克服」という2段階になると理解頂くとよろしいでしょう。

3段階のハンドルさばきと同じく、こうした道順の考え方もお忘れなく^^。「当てはめ」るためではなく「自分に問う」ためのものとしてです。



そうした、最初に目指すものとしての「自尊心」において、私たちは「未熟」からスタートする存在であることにおいて、その進み先は必ず、「自分と他人の比較意識」「競争心」どう自ら手なずけるという、鬼門を通るものになると言えます。

「手なずける」という言葉を、ここで最も印象が合う言葉として使いました。
念のため意味をネット辞書で調べたところ、「動物などをなつくようにする」「面倒をよくみるなどして味方に引き入れる」。まさにその通り!見慣れぬ動物のように自分の心の中うごめいてしまう他人との比較競争心を、こうやって手なずけて、味方に引き入れるのです。自分の成長のための味方に。という話。


「“自分”ではない高みを目指す」

それは一言でいえば、このように変えるのです。

「自分より劣ったものを叩く」という他人との比較競争心から、「“自分”ではない高みを目指す」という、やがて比較するものがなくなる競争心へ。そこにおいて、もはやそれは競争心でさえなくなる、魂の前進力へとです。


競争心そのものに手を加えるべきではない

まず基本的な心得として、私たちは、競争心そのものの有無強さ度合いについてあまり手を加えるべきではありません。それは心の成長の段階に応じて、それを感じるのであればそのように「ある」ものなのであり、『写真と言葉』10/19『「自意識」とは大きな燃料ロケットのようなもの』で言ったように、飛び立つために、最初に必要になるものなのです。

それが燃焼することさえ禁じ心の中行き先を封じ込めると、心が病みます競争心が別の衣をかぶった、歪んだ感情流れるようになるのです。その典型が、「病んだ内面プライド」『人生の鬼門2』参照)になるものとして。


例えば女性競争心はそぐわない、といった見方考え方を、大胆に捨て去る価値観が、ハイブリッド心理学推奨するものです。
競争心抑圧し、例えば好きな異性を、競争に勝って得るものと考えることに抵抗を感じ、ただ受け身に自分が選ばれることを期待した人ほど、そうはなれない時激しい嫉妬に駆られるという心理メカニズムが考えられます。
これは『理論編上巻』「1章 現代人の心の荒廃 -失なわれた「自己の重心」-」でも述べたことです。以下のように。
嫉妬は比較的日常の中でも観察される感情であり、動物にも見ることのできる感情でもあります。そしかしそれは単純な欲望の感情ではなく、競争心の中で「そんなもの望まない」と自分につこうとした嘘が失敗して起きる感情という、かなり複雑なメカニズムをすでに備えた感情です。

このを考えるならば、「健康に開放された競争心は嫉妬を起こさない」、とか言えるかと。


人が「競争心」悪しき感情と考え、心の中で抑えようとするのは、それが「望みの停止」による「情動の荒廃化」が始まった中で、意識されることが多いからです。そこでさらに「こんな競争心はいけない」「望みの停止」強めると、さらに「情動の荒廃化」が進み、すさんだ競争心形を変えたはけ口を求めて心にくすぶるということになりがちです。

それらは全て、「競争」というものを、「自分より劣ったものを叩く」というものとして考えるのが原因です。
それを、「“自分”ではない高みを目指す」という内容「競争」に、変えればいいのです。

「競争心」という心の泉から湧き出る鉱水を、をしようとしたり、その場できれいな水に変えようとしたりするのではなく、まずそれが流れる水先を変えてあげればいいのです。
流れていくうちに、自ずきれいな水に浄化されていく。そんな水先へとです。
それが心の叡智です。


