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島野隆のブログへようこそ!

このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
本当の心の治癒と成長に向かって!
 
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島野自身の治癒過程を振り返って-8・復帰のポイント(後)
「今の全てで良い」

「人生さま変わり」3つ目のポイントに対応する「復帰」のポイントは、もう「愛への望み」には直接関係ない、「生きる」ことの全般にかかわるものと言えます。

「こうできればいいとすぐ分かってそうできない自分」叩くというものから、「今の全てで良い」というものへ。

自分が神になるのをやめることにおいてです。


この「今の全てで良い」という心の未知の境地への到達は、あくまで、今何かの「現実的な危害」が自分に加えられようとしていることが現在進行形ではない場面において、問う意味があるものです。

今何かの「現実的な危害」が自分に加えられようとしているなら、まずそれに対処できないとどーしようもない。
それがもうないことを心が感じ取っている場面において、それでも何か、自分を叩こうとする衝動が自分の中に現れた時、これを問うことが意味を持ってくるかも知れません。

人生を根本的に変える、大きな扉を開ける意味をです。


「現実的な危害」が自分に向かってきているのではなく、「空想」の中で、自分が自分を叩いているのです。

それは、自分が神になろうとしているからかも知れません。


ありのままの人間としての成長へ

自分が神になるのをやめることにおいて、今の全てでいい

この心の未知の境地の扉を開けたことが、人生の全てを変える歩みへの、綱を切ったように感じます。
硬い氷の中に閉ざされていた心が、流動する水となり、さらに気体として大空に解き放たれるように。

重く沈んだ感情が普段の気分であったものが、軽く軽快な気分が基調になるものへ。

すべての「望み」が、もう「望めない望み」では、なくなったのです。
何でも望むことができます。問題現実のハードルの高さです。それに向かって頑張ることができます。ちょっと無理だと思ったら、後悔もなく諦められます。できることを試みた分の、満足感と共に。
そしてその後、成長している自分を感じます。


神になるのをやめた時、ありのままの人間としての成長が、見えてきたのです。


「愛への望み」はどう変化するのか。

それはやはり「望めない望み」であることをやめます。
しかし、そこに現れる「自分の嘘」への嫌悪は、変わりません。

そこにまた苦しみと、「意識の崩壊」の谷間が訪れるのですが、今度は、それを超える導きが、現れるのです。
それが「魂の感情」です。


「愛への望み」「怖れの克服」「人間の善悪と価値の選り分け」・・

ハイブリッド心理学では、こうした心の転換の流れを踏まえて、「愛」「能力」という人生課題への望ましい姿勢の結論を言うことができます。

それは改めて『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』カテゴリーで、その結論部分だけを平易な表現で書いていこうと思います。
今書いているような、復帰への転換の話は、望ましい姿勢がとれない場合の、根源を深堀りするための話です。


望ましい姿勢結論にせよ、根源を深堀りした時の流れにせよ、それはおおよそ、「愛」についての話と、愛には限定されない人生問題一般の話と、2つの流れの形になります。

人生問題一般については、「怖れの克服」が、心の成長変化の全体を支える重要なものとして、スポットライトが当たるものになります。

「愛への望み」の問題がどのような形で人生問題になるのかは、、人によってもう一般論のないバラエティが出てきます。


それでも、根底ではやはり大きなものとして、「愛への望み」の問題に向き合うことが必要になるのではないかと。
神になるのをやめ、ありのままの人間としての成長に復帰するという、このハイブリッド心理学の目指すもののためにはです。

なぜなら、神になるのをやめるのを問うのは、「人間の善悪と価値の選り分け」を自分がやめることを問うことだからです。
そして「人間の善悪と価値の選り分け」の根底には、「愛への望み」があります。


この辺の大きなテーマ絡み合い方は、一度たどり始めるとキリがないですが、詳しくは『理論編』などに譲りましょう。

ここでは、実際のところ私の体験においては、どんな流れでこの人生の大きな扉を開けたのかの状況を書いていきましょう。

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(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野が神になるのをやめた時-1
引き続き『島野自身の治癒過程を振り返って』シリーズですが、サブタイトルにすると長ったらしくなるのでタイトルを改めこれで。


島野が神になるのをやめた時

自分が神になろうとするのをやめ、ありのままの人間としての成長へと復帰する。

ハイブリッド心理学目標とする、この人生の大きな扉を開けるのは、もちろん頭の表面でそう考えてみるという話などでは全くなく、私たちの心の深い底で私たちの人生を支配している、「人生を見失う道」を生み出す正体となる見えない歯車を、捨て去ることです。

