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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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神になるのをやめる-9・成長への復帰
さて、ここから『本格的な歩み』後半説明として、より実践面焦点をあてた説明を始めたいと思います。


まあ前半説明心の歯車説明が中心だった感じで、ちょっとじれったい感じだったかもですが^^;
まあそれはまず心の罠を理解しておく、という話になるでしょう。これから進む人生の道あちこち待ちかまえているです。

それについていちおうあらかじめ理解しておき、そこにはまって落ちないような心の備えをした上で、いざ人生の道へとレッツラゴーという話になります^^。
まあ多少ははまってしまって、そこから抜け出るためにもがく過程こそが、心の成長になるんですけどね。


成長への復帰

ハイブリッド心理学は、そのために、何から始めようとするのか。

自分が神になろうとするのを、やめることです。
そこから、全てが始まります。

なぜなら人は、自分が神になろうとすることで、ありのままの人間としての成長を、見失うからです。

もちろんそこで人は、自分が神になろうとする思考などしていないと、考えます。
しかしそれは私たちの頭の中での思考などよりも、体で思考しているかのような、深い感覚なのです。それははるか遠い、幼少期に抱いた、「何でもできる魔法の力があれば・・」という空想の中で、私たちの体の奥深くに染み込み、私たちの日々の気分と感情を、支配しているものになっているのです。

「こうすればいいとすぐ分かって、その通りにできない自分は駄目だ」という気分と感情底流になるものへと。


2つの病巣の歯車

「人生を見失う道」歯車を、心の歯車4つ魂の信仰の歯車2つ、つごう6つ説明しました。

その中に結局、私たちの心の病巣とも言えるものが、2つあることになります。

その2つ以外の歯車は、私たちの心の病を生み出す歯車ではなく、実は私たちの心の成長を生み出す歯車なのです。私たちはそれと共に歩んで、いいのです。
もちろん、心の病巣の2つの歯車へとつなげることを、やめたならばです。


心の4つの歯車とは、以下です。
未熟な望み。
自己の理想像。
受け身の価値観。
怒り処罰。


魂の2つの歯車とは、以下です。「信仰」という言葉は使わないで行けるかも知れませんね^^。検討します)

自分を愛さないものへの憎しみ。
これは心を病むことが事実何らかの不遇に始まっていることに対応します。ただし、程度の差こそれあれ、全ての人間が免れ得ないものとしてです。
世界に十分に愛されて生まれるべきであったはずの自分が、そうではなかった・・、と。
そして「憎しみ」が生まれたのです。自分を愛さない他人と、自分を良くしてくれない世界と、そして自分を良くできない自分自身へ向けられるものとしてです。
私たちの心の奥深くに流れている、魂の感情としてです。

自分が神になる思考。
先の3/29『神になるのをやめる-8・最後の2つの歯車』では「神への信仰」という言葉を使いましたが、「神への思考」に改めましょう。
これはかなり、私たちの意識的な思考であるからです。心の底の感情というよりも。意識的な思考で、検討できるものです。


この6つの歯車の中で、心の病巣となる2つの歯車とは、「怒り処罰」と、「自分が神になる思考」2つです。
前者は心の歯車、つまり日常の具体的なものごとへの思考と感情における歯車として。
後者は魂の歯車、つまり具体的に捉えられないものごとへの思考と感情における歯車として、


この2つの病巣の歯車がつながり、いわば合わせ歯車となり、そこに残りの歯車のエネルギーが全て注がれるようになってしまう。
これが私たちの心の問題の根源の、正体なのです。

それは、未熟な望みが叶うような、人に抜きん出た外面もしくな内面の理想像を掲げ、すぐにその通りになれない自分と、そのようにお膳立てしてくれない他人と世界へと、自分を愛さない者への憎しみのエネルギーによって、自分が神であるかのような容赦ない融通のきかなさで、怒り処罰を向ける、というものです。


