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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
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「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-1
では今年も頑張って書いていくぞ~~p(^^)qということで、最初の記事「いざない説明」続きではなく単発もの^^。

『詳説・心の治癒成長メカニズム』カテゴリー新設して、主な心の惑いもしくは心の障害絡みの悪感情克服されるメカニズムと道のりを、個別に詳しく書いてみようと思います。

思いついたものについてですね。幾つくらい取り上げるかは何とも言えない。これ一個になるかも^^; まこれ以外にも何かしら出てくるとは思いますが^^;


「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」

ということで1つ目は、この時期に良く話題になる、「宴会が苦手」「宴会恐怖」、より広くは「人の和(輪)アンビバレント」と呼べる心理状態です。
「会食恐怖」同じ一連の心理メカニズムによるものと言えそうですね。「挨拶恐怖」もそうかな。

すると「対人恐怖」「視線恐怖」もこうしたものを背景に、神経過敏度を越えて起きるものかとも思い浮かびますが、こちらは他人へのアンビバレント感情いうよりも「自意識過剰」への神経過敏がまずは主特徴であり、現象的には少し別のものになってくる、という話かと思います。


「人の和アンビバレント」「アンビバレント」とは、「相反する感情が同時に存在するさま」のことです。「人の和」「人の輪」というものに惹かれながら抵抗を感じるというもの。「両面感情」ですね。

そこに自分も混ざりたい。誘って欲しい。しかし実際に誘われると、体が拒むかのような硬直感^^;
そこから、「人の目」「自意識」「どうすれば?」をめぐる、心を病む程度からにわたりさまざまなバリエーションでの、悩み惑い煩いの思考繰り広げられることにあいなる次第というやつです。
そしてそれが心の取り組みの場に取り上げられると、「自分はどうあるべきか」という硬直した、しばしば哲学的な思考も展開されるのですが、その内容の大抵は心の治癒成長からは勘違いなものになる、というシロモノ。


ご多分に漏れず、もこれには結構心を煩わした面があります。まあそれを治そうという狭い視野ではなく、心の成長の全体に向かう中で、こうした感情の再発有無状態が、結構自分の変化バロメーターになった感もあります。
で今に至り、この惑い感情の問題そのものがほぼ消滅に至っている自分を感じもしますので、克服までのメカニズムと道のりはっきり言える時ではないかと^^。


克服までの心理要素変化

でまずはっきり言える気がするのは、それを治そうと思って治す方法などない、ということかと。
心の治癒成長そして成熟道のり進むごとに、その動揺減少し、やがて消える
この人の和への両面感情として表れる根底にある、自分生き方行動のあり方取り組む先にです。

それがどんな感じ克服に向かうか、下のようなにしてみました。
そこには心を病む感情歯車と、治癒成長成熟道のりにおける意識実践通過道標の、かなり主要ポイントほぼ全員登場になるとも言えるものになります。

  「人の和アンビバレント」問題消滅までの推移
前期~中期 転換 後期 最終形
「人の和」の圧迫
 への嫌悪抵抗
・心の自立
・望む資格
 思考
・「愛」「自尊心」
 への価値観
・否定価値の放棄
自己操縦ストレス
 の自覚
(左ハンドル)
自分なりの
行動法

見出し
  ↓
望みに応じて
抵抗少なく
行動可能
【問題消滅】
「和」の一員になる
 状態への焦り感情
「自分はそれを
望むのか」

問える心
(右ハンドル2)
「一人でいる」ことへの
 軽蔑視線イメージ
自分が「和」から
 除外されることへの
 怒り憎しみ
「人の和」への
希求の魂の感情

(左ハンドル)

病んだ内面プライド

健康な心の世界への視野


これらが取り組み問題になるのではなく・・

キモになることを書いておきましょう。

これはまず、先日の12/24『詳説・実践のポイント5・いざない3・人生の鬼門2』で出した「病んだ内面プライド群」と同じく、「前期~中期」「後期」心理要素の動きかなり変わる形になります。

つまり、「このように克服され問題が消滅に向かう」とは言えるのですが、これらはどれも、「そう考えればいいのか」「そう感じるようにすばいいのか」といった「当てはめ」戦法(^^;)ではまったくかすりもせず(^^;)、一言で次のように表現できるものになるのではないかと。
「一言」とは言えない長さですが^^;

心の自立を通して、自から築くものとして、「命の生涯」における大きな2つの「愛」(*)に向かう歩みが心の成長を生み出すのに応じて、そのような既存の人の和に自分がどう受け入れられるかの受け身場面での動揺も減少していく。そして得る人の和について、自己能動と受け身の境目がなくなった時、こうした惑い動揺も消滅する。

*参照:2010-01-21『「命」の生涯』


これはつまり、人の和への受け身の構図で起きる「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」といった問題は、治そうとして治るものではない上に、さらに、取り組み問題にさえできないということです。
まず、全てが受け身として意識が動いていることが、問題課題です。
そうした意識のあり方生き方姿勢思考法行動法全体への取り組みのが、今解説している歩み方ガイドです。

そうした全体の歩みにおいて、この問題主役を演じている心の歯車とその転換について、次の記事でざっと書いておきましょう。

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詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-2
では「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」といった、自分の外部「既にある」人の集まりへの両面感情動揺が、どう根本的に消滅するかまでのポイントを、書いておきましょう。


