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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
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「愛」と「能力」の人生課題-6
「抜け出し」「足元の強さ」について、最後のつながりへと、さらに一歩進めましょう。
ちょっとくどいおさらい(^^;)の感もありますが、最後のつながりポイントをここで登場ということで。


「愛の望み」と「真実」と「嘘」が見える時・「抜け出し」の本質

まず「抜け出し」においては、「愛の望みに向かうことで真実と嘘の錯綜が現れる」というところまで説明しました。そこにもう答えは示されているのだと。

そこでは私たちは、「愛されるためにはこうできなければ」と、「能力」「愛される手段」になっている不毛パターンに、陥っていることになるわけです。
「能力」中身そのものに、自分で純粋に価値を感じているわけではない。だから一直線にその「能力」に向かうことができない到達できない・・・愛されない、という意識の流れに必然的に陥るパターンに、なるわけです。


真実と嘘の錯綜が現れる」とは、実はそのを、その人自身がはっきりと視界にとらえたことを言っています。

自分が本当に求めているのは、「愛される」という形での「愛」だと。
そのために、ありのままの自分を偽った、別の自分を演じようとしているのだと。
愛への望みには真実があり、それを得ようとする自分の姿があることをはっきりと視界にとらえた時、この人の「意識」は、行き先を失います。

そこに、もう答えは出ているのだと。

ただしその答えがこの後起こす心の変化難解です。「今までの意識」がいちど消滅し、いったん「無」の状態が現れてから、「新しい自分」「再生」されるというような様子に、なるのです。

本人の意識において見えるのは、「真実と嘘の錯綜」を自分が真正面にしたところまでです。「そこまでの意識」は、そこで消滅していくのです。


「心を病む」という問題が深刻であるほど、ここにとても苦しい、「膿が出る」ような感情悪化が起きることを、知っておくのが良いことです。それが根本治癒の現象だからです。
「自分はおぞましくも汚い嘘つき人間」といった、幻想的で、悶絶するような自己嫌悪感情が流れ出します。それをただ耐え、やり過ごすのです。心に根本治癒が起きているものとして。


これが「抜け出し」です。
つまり「抜け出し」とは、「愛されるために」という意識世界が崩壊し、無を通って新たな自己が再生されるという、大きな一歩です。


「正しさ」と「怒り」によって「愛への望み」は見えなくなる

ここで例によって(^^;)ケース分けをしておきましょう。このせいで話が長引くのですが(^^;)、心の蓋をパカっと開ける時というのは、四方八方同時に見えた時なんですね。


同じような袋小路に陥って、抜け出さないままのケースがあります。ありますというか、この「病んだ心から健康な心への道」を通らないまま、世の一般の人がその中で生き続けるものという話に、なるでしょう。

もとから純粋でシンプルな能力追求である場合は、こうした袋小路、つまり人の目に見られるという意識の中で心が揺らぎ窒息していくような袋小路は起きません。

人を相手にして「こうできなければ・・」という感情動揺に陥る時というのは、結局、「能力」「愛される手段」になっている不毛パターンに陥っている時です。
これは実に広範囲に起きるものと言えるでしょう。全ての心の悩みの根底にこれがあると言えるくらい。

しかしそれを「愛される」という「愛」への望みと、それをめぐる真実と嘘の錯綜とは視界に捉えない


それは、「正しさ」という観念と、それを損なうものへの「怒り」へと変わるケースです。

「こうできなければ・・」が、仕事におけるやる気成果であるにせよ、対人関係における思いやりであるにせよ、「そうできなければ・・」が信念として抱かれ、「間違ったものは許せない」という「義憤」を抱くケースです。

その時、心が窒息し動揺して、「あるべき通り」になっていないのは、相手が「悪い」のか、それとも自分が「悪い」のか、といった思考をするケースです。

そして「怒り」を、相手か、自分に、ぶつけていくケースです。


分岐路

こうして、人を前にしてこうできなければ・・できない・・という心の動揺に際して、分岐路が現れることになります。

一つの道は、自分の心の動揺が「愛される」という「愛」への望みから始まるものであることを自覚するケースです。これは「愛される」という「愛」を失うという自覚を同時に意味するので、深い「悲しみ」を同時に伴うものにないrます。

