ホームページ  島野隆の本
島野日記ブログ 読者広場

島野隆のブログへようこそ!

このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
本当の心の治癒と成長に向かって!
 
島野 隆プロフィール


便利リンク  詳細マップ  流れチャート
      道のり情景  姿勢

 「ブログ村」参加しています(した?^^ゞ)
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ  関連記事
  2011-09-09『お願いです(島野の最新執筆姿勢も^^)』
  2011-12-17 『再びお願いです^^ゞ』
  2017-10-14 『読者広場でコメントその他^^』

「成長する存在」として「現実の自分の位置」に向き合う
「感情と行動の分離」の話やら、「信仰」の話やら、毛色の違う話グタグタと続けて(^^;)いますが、結局のところこうなのですヨという話を、「今日の格言」で。


「成長する存在」として「現実の自分の位置」に向き合う。


ハイブリッド心理学実践で行なおうとしているのは、結局こういうことです。それをすでに、例えば、
4/2『神になるのをやめる-9・成長への復帰』
でこう書きました。
それは、自分が神であるかのように理想に満たないものを叩くことをやめ、ありのままの未熟で不完全な「人間」として、受け身から自己能動へともがきながら、一歩一歩の向上によって成長していくことです。


私たちの全ての心の悩みと惑い根源に、「人としての善悪や優劣」を見ようとする、私たち自身のがあります。

それは間違いなく、心が揺れ始め思春期に、競争先頭に行けたものだけが人に愛されるのだという誤った視界を身につけ、何かの基準下の方の人たちを見下すことでプライドを得ようとした姿勢に、そのを発するでしょう。


そこから、自分はそんな見下されるような人間ではないという空想を保つために、「こう感じればいい」と、自分の気持ち「人の目」を、空想の中で、人生を通して不自然にこねくり回したあげくに、心が混乱してどうにもならなくなった時、私たちは初めて、自分が心を病んだことを知るのです。

そこからの回復は、とても単純なことです。


社会には、確かに、さまざまな基準人の優劣を見比べて並べる側面があります。これはもう大自然の摂理でもあります。

その中における、自分の位置を、ありのままの客観的な目で、把握するのです。結構な位置にいる面もあるかも知れない。残念だけど、ビリの方にいる面もあるかも知れない。

それをありのままに把握し、それに心を晒すのです。喜びにも、失意にも。


「未知への信仰」とともに

ただしもちろん、下の方の人たちを見下すことでプライドを得ようとした心を、捨ててです。
あるいはそれは、今までの心においては一度死ぬ必要があるということかも知れません。

いずれにせよ、「成長する存在」として、全ての人を見るで、社会におけるそれぞれの人の、そして自分位置を、ありのままに見るのです。
人にどう見られるか、どう言ってもらえるかではなく、自分の目で。

あくまでそれを、固定されたものではなく、それぞれの人のスタートラインとして、これから何を生み出すか、どう成長するかこそに価値があることを、見るでです。


ならば、その人たち、そして自分自身が、ここからどう成長し、どんな位置に向かうかは、「未知」なのです。

ハイブリッド心理学「未知への信仰」とは、この「未知」「信仰の感情」を捧げるものだとも言えるでしょう。

そして実際、そのような生きることを始めた時、実際に社会でどんな「位置」にいるかではなく、そこからどう前に進むかという「動き」そのものが、輝いてくるのです。


「魂の感情」へ

同時に、に、根本的な変化が起きてきます。

「望み続ける」ことによってです。


「現実」においてすぐには叶えられなくても、望み続ける。すると、「望み」が、「現実世界」を越えたものに、向かうようになってくるのです。
次第に、深さ輝き増しながら・・。

これをハイブリッド心理学では、「魂の感情」と呼んでいます。


「現実世界」を越えた「魂の感情」によって満たされる時、もう私たちのには「現実世界への惑い」今までの大きさを持たなくなっていきます。
それは同時に、生きることの全てが、そしてこの「現実世界」の全てが、輝き始めるものへと・・。