克服を決するもの

前記事では、分かりにくいと思います^^;
要は、そうした感情動揺どうなるか決するものがあるということです。それによって、全く違う話になってくる。

それは、どのようなものとして「愛」を求め目指す存在だと、本人が自分を位置づけるかということです。
「依存」「自立」における、「愛」目指し方の違いだとも言えます。


「愛」の目指し方の違い

その違いは、「愛」を、「与えられるもの」ではなく、「自ら与えるもの」として・・ではありません
「愛」を、「与えられるもの」ではなく、「自ら築いていくもの」として位置づけるという違いです。

「愛」「与える」「与えられる」という構図感じ捉えるのは、「依存」です。そこに「愛が欲しければまず自分から与えなさい」といった発想が出てくるものとして。


「心の自立」に立った時、「愛」「与える」「与えられる」ものではなく「築くもの」感じ捉えることができるようになります。自ら。そして相手と共に。それが対等な個人間での「愛」です。

それはゼロから生み出すということでもあります。だからそれは「未知」です。「未知」に向かって自ら築くものとして「愛」感じ捉えるようになった時、前記事に示したように、全く異なる感じ方が出てくるのです。その先に、問題そのものの消滅があるものとして。


「依存」から「自立」と「本心」への谷間と価値観

ここで少し解説を加えるのが良いでしょう。
「与える」「与えられる」という感じ捉え方は、「依存」です。

与えられたいから、まず自分から与えようと考える。相手依存の中で与えられたいであろうものを。自分と同じように^^;

そこに、「本心」問われることになります。それでは「嘘」があるからです。そして自分が与えられないことに苦しむ者は、与えられるために、まず自分から与える人間演じようとした時、今度は自分の嘘苦しむことになるのです。
それは「自己操縦」のストレスであり、「見せかけへの嫌悪恐怖」であり、さらに自分に嘘をついて善を演じ与えられようとする「卑怯な傲慢」への憎悪恐怖です。
(参照:12/16『いざない1・何をするのか』および12/24『いざない3・人生の鬼門2』


そうした心の世界全体から、抜け出るということです。「自立」というのは。

にそれを促すのは、一つ実際「依存の愛」「既知の愛」「喪失」出会うこと。そしてもう一つは、「依存」抜け出し「自立」への価値観どう持つか。この2つだと思われます。

この2つとも、あまりにも大きな話です。ここで手短に書こうにも。
それでも無理して書くならば(^^;)、私たち不幸にして心の問題に惑うのであれば、事実私たちの人生の中で「依存の愛」「既知の愛」「喪失」すで起きているのであろうということ。私たちのがそれを認めようとしないあがきの一方でです。
そのことに目をそらさずに見る目というテーマになります。
そこで同時に、私たちの「死と再生」谷間通るというテーマがあります。私自身のその体験を、『悲しみの彼方への旅』全体で、そしてその後一場面を、9/25『「ハイブリッドの道」の歩み方-14・エンジン始動4』で紹介したようなものとして。

一方そこで私自身犯していた誤りは、「愛」「与えられる」人間になるのが「成長」や「自立」だと、「依存」の中でイメージしたことを信じ込んでいたことです。だからそうはなれない自分絶望し、心の死に向かい、再生されたという経緯があったわけですが・・。


「自立」は「与える側になる」ことではなく・・

「自分から愛を与えられるように」ではなく、一度「愛」というテーマそのものから別れるのが、「成長」「自立」への正しい価値観です。
まず「自尊心」に向かうのです。「愛」とは無関係に。そこで得る「強さ」を支えに、再び「愛」向かい直すのです。

ちょっとこの話に関連し、『読者広場』で、
『真の望みとは』 hideさん No.383 2011/10/26
理論編下巻2章を参照頂き、
・「自立」とは、自らが「生み出す側」「与える側」に回ること
について「Yes」としておきましたが、これは「命の摂理」としての大枠の表現であり、固体本人の意識としてどうなるのか、ちょっと修正補足的な理解有益です。

つまり、「与えられる側」から「与える側」に、突然切り替わるようなことは当然ないわけです。
まず、「与えられる側」であることの「喪失」出会う
そこで自分の足で立って歩く「意志」を持ち始め、「自ら生み出す」へ。

そして「自ら生み出す」ことが出来るようになった時、もはや「与える側か与えられる側か」という二極論の心の世界そのものが、なくなっているのです。
なぜなら、自分生み出すものによって生かされるようになるからです。自分から与えることによって、自分が与えられている。それはもう「与えるか与えられるか」ということではなく、それが「生きる」ということなのです。

『入門編下巻』で書いたこの言葉も、それを短く表現したものです。(P.314)
 心の自立の完成に答えがあるのではありません。「依存」から「自立」への転換を体験することが命の摂理であり、それを経て「依存」と「自立」の区別を超えた本質に至った時、そこに真実が現れるのです。

「自立」への価値観

つまり「自立」とは、「生み出す側」回ること。これはYes
「与える側」回ること。これがYesになる以前に、それは「与えられる側であることの喪失」であり、それを受け入れる心の転換だという話になります。

そしてそれが「与える」「与えられる」区別のない、「生きる」ことへとやがて向かう。それを支える価値観を持つことだ、と言えるます。
それが「心の自立」なのです。

その価値観具体的内容とは、『詳細マップ』「右ハンドル」でも言葉を入れておいた通りです。
「自尊心」「生み出す」ことに。「愛」は、「喜びと楽しみの共有」に。その徹底を探究する先に、「否定価値の放棄」開かれます。

