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島野隆のブログへようこそ!

このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
本当の心の治癒と成長に向かって!
 
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自らの心の障害を受け入れる
きのうもスキーに行ってきました。
なんと「かぐらスキー場」(苗場の北にありますす^^)は営業予定を今月30日まで延長とのこと。わーいまだあとひと月たっぷり滑れる♪



さて話が心の転換核芯に迫ってきていますが、転換の先に向いたいものを『今日の格言』で^^。

自らの心の障害を受け入れる。


つまり、自分が心に障害を負った者であることを受け入れ、それをもう治そうとするのではなく、それを一つのハンディ、制約として受け入れて人生を前に進むことを知った時、心の障害右肩上がりで消えていく道のりが、始まります。


大きなハンディを克服したあるスポーツマンの言葉で、『悲しみの彼方への旅』「考察」でも使った言葉があります。

「障害」とは、障害そのもののことではなく、障害を理由にして前を向けなくなってしまうことが、「障害」なのだ、と。

心の障害も、同じです。


実際、私が「神になるのをやめるひろめき」を過ぎ、加速度的心の障害消えていき、右肩上がり心の健康度が増してきた頃、自己分析の中でしみじみと自覚したことがあります。

心の障害とは、心の障害への嫌悪軽蔑症状なのだ、と。


皆さんは今、どのような姿勢でハイブリッド心理学を学ぼうとされているでしょうか。

一刻も早く自分の心の障害を治し、消し去って、心を健康にしたいと感じてかも知れません。
それは心の障害を悪化させるだけの「取り組み」にしかならない可能性がありますので、ご用心です。

「一刻も早く」と言うなら、それは自分の心の障害を受け入れることですね^^。

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今日の格言^^; |   コメント(0)
「心の良さ」によって何かを求めてはいけない
もういっちょー『今日の格言』で^^。さっきのものへの続編という感じですね。


「心の良さ」によって、何かを求めてはいけません。

その「何か」とは、人間関係良くなったり、から信頼されたり、自分自尊心自信を持てたりすること、だったりするでしょう。

「心の良さ」によって、そうしたものを求めることが、心を悪くさせます。
それは結局、「心の力み」「自己否定」を生み出す、心の根本姿勢ですので。



では、人間関係が良くなったり、人から信頼されたり、自分に自尊心や自信を持てることを求めるのであれば、どうすればいいか。

建設的であることです。生み出していくことです。

もちろん、今を原点としてです。この「原点」とは、病んだ心のままにおいて、ということです。



「人間の事例」への目

「自らの心の障害を受け入れる」という話を、さっきの格言として書きました。
それは単にハンディとして「妥協」「我慢」するという話にとどまらず、いかに病んで荒廃した心さえも、もう嫌悪や軽蔑や怒りの感覚の中で見ないという目を、獲得するということです。

それは「心の姿勢」として意識する程度で、得られるものとは、私は考えません。

それはたとえば、人間の歴史において「最高の猟奇殺人者」と呼ばれたテッド・バンディが、処刑をまじかにして、「自分は暴力中毒だった」と目にをにじませて語ったのを見るような、さまざまな人間の事例学ぶ先に、獲得するものだと感じてます。

ぜひ、「人間の事例」を、TV番組など手近なものから始めて、沢山学んでいって頂ければと思います。


「心を評価」しようとする人間の心の闇

「心の良さ」で何かを求めてはいけない。

それは同時に、人つまり他人や自分の心の良し悪しを評価しようとするような姿勢は、捨てましょうということです。

代わりに、「その人は何を生み出そうとしているか。生み出すことができるか」見る目交換にです。


他人自分心の良し悪しを評価する姿勢は、「生み出すこと」への塞ぎ、やがて自分が神の座に立って他人や自分を否定するようになる、心の闇の根核に、他なりません。

その中で人は、自分の心の悪い面をし、それを他人の中に映し出し、それを攻撃することに駆られ、やがてその自分の独り善がりに気づくと、今度は自分を責めることに駆られる。
そうして、ただ否定怒りへと、駆り立てられていく、人間の心の闇があります。