ハイブリッド心理学の道

ハイブリッド心理学が行なおうとするのは、この、病巣の2つの歯車取り去りありのままの人間としての成長への道へと、復帰することです。

それは、自分が神であるかのように理想に満たないものを叩くことをやめ、ありのままの未熟で不完全な「人間」として、受け身から自己能動へともがきながら、一歩一歩の向上によって成長していくことです。


しかし、この心の病巣の歯車は、こうした話さえもまた、「すぐそうなれないと」「すぐそうなれない自分は・・」という思考へと変えてしまうでしょう。

この心の病巣の歯車を、見えない底駆動しているものが、まだ手付かずだからです。

自分が神になる思考解く糸口は、そこにあります。


それは「怖れの克服」です。

もはや心の問題としては話題にさえ上がらない、「幽霊」への恐怖のような卑近なテーマが、全ての混乱をほぐしていく、最初の糸口になります。

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神になるのをやめる |   コメント(0)
神になるのをやめる-10・私たちの不完全性
私たち人間の「不完全性」

並べると分かりやすいと思います^^。
心の4つの歯車・・・未熟な望み自己の理想像受け身の価値観怒り処罰
魂の2つの歯車・・・自分を愛さないものへの憎しみ自分が神になる思考

人生を見失わせるものの正体とは、それぞれ最後のもの、「自分が神になる思考」「怒り処罰」です。

他のものは、人生を見失わせるものではありません。それらは、自分が神になって理想に満たないものを叩くことをやめた時、ありのままの私たちの姿として心に現れ、それに向き合いながら生きることが、心の成長になるものなのです。


人は、自分が神になる思考の中で、最初っから立派で、受け身でなく自己能動な望みで、人や社会に伸び伸びと向かっていける理想の姿を描き、すぐそうなれない自分叩くことを、始めるのです。

多分、そうして自分が人生を見失っていることに気づくずっと前の段階で、自分はそんな受け身で未熟な望みなど抱いていない、そんなもの気にしない、という顔をして、何も問題はないような表面で生きる人生の時間を結構持った後に、ということになるでしょう。


人間とは、そんな不完全な存在なのです。

自分の不完全さ受け入れることができないという不完全さからその一歩を始め、まず自分の不完全さを認めることができることを、人生の本当の大きな第一歩として歩き始める。そんな存在なのです。

多くの人にとってそれは、青春の輝きと呼ばれる人生の時期を、ただ流されるように、あるいは自分自身の中に閉ざされたまま生き、多くを得ることなく、青春がもう過ぎてしまったことを自覚してからになるでしょう。私もそうでした。

そこから再び、いや、そこから初めて、自分の人生というものを、歩き始める。
人間とは、そんな不完全な存在なのです。


そうした人生の再出発を決定づける、大きな扉があります。

それが、ハイブリッド心理学「習得目標」とさえ位置づけている、「否定する価値の放棄」です。
このの様子を見ていきましょう。

神になるのをやめる |   コメント(0)
神になるのをやめる-11・心の問題の根源の正体
人生の道をさま変わりさせるもの

「人生を見失わせる道」の歯車とは、実はその全体のほとんどが、「心が成長する道」の歯車です。

なぜなら、私たちは事実「未熟」からスタートして、受け身の願望に流されながら、自己能動へともがく中で、成長していく存在だからです。

その中にある最後の歯車が、その全体をさま変わりさせてしまうのです。


「望み」に向かってもがく中で成長する道から、「こうすればいいと分かってすぐその通りになれない自分」への、そして自分をそのようにしてくれない他人と世界への、処罰の怒りを向ける道へと。
まるで自分が神になったかのような、融通のきかなさで。