それらと異なる価値観とは、「依存」に基づく価値観なのです。「自尊心」「打ち負かす」ことや「愛される」ことに。「愛」認め合うことに。それらが「善悪」の下にあるように感じる価値観全てがです。


このように、「与えられる愛の喪失」と、「自立への価値観」大きな2頭立てとして、どのようなものとして「愛」を求め目指す存在だと、本人が自分を位置づけるか転換がある。

すると、前記事にまとめたような、感じ方の違いが出てくる、という話。ちょー難しすぎ~^^;

とにかく「転換」は、道のり全体だと考えて頂ければ正解です^^。要点ポイントをこの後ざっと押さえておきますので^^。

そうした「転換」前後で、何がどう変わるかポイントだけ押さえて、この記事のカタ(^^;)をつけようかと。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(1)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-3
読者広場にて以下にアドバイスコメント入れてあります^^。

『立ち位置について』 B子さん No.419 2012/01/05
「3段階ハンドルさばき」から「立ち位置確認」「追加検討」「フォローアップ」という検討の流れ具体例として参考になるかと^^。


問題消滅までの流れ

ではこの記事シリーズ結語を^^。

「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」といった心の惑い煩いは、その2で説明したように、「愛」をどのようなものとして捉え目指す存在だと自分を位置づけるか、つまり心の自立に立って「愛」を目指すという転換前後で、感じ方全く異なるものになってきます。
その先に、そうした問題そのもの根本消滅があるものとしてです。

流れをざっと追ってみましょう。


転換前

「転換前」においては、つじつまの全く合わない、アンビバレント(両面)感情顕著です。
その1に、主なものをまとめてあります。

人の和の中で繰り広げられる興を、皮相な演技と感じ、多少とも軽蔑感を含みながら、嫌悪抵抗を感じる感情
その一方で、抗し難くその一員となることに惹かれる和の集団がそこにあり、自分が除外されたかのように誘われない事態が起きた時湧き出る、怒り憎悪
このあまりに食い違う感情達は、もちろん私自身が体験したものです。

同時に、つながりのないまま、断片的に心に見えるのは「一人でいることへの軽蔑」他人から向けられるという懸念感情
そして「孤立しない」ことが試されるような(もちろん本人の心においてです)場面で湧き出る、和の一員でいる状況になることへの焦りの感情
もちろんこれも大いに経験したものです。


惑い煩いを生み出すもの

これらは、「心の依存」の中で起きるものです。

もちろん未熟「依存」の中にいると必ず起きるものではなく、「ありのままの自分では愛されない」「ありのままの自分では排斥される」という、出口の見えない「根源的自己否定感情」この心理学が呼ぶ、根深いマイナス感情を、来歴から不幸にして抱えた場合です。

それが「和への嫌悪抵抗」「除外される怒り憎悪」という、あまりにも食い違う両面感情になる理由は、比較的直感的理解が可能なものと思われます。
つまりこの人あまりにも未熟で弱く、その和に受け入れられるよう自分から求めるのは怖くてできないのですが、同時にそんな自分自己軽蔑も抱くため、全てが他人の理不尽のせいだとする解釈づけを、本人考えるというよりも、心のメカニズム用意するのです。

その未熟な言い逃れ病んだ確信に変えてしまうのは、「病んだ内面プライド」だと思われます。
自らが内面に抱える、攻撃的に他人を否定しながら受け身的に愛されることを求める傾向を他人に映して「利己的で腹黒い人間同士が結託している」のだと見えるのです。

私の『悲しみの彼方への旅』でも、次のような場面にそれがあります。(P.57)
「生涯の中でも最もすさんだ感情」振り返っての叙述部分^^;
 私の頭の中に、他人を憎むことに徹する自分の姿が浮かびます。しかし幸いそれは不完全でした。憎しみに徹することを放棄して、寂しさをさらけ出す自分を思い浮べた時、あの根源的な悲しみが湧き起ってくる・・。
 でもそれは暖かいものを前にした時の悲しみなのだ。現実の人間達はまるっきり違う。そうした人間達の前で、僕はまるっきり無力になるより他はないのか・・。

なぜ「最もすさんだ感情」というほどになるのか。恐らく何よりも、自分自身の「自らを欺瞞した卑怯な傲慢」が、自分でも嫌なのが、心をすさませたのだと感じます。「現実の人間達は・・」表の意識が思考する、心の底でです。
自分で自分が嫌死にたくなるほどに・・。ありのままの自分が、自分にさらけ出された時にです。


転換

転換はまず、この「病んだ内面プライド」欺瞞のパズル解除することになるように思われます。
これが、問題の程度が深刻なケースで、どうしても最初の、まさに「鬼門」になるものとしてです。

私の体験では、『悲しみの彼方への旅』の中で、まさにそれをタイトルにした「5章 解かれたパズル」に、その場面が出てきます。
それはにとってまさに、巨大なハンマーを頭をなぐられたかのような衝撃でした。精神分析一本槍の、当時の多少危険な一面的なアプローチがもたらした、最初の「成果」(^^;)としてです。(P.69)
 私はこの男子に、かなり激しい軽蔑を向けていました。
 ずうずうしい態度だ。女の子の方では内心で嫌がっているのではないか。男は、自分本位に女の子を愛しているだけであって、相手の本当の気持ちなど考えてやれる余裕がないのだ。