それは人間の心の闇であり、病みなのです。


それではいけない・・と考えるかも知れません。それは全く同じこと繰り返しです。「いけない」という「否定形」で思考している限り。
否定的な他人を否定しようとするのも、これまた同じ、否定なのです。


価値観の根本的な選択が、問われるのです。

今を原点として「生み出していく」ことに価値を置くか、それとも、高い理想を抱いてそれに満たないものを「ちゃんと否定できる」ことに価値を置くか。


高い理想から否定できることに価値を感じる感覚の底に、自分が神の座にあるという、無意識の感覚があるように思われます。

それを解き、捨てる先に、「否定できる価値」という感覚心の底から捨て去る大きな転換について、引き続き書いていきましょう。

今日の格言^^; |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-5
「意志」の源泉

先日の『全ての根底は「命」と「信仰」-4』でも振り返りましたが、ハイブリッド心理学が考える「心が良くなる流れ」は、心の営みとして以下に向かうというものです。
1.「望み」に向かう
2.選択思考
3.怖れの克服


に言えば、それに向かわない生き方って、ぜんぜん心が良くなれないです。
成長できず動揺しまくりのまま、豊かにもならない。それだと、なかなか幸福になれないですね。

望み向かうことなく、自分で選択問うことをせず怖れの克服にも向かない。そんな生き方の場合です。


いずれにせよ、そうした「心が良くなる流れ」心の営みは、心の最も根底の働きとして、「意志」というものが支えになります。

「最も根底」であるとは、それがどう生み出されるか大元については、ハイブリッド心理学としてはもう何も言えない、終着駅だということです。
それは「心の自立」という転換の中で、自然と人の心に現れるものだと考えています。
それは「命」に備わっているものであり、それをどうこうして持ちましょうと、言う必要のあるものでは、本来なかった・・と。


しかし、問題2つあると言えるでしょう。

一つは、人間が自ら「心の自立」や「意志」を捨てるような「価値観」を持ち始めたこと。意志なんて持たない方がいいのだよ、とでも言うような。

あるいはそれは「価値観」というより、自分の意志なんて意味ないのだ、自分の感情なんて人にかえりみられることなどないのだ、という幼い絶望と断念の感情を核として、その後の来歴の中で「価値観」の鎧をまとったものかも知れません。


もう一つは、そもそも人間にとっての「心の自立」「意志」というもの自体が、とても不完全であることです。
ハイブリッド心理学では、そう考えています。それは根本的に、不完全なのだと。

そこに、「信仰」という支えが重要になるのだと。


「意志」を持ちたいと本当に感じるか・・

ここではまず、「意志」への、「価値観」影響を見ていきたいと思います。


どうすれば「意志」持てるようになるか、という問いは、ハイブリッド心理学ではしません。
それは「命」もともと備わっているものであり、問題は、私たちがいかに、それを自ら葬り去り、背を向ける思考をしているかだと、ハイブリッド心理学では考えます。


その思考はあまりにも根深く、そして広く、私たちの心に染みついています。

果てはその結果、「意志が大切だ」受け身に人から言われて、では「意志」を持とうか、はてどうしたら「意志」がもてるのだろうかと悩み「意志」を持たなくちゃいけないのか、と落ち込んだりする姿が現れたりします。
それって、「意志」への入り口とはぜんぜん違う方を向いているんですケド・・という感じ^^;

もしこの人が「意志を持った自分」を目指す時、心の表面では「意志を持ちたい」「意志を持たなければと思考しているかも知れません。
しかしそれは、心の姿勢は実は全く違う方へと向いた挙句、360度方向がずれて、一見すると前を向いているようなありさまであるのが、しばしば実状です。


