「いざない説明」を
3つ書くつもりですが、
1つ目です。
本に載せる
原稿モードで書いており、
長いです。この先合わせ
最長になるか・・^^。
心の取り組みに「入り直す」では
「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という
逆姿勢が
含み得る問題点の
理解から始め、
取り組み実践の
入り口へと
改めて入り直すための
いざない説明などしたいと思います。
これは
ハイブリッド心理学の
これまでの学びであろうと、
他の心の取り組みであろうと、読みかじって
取り組み始めた時に
必ずはまる問題です。
ですから
心の取り組みとは必ず、
「改めて入り直す」中でやがて真のものになると言えるでしょう。
心に取り組むことの逆効果含み得る問題の
最初に、
単純な逆効果を言うことができます。
心に取り組もうとして
心に取り組むと、
心の問題が悪化してしまう。
それは、
「心に取り組もう」とする姿勢が、結局のところ
心の底で
自分の心への駄目出しをした上で、
意識で心をどうにか変えようとする
焦りや
ストレスを生んでしまうというものです。
実際、
自分の心は
これでは駄目だと
感じる面があるから、
心に取り組むわけです。そうして取り組んで
即座に良くなる方法があればいいのですが、
どう自分の心に取り組むかと
意識を働かせ始めた段階で、
自分の心に駄目出しをしたことへの
心の反応が起き始めるわけです。それは
重苦しい自己否定感情です。
そしてその
自己否定感情も
さらに加えて、
「これじゃ自分の心は駄目だから・・」と、これではいけないと
心に取り組もうとする。するとそこで自分の心に駄目出しをしたことへの
心の反応が起きる。それは
重苦しい・・。
これは
『入門編下巻』の
最初にも触れた話ですね。
「心のハウリング」が起きてしまうわけです。
「自分の心への駄目出しのハウリング」だと呼べるでしょう。
生み出される「自己操縦」の姿勢さらに
加えて、そうして
自分の心を
自分でどうにかしようとする
姿勢は、どうしても、
自分の心を
「こんな心」と見られるものにしようとする、
無意識自動的な自己強制演技の
ストレスを生み出すことになります。
この
「無意識自動的な自己強制演技」の
心の動きを、
ハイブリッド心理学では
「自己操縦」と呼んでいます。
この
説明を始めると
この記事が
あまりにも長くなるので、詳しくは
『実践編上巻』の以下などに収録ということで。
8章 人生をかけた取り組み-4 -「感情強制」の解除・内面の解放-さらにそれは
「見せかけへの恐怖」という
心理メカニズムを、
派生物として
生み出しがちです。それは
「見せかけ」がばれることへの
怖れであり、
「見せかけるストレス」が
自動的に働く
対人場面への
怖れです。
また
厄介なものとして、こうした
文脈で、
「見せかけへの怒り嫌悪」も
派生してきます。
自分の
見せかけストレスを
抑圧しようとするほど、それは
他人に映し出され、
生理的嫌悪感として
体験されるという
メカニズムがあります。
こうした
心理メカニズム分析は、
どこかで役に立つ場面もあるでしょうが、
最初から深追いすることは
無用です。
その前にやるべきことがあります。
そもそも
心に取り組む基本姿勢を
間違えているのです。それをまず、
正しい姿勢に
戻すことです。
問題の
多くが、
心に取り組もうとして心に取り組んだことが
生み出したものです。
ならば
まず、心に取り組むのをやめればいい。
では
心に取り組むために、
正しくは
どんな基本姿勢で、何をするのか。
心の治癒成長と成熟に
向かうための、
ハイブリッド心理学でのその
取り組み実践を、まず
ざっと把握して頂きたいと思います。
かなりの文量になりますが、まず
この程度の全体を
把握して頂くことが
必要だと考えています。そのため
この一記事に収めた次第です。
全体が
補い合う関係にあり、
視点が抜けてばらばらになった時、
一つ一つの取り組みの意味さえ失われる危険があるからです。
全部で
幾つの視点が出てくるのか、それは
両手指の数ほどだとしても、
自分にその10本の指があることを忘れる人はいないと思います。