つまりこれは、心の深層への取り組みです。

自分の深層心理無意識の世界への問いかけが必要です。


ですからまず、自分の無意識領域に目を向ける姿勢が、最初の準備として必要になるかも知れません。これは「価値観」への取り組みを通して、自然に身についてきますのでご心配なく^^。

ただそれなりの積み重ねの時間は必要になりますので、このあとさらにまとめる『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』を、一つ一つじっくり検討していく実践を進めて頂ければ。


難しそう・・と感じる方もおおいかと思いますが、難しさの問題よりも、そこにある重大な人生のテーマを、まず感じ取って頂ければと思います。


人間の善悪と価値の選り分け・「選民思想」

その重大な人生のテーマとは、人間が人間の善悪と価値を振るいにかける、という思想行為です。

お前はいていい人、お前はいてはいけない人。
つまりお前は存在が許される人、お前は存在が許されない人。


これが人間の歴史の中で、国家による大勢の人々の虐殺として行なわれたことがあるのが、人類の歴史です。
中でももっとも大きな罪がなされたものの一つとして、ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、皆さんもご存知だと思います。

こうした、人間を選り分けようとする姿勢は、「選民思想」などと呼ばれます。


「人生を見失う道」の中で、理想に満たない自分や他人を叩くのは、これが心の内部で行なわれるものなのです。

自分他人への怒りを感じた時、それはナチスがユダヤ人を断じたのと同じことを、しているのです。
そう考えて、その怒りを捨てることは・・・まあできないかも知れませんね^^; ちょっと理屈が飛躍し過ぎていると。


私の場合も、そう考えてこの人生の大きな扉を開けたのでは、ありません。

つながりのない、幾つかの準備が成された後に、大きなひらめきのように、「怒り」の大元にある見えない大きな何か消えたのです。
これは自分が神になろうとしていることなのだ!という自覚とともに。


当時の日記から^^;

私がその大きな扉を開けたのは、何となくいつの間にか(^^;)という話ではなく、何年何月何日何時何分に、どこで何を考えていて、という境目がはっきりしている、明瞭な出来事でした。

それは私がもうすぐ37歳になる、1997年の12月16日に起きたことでした。さすがに何時何分という記録までは残していませんが、何時何分何秒にと言えるほどピカッと、そのひらめきが私の心を一変させてしまったのです。


それが起きた前後の日記を、ちょっと自分で読み返しても極端な心の世界が印象的に表現されており面白いので、ご紹介しましょう。

当時私はかなり仕事に精が乗っており、心理学としての整理など関心なかったので、自分の心の表面に起きた変化だけをごく手短に書いています。
「これは自分が神になろうとしていることなのだ!」という中途思考内容は省いてです。後にハイブリッド心理学を整理し始めてから、どうやらこの時だったと探した次第です。

浮かれて軽薄な思考が現れるほど、私の気分は軽くなってしまったのです^^; ま俗人の島野ということで。えへ^^ゞ


このあまりにも印象が違う2つの心の世界分けたものが何だったのか、ここに至る時の「幾つかの準備」から考えてみたいと思います。

1997.12.15 (月)
 “人間を見る目ではなく、モノを見る目で僕を見る”回りの人々のイメージ。
 自分が役立たずの異物だと見放されていく。


1997.12.17 (水)
 きのう結局行きついたのは、“何の役にも立たない厄介者”という怒りを向けられる自己イメージだった。

 だが、きのう仕事をしているうちに、“何も役に立たないことなんかない。何でも少しは役に立つものだ”という気持ちが湧いてきた。
 それから僕の気持ちは一転して軽くなった。人に接することへの嫌悪感が消え去った。今まで人に接することは、即自分への嫌悪を意味していたようなものだから、自分への嫌悪が消えたことで、人に接することへの嫌悪感が消えたのも自然に思えた。
 そして気の軽さは、“もしもっと若い時にこうだったら、女の子誰とでも・・それが悔しい”という考えや、嶺村さん
(*)にまた会う考えなど、少し躁的な気分を生み出していたのが、きのうの一日だった。
(*)『悲しみの彼方への旅』登場の初恋女性です^^。

「何でも望める」気分に切り替わってしまったわけですね。現実に叶うかどうかは、全く別問題です^^;