「成長する存在」として「現実の自分の位置」に向き合うことが、そのスタートラインになります。
「未知への信仰」とともにです。

その先に、この「現実世界」と、「魂の世界」という2つの心の世界を、2つの両足としてしっかりと地につけて生きていくのが、ハイブリッド心理学の世界です。


そうした「魂の感情」についても、もうじきに説明スタートさせましょう^^。

今日の格言^^; |   コメント(0)
「人としてこうできねば」によってそうできなくなる
これも『今日の格言』として、脱したい心の闇一言で表現しましょう。


「人としてこうできねば」によって、そうできなくなる。


「人としてせめてこうできねば」と、考えるかも知れません。
人として、せめて人と自然に会話できなければ、仕事をできなければ。
人として、まっとうな生活をできなければ、元気で明るくいられなければ、と。

そう考える姿勢によって、まさにそうできなくなっていく、心の闇心の罠があります。


そうなる心の仕組みは、そう難しくありません。難しいのは、自分でその仕組みが感じ取れなくなってしまうことでしょう。

「人としてこうできねば」という信条によってそう行動することは、まずは結局のところ、「心の力み」です。どこかで疲れがたまり、やがてその気力が薄れてくることが、定められています。


実際に「人としてこうできねば」ということさえもできなくなるのは、そこに大抵、こんな心の動きが重なってです。

まず、「人としてこうできねば」と言うのとは違う他人への、怒りが起きます。そしてそれに対して相手からも怒りが返されるイメージが湧き、恐怖が起き、すると今度は、「自分は人としてこうできねば」という行動が怖れのためできなくなっているのです。
「怖れ」すくませ胃腸の機能を低下させ、実際に健康損なわれ、ひどくなると普通の生活さえも営めなくなってしまう感情です。


もちろんこれは、「人としてこうできねば」という信条があると必ず起きるというものではなく、そこにほんの僅かでも、心を病む種が入り込んでいる場合です。そしてその種を持たない人は、ほどんどいないでしょう。


どう抜け出すか。

2つの軸両輪が必要でしょう。


一つは、今焦点を当てているように、「信仰」に向き合うことでしょう。「信仰」内容というよりも、それを持つ心の強さを知ることだと言えるでしょう。

なぜなら、こうした心の罠にはまる人というのは、まず例外なく、「信仰」に向けるよう脳に用意された心の領域さえも、「他人」「人の目」「人の気持ち」に置いてしまっている傾向が強いからです。

人との関係に重きを置きすぎ、それが人との関係を脆く、虚弱なものにしているのです。


もう一つは、「怒り」を、そして「人として」といった観念を、一切使わない行動法を知ることです。
それが「原理原則立脚型行動法」です。
これも早いうち説明に入りたいところです^^;


あまりに沢山出てくると感じると思いますが、全てつながっています。

私たちの内面感情において、「人の気持ちの空想」こそが、鵜呑みにしないのが望ましいものです。
「信仰」は、「人の気持ち」を超えた支えを、私たちの「感情」において与えるものです。
行動法も、「人の気持ちの空想」一切揺らぎないものを、学ぶのです。

まああまり先を急がずに、じっくり説明していきたいと思いますので^^。


ここでは、「人としてこうできねば」という考え方こそが、人としての最低のことさえできなくする心の罠なのだということを、まずはしっかりと憶えておいて頂ければ^^。

そして、自分の行動の原動力を、「人としてこうできねば」という観念とは全く別のもののものに変える。

それは何なのか。
この関心を、まずは自分の心呼び起こすことから、始めて頂ければ^^。

今日の格言^^; |   コメント(0)
「現実を超えた世界への情緒」の重要さ
「現実を超えた世界」への情緒

ハイブリッド心理学は、「現実を超えた世界」への情緒というものを、極めて重視しています。


2つのものがあります。

説明している「信仰」

そして言葉をすでに時おり出している、「魂の感情」です。


「信仰」は、特に「怖れの克服」強く関係します。

「魂の感情」は、特に「望みの豊かさ」強く関係します。

この2つは、ハイブリッド心理学が考える「心が良くなる流れ」つまり「怖れの克服」「選択の思考」「望みに向かう」というの、まさに始発駅終着駅にあたります。


「信仰」「魂の感情」も、「現実世界」を越えて、私たちの心を導き、心を満たすものを、思い浮かべ、感じ取るものです。


「現実を越えた依存」^^;

こうした「現実を超えた世界への情緒」を、何か特別なもののように感じる方も、おられるかも知れません。


それは「信仰心」と呼ばれ、宗教真摯に学ぼうとしている人や、哲学的思索極め一部の人たちだけが持つものではないのかしら・・と。

「信仰の情緒」「魂の感情」あまり感じ取らないまま生きている、今の世の大部分の人、そして悩み空しさからいつまでも抜け出せない方には、そこに自分の心の問題の出口があるだなんて、ちょっと考えつかない、と感じるかも知れません。