あまりうまく使えない指があったとしても・・。そう思い浮かべながら
各パラグラフに
番号を振っていったら、ちょうど
10個になります。
中に出てくる
具体的実践項目にも
別途番号を振っておきました。ここでは
6項目を
主要実践項目として出してあります。
取り組むに当たって、まずこの
全体を
把握する。
忘れてしまう部分が出たなら、該当する
パラグラフを
何度でも読み返して下さい。そして
一つの実践が、
未知の全体へと
つながることを
感じ取ってから、
実践の入り口に
入り直すのがいいでしょう。
1.基本姿勢まず
心の取り組みとして
何を行うのかの
基本として、
心のあるべき姿を知り、それと自分の心を照らし合わせ、しっかりと自分の心を方向づける・・の
ではないということです。
心の外にある現実世界を正しく知り、それへの向かい方を知ること。そしてそれに向かって生きることを行います。もちろん
心を無視した向かい方ではありません。
心の叡智を携えて
外面現実世界に向かって
生きることが、やがて
自分の心を
豊かに
成長させていくような、そんな
向かい方を行うわけです。
「自分」という
囚われ惑いを
消滅させ、
「無条件の愛」「豊かな無」へと
至らせるような、そんな
向かい方です。
それは
具体的に
何をするのかを、ざっと書いてみましょう。
2.建設的な思考法行動法それは
ものごとの合理的な(無理にそう捉えるのではない)プラスの面を見て、
・・・1)プラス思考法それに向かう喜び楽しみや向上の共有をベースに人に接することです。
・・・2)建設的対人行動法それが
自分から幸福に向かうための
思考法行動法の
答えです。
もちろんそれを
ただ機械的にこなせばいいというのではなく、
本心からそれを
どう理解納得できるものかを検討し、すんなりとそれを
理解納得できない、あるいは
心に引っかかるものがあれば、その
原因を
探究することを行うのです。
プラス思考法や
建設的対人行動法を
考える暇もなく流れる
悪感情についてもです。ここに、
自分の心に取り組むという
側面が出てきます。
3.価値観検討そこにあるのは、
対照的に、
ものごとの悪い面を見て、そこに感じる怒りや不平をベースに人に接する、という
今までの心かも知れません。これは
自分から不幸を目指すような
思考法行動法です。
この
違いを生み出すのは、
「自尊心」と
「愛」、そして
「怖れの克服」や
「人生」について、私たちが
心の底で抱く考えである
「価値観」であり、さらにその
違いを生み出す、
「心の依存と自立」そして
「人間性の核」という
心の土台の
あり方です。そこには、
自らを不幸におとしめることが、その
矛盾した全体のつじつまを維持するための
落としどころになるといった、
心の力学もかいま見えるものとして。
心の成長や
病みからの
治癒、そして
豊かさは、
自分から幸福に向かう価値観と
心の土台を
自らの意志によって
選択し、
思考法行動法の
日々の地道な実践を通して
「今を生きる」ことが
生み出します。もはや
自分で自分の心を取り繕うことなしにです。
そうした
心の基盤について学び、自分に
無理に「当てはめる」のではなく、
自分に「問う」ことをするのが、
重要な実践になります。
自分は
心の治癒成長を
どう理解しているのか。そのための
具体的な
思考法行動法と
価値観検討の
学びは、
今この場面で
どのようなものになるか。
自分はそれに
納得しているのか。
自分として
何を選ぶつもりなのか、と。
・・・3)価値観検討4.感情分析本当に納得したとしても、
建設的な思考法行動法が
すんなりと選べないこともあります。
心が
抵抗するのです。そこで再びその
原因を
探る。
「納得できればそうできる」「分かれば変われる」。それは
「知」による成長の幻想です。私たちはそのように
頭だけで自分を変えられる存在ではないのです。
それぞれの人が、
それぞれの人に
唯一無二の様子において、
心のさまざまな分子の
重荷を抱える存在だからです。それは
頭で納得した先に、
「現実」の中で
「自分から動く」ことをしようとした時に、
ありありと見えてくるのです。