 その直後でした。
 「同じ軽蔑は自分にもはね返ってくるのではないか」。その衝撃的なひらめきのような感覚が私の体を貫き、私は茫然としました。

この後一気自分の来歴を、その中で自分の心が捻じ曲がった流れを、遡り始めることになる次第です。その先に、置き去りにされた魂の自分が蘇ることとして。ただ自己操縦心性心が無垢になることを許さず私の思考はそれに敗れてしまったという経緯がその先に続く次第・・。


望ましいアプローチ

より望ましいアプローチとしてはやはり、今回の「いざない説明」で述べているように、そもそも心に取り組もうとして心に取り組んだ誤り増幅させたことなのです。まずその取り組み姿勢をやめ、健康な心の世界の建設的な思考法行動法と価値観を、自分の思考と感情の対比として学ぶ、着実な進め方にしたい。

恐らく問題の程度に応じて、そうしたアプローチ用いてさえありのままの自分自分にさらけ出された時衝撃痛みに満ち、絶望感を引き起こすことが考えられます。
「人間性の核」保たれているほどにです。それが弱化し損なわれるごとに、にそうした痛みが起きず、上述の未熟な言い逃れから病んだ確信へのメカニズムへの安住が起き、心は変化しなくなることが考えられます。
成長と豊かさへの力が、自分未熟病み痛みと共に捉えます。その先にまさに「未知」として、そうした健康な心の世界建設的な思考法行動法があることを、最初から用意しておくのです。


心の自立に立って「愛」に向かう

そんな話として、「愛」をどのようなものとして捉え目指す存在だと自分を位置づけるかの大きな転換が、起きるわけです。
大きく2つ原動力で。

一つは、「依存の愛」「喪失」経ること。ここで描写した心の中概観すると、それはむしろ、「依存の愛にしがみつくために作り上げた自己像の崩壊」経ることで、と表現した方が正解かも知れません。


そしてもう一つは、健康で心の自立した世界の建設的な思考法行動法と価値観知ること。
これが私の場合は、当時の心の学びからはなかなか得られず、『人生の鬼門4』紹介したように、仕事関係の中で「“自分ごと”ではない高み」“自分ごと”という表現分かりやすいかと^^)目指すことを学んだり、また趣味のスキー会社のクラブ活動をする中で、極めて心が健康な人間集団所属する機会を得たことなどが、その実質私に体得させることになった次第です。

考え方「マップ」でも右ハンドルキーワードを示した通りです。その2「自立」への価値観としておさらいした通り、「自尊心」「生み出す」ことに。「愛」は、「喜びと楽しみの共有」に。それがない時は、孤独受け入れるのです。


転換前後のまとめ

こうして起きる転換前後は、あまりにも心のあり方違うものになります。

こうした違いというのは、限定した言葉で分かろうとするのは無理であり、語る人によりさまざまな言葉での「心のあり方の違い」表現に接し、心の懐を豊かにしておくのが、結局変化成長への近道になると思います。話が沢山だと面倒どれか一つにして・・といった面倒臭がりは、結局成長にはあまり縁がないと思いますので^^;

ということで、ハイブリッド心理学からの表現として幾つくらい言葉を出せるか、にしてみました。


  「愛をどう目指すか」の転換
転換前 転換後
「愛」「与える」「与えられる」
ものとして目指す
「愛」を自ら、そして相手と共に
ゼロから築くものとして目指す
そのための自己像を描き、
空想の中の自分と他人によって
感情が揺れ動く
現実において自分が何を生み出せ、
楽しめる
か、そして相手と共有できるか、
互いの内面の気持ちや思惑や言動を超えて
「現実にどうあれるか」をベ-スに感じ向かう
孤独不面目で空虚だとして
受け入れられない
孤独再出発のための足場であると同時に、
自分の「本心」と「魂」を感じ取る
豊かさのための足場として
尊重することができる

未熟
病みにとどまる

成長
豊かさに向かう

やがて人の和の、ひいては他の全ての「人」アンビバレント感情という、来歴から抱えた問題消滅に至る成長と治癒は、この「転換後」心のあり方足場に始まりますので、まずは違いじっくりと眺めて頂ければ^^。


ここから始まる成長と治癒は、これまた一筋縄ではない、そこに人間の心の真実が現れる曲折の道を、ハイブリッド心理学では想定しています。これはもう『入門編下巻』7章以降の全体そのものになりますね。
どうしても正確な理解のためには、こうして話が長くなってしまう。いったんアップして続けましょう^^。


ブログコメント
および読者広場に、具体的状況での質問など入ってますので、次の問題解消まで引き続き書いた上で、それも踏まえてコメント入れたいと思いますのでちょっとお待ち頂ければ^^。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-4・基本的な考え方
読者広場にて以下にアドバイスコメント入れてあります^^。

『立ち位置について』 B子さん No.419 2012/01/05
へのコメント第2弾として
『「自分に対する論理的思考」の基本』 しまの No.424 2012/01/14
です。
このトピックへのコメント第1弾部分と合わせ、「自分に対する論理的思考」実践先行解説になっていますので、ぜひご参考頂ければ^^。


結語

ではこの話の結語を。

問題消滅まで何がどうつながっていくかを考えていたところ、ちょっと収拾つかないほど色んな話(^^;)が浮かんでしまっていた次第です^^ゞ
結局それは、「人の和」へのアンビバレントひいては「人」へのアンビバレントというものが、私たちの心の惑いの、基本的な表面の結果とも言えるものであるからではないかと。
だからその根本克服は、心の惑い根本克服全体イコールになるという話なのだと思います。