何のことはありません。それは現実を越えた「人の目」「人の気持ち」の空想の中で生きているということです。
それに惑い、怒り、怖れながらです。


「信仰」のための心のエネルギーが、「依存」流れ込んでいるだけです^^;


としては、同じような機能の仕方で、「答えの出せない問題」を、ひたすら「人の目」「人の気持ち」にかける姿勢の中で、生きています。
あるいは、ひたすら「お金」にかける姿勢の中でです。

そのように目に見えるように感じるものへの、「現実を越えた依存」の中でです。


そこで起きることとは、「怖れの強調」であり、「望まずに生きる」という人生の姿です。ハイブリッド心理学が目指すものと、まるっきりですね。

しかも、そこで「怖れの強調」最大の対象となる「人の目」「人の気持ち」は、心理学からは自分自身の内面を映したものであり、最も鵜呑みにしないのが望ましいものなのにと来た日には、もう一体どうなっているのやらの世界です^^;


「受け身の価値観」という源泉

こうした「現実を越えた依存」を生み出すのが、何と言っても「受け身の価値観」です。


先日の『全ての根底は「命」と「信仰」-6』メール相談女性述懐として取り上げましたが、嫁入り道具着物に、良い家庭の中でいかに愛されたかが示されるといった世界。

これは女性家に閉じ込めれた過去の時代にだけ意味があったものです。これからはもうそんな時代ではありません。


「自分が今までいかに大切に扱われたか」に、プライドを置く心理。もちろんこれは女性だけの問題ではありません。

逆に、それが得られなかったことに、生涯ぬぐうことのできないコンプレックスを抱える心理というものが、同じ源泉から生まれることになるのでしょう。


「受け身の価値観」の闇

「受け身の価値観」が、さらに何をもたらすのか、知っておくと良いでしょう。
大きく2つあります。


まず「嫉妬」と「競争心」です。

は時おり書くのですが、「嫉妬」人生で体験した、最も嫌な感情でした。他のいかなる苦しみよりも。

自分から何かを生み出していくのではなく、受け身に与えられ愛されることにプライドを置くと、嫉妬競争心は、浄化されることがなく、ひたすら破壊的ですさんだものにならざるを得ません。

「自己能動の価値観」の中で生きた時、嫉妬競争心は、全ての人の成長への共感によって、やがて根底から消えていきます。


さらに、そうして受け身に与えられ愛されるための「条件」として、 一体どうすればそうなれるのかという「一歩一歩の向上の過程」への思考を欠いた、全くの絵に描いた餅として、「なれるべき自分の姿」が抱かれるようになるのが、「受け身の価値観」です。

どうやってそうなれるのか。あるのはただ「心の力み」です。その「なれるべき自分の姿」をどう「演じる」ことができるかという、薄氷のストレスです。


その結末が、先の『「人としてこうできねば」によってそうできなくなる』の通りです。

この心の底には、「信仰」についてあまり考えないまま、自分が人の善悪と優劣絶対的な基準を知る、神の座にあるという無意識の感覚が横たわっています。


「ソーニャ」の「強さ」とは・・

このように、「受け身の価値観」が、人生を見失わせる歯車の、いわば主柱となる背骨です。
そこから「自己能動の価値観」への抜け出しが、人生を取り戻す出口になります。
(参照:3/26『神になるのをやめる-5・価値観』

ただしそう言われて「自己能動の価値観でないと駄目なのか・・」と再び受け身思考で考えるという繰り返しに、なりがちです。

「心の自立」「意志」が、その本当の選択への支えになるのですが、「心の自立」「意志」は、根本的に不完全であるのが人間です。


何から始めるのがいいか。

まずはぜひ、マンガ本などで『罪と罰』を読み、「ソーニャ」の「強さ」とは一体何なのか、という問いを持つことなどから始めて頂くのが良いかと思います。


そうして、人間本当の強さ弱さに触れ、強くなりたいと感じるのであれば、その先に検討できるさまざまな「選択」を、引き続きじっくり説明していきますので^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
「正しい信仰」と「誤った信仰」(前)
「信仰」の位置づけサマリー