「価値観」向き合いへの道

まずは、自分が本心ではどんな「価値観」でいるのか、落ち着いた心で向き合えるようになるのが、一苦労(^^;)です。

それまで、ハイブリッド心理学を学んで自分の心を変えたいと思うことの全てが、実はまだ「心の力み」の中にあるのです。


メール相談などを活用した本格的な取り組みでも、それだけでまず1年以上かけるのがザラです。2、3年くらいかけて、自分の本心からの価値観に向き合えるための、心の整理が行なわれると考えるのが正解でしょう。

そこからまた年の単位で、日々の生活の中での思考法行動法の実践とともに、自分の本心からの価値観を問いていくのです。

思考法行動法の実践と、その中で出会う「人生の体験」が、を除々に変化させ、それによって本心からの価値観感じ方が、少しづつ変化していくのです。

これは算数や英語のドリルのように、一度一通りおさえればいいといったものとは根本的に異なる、人生を通して向き合い続ける取り組みになります。


メール相談では、「価値観」核心に切り込むよりも、急を要する生活問題への対処法などをアドバイスするのが優先です。
現実問題の解決につながらないまま「価値観」など問いたところで、心に届かないのです。

「心の力み」が本当に取れて、自分が人生でどんな価値観を抱くようになったかを、自分でしみじみと振り返ることができるようになる頃には、「心の障害」もうほとんど消えています。

そこからが本当の、「心の障害」への取り組みではなく、人生の生き方への取り組みに、なってきます。


ざっくり言いましょう。

まず1年かけて、自分が一体どんな思考で生きているか、自分で分かるようになる。「一歩一歩の向上思考」を学び、「心の力み」を脱するのが主体です。

そこから数年をかけて、思考法行動法の実践と合わせて、「価値観」に取り組み、「神になるのをやめるひらめき」のような大きな転換を成す。ここで心の蓋が開きます。

心が大きく成長変化し始めるのは、ここからです。ここから、また数年


短く見ても10年がかりの取り組みです。この数字でさえも、そうできればいいペースです。いい人生です^^。


次の記事で、長くメール相談を続け、「価値観」変化の節目にきた方のなど紹介したいと思います。

同時に、「価値観」への視点などを説明できると思いますので^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-6
今日はこのあと帰省に出てあさって戻る予定です^^。


「価値観」が心底から変化していく時

先日、長くメール相談を続けていた方から、「価値観」についてようやく本心において変化が生まれているらしい報告を頂きました。

「受け身の価値観」から、「自己能動の価値観」へと、ですね。
(参照:3/26『神になるのをやめる-5・価値観』

ただし、「自己能動の価値観」はっきりなれた、というようなものではありません。
「受け身の価値観」どうもおかしいと、本心で感じるきざしが起きてきたという段階です。

これがハイブリッド心理学への取り組みを始められてから、数年を経てです。
数年を経て、いかに自分に「受け身の価値観」が根ざしているかを、しみじみと感じ取れるように、なったようです。

ここから、「自己能動の価値観」どう実際に自分が選択し得る価値観なのかを、人生の中で問う、また数年間以上の年月が始まるでしょう^^。


そんなものです^^。

これをもし、「一刻も早く自己能動の価値観にならなければ・・」といった気分を持たれる場合、それはまず「心の力み」です^^。
「心の力み」について理解し、解除するのがまず実践になります。
そして「一歩一歩の向上思考」実践する。
それによって、生き方への感覚の変化が感じられてきたら、いよいよ「価値観」検討項目に入れる。

そんな順序がお勧めです。


「受け身の価値観」という心の故郷からの旅立ち

ともかく報告メールから、一部を抜粋してご紹介。

ご相談者の方の詳しい状況省略しますが、30代前半女性で、『実践編』でも「B子さん」として登場して頂いている方です。

心の来歴としては、「女性は従順謙虚であれ」という母親価値観の圧迫の下で、心が錯綜したとも言えるものです。
それはまさに『入門編上巻』で書いているような、子供を愛し子供のためというをまとった独り善がりの大人の価値観だったと言えるでしょう。