それでも、「どうすれば克服できるか」を、初めてこの話をする人にも何とか分かって頂けるよう語る言葉を持てることが島野の課題だと考えた時、結局、「詳細マップ」などに照らし合わせて教科書的に表現するとどうなるかを、まずはまとめてみることだと思えた次第です。

この問題意識する上で、押さえるべきポイントを押さえた上で、可能な限りの一番短い文章で。多少そこに説明不足が出たとしても。それについては該当する「道標」について集中的学んで頂けばいうことで。

するとこんな感じです^^。


問題内容

まず問題描写から。
宴会パーティ集団旅行などの「人の和(輪)」というものに対して、惹かれながら抵抗を感じるという、アンビバレント(両面的)な感情を抱く状態。それにまつわり、さまざまな感情動揺が起きるものです。

「基本形」には、人の和入りたいが自分からは困惑感が強くできない。実際に入る、あるいは誘われる心が硬く閉じるかのような心身的、つまり生理的感情とも言える反応。
また、人の和の中逆に孤独感を強烈に感じる、などといった類。

「深刻形」では、人の和というものについて、「利己的な人間達の上辺演技だけの結託」というように軽蔑嫌悪感を感じる一方で、実際に人の和がそこにある状況におかれると、自分も一員である状態になることへの「絶望的な焦り」に駆られ、「自分だけ除外される」と感じるような状況で怒り憎悪に駆られるといった、あまりにも食い違う極端なアンビバレント状態が見られます。
その1など参照)


克服への基本的な考え方

これらの感情動揺は、「できあいの人の和(輪)」、つまり他の人々によって作り出されている人の和に接して、自分がどう「受け入れられる」か、どう「扱われる」かという受け身の意識になった時、未熟病み抱える度合いに応じて、どうしても起きてしまうものと言えます。

克服は、健康な心の世界での人の和のあり方と、そこでのオープンで建設的な行動の仕方についての学びを携え、「楽しみと向上の共有」として向かい直すこと、さらには人との絆そして「愛」を、自ら築くものとしてどのように向かうことができるかに取り組む、心の成長への歩み全体が、克服へのになります。

問題克服解消は、「これが人に向かう自分のあり方だ」と言えるものを、満足安心が感じられ、かつ、「こう見られる」「こう見られれば」といった自意識の揺らぎ内に含むことなく持てるようになることで、実際の人の和に接してももはや気持ちの動揺反応起きない状態として、訪れると言えるでしょう。

そうなるまでまでの過程は、もともと人にどう接する性向かによっても多少異なる面があり、一概には言えないかも知れませんが、ハイブリッド心理学取り組みによる心の治癒成長道のりに照らし合わせて、幾つかの段階的な通り道のポイントを言うことができます。

ちなみに島野の場合は、もとより単独行動を好む性向を持つ形で、人の和や愛を得るという人生課題に面した形となり、道のりかなりの後の方になっても、こうしたアンビバレント感情が残り、道のりフルバージョンを経て問題そのものの消滅を感じるようになってきているという形です。

以下では、そうした私と似たようなケースを想定して、心の治癒成長成熟道のりのフルバージョンにおいて、へのアンビバレント感情特に関連する通り道のポイントをまとめたいと思います。

「詳細マップ」に示すような、取り組みの向かい方をすることを前提にします。


一記事に収めるのもいい内容ですが、そう一気に書けるものでもないのでいったんアップします^^。たぶんこのまとめ方話の収拾がつくかと^^;

なお冒頭触れたB子さんへのコメント内で、「自分に対する論理的思考」この問題への足場にもなると触れていますが、これは、人生全体が受け身にならないための最も基本的な足場だということです。
人との会話の際は、日常何をどう考えているかが結局材料土台になりますので、「自分に対する論理的思考」によって「内実ある生活思考」とも言えるものをしていることが、健康な和の行動のための基本的な材料土台にもなるということになりますね^^。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-5・学び
ではこの問題消滅までの、主な通り道ポイントを説明します。
「詳細マップ」「流れチャート」(右上の便利リンクから^^)のような取り組みの進め方前提とします。まず「学び」を得て、それへの納得感状況から立ち位置成長への課題を把握するという進め方です。


学び

まず「学び」です。心が健康で自立した世界の建設的な思考法行動法と価値観では、人の和というものをどう捉えるか。どう向かえばいいか。

一番基本となる言葉を、1/13『「理想的な愛」のイメージこそが「心の業」』で書いています。
「本心」からそれを楽しめる者が、その行動をすればいい。

つまり、心が健康な世界で、人の和というものは、そこで行われる「活動」への、「本心」からの純粋な楽しみによって営まれているものです。「楽しみ」「向上」共有するためにです。
同じようにその活動楽しめる者であれば参加すればいいし、そこに楽しみをもう感じないようであれば、もう参加する必要もない。もちろん参加に際しては、活動の内容に応じて何か条件がある場合もあるでしょう。人数というのが問題になるなど。公的な集団になると参加費の支払いとか。


心の未熟と病みの目

一方、心の未熟と病みによってこう見えがち、というのを言えば、人の和が何か人物の認め合いバトルにおける椅子取りゲーム(^^;)のように見える、というものです。
人間の魅力や、性格の良し悪しによって、誘われるかどうか決まる。そうした感覚の先に、先のその4でまとめたような「深刻形」「和への軽蔑嫌悪」「絶望的な焦り」「除外される怒り憎悪」といった感情動揺が起きます。