ハイブリッド心理学が考える心の成長と治癒には、3つ支えがあるという話になります。
どのように具体的な話についての支えかとしてです。


「思考法行動法」という、具体的なことがらへの、最も具体的知恵ノウハウ

「価値観」という、何を大切と考えるかの方向づけ。
受け身に守られ愛されることを重視するか、それとも自分から望み前に進むことを重視するか。

そして「意志」と「信仰」です。
「意志」人間において不完全なものであり、「信仰」がそれを補うものという位置づけになるでしょう。
そして「信仰」は、具体的な形で見ることのできない、「現実を越えたもの」への心の方向づけだと言えます。


「信仰」の役割

「信仰」役割として「正しい」のは、大きく2つです。


一つは「怖れの克服」です。「現実的な怖れ」ではなく、「現実的を越えた怖れ」克服であるのが、「信仰」の「正しい」形と言えるでしょう。
「現実的な怖れ」を「信仰」で克服しようとすると、ちょっと方向違いになってしまうと思います。

もう一つが、「成長の導き」になるでしょう。
これも、具体的な形で見ることのできるものごとについての対処力の向上ではなく、見ることのできない成長の道すじに向かう「意志」を私たちのに与えるものである時、その「見ることのできない成長」を信じる気持ちは、「信仰」と呼べるものになるような気がします。

もちろん、ハイブリッド心理学の道を歩む先に、「成長」を知った時、その方向性への気持ちは、「確信」を加えたものに変わるでしょう。


ハイブリッド心理学の「未知への信仰」

そんな位置づけにおいて、ハイブリッド心理学が向かう心の成長と治癒への道のりは、「未知への信仰」が支えるものになる、と言えそうです。


これは今までの原稿では、主に「性善の人間観」に対応するものです。『入門編』でも、上下巻ともそれに触れています。

人間の本性は「攻撃性」ではなく「愛」だという考えです。

「攻撃性」「幸福」が妨げられると起きる。そして「幸福」を妨げる最大のものは、他人や社会への誤ったイメージと、生きるための思考法の間違いなのだ、と。

だから、そうした内面の誤り解きほぐし捨てて行く先に、「愛」開放される。それに賭けるのだと。


そこで私はしばしば、それはもうその考え正しいか間違いかの問題ではなく、「選択」なのだと言っています。
それは私にとって、ごく科学的、生物学的な考えでもあります。しかしもし地球環境が悪化して根本的に食料が足りなくなった時、食料をめぐって殺し合いが起きるであろうとも考えます。とにかく今はそのような時ではない。

結局、何をもって「本性」と言うのかでも、話は変わるのです。
あとはもう、何を「本性」と感じていたいか、「選択」でしかない。それを選択し、信じようとする気持ちは、もう「信仰」の領域になってくるのかも知れない。

まずはそう言えると思います。


こんな話が、まずは「正しい信仰」について言えます。

それを念頭に、 「信仰の誤った形」もはっきりしてくるかと^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
「正しい信仰」と「誤った信仰」(後)
「誤った信仰」

「信仰の正しい形」とは、この2つになるものです。
「現実を越えた怖れの克服」
そして、「見えない成長への導き」


これを念頭に、「信仰の誤った形」を言えると思います。

3つが言えるかと。


現実問題に持ち込む誤り

1つ目は、具体的な現実のものごとへの対処に、「信仰」を持ち出そうとするものです。

現実上のものごと、たとえば受験合格祈願結婚祈願などの時だけ神社にお参りし、賽銭箱1万円を入れ、これで駄目なら「金返せ!」と(アハハ^^;)神に怒ってやる、というのは、もう「信仰」とはぜんぜん違うものです^^;


「信仰心が理解できない」原因・・

「信仰心を理解できない」人はしばしば、「信仰」「現実的利益」から思考しようとします。
神に祈れば、神が何をしてくれると言うのだ?と。

『罪と罰』ラスコーリニコフも、最初にソーニャに会った時、ソーニャあまりにも純朴に厚い信仰心を、内心で軽蔑しました。
バカな女だ、と。祈ったところで神が何をしてくれるわけでもないのが分からないのか、と。


こうして「信仰心が理解できない」というのは、実は信仰がないのではなく、信仰に用意された脳の機能別のものに向けている場合と言えるように感じます。
「他人」「お金」などにです。