そうして心に「悪魔」が取りついたかのような自分の姿に気づいた時、人は自責の感情の中で、どっと「生きるにくさ」を感じるかも知れません。


人生さま変わり(^^;)の3つのポイント

そのように、最後の歯車全体をさま変わりさせてしまうのは、3つのポイントで起きることを理解できます。

「望み」に向かうことから、「望み」に向かう前に理想通りになれていない自分を叩くものへ。

あるいは、「望み」に向かって歩んだ先に、「真実と嘘の錯綜」が現れた時、自分の見せかけの嘘を叩くものへ。
(「真実と嘘の錯綜」については『島野自身の治癒過程を振り返って-2』など参照。そこでは「真実と闇の錯綜」と書いていますね)

そしてもう一つは、そうした「望み」に向かうことかどうかに関わらず、「こうできればいいとすぐ分かってその通りになれない自分」叩くものへ。
これはもう、人生の全ての場面と言えるほどのものになります。すぐに答えが出せない問題が、人生には沢山あるからです。人生には沢山あるというか、まずはすぐ答えが出せないさまざまなものの中で進み始めるが、人生のように思われます。

そうして、人生の全てが、怒りと怖れに満ちたものへとさま変わりしてしまうのです。


「自分が神になる」という歯車

そうした人生さま変わりを起こしてしまう、最後の歯車が、「自分が神になる」という歯車です。

もちろんは、このつながりを、理解しません。というか、自分の心で感じることができません。
実際のところ、今書いたような「生きにくさ」の原因が、自分が神になろうとすることだなんて、誰が考えるでしょうか。



しかしそこに、私たちの目に全く見えないながらも、かなり太くてはっきりしたつながりが、あるようなのです。

そこでの見えない太い線とは、「怖れ」であり、その克服について私たちが抱く思考です。



今書いた人生さま変わりポイントを、思い返してみて頂くといいと思います。
「望み」に向かう。「真実と嘘の錯綜」が現れる。すぐ答えの出せないことがらに向かう。

もしそこですぐ理想通りになれないものへの処罰の怒り掲げないとしたら、そこに現れるのは、あまりにも中途半端な「不完全」なのです。


「怖れ」と「絶対なもの」の見えない線

そしてここに、人生を生きる上での全ての前進つきものの、「怖れ」というもう一つのテーマが出てきます。

「怖れ」あまりにも不快な感情なので、人はそこから逃れるための方法を、必要とするのです。
そこに「何か絶対的なもの」が登場します。

その代表が「神」です。はっきり「神」について考えない現代人が最近よく使っているのは、各種の占いです。誕生日血液型その他の運勢占いなど。

いずれにせよ、理屈のないものです。理屈のない、何か絶対的なものを念頭に置くことで、安心しようとする。これで大丈夫だと。
あるいはそうした「理屈のないもの」を頭ごなしに否定することで、安心しようとするかも知れません。神などいない。運勢など存在しない。そこにやはり、「絶対に」という感覚をこめてです。


心の問題の根源の正体

ここに、全てをつなげる見えない線が現れます。

つまり、そうした「怖れ」から逃れようとして人々が抱く「絶対なもの」という感覚が、未熟な望みから掲げられた「自己理想像」に、付与される、という心の仕組みになっているらしい。

そこに、「受け身の価値観」「自分を愛さない者への憎しみ」がそそがれるわけです。
理想通りになれないものへの怒り処罰へと。


人々が「怖れ」から逃れようとした時に抱く、「何か絶対なもの」とは、私たちの心の根源においては、やはり「神」という観念なのではないかと、ハイブリッド心理学では考えています。


結論はこうです。

私たちが未熟な望みから抱く「自己理想像」が、いつしか、それによって受け身に世界から愛され賞賛され幸福にされるような、神の姿のような意味を帯びている。
そこに、「怖れ」から逃れようとする「絶対思考」が合流し、自分や他人や世界が理想通りであるかを、自分が神になったような融通のきかなさで審判を下そうとする、心の根源の歯車が生まれている。