で、「何であんな奴が皆に誘われ、自分だけ・・」といった気分も生まれる。
答えはまずは単純であり、本心から楽しむ人が、自然愛着も持たれ、また一緒にやろうよ人が近寄ってきます。


3段階ハンドルさばき」の基本形

自分には近づいてこない時、まず自分が本心から楽しめていたか問うのが、良い向き合い方です。そして自分問うのです。これから自分は何をしたいか。何を望むのかを。
これが右左右「3段階ハンドルさばき」基本形になりますね。


半分はルールの和の行動法

職場での宴会や、挨拶の行事的な行動は、もちろん純粋な楽しみだけで営まれるものではなく、関係維持のためのルールのような側面半分あります。
それでもそのにあるのは純粋な喜びであることを見る目を持ちたいものです。ちなみに私自身今年の年頭喪中でしたが、大きな震災があった昨年は大変だったが、こうしてまた生きることができたと、「おめでとう」と言える感覚とともに、それが年始の挨拶になったことへの納得感のようなものを、人生で初めて感じた感がありました。

そうした半分儀式ルール的なものは、それを楽しめないのであれば立場に応じてやめても良い範囲、顰蹙をあまり買わない範囲というものも結構ありますので、そうした範囲の中自分なりにしっくり行く行動法見出していくことが、人生の一つの宿題のようなものでもあります。
そうした「範囲」についての考え方は、宴会なり年賀状の出し方なり、個別に出てきます。これはそれぞれを取り上げる機会に譲りましょう。


「順調な前進」ケ-ス

感情動揺実はあまり根深いものではなく、和の考え方と行動法について思考のミスをしていただけであれば(たとえば人の和の維持過剰な尊重など)、こうした学びによって、比較的スンナリと問題解決と向かうことができるケースも、あくまでケースの洗い上げとしてはあり得ます。
ハイブリッド心理学取り組み実践は、まず何を置いても外面向けの建設的な思考法行動法学び重視しており、もしそれでうまく行けば何も痛みを伴うメスを入れるような内面向き合い必要とは考えていません。

ただ実際にはそうしたケ-スあまりないかも知れません。なかなか拭い去れないアンビバレント感情というのは、まず根深い心の問題表面的な表れです。

上述の「学び」のような、健康で心の自立した世界のものとして、人の和というものを捉え感じることができない。これは「深刻形」のケースになるでしょう。
あるいは、そのようなものとして見る目を持ち始めても、心の動きはそのようにすぐ変わるものではありません。「基本形」アンビバレント消えないというケ-ス。

次の記事で、そうした「深刻形」から抜け出し「基本形」のみへと軽減、さらに問題そのもの完全消滅に至るまでの、通り道のポイントをまとめます。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-6・深刻形からの抜け出し
根深いアンビバレント感情の克服

前記事終わりで触れたように、アンビバレント感情原因比較的単純和の行動法についての思考ミスにあった場合、前記事でまとめたような「学び」意識しながら向かい直すことで、大方の問題解消してしまうケースもあり得ます。

ここでは、そうではないケース、ということは、表面アンピバレント感情の下に、来歴から抱えた心の闇と病み、そして生き方姿勢大きな誤りがあるケースでの、取り組みについてまとめます。

大きく2局面に分かれると思います。「深刻形」からの抜け出し局面と、「基本形」根本消滅への歩みです。


「深刻形」からの抜け出し局面

まず、「人の和への軽蔑嫌悪」の一方で「自分が除外されることへの怒り憎悪」といった、あまりに食い違う両極端感情のアンビバレントという「深刻形」からの抜け出し局面です。

これは、心の仕組みについての難解抽象解説よりも、症状別対処法としてまとめるのがよろしいかと。まあそれが実際どうできるかの話になると、背景にある難しい心の仕組みについても考慮しなければならなくなる部分もあるかもですが。

とりあえず3つをまず考えることができます。
この3つ。以下でそれぞれ説明していきます。

症状別・「深刻形」からの抜け出しポイント

・「人が人が」症候群からの抜け出し
・ごまかし言い訳メカニズムの解除
・愛の固定観念の誤りの修正



「人が人が」症候群からの抜け出し

健康な心の世界人の和というものが、「認め合いバトル」(^^;)ではなく「純粋な楽しみ」によって営まれているという捉え方に、反発を感じるケースです。
とてもそうは思えない。そんなの奇麗事だ。現実の輩(やから)の集団というものは・・、と。

そこで心理相談などにおいては、そうは思えない理由滔々(とうとう)と訴える言葉が溢れることになります。「あの人があんなこと言ってる!」「この人がこんなこと言ってる!」と^^;

これが「人が人が」の症候群です。
自分の問題どう神棚に置いているかはさておき、とにかくまず他人がどうだから・・と、「人の問題」「人のせい」にする思考慣れすぎているケース


「自己能動形」(自己の重心)で考える

単純です。「自分は」どうしたいのか。「自分なら」どんな行動で人に接したいのか。
『入門編上巻』主題一つですね。「自己の重心」です。

入門編上巻はちょっとエッセー風(?)で、一つ一つの言葉定義をしていく解説調ではない面もあり、「自己の重心」ずばり定義した文章は書いてない感じですね・・。
『理論編上巻』では以下のように定義しています。
1章 現代人の心の荒廃  -失なわれた「自己の重心」-