ラスコーリニコフは、天才」信仰していました。そして魂を悪魔に売ったのです。人間のリーダーとなるべき天才は、自身を生かすために人を殺すことが許されるのだ、と。

そうしてその「高貴なる思想」の「実行」として行なったのは、僅かな金を目当ての殺人でした。それはその高潔なる信念とはあまりに対比的な、人間としても最も矮小で醜い行動の形に、現実の中ではなったわけです。
そしてこのギャップが、ラスコーリニコフの精神のバランスを崩し始めることになります。

やがてソーニャの信仰心が、ラスコーリニコフのをやがて根本から揺るがし始めます。


そうした流れを浮かべて、ふと、私たちが人生で犯す過ちとは、みんな同じ形なのだ・・という思いが湧きました。殺人とまではいかなくても・・と。
そして目頭が熱くなる感が湧きました・・。


「人の目」のための信仰

「信仰の誤った形」2つ目は、人に見せびらかすための「信仰」です。

この延長で、権威お金に絡むものも、「信仰心」とはもう別ものですね。
その意味で、「宗教」概して、正しい信仰とは逆の方向に向かうものように私は感じています。


他人への競争心からの信仰信仰による精神的な高貴さで、他人を見返してやる・・。
これはもうぜんぜん信仰心じゃないですね^^;

また、気持ちは分かるのですが誤りとなるのは、人間関係などでの悩み苦しみからの救いを、信仰に求めるものです。
現実的な対人行動法学ばないままでは、信仰に救いを求めても解決せず、「やはり信仰なんて」とまた背を向ける。そしてまた人間関係で惑い続ける、といった姿になりがちです。


こうした、他人への見返し穴埋め優越のためのような「信仰」の姿勢にあるのは、「他人信仰」かも知れません。まずこれをはっきりさせ向き合うのが良いアプローチになります。
これは次の記事で、メール相談から具体的な例など紹介しましょう^^。


「正しい信仰」は、いっさいの人との関係とは別の、自分自身の内面における、自分自身との関係において、問うものです。

それは『入門編下巻』最後の方で示したように、「魂」「神」との関係において求めるものなのです。


「現実世界の知識」と食い違う「信仰」は真の力を持ち得ない

3つ目に、1つ目「現実問題に持ち込む誤り」関係しますが、「信仰」の中にある話と、「現実への対処」のための知識が食い違ったところに、「正しい信仰」というのは無理なのだ、と言えます。

ここで、今日において「科学と信仰」というテーマが、重要なテーマになってくるわけです。


ソーニャの強さに憧れて、自分も神を信じようと考えたところで、恐らくそれは無理なのです。

ソーニヤの強さに憧れた瞬間とは全く別の場面で、そして日常のものごとに対処する思考の中で、「神」をどう考えるか。
そして、ハイブリッド心理学では現実問題への対処に、科学的思考を極めて重視します。


それらと、食い違いのない「神」についての考えをもてない限り、私たちは「現実を越えた怖れの克服」「見えない成長への導き」という、心への賜物となる「信仰」持つことはできないのだ、という話になるのかも知れません。


「神への未知の思想」という磐石 (*)
(「ばんじゃく」。堅固でしっかりしていてびくともしないこと)


事実、がそうでした。

小さい子供の頃から、「信仰の情緒」私の中には流れ続けていたと感じます。
しかしもの心つき、自意識が高まり、心が不安定になる思春期の中で、私は明らかに無神論へと向かっていました。同時に、心を病んでいったのです。

そして、無神論自己否定感情という、一見してつながりのない心の淀みから、「これは自分が神になろうとすることなのだ!」という「ひらめき」によって、心の大きな蓋を開けたのが、37才を前にした頃だった次第です。


この「ひらめき」への、4つの準備があったことをすでに説明しています。この4つです。
(参照:4/6『島野が神になるのをやめた時-3・実践への整理』
「完璧は存在しない」
「社会を生きる自信」
「怖れの克服」
「神への未知の思考」

この最後「神への未知の思考」は、4/13『島野が神になるのをやめた時-9・神への未知の思想』で説明し始めています。

要は、「神の存在」をむしろ肯定するような思考に、私は30才後半頃、改めてこの辺の領域を読んで、至ったのです。

もちろんそれは科学からの話です。その内容はもう心理学とは全く遠いものになりますので、私自身が詳しく書く機会はありませんが、私の中ではもう沢山の話において、「神を否定しない科学思考」成立しています。
それが成立したのが、30代後半でした。