それがやがて自分に向かうわけです。自分自身に向けられた怒りとして。



この見えないつながり理解するだけでは、これを解除するためにはあまり役立たないかも知れませんが、解除へと向かうための視野を与えてくれるものになるでしょう。


解除は、人間としての問いが課題になります。

一つは、「怖れの克服」

そしてもう一つは、人間の価値や善悪が選り分けられるのかという問いです。


心の仕組みとして説明していると、どうしても話が増えすぎるのがハイブリッド心理学ですが(当初ここまで長たらしい説明にするつもりはなかったのですが^^;)実践することはとてもシンプルです。
そろそろそこに行けるかな・・。

神になるのをやめる |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-5
「心が成長する道」への復帰までを、かなり長ったらしく(^^;)説明ついでに、私自身の体験をまた振り返ってみたいと思います。

「恐怖の克服」「人間の善悪と価値の選り分けへの問い」が、その復帰への大きな扉を開けるになるという話をしようと思っているのですが、かつての自分を思い返すと、その鍵にしてもそうスンナリとは手に入らない、一筋縄ではいかない状況があったと思われるからです。


おさらい

『島野自身の治癒過程を振り返って』については、その4まで書きました。「真実と嘘の錯綜」が現れるという場面の、雑感です。

「真実と嘘の錯綜」とは、『島野自身の治癒過程を振り返って-2』から引用すれば、こんな言葉で表現されるものが、自分自身の中に見える場面です。

望みは真実であり、一方で、望みに向かう自分には、嘘があり、真実が何よりも必要である一方で、嘘が何よりも許せないものになる・・。
これは『悲しみの彼方への旅』で描写したような、私の心に大きな治癒が起きた、山場の頃の場面です。


「未知の自分」を今見ることはできない

これは要は、「抜け出し」の場面です。「受け身意識の闇の川」に落、そこから抜け出す場面です。

そこで私が中途半端に(^^;)語ろうとしたこととは、「抜け出し」の際、私たちは抜け出す先を見ることはできない、ということです。
何もない闇だけが見えます。


つまりその時、私には、その相手に「受け身に愛される愛」だけが見え、それが世界の全てである心理状態に陥ったわけです。
同時に、それを望み向かおうとする自分に、「嘘」がまといつくことを見たわけです。そして自分が「嘘」を憎んでいることを。
望めば望むほど、自分はそれを得ることは不可能になる・・と。(『悲しみの彼方への旅』P.278言葉を多少変えています

その先にあるのは、ただ、「意識」が崩壊するのです。

そして、新しい自分が芽生えます。
「受け身に愛される愛」をもう今までの強度では必要としない自分が。それは同時に、「自分から自己能動に愛する」ことができる自分の、芽生えでもあります。
その時の私の「意識」は、それをまだ知らないままに、です。


「心の成長への道」への復帰は、私たちには見えない歯車によって促されます。それが「命の歯車」ということに、なるのでしょう。

先の『神になるのをやめる-11・心の問題の根源の正体』で、「心が成長する道」「人生を見失う道」へと変化してしまうさま変わりのポイント3つあげました。

それに対応するように、私の治癒の道のりは、3つの形の中で、見えない「命の歯車」が作用して促されたもののように感じられます。

それをざっと説明した上で、大きな扉を開けるの説明をしたいなと。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-6・復帰のポイント(前)
「成長への復帰」の3つのポイント

「人生さま変わり」3つのポイントに対応できそうな、私自身「成長への復帰」3ポイントとは、どんな形のものものだったか。


「人生さま変わり」3つのポイントとは、次のようなものです。

望みに向かうのではなく、向かう前に理想になれていない自分叩く

望みに向かい「真実と嘘の錯綜」が現れた時、さらに先に進むのではなく、自分の嘘叩く
ここでさらに先に進むとは、識の崩壊を経て未知の自分へと向かうことを指します。これは確かに、「怖れの克服」ができないとちょっと考えようのない話かも知れませんね。