 「自己の重心」とは、自分の思考や感情が、自分と他人の間のどこに「重み」を置いて感じ取られるかということです。自分の思考や感情なのですから、「自己の重心」は自分にあるのが自然で健康な状態です。

 それが、「自己の重心」が損なわれ、「自己の重心」が軽くなってくると、自分自身よりも他人の側により大きな「重み」が移ってきます。自分のことよりも人のことを大切にするという意味での「重み」ではありません。あくまで自分で自分のことについてどう感じ考えるかということそのものにおいて、「自分」の重みが失われ、「他人」の比重が大きくなっていくのです。

また『実践ガイド』では、「感情と行動の分離」実践項目説明の中で、「自己能動の思考」ということで触れています。
0-4 自己能動の思考で問題を捉える (「自己の重心」)
短いのでそのまま転載しますと、

「こうされた」「こんな気分にさせられた」と、「受け身形」でばかり思考していると、心の成長と治癒には全く向かえません。これを、自分を起点になるような思考形たとえば「では自分としてはどうされたいか」「自分ではどう感じ考えるか」「自分はなぜそう感じたのか」に変えることで、「感情と行動の分離」以降の実践に進むことが可能になります。

このようにまずは、「受け身形」から「自己能動形」に変えていく。
まずは思考から。次に、感じ取り方も。


どんな人の和を目指すか

重要なのは、「あんな人達は!」他人への批判と怒りにふけり続けるか、それとも自分心の健康と成長のために、自分として人の和をどう捉え目指すか心を向けることができるかです。

もちろん「現実の」人間集団の中には、プライド維持のためだけの烏合の衆のようなものもあるでしょう。
それとは異なる、純粋に「楽しみと向上の共有」として営まれている健康な人の和という側面を、認める目、見分ける目を持つことを目指すかです。

それを目指すことに心を切り替えた時、「深刻形」アンビバレント感情は、比較的短期間のうちに減少そして消滅に向かうこことも考えられます。

一方それを目指すことができないケースとは、まず言って来歴の中で深く「自分を見捨てる」ことをしてしまった人です。その結果すさんでしまった自分の内面を他人に映し不平怒りに流れるしかできなくなってしまうのです。
この場合は「今を原点として成長する意志を持つ」ことである「基本的自己受容」という、歩みのスタートポイントが、まずは向き合いテーマになると思います。
詳しく2011-08-10『「基本的自己受容」とは-1』2011-08-11『「基本的自己受容」とは-2』など参照。


ごまかし言い訳メカニズムの解除

そうして「他人の問題」ではなく「自分がどう目指すか」心を切り替えた時、今度は、健康な人の和にはあまりにそぐわない自分が見える、という隘路が起きるケースも十分考えられます。
私自身、まさにそこからの歩みが、人生の大きな道になった感じです。

そこには、「他人の問題」としている中で蓋をしていたような、自分の中勝手に湧いて流れる「利己的で傲慢」な感情、例えば自己顕示欲衝動に、脂汗が出るような局面もあるかも知れませんし、「こんな自分では駄目だ・・」と、人の和に入れるためになるべき自分とは全く違う自分への、怒り苦しみに悶える場面もあるかも知れません。

これが「深刻形」からの抜け出し通り道ポイント2つ目「ごまかし言い訳メカニズムの解除」です。

これについては私自身の衝撃的な「解除体験」『悲しみの彼方への旅』から引用しながら、その3で説明しています。
あまりにも未熟で弱く、自分から人の和に受け入れられるよう求めるのは怖くてできないので、その原因になっている内面のチグハグ人の和にそぐえない粗雑な感情を他人に映し出して攻撃する感情差し替えるという言い訳メカニズムを、心が用意しているのです。

人の問題にするのをやめ、ありのままの自分に向き合うための自己分析のメスは、怒り流れ先を今度は自分へと変えてしまうことが起き得ます。


愛の固定観念の誤りの修正

3つ目のポイントを引き続き言いましょう。

さらにそれが間違っているのです。人の和にそぐわない自分への怒りがです。
人の和に入るために、自分が持たなければならないと考える、「人への愛」のイメージがです。
自分が欲しいと感じている「愛」を、人も欲しがっていると感じ、まずそれを自分から人に与えられるようになるのが、「理想の自分」と感じていることがです。

つまるところ、そうした「愛」が見られない自分や他人を、「愛がないもの」として怒りを向けることがです。

そこにあるのは、「今の心」つまり未成長の心で欲しいものと感じる「愛」を、「愛」の「あるべき姿」として抱き、それに満たないものを怒ることで、より成長した「愛」への変化を自ら破壊し閉ざすという、心の業です。
これへの別れを告げるのです。

先の『写真と言葉』の以下2つも、このことを表現したものです。
1/13『「理想的な愛」のイメージこそが「心の業」』
1/14『「有形の愛」「無形の愛」「愛の意志」』


「愛の成長変化」の学び

「愛の成長変化」についての学び得ておくことが、ここで決定的に重要になるでしょう。

これについてはあとで改めてまとまった解説を書きたいと感じる次第ですが、ここでごく手短に書いておくならば、「愛」成長成熟するにつれて、特定の相手に向ける愛情は言ってしまえば「希薄化」するのがより健康だという「人間観」を持っているのが、私自身の人生体験としての結論ですし、ハイブリッド心理学としてもそれを基本的心の成長成熟と考える道のりを考えています。

上の1/14の方の『写真と言葉』で語ったように、特定相手に向ける、濃い、うっとりするような感情としての「愛」から、「存在」そのものが、つまり「生きる」ことの全体が「愛」である状態へと、遷移していくのです。