話が長くなりましたので、「神を否定しない科学思考」については別の記事に譲りましょう。

「ではこの話はどう考えているの?」質問頂ければ、何でもお答えできると思いますので^^。


まとまめしょう。

「信仰の情緒」を、ぜひ大切に守ることです。
一方で、「現実の問題」に対しては、ごく現実的で科学的な対処を、徹底することです。

この2つが食い違いなくつながった時、心の大きな蓋が開くのです。



つながるまで、まだもう少し、一つ一つのテーマについてじっくり説明していきましょう^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
「思考法だけで成長した人間になることはできない」
さて次の記事どのように書こうかな~と頭をめぐらせていて、いいフレーズが浮んだので『今日の格言』で^^。


「思考法だけで成長した人間になることはできない」。


どう考えればいいのだろう。そう感じながらハイブリッド心理学を学ばれる方も多いと思います。
自分について。他人について。
自信について。について。について。
人生について。社会について。


そこで、「成長」は考えたところで得られるものではないことを、忘れがちです。

実際成長の時間と場面の体験どう持つかについて考えることなく、どう考えればいいかを考えがちです。


考え方で成長することはなく、その中で成長するような時間と場面に向かうことができるような、思考をできるようになることが、大切です。


「成長」への2相

ここで、実際成長どんな時間と場面体験を通して起きるのか、最も大きく見たものを説明しておきましょう。

成長起きる姿には、2つの様相があります。
「正の相の成長」負の相の成長」と呼んでおきましょう。順調にプラスの形で起きる成長と、一見してマイナスの形で起きる成長です。


正の相の成長

「正の相の成長」は、前進感のある成長の時間と場面です。

思考法行動法実践
価値観向き合う時間。「信仰」について考える時間もこれです。

そこで新しい実践積み重ねや、内面の姿勢の方向転換向き合う時間の中で、「成長」順調に進むものです。


負の相の成長

負の相の成長」は、前進感とは、つまり自分が駄目になってしまったような気分になる形の、成長の時間と場面です。

これは2種類があります。

1.
「失敗から学ぶ」こと。

実際、新しいものごとを試していつも大抵成功するなんていうのはちょっと人間離れした化け物(^^;)です。新しいものごとを試した場合は失敗の方が多いことになります。
失敗から学び次の同じ場面では成功する。これができると、常に階段を一歩一歩のぼっていくような成長になります。
失敗を恐れると、あまり上にのぼるという話はありませんね。


2.
今まで蓋をして目を背けていた「心の膿」がむきだしになって流れる時間と場面

「心の膿」とは、自分が誰からも嫌悪と軽蔑と怒りで見捨てられるべき人間だと感じるような、重く苦しい感情が、心の底見えないままになっているようなものです。
こんなものがあるから、「心の障害」が起きるわけです。一方これは現代人には程度の差こそあれ誰もが抱えるものであり、ストレス社会と言われるわけです。

心の障害治癒は、この「心の膿」一度むきだしになって流れて消えるという形になるものが、根本的な治癒であることを、ハイブリッド心理学では見出しています。


ハイブリッド心理学が何よりも目指しているのが、この「心の膿」解消克服です。

それは、思考法や価値観の転換を通して、「自分が誰からも嫌悪と軽蔑と怒りで見捨てられるべき人間」というその感情の、「べき」取り去ることです。自分は見捨てられる「べき」人間などではない、と。
この決定的な転換が、「神になるのをやめるひらめき」です。

そうして、あとは「心の膿」ただ流す。これは失敗場面のような形で起きることになるでしょう。それを「失敗から学ぶ姿勢」の中で何とかやりすごした時、「心の膿」流れた分が心の底から消えていくのです。