人生でのあらゆる場面での成長に向かうのではなく、「こうできればいいとすぐ分かってそうできない自分」叩く


「愛」と「善悪」

表に現れるテーマは、「愛」「善悪」というものになると思います。

それは一貫として、「愛」にまとわりついた「善悪」が捨て去られることによって、「愛」がその本来の姿を現わす、というものになると言えそうです。
それに向き合う時間が、心に治癒と成長を起こしたのです。その時、それを見ることはできないまま。



「受けとめ」

1つ目のポイント。

これは比較的最近のメール相談から、私がかつての自分を述懐した部分を紹介しましょう。
もう過去の自分を思い出すことも最近はほとんどありませんが、辛い状況にあるご相談者の言葉に触れ、ふと思い出して感じたことなど書いたものです。

■「望み」を変化させるのは「命」

>今までの望みは、「愛されること」だったと思っています。望む程に虚しく悲しかった。悲しみで溢れて、何が辛いかも理解出来ませんでした。

僕も最近、こうしたご相談者の方の言葉を読んで、かつての自分を何となく思い出すことがあります。『悲しみの彼方への旅』で書いた、大学から大学院にかけての頃ですね。
死ぬほど孤独だった・・って、ですね。愛を求め、自分が愛を求めていることを自覚することが苦しく、そしてその思いが満たされることはなかった・・。ただまあ、なんと辛い心の中にいたのだろうと、ただ感慨ですね。

それがやがて、何も悩みのない能天気人間になるのですから、面白いものです^^;

>「どうなりたいか。」が、現在変わりました。「人生をのびのびと、楽しんで生きてゆきたい。」です。

やはり、人生をのびのびと楽しんで生きてゆきたいですよね^^。

そんな風に、「望み」が変わってくる。より大きく伸び伸びとしたものへと。
それは自分で変えようとして変えるものではなく、僕のカウンセリングでそれを導けるようなものでもなく、結局のところ、見えない「命」が「望み」を除々に変化させるということをしているのだと思います。

それに委ね、自分ではとにかくその未知の力を閉ざすのをやめて開放する、自分自身への手助けを続ける、という意識がいいと思います^^。

これが1つ目のポイントです。

思考法も何もあったもんじゃありません。自分が持つ「愛への望み」を、ただありのままに見つめた。それだけです。
それが私を成長させていたわけです。今振り返って初めて、しみじみとそう感じとれることとして。


このポイントの前に私が通ったのは、この「愛への望み」その思考によってうやむやになっていた、「善悪」の思考捨てる過程でした。

そこでの善悪とは、「自分が目指すべき内面の理想」です。それは偽りでした。

自分が求めているものが、ただ「愛への望み」であることに直面することの苦しみ・・それ自体がどう苦しいかというより、自分の中で逃げていたものに向き合い直す時に一般に言える苦しみという面がかなりあるかも知れません・・それから逃げる形であれこれ思考していた「自分が目指すべき内面の理想」が、ほとんど意味のないはりぼてであったことを自覚する期間が、このポイントの前にあったことです。

これは『悲しみの彼方への旅』では、前の方の章の短い描写にとどまっていますが、実際には大学2年自己分析を開始してからの2年間くらいを要しています。
まあもしその時ハイブリッド心理学があれば、その期間もっと短く済み、上述のような苦しみもっと軽くて済んだと思いますが・・^^;

これが1つ目のポイントで、「望みに向かう前に理想通りでない自分」叩くから、「望みに向く」への復帰と言えます。

「望みに向く」からさま変わりした「善悪」捨てて、ということで。


ここまでをこの話の前半として、次を後半ということで^^。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-7・復帰のポイント(中)
「愛への望み」に向かうと現れる「嘘」に心を晒す

「人生さま変わり」2つ目のポイントに対応する、「復帰」のポイントは、すでにその説明の中に入れている通りです。
「愛への望み」に向かい「真実と嘘の錯綜」が現れた時の話になります。