この方からの報告は、実は3/24『神になるのをやめる-3・人間の魅力価値』紹介したものでもあります。

そうした心の来歴から、錯綜した思春期の心理の中で、その記事での引用にあるように、「人々は謙虚な私にこそ集まるべき」だという衝動が心に生まれ、怒り嫉妬に動揺される人生が始まったわけです。

それが過ぎ去りつつあるご様子です。

心が病んでいったのは母の愛を得るため自分の本当の価値観とは違う所で努力を続けていたからのように思えます。

でも、一番の問題はそれではなくて今まで気がつかなかったのですが、そもそも自分の生活環境を人にすべて整えてもらおうとすることのように思います。
これが人として、女性としてというよりも生物として間違っているように思えます。

生きるということは常に自身の維持のために、自分で環境を整えていくことだからです。
それができなければ生きていると言えるのか?と感じます。

ただ、私の根底の価値観今でも受動的だと思います。

生物として間違っている価値観を捨てればいいというものでもなく
今はこのまま両者を感じているのがよいように思えます。
無理をすれば、また道を踏み外すように思えるからです。

・・(略)・・
父が生きていたら受動的な価値観でも問題なかったであろうと思います。私は努力せずとも父が生活環境を整えてくれるからです。
まあ、心が病みやすい傾向にはあったでしょうが。

・・(略)・・
嫁入り道具着物などを見ていて彼女がとても彼女の両親に大事にされていたのが伺えます。事実、彼女の人生において自身の親や兄弟達に従順でいること豊かな人生を送ることに繋がっていたのだと感じました。

参考まで、私が返したコメントも紹介しておきましょう。

これは答えというか、僕からの視点として言っておきますと、計算違いのように感じます。

お父さんが生きていたとして、果たしてどのように「生活環境を整えてくれる」ことができたかですね。
まあこれも、価値観前提で変わるかも知れません。マジに、自分ではなく他人が、自分の生活環境を整えるということが「可能」だと感じる。

それが受け身の価値観の中で、起きる思考かも知れません。受け身の価値観そのものではなく、副産物として。

違う思考法では、これも全ての生物摂理として、まず自分の世話をしてくれた者は、自分より先に死ぬんです。
価値観思考以前に、そもそも親が自分の人生を整えてくれるという思考は、計算としてできない
まあそれが、つまり親が子の人生をセットアップするという構図が成り立ったのが、人間の文化ですね。

特に女性が、そのなかで受け身の存在として位置づけられたのが、この数千年の人類文化であり、それが今崩れる、人類の節目が来ていると僕としては考える次第です。

いずれせよ、「父が生きていたら受動的な価値観でも問題無かった」は、価値観姿勢なんて問題ではなく、ごく現実問題として計算間違いではなかったか。

これが検討ポイントになるかと^^。

「価値観」と「信仰」の根本へ

人間とは何か。とは何か。とは何か。そういった、根本的な考え方が、最終的にはその人の価値観を決める、「選択」になると思います。

「選択」はもちろん自由です。ハイブリッド心理学ができるのは、選択の違いによる、心の変化の流れを説明することまでです。


それでもこれを採りたいというものを、ハイブリッド心理学では説明していきます。それは私の人間観でもあります。
それを支える「信仰」とは何なのかについても。


ここではあさってまでのブログお休みを控え、言葉だけ出しておきましょう。

格言としてそのうち記事にしたい言葉。

「いざという時は男になれ」。もちろん女性向け格言です。これに対応する、男性向け格言は、「自分の中の女も知れ」
人間は同じです。ただ違うことになるでしょう。も、さらには枝葉まで同じです。その先に、大きく咲かせるだけを変える自己能動姿勢で。