島野が神になるのをやめた時 |   コメント(0)
島野が神になるのをやめた時-2
まず、日記には書いていなかった、その時の私の思考を説明しましょう。


「存在価値のある人」と「存在価値のない人」

つまり、私にはその時、「存在価値のある人」と「存在価値のない人」、という感覚があったのです。

そうした感覚がある方は多いと思います。というか、その視線を向け合うものとして人間関係仕事場面を捉えた時、私たちはストレス動揺にさらされ、関係が悪化してしまいます。
そのになるもの、と言える感覚です。

人がそのように分けられるという感覚そのものについては、その頃の私疑うことをしないまま・・にです。

私の場合それは、人とどう明るく親しくできるか、そのための内面の覇気のエネルギーの多さ少なさのようなものを、「存在価値のある人とない人」の区分け基準にするような感覚がです。


その目が、自分に向き続けていたわけです。自分自身からの、その目が。

人生を通してです。
それは今から思い返しても、まるで
生まれたこと自体が犯罪であるかのような身かどうかという、裁判を待っているような心の世界だったと感じます。


「自己嫌悪感情」のメカニズム

一方で私は、カレン・ホーナイの精神分析にそった自己分析を当時また熱心に再開していました。まあ自分の感情の底で自分が抱いている価値観や姿勢を吟味して検討していくようなことです。


そこで私にはその頃、カレン・ホーナイ「自己嫌悪感情」が起きるメカニズムについて言っていた結論に、焦点を感じていました。

カレン・ホーナイはこんな文章で言っています。
自己嫌悪とその破壊的な威力を概観してきたが、そこに大きな悲劇があることに注目せざるを得ない。それは恐らく人間の心にとって最大の悲劇だろう。
人間は無限と絶対を手に入れたいと思いながら、同時に自分を破壊し始めるのだ。栄光を与えることを約束する悪魔と契約を結ぶ時、人は地獄に、己自身の内部にある地獄に、落ちねばならない。」
(誠心書房『神経症と人間の成長』 P.196)


つまりカレン・ホーナイは、自己嫌悪感情とは、完璧で絶対になることを求めることから生まれる、と言っているわけです。

私にはその時まで、それがいまいち納得できませんでした。
自分は別に完璧になろうなんて思っていないし、全能万能の無限の力を欲しいなどとも思っていない、と。

実際その3か月ほど前だったか、カレン・ホーナイのその文章について考えてみたことが、日記には書かれていました。しかしその時は心に何も起きませんでした。

それから3か月後のその時は、事態が変わったわけです。


神になるのをやめる

私はその時、改めて、また自分の中にごうごうと流れる自己嫌悪感情について、自分が無限と絶対を求めているからなのかどうか、自分の心にさぐりを入れたのです。

自分は別に神のような無限と絶対など求めているわけではない。自分は不完全な人間の一人なのだ。
それでも、「望ましくない程度」ある一定を超えた人間は「存在価値がない者」「存在を許されない者」として、怒り処罰に値するのは自然な話ではないのか。

そう考えたわけです。
しかし思考がさらに進みました。ではその「一定の境い目」は、誰がどうやって決めるのか?人間が不完全であれば、「存在価値がない人間」の境目人間が決めようとしても、それは「正しい正確さ」のものではなく、不完全で不正確なものだという話になる。
でも自分は、その「望ましくない程度」の中にある、絶対的な線を考えたのだ・・。


そこでピカッとひらめきが走ったわけです。これは自分が神になるということなのだ!僕は間違っている!と。

私の心の中で、「望ましくない程度」の中に引かれた、一本の「絶対的な線」が、消えていきました。

すると、消えた線を越えて色が広がるように、「全ての人」が「存在価値がある人間」へと塗り変わっていたのです。


私は、「生まれたこと自体が犯罪であるかの裁判」の部屋から、ひろびろとした外の世界に、出たのです。

そして振り返って見たら、そんな裁判の部屋など、そこには存在しなかったのです。



こうして私は、ありのままの人間としての成長の世界へと、復帰しました。

私の心に何が起きたのかは、とても難しい話のように感じます。それを説明できるよう心理学を整理するのに、2002年人生の転機が訪れ心理学の整理を再開してから、こうして8年間もかけているわけです^^;


この頃の私に進んでいた「幾つかの準備」を考えると、どうやらこんなことらしい、という人間の心の真実のメカニズムが、見えてきそうです。

島野が神になるのをやめた時 |   コメント(0)
  
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