そこで自分の嘘叩くことから、さらに進むことへ。


ただし、まず私が通ったのは、「さらに進む」ことはできず、「真実と嘘の錯綜」ありのままに見つめることだけができる段階です。

これも先の表現が示す通りです。
望みは真実であり、一方で、望みに向かう自分には、嘘があり、真実が何よりも必要である一方で、嘘が何よりも許せないものになる・・。

ここでの「嘘が何よりも許せない」における変化が、2つ目のポイントになります。

嘘をまとう自分叩くことを、やめることです。
もちろん嘘を許すというか、そんな自分でも愛する、なんてことはできません。

もしそこで嘘をまとう自分叩いた時、それはもう「望み」には向かないことを意味します。高潔な自責の感情だけが残ることになるでしょう。
それはもうしない。内面の理想という蜃気楼を、捨てているからです。ただ望みに向かうしかない。
しかしそこには、嘘をまとう自分がいるのです。

これは苦しい状態になります。ただそれに、心を晒すのです。


先の『島野自身の治癒過程を振り返って-5』『悲しみの彼方への旅』P.278あたりの話を引用しましたが、それが該当します。
望めば望むほど、自分の嘘が現れ、それへの嫌悪によって、得ることは不可能になる・・。
その先に、「意識」行き先を失い、「崩壊」します。

それが私自身に見えるようになったのが、その描写の場面です。同じことが、私自身にその全体が見えないまま、より巨大な「崩壊として起きていたのが、この自伝小説の山場場面です。


望めない望みを望む自分・・

ここまでの2つのポイントは、「復帰」への段階としてはあまり大きな違いはないもののようでもあります。
それもかなり中途半端な段階としてです。

「望む前に理想に満たない自分を叩く」から、「望む自分を見つめる」そして「望む先の自分の嘘への嫌悪を見つめる」


これは要は、「望む前に自分を叩く」という「人生を見失う道」端的な姿のベールを少し取った時、そこに見えるのは、望む自分を自覚したなら、それは望めそうもない痛い自分の姿が見える、といった場面の話です。

それでも、後者は、心の成長につながるという話です。「望み」を感じ取っていることにおいて、ということになるのでしょう。
そしてその「望み」とは、「愛への望み」であることにおいて、ということなのでしょう。それを直接感じ取るということです。その望みを飲み込んだまま、表面に現れた硬い理想主義の思考ではなく、ということです。


しかしなぜそこで、「望めそうもない痛い自分の姿」なのか。「望めそうもない」という審判下したのは、なのか。

もちろん、自分自身です。
自分自身が、絶対的な審判者となってです。自分がであるかのように。


次が、絶対的な審判者となるのをやめるポイントです。
また次の記事で。やっぱ前中後の3本立てということで^^;


そこでがらっと心の風景変わります。もう「望めない望み」ではなくなる。


理解への補足

取り組みをする方におかれては、視野に入れて頂きたいのは次の段階です。

ここで書いた中途半端段階は、なくて良いものかも知れません。それに越したことはない。そうとは言えない面もあるのかは、ちょっと次のポイントを書く中で考えてみます。


まあ読む側の方には少しじれったい説明が続きますが、このように流れ精査しながら、実践の上で意識して頂くのが一番いいスイートスポットを選ぶ作業を、こうして8年間も続けて次第に分かりやすくしてきたのがハイブリッド心理学です。
このブログでそれもかなり最終段階になってきてますので、ここはちょっとおつき合い頂ければ。

というか、
実際のところ何を実践すればいいのかは、『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』カテゴリーに結論だけ平易に出したいのが本来のところです。

でも
「心の障害」の傾向深刻になるほど、スンナリ実践できなくなります。そこで、こうした緻密な心理をていねいに解きほぐす場面も出てきます。
そんな意味で、ここしばらくの話は
特別補習講座みたいなものと、さらっと眺めて頂く程度でokです^^。