そこに、
心の深層の深いひだを
探究する
実践が出てきます。
建設的な思考法行動法を
試みるだけではなく、それを
妨げる心の分子にも
スポットライトを当て、それが
自分にとってどんな
感情的な意味と、
今までの心にとっての価値を持つものかを、
じっくりと味わうのです。
・・・4)感情分析そして
さまざまな果実の中で
自分が本当に好きなものを
選ぶように、
今の自分はどの価値観を取っているのか、本心の針が向く価値観を、自分自身にはっきりさせるのです。
これは
一つの賭けのようなものです。私たちの
心を
ありのままに開放した時、
何が現れるのか。
たとえそこで現れたものが、
病みと破壊に甘美を見出す自滅の感情であったとしても、
心に隠されたままの感情に向き合い
明らかにすることは、
見えないストレスを
消失させる
治癒になります。
少し時間を経ると、
心が変化してきているのを感じるでしょう。
健康と成長へと向いたものへと。
暴かれたものが
病みと破壊へと向くようなものであってさえもです。ここに
心の変化の
仕組みの妙があります。
そうして
変化していく
新たな心の土台で、こうして延べてきた
取り組み実践を
繰り返すのです。
5.「本心」と「自分に対する論理的思考」というスタートこうした
全ての取り組み実践を勧める
エンジンになるのが、
「本心」です。私たちの
思考が私たち
自身の
「本心」につながった時初めて、そこに
人生を
前に前進する力が、
「命」からつながってくるからです。
上辺だけの「つもり」の思考、あるいは
人の考えを真似ただけの思考には、
「命」の力が
つながってきません。
人と同じになろうと
別のものになろうと、
まず自分の言葉で、自分の考えを持っていくことから始める必要があります。
もし
「本心」そのものを
人生の中で失っている、あるいは持たないままでいるのであれば、
そのこと自体にまずしっかりと向き合い、「本心」でものごとを考えるとはどういうことを学ぶことから始めます。
それは
「自分なんて・・」といった
観念の中で、
自分の思考を持つこと、あるいは自分の感情を大切に持つことを、捨ててしまった幼少期を
ありありと思い出すといった
追体験を伴う
ケースもあるでしょう。
私もそうでした。
「本心」とともに、
「感情に流されない論理的思考」が
とても大切になります。
感情に任せて思考するのは、
今までの心の中だけで思考を回すということであり、
心は現状維持しかできなくなるからです。
他人を論破するための論理的思考ではなく、
自分自身に対する論理的思考を学ぶことからです。
・・・5)「本心」と「自分に対する論理的思考」そうして得る
「本心」と
「自分に対する論理的思考」を
エンジンとして、ここで述べてきた
取り組み実践を、
進めるのです。
6.道のりを知るその先に訪れる
変化の道のりを、
あらかじめ心に入れておくのがいいでしょう。それを
自分の心に当てはめようとするのは
誤りですが、
訪れる変化への
気づきを
早める効果があります。
心の変化は、私たちが
車に乗って
人生の旅に出る先の
情景です。それを
あらかじめ知ったところで、それだけではもちろん、私たちは
一歩も前には進みません。
今自分がいるこの
立ち位置で、しっかりと
車輪を
地面をつけて
前進することを始めなければ。
私たちが
行うべきことは、
最後まで、常に
今を原点として前に進むことなのです。
心がどうなれたかが重要なのではありません。
大切なのは、
方向を知り、それを歩むことです。
それでも
次に自分が見るであろう情景を
知っておくことは、
良い目印となり、
道をそれることなく、旅の行程を大きく早めることに
役立つでしょう。
大きな節目は、
今を原点として前に進むことに価値を置く「人生観」が
心の底に
浸透していくことと、
人間の本性は愛に向かうものであることを
科学的そして医学的に理解する
「性善観」の確立を
背景基盤として、私たち
自身とこの
現実世界の
あらゆる不完全性を受容する、「否定価値の放棄」と呼んでいる価値観転換です。
7.魂の世界それによって私たちの
心に、
成長と成熟への
原動力となる
「望み」の
感情が