もう一つの道は、自分の心の動揺が何か「あるべき姿」を損なっているという事柄として自覚するケースです。これは「怒り」を伴うものになります。

そこで、このどちらも心は袋小路に陥り、前者無を経て未知の自分へと向かい、後者は少しして同じ自分が繰り返されるのを見ることになります。


「あるべき姿」をめぐる「怒り」を捨てるということが、この分岐路を決定づけます。


なお実際には、この2つの道は必ずしも人の心の中で明瞭に分かれているものではなく、多分に重なっていると考えるのがいいでしょう。

そこで「愛の望みの自覚と悲しみ」に傾いているほど、心の成熟変化が起き、「あるべき姿をめぐる怒り」に傾いているほど、心の現状維持にとどまるということになります。


「全知全能」の分岐点


こうした話を聞くと、「怒りを捨てなければ・・」と思う方も多いかも知れません。
そうして「怒りを捨てられた自分」が再び「あるべき姿」となり、いつまでも怒りを捨てられない自分への怒り・・と心がループしがちです。

根本に、大きな分岐点があります。それをしっかり見ることが、本当にこの分岐路のどっちを取るかを、決めます。

「愛」「能力」という人生課題にはどうしても、「怖れ」というものが伴います。そこから逃れようとして人間が持ち始めた感覚こそが、全てを狂わせることになるのです。

それが、「全知全能」の感覚です。

今の私たちが日常生活の中ではっきりとそう意識して思考するものとしてのそれではありません。幼少期に抱いた、「何でも叶う魔法があれば・・」といった空想のにあったものです。


それが、私たちの人生の全てを、狂わせるのです。

ここにいたり、心の問題は「親からの適切で十分な愛情を受けることに失敗する」という最初の躓きとはもうほとんど別の、人間の意識の根本的な罠の話に、なってくるのです。

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「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」の人生課題-7
「愛される必要はない」という抜け出し

「能力」「愛されるための手段」として意識されていると、私たちは心を窒息させ、その能力向上そのものストレートに向かえない。結果、向上できない、愛されないという意識に流れてしまう。

ここでもし、「愛される必要はない」と感じることができるのであれば、心の惑いを一刀両断に断ち切れるという話も、ここで触れておきましょう。

それは愛されるためのものではなく、自分が生きるためのものなのだ。そう考えることで、あるいはその能力向上へのストレートな目線を、自分自身の中に見出せるかも知れません。


これは「病んだ心から健康な心への道」の話というより、基本的な生き方姿勢と思考法の知恵の話になります。
心に自由が利いて、これが使えて役に立つなら、それに越したことはありません。


「愛と自尊心の分離」

ハイブリッド心理学「愛と自尊心の分離」と呼んでいる、基本姿勢があります。

「愛」「自尊心」を、基本的に別々のこととして考えることです。

「自尊心」とは、自分で自分を尊敬できることです。人に良く見られることではなく。
これを意識することは、「足元の強さ」を促すと言えるでしょう。愛と能力に向かうための、基本的な心の強さです。


卑近な話で言えば、私たちは仕事で苦労している時、良く分かっていない親(^^;)「そんなことないよ、誰々ちゃんは一番だよ」なんて言われても、あまりうれしくないと思います。
自分で仕事を解決できなければ、どうしようもありませんね。

一方で私たちは、「お前にそんなことできるわけはない」と言われると、自分の能力を否定されたと感じ、怒りを感じがちです。

しかしこれも、親バカに誉められることの軽さと、同じ軽さのものでしかないと考ええれば、相手にする必要はないと言えます。まあ適当に相手をする振りをするのが賢明と言えます^^:


人に同じことを言われるのでも、「愛」が底流にあると、相手の言うことをそのまま自分のこととして取り入れる心の動きが強くなるので、不要なほどの影響を受けてしまいがちと言えるでしょう。

それを、相手に言われたことを真に受けるのと、「愛」とは別だと切り分けるのです。


これは「行動学」の話です。


再び分岐点へ(ちょっといったり来たり・・^^;)

受け身に愛されることに心が強く駆られるごとに、これはちょっとできなくなってきます。

自分がより強く望む「愛」を得ようとするごとに、「愛されるためには・・」と、「愛されるための手段としての能力」の圧迫が心に迫ってきます。

それが特定の相手であろうと、他人全般であろうと、心が「愛される必要」に駆られるなら、同じ罠が現れるわけです。


「愛される必要はない」と感じれるのであれば、それで良し。「能力」ただ自分が生きるための問題として、ストレートに向かう。


愛されなければ・・そのためにはこれができなければ・・」という動揺が心が圧迫した時、私たちには、「できない・・」という袋小路が近づいてくることになります。

その袋小路に、早く向き合ってしまうのが得策なのです。蜃気楼を追い続け、蜃気楼に圧迫され続けるような人生を、続けたくないのであれば。


その袋小路に、「怒り」へとそれていく道と、「愛の望みと真実と嘘の直視」という抜け出し口に向かう道の、分岐点があることになります。


分岐点を決定づけている、「全知全能感」という別の流れの話に、スポットライトを当ててみましょう。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」の人生課題-8・命の本来形
「愛」と「能力」に向かう「命の本来形」