実践の上で重要なポイントはまた青の太字文章全体を強調しときますので^^。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-8・復帰のポイント(後)
「今の全てで良い」

「人生さま変わり」3つ目のポイントに対応する「復帰」のポイントは、もう「愛への望み」には直接関係ない、「生きる」ことの全般にかかわるものと言えます。

「こうできればいいとすぐ分かってそうできない自分」叩くというものから、「今の全てで良い」というものへ。

自分が神になるのをやめることにおいてです。


この「今の全てで良い」という心の未知の境地への到達は、あくまで、今何かの「現実的な危害」が自分に加えられようとしていることが現在進行形ではない場面において、問う意味があるものです。

今何かの「現実的な危害」が自分に加えられようとしているなら、まずそれに対処できないとどーしようもない。
それがもうないことを心が感じ取っている場面において、それでも何か、自分を叩こうとする衝動が自分の中に現れた時、これを問うことが意味を持ってくるかも知れません。

人生を根本的に変える、大きな扉を開ける意味をです。


「現実的な危害」が自分に向かってきているのではなく、「空想」の中で、自分が自分を叩いているのです。

それは、自分が神になろうとしているからかも知れません。


ありのままの人間としての成長へ

自分が神になるのをやめることにおいて、今の全てでいい

この心の未知の境地の扉を開けたことが、人生の全てを変える歩みへの、綱を切ったように感じます。
硬い氷の中に閉ざされていた心が、流動する水となり、さらに気体として大空に解き放たれるように。

重く沈んだ感情が普段の気分であったものが、軽く軽快な気分が基調になるものへ。

すべての「望み」が、もう「望めない望み」では、なくなったのです。
何でも望むことができます。問題現実のハードルの高さです。それに向かって頑張ることができます。ちょっと無理だと思ったら、後悔もなく諦められます。できることを試みた分の、満足感と共に。
そしてその後、成長している自分を感じます。


神になるのをやめた時、ありのままの人間としての成長が、見えてきたのです。


「愛への望み」はどう変化するのか。

それはやはり「望めない望み」であることをやめます。
しかし、そこに現れる「自分の嘘」への嫌悪は、変わりません。

そこにまた苦しみと、「意識の崩壊」の谷間が訪れるのですが、今度は、それを超える導きが、現れるのです。
それが「魂の感情」です。


「愛への望み」「怖れの克服」「人間の善悪と価値の選り分け」・・

ハイブリッド心理学では、こうした心の転換の流れを踏まえて、「愛」「能力」という人生課題への望ましい姿勢の結論を言うことができます。

それは改めて『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』カテゴリーで、その結論部分だけを平易な表現で書いていこうと思います。
今書いているような、復帰への転換の話は、望ましい姿勢がとれない場合の、根源を深堀りするための話です。


望ましい姿勢結論にせよ、根源を深堀りした時の流れにせよ、それはおおよそ、「愛」についての話と、愛には限定されない人生問題一般の話と、2つの流れの形になります。

人生問題一般については、「怖れの克服」が、心の成長変化の全体を支える重要なものとして、スポットライトが当たるものになります。

「愛への望み」の問題がどのような形で人生問題になるのかは、、人によってもう一般論のないバラエティが出てきます。


それでも、根底ではやはり大きなものとして、「愛への望み」の問題に向き合うことが必要になるのではないかと。
神になるのをやめ、ありのままの人間としての成長に復帰するという、このハイブリッド心理学の目指すもののためにはです。

なぜなら、神になるのをやめるのを問うのは、「人間の善悪と価値の選り分け」を自分がやめることを問うことだからです。
そして「人間の善悪と価値の選り分け」の根底には、「愛への望み」があります。


この辺の大きなテーマ絡み合い方は、一度たどり始めるとキリがないですが、詳しくは『理論編』などに譲りましょう。

ここでは、実際のところ私の体験においては、どんな流れでこの人生の大きな扉を開けたのかの状況を書いていきましょう。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
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