開放されます。
開放された「望み」に向かうことが、
心の成長への
歩みを、そしてそのための
具体的な建設的行動と
日々の生活と
人生の全体を、
俄然と
充実したものに
変貌させるでしょう。
さらに、
「望み」の中にある、
「魂の感情」に
目を向け耳をすませることが、
心の成長と成熟への最大の原動力になります。それは
目の前の現実の
向上を
越えて、そして私たちの
「自分」という囚われを
越えた純粋さと深さを、私たちの
心に
響かせるものになります。それが、
深い傷と膿のように残されていた、
すさんだ、あるいは淀んだものとして残されていた心の部分をも、
目に見えて浄化するようになってきます。
・・・6)魂の世界やがて
「魂の感情」は、私たちがこの
現実世界の
さまざまな不完全性による
失意に出会う中で、
より深く、より輝きを増すことに気がつくでしょう。
思い通りにならなかった時こそ、
自分が真に望んでいたのは何かが
ふるいにかけられるということが、生み出すことなのでしょう。
「自意識」が描いた、
自分に嘘をついた思惑通りにならなかった時にこそということなのでしょう。
その先に、私たちは、
私たち自身を生かすものが、この「自分」ではない、大きな「命」のつながりであることを感じ取るのです。これが
「永遠の命の感性」と
この心理学で呼ぶ、
心の成熟の
ゴールの扉を開くものになります。
その向こうに、
「無条件の愛」「豊かな無」といった
心の境地があります。そこに、
「揺らぎない自尊心に支えられ、愛によって満たされ、もはや恐れるのの何もない心」と
この心理学で表現する
心の世界が、訪れるのです。
8.心の外にある「現実世界」への向かい方に取り組む何をするのかをざっと書きました。話を
最初に戻しましょう。
そうした
道のりを歩む
実践として、
「自分の心」にではなく、
心の外にある
「現実世界」への向かい方に取り組む
取り組みだということです。
その
基本姿勢を
抜きに、
「自分の心」に取り組もうとした時、その
道のりにおける
前進の
全てが、
なしになるようなものとして。
心の治癒成長そして
成熟に
向かうための、
「現実世界」の
見方と向かい方の答えがあります。それをまず
学び、次に、それについての自分の
本心からの
納得状況と
考えを
検討する
実践としてです。
最後までです。
最初の、
建設的な思考法行動法の学びだけではなく、その後の
価値観検討も、自分の
心の深層への
感情分析も、そして
魂の感情への
向き合いも。それは
心の外にある「現実世界」に、それらがどのように向かっているものであるのかに、
向き合うことを行うのです。
なぜなら、
「命」が
「現実世界」に向かうという
「命の生涯」に、
心の成長変化への
全ての原動力があるからです。
「自分の心はどうだ」と、
「自分」に向いて
あれこれ考える、つまりそれは
「自意識の殻」の中で考えることの中には、それは
ありません。
9.「我流」をやめるそうした
取り組み実践に
入るために、
留意して頂きたいことを
2つお伝えしましょう。
一つは、
「我流」をやめることです。
検討する
問題材料について、まずは
外面現実世界への建設的な思考法行動法を
学ぶのですが、それは
「自分なりに」考えるのではなく、
「ハイブリッド心理学なりに」の考えを学ぶことです。それをするのが
「ハイブリッド心理学の」取り組み実践です。それを説明しています。
我流でする取り組み実践法ではなく^^;
もちろん
我流で進めるのは
自由なのですが、その
結果については、
ハイブリッド心理学では
何もいえません。
「変われない人」「戻ってしまう人」に
多いのが
そのパターンです。
「自分なりに」建設的な行動法を
考えている「つもり」なのに、
変われない・・と。
それは
ひとえに、
建設的な思考法行動法として
考える内容が
浅いのが
原因です。
「今までの心」で考えた中では建設的、というのにとどまっている^^;
まず
検討の基準にしたい
建設的行動法とは、
「詳細マップ」の
「右ハンドル」の
冒頭にも記した通り、まずは
健康な心の世界における、心を自立させた人の行動法です。それについての