「“自分”ではない高み」とは

心理メカニズムの話なども入れて少し長くなってきましたが、「“自分”ではない高みを目指す」とはどういうことか、ポイントを簡潔に書いていきましょう。

「内面の優劣」心の取り組み絡んで起きる、3つの問題に対応し、3つのポイントになります。


1.
他人との優劣比較をする内容を、より健康なものへ、というより、比較して意味のあるもの、意義あるものに、変えていくことです。


まず現実に比較できるものへ。空想の中で比較するものではなく。
次に、より長い目で人生で役立つもの比較競争心水先にすることです。

とうことは、まず「心のあり方」「気持ちのあり方」よりはっきりと客観的な外面の優劣で考えた方がいいということです。
「心のあり方」「気持ちのあり方」競争心に乗せると、心が病みます「自分こそ世界で一番控え目な人間だ!絶対にそうなってやる!」メラメラと復讐の炎を燃やすのであった・・(^^;)というようなパラドックス矛盾が起きる。奇妙に捻じ曲がるわけです。
他人の優れた面は、客観的に認めることが重要です。「外面は良くても内面はきっと・・」なんて思考をひねくれさせることなく。いやそう考えてもいい事態もあるでしょうが、そうだとしても、外面に実際に存在する優れ方はそれとして見る客観的な評価能力というものを持ちたい。
それが、自分の優れた面を客観的に認めるための目基盤になります。

一方、客観的な外面の優劣は、時間と共に変わりすたれます。ならばいずれ、「結果」ではなく「生み出す過程」をしっかり体得していることが、何にも勝る人生での優越になる。
できるだけ早くそれへの持つことです。生み出す思考法行動法において、他人より優れることを目指すのです。


2.
空想の中での「自分」、つまり「自意識」で把握する「自分」ではなく、現実場面においてどう動けるかの「自分」で、「自分」というものを考えることです。

心のあり方について「分かっている」「知っている」ことを、他人への内面的優位性と考える誤り自覚することです。そうではなく、現実場面に際して、心が実際にどう動くか「自分の心の現実」です。それをベースにすることで、「現実の裏切り」『人生の鬼門2』参照)は、「現実の学び」変わるのです。


3.
何が本当に「優」で何が本当に「劣」なのか、「自分で感じること」ではない答えが、自分の外にあることを学ぶことです。それを見る目を培うことです。

この社会何が本当「優」であり、何が本当「正しい」のかです。
その答えは、自分の心の中にあるのではなく、心の外部にあります。心が健康な世界における、建設的なものとしてです。それを学び外面向け思考法行動法基盤にすることで、まさに、「自分の今の心」からは独立した、内面感情揺らぐことのない、磐石の「感情と行動の分離」足場ができるのです。

この目を与えてくれた、一つの文章がありますので、にそれを紹介しましょう。


とりあえず3つのポイントをまとめておきますと、
生み出す思考法行動法において、他人より優れることを目指す
・それを「分かっている」「知っている」自分という「自意識」による「自分」ではなく、現実場面でどう心が動けるかの「自分」をベースにして考える。
・そうして「自分」が目指す思考法行動法で何が本当に「優」で「正しい」のかの答えが、自分の心の外にあるものとして、心が健康で建設的な世界にはある。それを学び目指す。


これが、「“自分”ではない高みを目指す」というものです。
私の場合、その転換どんな感じだったか、ここで引き続き書いていきます。


島野に「“自分”ではない高み」への目を与えた一文

それは『人生の鬼門3』前触れしておいたように、私が「否定価値の放棄」に至った1997年12月に遡ること1年弱前、当時定期購読していた『日経コンピューター』誌に、その年の年頭から掲載された論説記事です。

当時大手コンピューター企業に勤めており、仕事は主に大企業向けカスタムメイドのITシステムを構築するものです。
そうした仕事のスキル向上のために読んだその記事は、「システム構築戦略」という分野のもので、要はどんな作戦で企業に貢献するシステムを作ればいいか知恵指南です。

でその記事は、もちろん一介の記者が書いたものではなく、実績を積み重ねたIT構築の上層プロですが、究極的とも言える大上段から話を始めたわけです。

「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」と。
念のため説明しておきますと、「価値の創出」とは、今までなかった何かの価値を生み出すこと。先日亡くなったステーブ・ジョブスが生み出した情報メディア革命などが、その好例と言えます。

そうした「創出する価値」という視点から、その企業が生み出す「価値」の強み分析し、「業務分析」「システム機能要件分析」といったものにつなげ、ITシステム構築へ、という方法論です。


もちろんITコンサルタントを目指すのでない限り、こうした話の内容理解不要です。
それでも「会社は何のためにあるのか?」といった基本的な社会テーマについては、多くの人それなりに考えるものです。それについて、その一文が、まずは私の人生最も納得感を得られるものでした。
「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」。