これがハイブリッド心理学の採る人間観です。


「信仰」とは、「人ではないもの」への委ねの情緒です。生物学的には本来、自分を守る他者つまりに向けるような情緒であったものとして。

それが、「怖れ」凌駕するものとして、人間を支え、人間の心を豊かにします。

われによって私たちは、不完全な親を超える足場を得るのだと、私は今は感じています。


では良い残りのGWを~(^^)/

(8)魂の世界 |   コメント(2)
「信仰」の絶大な位置づけ
なんかいきなり夏ですねー^^;
タイトルは『全ての根底は「命」と「信仰」-7』でもいいのですが、ダラダラ感払拭のため(^^;)なるべく独立タイトルということで^^。


「信仰」

ではそろそろ、「信仰」について今私が考えるものをまとめたいと思います。


私の定義では、「信仰」とは、「委ねの情緒」です。答えが出せない問題について、またもともと答えのない願いについて、何か心を委ねることです。

自分で答えを出そうとするのをやめてです。
悪あがきやめて
じたばたするのをやめてです。


そうした「委ね」向ける相手が、「人」ではない何ものかになるのが、「信仰」です。これが私の「信仰」定義です。

もちろんその「人ではない何ものか」として「神」が抱かれていたのが、太古の昔からの、人間の心だったわけです。
そうした「神」に委ねることで、「怖れ」捨てるものとしてです。


人が「信仰」によって「怖れ」捨てる。その姿は、たとえば映画『タイタニック』で描かれていました。
真摯な信仰の情緒の中で静かに死を迎えた人々と、逃げ惑い人を踏みつけにしてでも我先にと助かろうとした人々と、対照的な姿としてです。


島野にあった「信仰の情緒」

「望みに向かう」「選択の思考」「怖れの克服」という「心が良くなる3つの流れ」支えるものは、まず「心の自立」の中で「意志」を持つことだという話をしてきました。

しかし「心の自立」「意志」は、人間にとって根本的に不完全なものです。


私自身、「怖れの克服」が、「心の自立」「意志」によってスンナリとできたようなものでは、ありませんでした。

では最後に私を支えたものは何だったのか。それがやはり「信仰の情緒」だったのかも知れない、と今は感じています。


振り返るならば、私には明らかに、幼い頃から、「信仰の情緒」あったように感じます。

それは少年時代に読みふけった少年少女向け文学全集の中で、魅力を感じた物語、たとえば「ああ無情」といった物語の中に、常に流れていたもののように感じます。

さらには、隅から隅まで眺めるのを楽しみにしていた科学図鑑の中に、「信仰の情緒」流れていたのを感じます。そこには「科学でもまだ解明されていないもの」がしばしば記されており、太古からの人々がどのように伝えているかが時折記されていたからでしょう。


そんな背景もあって、私の中には、「神」とは何かについては全く白紙のまま、実は色濃い「信仰の情緒」があったように、今振り返ると感じます。


それが表立って私をどう救ったかは、なんとも言えない面があります。しかし今はっきりと言えることがあります。

それは私が、「人の気持ち」を最後の受け皿にしない感情を、持っていたということです。

それが結局、『悲しみの彼方への旅』で描写したような、不完全な「心の自立」の中で、「人の気持ち」の空想にあえぎ、自分を見失う絶望の中で、私を最後に救ったのではないかと。


逆に言えば、「信仰」の情緒を失う代わりに、人は「人の気持ち」自分の「生き先」の受け皿の全てのように感じることになるように思われます。

それでは「怖れの克服」はできようもないですね^^。「人の気持ち」に惑うばかりだと思われます。



ぜひ、「信仰」のそうした本当の良い面にも向き合うのが良いことだと感じます。

同時に、「神」という観念「神のよう」と代名される「優劣」の感覚が私たちにある限り、私たちはそれへの答えを出さなければならないのだと感じます。
誰か他人自分「神」の座に置くことを、是とするのかをです。