自分の納得感を
問うことで、
立ち位置が如実に示されるからです。
社会で
多数派の人の行動法
ではなく^^; 多数派の人は、まず言って
成長していませんので^^;
心が健康で心を自立させた人の行動法というのが、
想像もつかないという
ケースも
多々あります。思い返せば、
かつての私もそうで、
「建設的」ということに
かなりの勘違いをしていた
時期がありました。この辺は、
「乳歯の心」と「永久歯の心」という
テーマでの
学びが
重点的に重要になってきます。
もちろん、あなたが出会う
全ての場面のための
具体的な答えを、
ハイブリッド心理学が
全て用意して
掲載しておくことは
不可能ですので、まずは
基本的な考え方と、
幾つかの具体例を示すことになります。それを
自分の検討材料に
応用すると
具体的にどうなるのかは、
多少自分なりに考えることが
必要にもなるでしょう。また
『読者広場』に書いて頂ければ、
具体的なヒントをお伝えすることもできます。今後
事例集など
掲載し、
より豊富な情報も提供する
予定です。
そのように、まずは
ハイブリッド心理学による
具体的な
建設的思考法行動法の
答えを得て、それについて
自分の納得感を
問うことで、より深い
価値観という
レベルでの
自分の立ち位置というものが
見えてきます。
それを
さらに問うのです。
自分はこうした価値観で今生きているということか、と。これからもそれで生きていくのか、と。
「当てはめ」をするの
ではなく。
そこで
「本心」の針がどっちに転ぶとしても、
向き合いがそこまで
深まった時、心は必ず
見えないレベルでの
変化を
始めています。そして再び、
次の場面での
具体的な検討を、という
サイクルを、
繰り返すのです。その先に、上に書いたような
道のりが、
進み始めるわけです。
10.「最初の一歩」では悩みを、「終わりなき成長」では悩んではいない自分の思考法行動法を検討するもう一つは、
検討の対象を
次第に変えていく必要がある、ということです。
悩んでいることではなく、
悩んではいない自分の思考法行動法へとです。
なぜなら、
後者が前者を生み出しているからです。
「悩んではいないいつもの自分の思考法行動法」が、
見えないリンクによって
悩みを
生み出すのです。それを
変えずに、
悩む感情だけ治したいと思ったところで、
そうは問屋が卸さないのが大抵です。
悪感情だけを取り上げて検討しても、
解決への
糸口は基本的に
見えません。
生き方の全体に
取り組む必要があります。
悪感情は
生き方全体の
ひずみが生み出したものです。
一般に言って、
悩みに
直接取り組んで
効果を出せるのは、
その時一回限りにおいて、
そこで準備されている克服への力を
引き出すことにおいてです。
同じ悩みが再び起きるのであれば、同じやり方で悩みを消そうとしても、もうできません。さらに悩みを越えるための何らかの成長を、克服のために準備する必要があるのです。克服のための準備は、
悩んではいない普段の思考法行動法への
取り組みによって
生み出すものになります。
ですから
ハイブリッド心理学の
取り組み実践として、
「最初の一歩」では
悩みを取り上げ、
「終わりなき成長」では
悩んではいない自分の思考法行動法を
検討すると言えます。それによって、
悩みが
消えるのが、
やがて自動的になってくるのです。
メール相談では、
取り組み糸口が
見えやすいものからということで、
一番気になる悩みから
検討し、
なるべく即効的な
アドバイスを伝えることから始めます。そうして
メール相談であまり
切れ目なく効果が出せるのは、長くて
せいぜい半年です。
ギヤを変えるべき時が来るのです。
人の言葉で変わることから、
自分の考えによって自ら変化することを
模索するべき時へ。
悩みを取り上げる時から、
悩んではいない自分の思考法行動法を取り上げるべき時へ。そのための
材料探しから、自分で行う時へ。それをしなければ、
もう何も変化が起きなくなる時が来るのです。
加えて言うならば、
悩みに
取り組もうとすること自体を、捨てるべき時というのが来るのです。
解決が良く見えなくてもです。
「自意識の惑い」への