どうです皆さん。今までに見聞きした言葉と比べて。

それまでは、「会社の目的は結局金儲け」と言ったせこい言葉(^^;)から始まり、「お客様と社員の幸福」「地域の活性化」といったそれなりの美辞麗句もあったけど、私の場合この言葉ダントツで心に響くものを与えたわけです。


「“自分が”正しいと思ったこと」という姿勢を捨てる

どう心に響くものを与えたのか。私の体験上重要なのはここですが、それまでの私は、その学びを得るまで、違う仕事の姿勢をしていた感じです。

「前」は、「利益」のためであろうと「お客様へのサービス」のためであろうと、そうした「目的」のために、自分で正しいと思えることをする、という姿勢
これは当然ではありますね。自分で正しいと思えることをする。実際、「正しいと思えることをしなさい」と、よく教わったものです。
自分で正しいと思えることを。自分が、それが正しいと思ったこととを・・。「自分が正しい」と思えることを・・。
これは結局、自分が神になる姿勢なんですね。


「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」。その言葉を学んでから、それとは違う姿勢が、仕事への姿勢の中に芽生えた思い返して、そんな気がします。
それは、何が本当に価値あるものであり、優れ、正しいのかは、「この自分」が判断するものではない、という感覚です。
「この自分」から離れ人々の中にわたり行く中で、自ず判断されるものなのだ。「この自分」が判断するような狭量のものではない長い目尺度によって。
そんなものとしての「価値」を生み出していくことを、探究するのです。

思い返せば、それ以前の私の仕事の仕方は、かなり自分よがりであったのが事実です。公然と上を批判したり、同僚とぶつかったりと。
「自分として何が正しいと考えるか」という思考法基本として、ですね。
それが、「価値とは何か」という、「価値概念」「価値言葉」を使う思考へ。「自分」が消える思考法です。

その先に、「真の判断」下すのは「この自分」ではない、つまり「自分は神ではない!」「神は自分の中にあるのではなく外にある!」という心の根底感覚大転換に至る、という話になるのではないかと。


長くなってきましたのでこの辺でこの記事ケリをつけたいと(^^;)思いますが、重要なのは、「自分として」何が正しいと考えるか・・と思考する「自分」の外に、答えはあるということです。
心の外側にある、この「現実世界」にはです。
心が健康で建設的な世界では、それが必ず勝ちます。上記で紹介した、実績ある上層プロ言葉が、ダントツに私にも納得感を与えたように。

そうしたものを習得し、外面行動法ベースにするのが、「感情と行動の分離」における外面向け視野だということです。


「優劣」基準からの転換の全体

駆け足になりますが、「心の優劣」という、来歴から引きづった取り組み姿勢から、どう変わるか大枠の全体まで書いておきましょう。

それは自分で感じる「心の優劣」の感覚において、空想の中「自分」「他人」を比較競争するものから、まず外面世界においては、この記事で書いたようなものに、競争心水先を変えるのです。
それがこの現実社会で、自分よがりにならずに、確実に、揺らぎなく、自分を「優」へと導いてくれる方向だからです。スタ-トがどんな未熟な競争心だったとしてもです。

ただしそれがあくまで「右ハンドル1」です。

今まで「自分が感じる優劣」における競争心に駆られた。それをまず「“自分”ではない高み」向上する外面の思考法行動法習得する。他人競争できるのはこれだと。


前進力は「優越感」ではなく「楽しみ」だけに残される・・

一方内面はどうか。「自分が感じる優劣」における「優劣」は、「“自分”ではない高み」姿変え、やがて競争であること自体が消え去ります。「自分の優劣」の問題ではなくなるので、他人との競争にもならなくなるということです。

それはつまり、「優越感」前進の原動力にならなくなる、ということです。

これはその場においては、つまりこの姿勢転換直後は、功罪半ばする様相になります。「優越感」という、今までの心においては甘美な前進力を、失ってしまうことになるからです。まあ「劣等感」というその裏面消え去ると同時に。