「信仰」と「魂の感情」

相手が「人」ではない何かへの「委ね」の情緒
これは同時に、この心理学「心の豊かさ」源泉そのものだと考えているものに、そのままつながっていきます。

それが「魂の感情」です。

ここにおいても、「信仰」が、ハイブリッド心理学の考える心と人生の豊かさへの、その絶大な位置づけを感じさせるものに、なりそうです。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
「信仰の情緒」
人間には「信仰の情緒」がある。ハイブリッド心理学では、そう考えます。

問題は、それが正しいか誤りかではなく、人がそこで何を「絶対的なもの」と感じ、その情緒をそこに注ぐかなのだ、と。


「信仰の情緒」とは、改めて定義をするならば、「自分を超えた何か絶対的なものへの委ねの感情です。

ですから、「信仰の情緒」無条件に私たち人間の心を安定させ、豊かにするとは言えず、もし人がその「絶対的なもの」を、実はとても危うい、脆いものに置いた時、その人のは同時に、一気に脆く危ういものなると言えます。


そうして現代人心を脆く危ういものにした、最大の「何か絶対的なもの」への信仰とは、代表的なもの2つあるでしょう。
一つ「お金」です。
もう一つ「他人」です。「皆」「普通」「世間」そして「人の気持ち」です。


「信仰の情緒」が、が本来そこに求めた安定と豊かさを、そうした危うく脆いものに置いた時、人のから安定と豊かさが失われ、同時にもう一つの問題が起きるのでしょう。

それは、そうした「絶対的なもの」を損なった自分は、絶対的に否定されるべき人間なのだ、という感覚が起きてくることです。


かくして、歴史で起きた株価の大暴落の中で、そしてちょっとした人間関係の躓きの中で、いともあっけなく自殺してしまう人が、沢山いるわけです。


今からでも遅くはありません。自分が本当に拠りどころにできる「何か絶対的なもの」の正しいものとは何か、という問いに、向き合うのです。
人生を通して、向き合い続けるのです。

同時に、その問いに向き合い続けた人間の強さを、知るのです。



そのために良い読書法など、ちょっと紹介しましょう^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
「信仰の感情」に触れるお勧め読書
真の「信仰の感情」を持った人間は強い、と感じます。極めて強い、と。

逆に言えば、「信仰の感情」を持たない人間は、弱いです。とても弱い


読書によってそれに触れるのは、良い方法だと思います。
その「信仰」の内容良し悪し妥当性について考えるためというよりも、真の信仰の感情を持つ人間の強さと、それを持たない人間の脆さ弱さ心を触れさせるためにです。

「信仰」の内容そのものについて検討頂くならば、話は別になるでしょう。ハイブリッド心理学としては、お勧めできる「信仰」内容を、たった一つ持っています。
「未知への信仰」としてです。


まずは、「信仰」内容の妥当性にはあまりこだわらずに、真の信仰を持つ人間の強さを感じ取るために、お勧めの読書などを紹介すことができます。


具体的には、世界の文学史金字塔として輝くような小説が、それに当たるでしょう。日本の文学には、まずそうしたものは見当たりません。
ただし、それらは読むのが大変面倒すぎ(←断定アハハ)。ま長々と細部にわたるリアリズムが、そうした小説の優れたところでもあるのでしょうが、はっきり心の学びのために読むには必要ない細部も多々あるかと思います。


そこでお勧めは、それらがマンガ化されたものです。
私自身、1年前だったか2年前だったか買って読んだものに以下などありますのでご紹介。

ドストエフスキー 罪と罰(まんがで読破)
この物語の中で「最も強い人」として描かれるのは、社会の下層相手の娼婦であるソーニャになりますね。一方主人公のラスコーリニコフ「弱い人間」です。
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟(まんがで読破)
ダンテ 神曲(まんがで読破)

あとスタンダール「赤と黒」も買って読みましたが、これは強い人間弱い人間いまいち不明瞭ですね。
今回またこれでアマゾン検索して見つけた、プルースト「失われた時を求めて」個人的関心から買いました♪

(8)魂の世界 |   コメント(0)
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