別れとして、と言えるでしょう。
何らかのテーマごとに、
人生で
一回きりの節目のように。もし
悩みに
取り組もうとすることが、もはや
自意識に見入るむし返しだけの
意味しかなくなってきているようであれば。
これは
心の深層で
「依存の愛」「既存の愛」への
別れでもある
可能性があります。
私自身のそんな
体験の時の
日記を、
9/25『「ハイブリッドの道」の歩み方-14・エンジン始動4』で
紹介しました。
これはもちろん、
「気にしなければいいのか」という
惑いの段階で
感情を無視するという、
取り組み以前の人が考えがちな、
誤った姿勢とは
全く違う話です。
依存の中で
嘆きにふけることから、
自分の足で立って歩く方法の模索へと、
自分の存在の
あり方の全体、そして
心の取り組みの全体の
ギヤを、そのように
変える時が
訪れるということです。その
節目に、あらかじめ
心をときずませておくのは
道の行程全体を
早めるのに良いことでしょう。
普段の生活場面、例えば
家族との普段の会話などに、
悩んではいない思考法行動法の
検討材料が
豊富にあります。
自分は
普段、
他人の批判をして生きているか。それとも
自分から生み出すことをして生きているか。ということは、結局
自分は
破壊に価値を感じているのか。それは
根底で、
与えられてナンボ、人に良くされてナンボの受け身依存の価値観で生きているということか、という風に。
そうは言っても
「全てを見直す」(
総体としては結局
そのレベルになるかと)では、
日々の実践としては
あまりにも漠然と範囲が広くなりますので、まずは
「悩む直前の外部状況」に
焦点を合わせると
取り組みやすいでしょう。
外部状況についてであれば、
建設的な思考法行動法の
学びが
あり得たはずです。それを
見直す。そして
自分の納得感を
問う。
悩む感情を
「この感情をどうすれば」と検討するの
ではなく、
悩む前に自分がした思考法行動法を
検討することです。
あるいは、
外面行動法は
分かっていても心に流れる
逆行感情については、
自分の心を見るのではなく、自分が何を見たのかを、見るのです。すると自分でも
気づかなかった、
自分の心の歯車が
良く見えてくるでしょう。
そこまで
視力がついてきた時、
自分を変えるということが
「当てはめ」ではなく、
「自分への問い」によって「命」が答えを返してくるものだということが、
次第に分かってくるでしょう。
最初の課題へそうして
建設的な思考法行動法を
学び、
納得感を
問い、
自分の立ち位置を
検討するのであれば、
ほとんど全ての方の
最初の課題は
はっきりしているように思われます。
「自分では論理的に思考していない」ということです。
人の話は
論理的に聞くが、というもの。
それでは、
「終わりなき成長の道」へは、
一歩も進むことができません。
学びを
正確に記憶理解し、
自分の問題に
応用し、
選択肢を
あげてみる。そうした
作業は極めて
論理的な思考によって行うものになるからです。それが
ハイブリッド心理学の
やり方です。
そうした
「論理的思考」が、
「心の開放」、
「魂の開放」、そして
「命の開放」という
道程のために、
どのように使われるものになるか、
前期過程の
実践のポイントから説明していきましょう。
その前に、
「心に取り組もうとする」という
逆姿勢が
含み得る、残り2つの問題を見ておかなければなりません。
「内面の優劣」の感覚と、
「現実は主観の解釈」とする世界観です。
それは
そもそもの取り組みスタートのための、
「外面現実世界へと向く」ということ
そのものを、
完全に遮断するものだからです。
そこにおいては、そもそも
外面現実世界を
全く見ていないのです。
車のフロントガラスに、
「今までの心」が解釈した外部世界の絵を貼りつけて、それを
外界現実だと考えるという
図になるものです。
そこにある誤りを知り、それをやめることです。
そこに同時に、
「愛」と
「自尊心」、そして
「未知に向かう」というこの
取り組みの道を進む
基本姿勢を
確固としたものにするための、
良い糸口が示されるでしょう。
はあー、と思わずため息の労作^^; あはは^^;