これによって、まるで最新の医療技術洗浄したかのような、軽快ですがしがしい状態に向かう変化が起きます。


難しい話でしょうが、まあこんなことがあってこそ、異次元の未知へと治癒成長していくわけです。

これは『取り組み実践の全体』の図では、「5.心の膿を流すカタルシス」の部分です。いずれこの説明も始めましょう。


「正の相の成長」形になるにせよ、負の相の成長」の形になるにせよ、はそうした実際の人生の時間の中で、より安定し豊かなものへと、治癒そして成長していきます。

決して、思考法によって直接心を良くしようとする姿勢で考えないよう、気をつけましょう。それはただ「心の力み」を繰り返すだけになります。


そうした「成長の時間と場面」に向かうことができるようになるためには、何をどう考えるか、と考えるのが良いことです。

そんなものとして、「価値観」さらに「信仰」について、具体的に検討を進めている例などを、紹介していきましょう。

今日の格言^^; |   コメント(0)
「神は自らを助くる者を助ける」
もう一つ『今日の格言』で、有名な言葉を出しておきましょう。


「神は自らを助くる者を助ける」。


聖書の言葉らしいですが、結局、これが信仰の正しい姿勢を言ったものではないかと。

似た格言に、「人事を尽くして天命を待つ」というのがあります。
自分でできることを尽くし、あとは委ねる


自己能動の姿勢であり、その先に、「委ね」によって、結果がどうこうへの惑い怖れ捨てる

実に良い方向性に向いたものと感じます。


その先に、自分の力を超えたものが時に実現される。そのプラスアルファの部分が、神のなせるワザだということなる。


いいと思いますネ^^。私自身、そんな感覚で生きていますし、自分のことであれ、の話であれ、努力の先に訪れたプラスアルファは、もはや自分なり努力の範囲を越えた何かが起きたということだと感じ、感動を感じます。

他ならぬ『悲しみの彼方への旅』でも、私は自分の心の闇を抜け出した道のりが、何か神の手が働いたもののように感じたという言葉を書きました。(P.311)


まず自助努力があり、その先に神に委ねる。
もともと、これが本来の正しい信仰として人類の歴史で出現したのではないか、と推測します。
違う話の部分は、宗教が伝えられる中で、伝言ゲームのように(アハハ^^;)歪まされたものではないかと。


次の記事で、違う「信仰」の方に視点を移しましょう。

ザ・ベストアンサー^^; |   コメント(0)
<前のページ  次のページ>
最新記事
全ての記事一覧
新着順です^^。件数上限がある模様

全ての記事一覧を表示

記事の検索
検索ヒットした記事を新着順で表示します^^
最新コメント
カテゴリー別
初めての方はまず==おおよその話==
を一通り読んで頂ければ^^
 *記事は掲載順です^^
☆記事一覧-話の流れ順 (7)
☆記事一覧-カテゴリ順 (0)
==== おおよその話(^^)/ ==== (0)
このブログについて (1)
島野隆のプロフィール (2)
ハイブリッド人生心理学とは (13)
(1)プラス思考 (3)
(2)癒し (2)
(10)心の成長と治癒過程の理解 (6)
==== 細かい話^^ ========== (0)
(4)内面感情の開放 (9)
(3)人生を豊かにする思考法行動法と価値観 (5)
(11)心の闇との決別 (15)
神になるのをやめる (11)
(7)心の再生 (2)
(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 (17)
島野が神になるのをやめた時 (12)
(6)「自己分析」虎の巻 (2)
(8)魂の世界 (33)
「魂」による「心」の浄化 (5)
「魂の成長」への道 (12)
島野が至った「命の無の世界」 (6)
==== 特定テーマ^^ ======== (0)
愛について (2)
自信について (1)
「愛」と「能力」の成長課題 (10)
対人行動と対人感情 (12)
社会を生きるスキル (2)
実践の進め方と進み方 (23)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考 (33)
真の答えに向うための論理的思考 (7)
「開放力」としての「思考力」 (7)
心の変化の核心と論理的思考 (9)
「感情と行動の分離」の心の足場 (5)
「心と魂と命」の要の「本心」 (7)
「ハイブリッドの道」の歩み方 (20)
歩み方ガイドへの黙示書 (8)
「悟り」と「未知」 (6)
成長の道標への歩み方 (15)
詳説・実践のポイント (11)
特説・「心が良くなる」とは (23)
詳説・心の治癒成長メカニズム (11)
====つれづれ話\(^^)/ === (0)
写真と言葉 (201)
今日の格言^^; (24)
ザ・ベストアンサー^^; (18)
よもやま話 (16)
お知らせ一般 (418)
ブログのメンテその他 (4)
未分類 (0)
月別全記事
まずは記事掲載順に読んで頂いてもグーです^^。
(成長への主な道順で書いてます)
*各月ごとに頭からの掲載順です^^
QRコード
QRコード
管理者用