愛されるためには・・これができなければ・・」 そういった受け身の意識の中で動揺した時、「できない・・」という袋小路に向き合うことが、苦しいでしょうが、むしろ人生の得策です。

その時、「愛」と「自尊心」を切り分けるという心の知恵にも増して、「愛」と「能力」に向かう、そもそもの「命」の本来の形を知ることが、抜け出す足元の力を促してくれるように感じます。


これは私自身、今回この「愛と能力への向かい方パターン」を整理していて、初めて考えが至ったものです。

人間の場合、3つのパターンになるようだと。
1.愛される手段としての能力の追求
2.愛の影響を受けない実直な能力追求
3.自ら愛することとしての能力追求
(参照:『「愛」と「能力」の人生課題-4・3つの向かい方』*タイトルに言葉追加^^*

そこでは、「愛」「能力」という2つの人生課題が、並んでいるように見えますね。どっちにどのように心の力を配分したものか・・と思いあぐねるようなものとして。


愛と能力はひと続き

では今の現代社会人というより、もっと自然な本来の姿とは・・と、今回考えてみたわけです。

私たちのが形作られた、何100万年という時間の中で生きていた、「自然人」たちの姿とは・・。
また、大自然を生きる動物たちの姿とは・・。

そうして浮んできたものとは、あまりにもシンプルなものでした。
そこに、答えが示されているように私には感じられました。

心理学に限らず、というか心理学ではあまりそうしたものが見出されていないものとして、真の答えは大抵、あまりもシンプルです。アインシュタインが発見したe=mc2という方程式が、私たちが目にする「もの」の世界の全体を示す、驚くべきシンプルで美しい方程式であるように。


つまり、「命の本来形」とは、「愛」「能力」二頭立ての人生課題として命あるものの前にそびえるのではなく、単純なひと続きに、なっていると思われるのです。

それは、まず「愛される愛」があり、それを失う別れを境目にして「能力」に向かい、それが一定の節目に達したら「自ら愛する愛」に向かうのだ、と。

つまり、「愛される愛」から「自ら愛する愛」の間は、「愛」が消えているのです。ひと続きではなく、間に闇があるものとして。
「愛される愛」が完全に消滅して、「能力追求」が間にあって、「自ら愛する愛」へと、つながるひと続きになるのです。



「能力」と「愛」への「本来の向かい方」

これは私自身、拍子抜けするような、シンプル答えを感じさせるものでした。

「能力」と、「愛」への、本来の向かい方についてです。
ここでは「能力」が先です。


「切り分ける」どころの話ではありません。「愛」とはもう全く無関係に、「能力」に向かえばいいのです。

そしてある頃合で、「愛」に向かうのです。

ややこしい話はありません。自分がそれまでに持った「能力」貢ぎ物にすることになるのでしょうが、それを取るかどうかは、相手にとってはアップルパイとチェリーパイのどっちを取るかの話であって、「出会い」の問題なのです。
(参照:2/12『「拒絶は落ち度ではない」』3/7『「競争ではなく出会い」』、)

「愛」に向かう瞬間、「能力」は、自分が「この相手に選ばれるためには・・」なんて考えたところで不毛な話なのです。

そこで愛に向かうとは、「これが自分だ。私はあなたが好きだ」と、シンプルに相手に向かうことなのです。
つまり、もう「能力」じたばたする問題ではなしに、ただ「愛を望む気持ち」を、解き放つのです。自分自身の中で。そして相手に向かって。
素朴です。おらーあんたが好きだ!と。そこでアタスもアンタが好きだべサとなれば(何とまあ田舎調^^;)結ばれるわけです。


全てが狂い始める歯車

これが「本来」の姿のように思われます。
そして私自身の過去を振り返っても、実はそれが私自身の向かおうとしたものでした。だから実際はかなり困難になったと同時に、独力で「病んだ心から健康な心への道」を歩むことになったのではないかと。


現代人の場合、そうしたシンプル形は失われたのが実状です。「愛される愛」を引きづったまま、「能力」が錯綜して心の問題が複雑化します。

そして「愛」「能力」の両方において、それが得られないことへの「怖れ」という問題が現れます。


錯綜する2つの「望み」と、「怖れ」という新たな問題。

それを一気に解決するための試みとして、人間の脳が持つ高度な機能が使われようとした時、全てが狂いはじめる歯車がそこに差し込まれてしまいました。
「空想」です。

「全能万能」という、幼い心が抱く空想が、やがて自分自身の破壊となって返ってくるのです。

それをしっかりと見据えた時、病んだ心から健康な心への道のりで、見失われた「命」の力を再び解き放つための、が見えてきます。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
  
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