そこで残される前進力は、「自分がそれを本当に楽しめるか」だけになるのです。
「優」になるは分かった。しかしもし自分が本当にそれを楽しめないのであれば、それに向かうことはできないのです。それが「心の現実」です。
それは自分に嘘をつくことだからです。自分に嘘をついてでも「自己操縦」をするストレスを選ぶか。しかしもうその代償となる「優越感」も、そこにはないのです。


「外界現実」と「心の現実」を見据えて

そうして、「“自分”の外にある答え」を学ぶ(右ハンドル1)と同時に、自分は本当にそれを楽しめるのかを問う(左ハンドル)
それを踏まえ、もう一度「現実」目を転じます(右ハンドル2)。そこに、自分の内面に応じた、もちろん白黒二極の画一的なものではない、唯一無二の行動法が見えてくるという次第。それは今までの自分からは、まさに「未知」だったものが見えてくるものとして・・。

あるいはここで完全に袋小路至るケースもあります。競争心優越感意味がなくなってくる一方で、何かの恐怖から、自分はそうならねばならないという圧迫感だけ見えてくるケースです。そして自分はそれを楽しめないことも明白に・・。
これはを経て再生されるルートになります。

いずれにせよ同じなんですね。私たちの「意識」「外界現実」「心の現実」という2つの世界を見据え、その間に意識のはざまの「無の空間」が生まれます。(参照:入門編下巻P.63)
そこに「命」行き先示すのです。今行動可能な、唯一無二の道を示すか、それとも、今の心一度死なせ新たな心のリロードまず成すべきか。それに委ねるのです。


最後の方映画『マトリックス』ばりの難解世界の記述になった模様^^;

読者広場「B子さん」からちょうど良さそうな具体例相談が寄せられましたので、具体的にどんな感じになるか、あとで書いておきましょう^^。

詳説・実践のポイント |   コメント(1)
<前のページ  次のページ>
最新記事
全ての記事一覧
新着順です^^。件数上限がある模様

全ての記事一覧を表示

記事の検索
検索ヒットした記事を新着順で表示します^^
最新コメント
カテゴリー別
初めての方はまず==おおよその話==
を一通り読んで頂ければ^^
 *記事は掲載順です^^
☆記事一覧-話の流れ順 (7)
☆記事一覧-カテゴリ順 (0)
==== おおよその話(^^)/ ==== (0)
このブログについて (1)
島野隆のプロフィール (2)
ハイブリッド人生心理学とは (13)
(1)プラス思考 (3)
(2)癒し (2)
(10)心の成長と治癒過程の理解 (6)
==== 細かい話^^ ========== (0)
(4)内面感情の開放 (9)
(3)人生を豊かにする思考法行動法と価値観 (5)
(11)心の闇との決別 (15)
神になるのをやめる (11)
(7)心の再生 (2)
(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 (17)
島野が神になるのをやめた時 (12)
(6)「自己分析」虎の巻 (2)
(8)魂の世界 (33)
「魂」による「心」の浄化 (5)
「魂の成長」への道 (12)
島野が至った「命の無の世界」 (6)
==== 特定テーマ^^ ======== (0)
愛について (2)
自信について (1)
「愛」と「能力」の成長課題 (10)
対人行動と対人感情 (12)
社会を生きるスキル (2)
実践の進め方と進み方 (23)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考 (33)
真の答えに向うための論理的思考 (7)
「開放力」としての「思考力」 (7)
心の変化の核心と論理的思考 (9)
「感情と行動の分離」の心の足場 (5)
「心と魂と命」の要の「本心」 (7)
「ハイブリッドの道」の歩み方 (20)
歩み方ガイドへの黙示書 (8)
「悟り」と「未知」 (6)
成長の道標への歩み方 (15)
詳説・実践のポイント (11)
特説・「心が良くなる」とは (23)
詳説・心の治癒成長メカニズム (11)
====つれづれ話\(^^)/ === (0)
写真と言葉 (201)
今日の格言^^; (24)
ザ・ベストアンサー^^; (18)
よもやま話 (16)
お知らせ一般 (419)
ブログのメンテその他 (4)
未分類 (0)
月別全記事
まずは記事掲載順に読んで頂いてもグーです^^。
(成長への主な道順で書いてます)
*各月ごとに頭からの掲載順です^^
QRコード
QRコード
管理者用