世の人の、全ての心の惑い煩い根底に、そうした心のあり方についての無知と、感受性の麻痺があります。

一方、そうした「成熟形」とはとして、「病みの繊細・健康の薄情」といった、特に誉められたものでもない(^^;)一般的な話もあるでしょう。
その「薄情」責めたい気持ち理解できますが、病みを高貴と感じる心の罠に注意が必要です。これが「最強の成長停止薬」とも言えるものだからです。

まずこうした学び持つことからです。自分も「存在が愛だと感じればいい」当てはめるのは全く無駄として、まずは同じ冷淡に見える他人の表情の下に、全く異なるがあることを見る目培うことから目指すのが良いでしょう。

『入門編下巻』「9章 愛への道」が、こうした視点も含めたものになっています^^。


進み方

こうして、「他人の問題にする」というも、「人の和にそぐわない自分を怒る」というも、全ての根底にあるのは、この「今の心で欲しいと感じる愛を、愛のあるべき姿と考える」という「愛の固定観念の誤り」です。

そのため、まずこの「愛の固定観念の誤りの修正」準備した上で、「人が人が症候群からの抜け出し「ごまかし言い訳メカニズムの解除に取り組む、というアプローチ最も効果的とは考えられますが、そう一筋縄では行かないかも知れません。
これらは一つの論理的思考で解く、あるいは転換するようなものではなく、日常の思考と感情への向き合い全体によって準備される心の変化が、しかるべき時「気づき」として訪れるものだからです。

ですから実践的には、その4『読者広場』での「自分に対する論理的思考」先行解説に触れて述べた通り、日常思考全般受け身でないもの築いていく具体的な材料ベースのさまざまな視点からの取り組みの中で、ここで述べた通り道ポイント3つについても「気づき」得ていく、という進み方をイメージして頂ければよろしいかと思います^^。

またこうした変化への歩み全てが、「詳細マップ」に示した通り、「人間性の核」「本心」「永久歯の心」3段から成るエンジンいかんになります。それをしっかりと持つということへの、基本的な意識大切になるとお伝えしておきましょう。


問題の根本消滅へ

そうして「愛がこうあるべき」という固定観念捨てることを中核にして、「軽蔑嫌悪」「怒り憎悪」といった、「怒り」ベースになる「深刻形」消え惹かれても近づけないという「基本形」大元にある、裸の自分があらわになると言えるでしょう。

それは私が浮かべた表現を書くならば、「他人ができあいの親しさ演技を押しつけてくるのではなく、自分が愛が欲しくて自分で嫌になるような嘘っぽい親しさ演技しか分からないでいる」といったものです。

そこでまさに活路を開くのが、12/28『詳説・実践のポイント7・いざない5・人生の鬼門4』で触れた、「“自分”ではない高みを目指す」という方向性です。
人の和に近づくことを妨げる根底にある心の闇は、「自分」にまつわるです。それを「“自分”ではない高み」凌駕した時、人へのアンビバレント根元から消滅に至る、と言えるでしょう。
「心」「魂」「命」という神秘的な仕組み役目を果たす局面でもあります。

これを次にざっとまとめてみましょう。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
「宴会恐怖」「人の和アンビバレント」が完全に消えるまで-7・より深い学びへ
人の和アンビバレント根本消滅までの通り道ポイント

では引き続き、「基本形」から問題消滅までの通り道ポイントを書いていきましょう。


まずとして大きく3つになります。

前提状況「深刻形」段階との違い

外面行動法における前進。つまり歩み方ガイドでの右ハンドルですね。これを意識して向かい直すだけ前進できる面もあれば、それはそれで大いに結構

内面向き合い共にする前進。これはつまり、人の和アンビバレンスの根源にある心の闇への向き合い含むものです。右ハンドル妨げる原因しっかり見据え左ハンドルも切る必要があるもの。もちろんその後にまた右ハンドルです。3段階ハンドルさばきフルバージョンです。
「ハンドルさばき」については2011-11-19『成長の道標への歩み方-6・ハンドル操作の基本4』など参照^^)


前提状況

他人の問題ではなく自分の前進の問題だと心底から感じることができ、「深刻形」からは抜け出せたことが、以下の話前提です。でないと、ここでの話馬の耳に念仏になるということで^^;

その6で述べた3つのポイントまとめて書くと、

愛のあるべき姿の固定観念の下に、人の和にそぐわないと感じる自分への怒りを、他人の側の圧力として言い訳する。
というものから、
愛の形への固定観念による怒りを捨て、愛が欲しくて自分で嫌になるような嘘っぽい親しさ演技しか分からないでいる自分を認められるようになる。

といった変化になります。

以下に説明する前進の仕方反発抵抗を感じる場合は、まず言って「深刻形」段階であることが考えられますので、その場合はその6駒を戻すということになります^^。


生き方の全体を自己能動的に

あるいは「深刻形」ではなくても、自分の前進の問題とは感じることができないケースはどうしたらいいか。受け身の姿勢の中で、人の和に惹かれる感情と、自分からはただ怖いといったアンビバレントといった状況などが考えられます。

これは自ら前進するための基盤になるものでもありますが、結局生き方の全体受け身ではなく自己能動的にするのが、まず言える取り組みです。

そのためには、その4読者広場B子さん質問へのコメントに触れて述べた通り、「自分への論理的思考」一番基礎になるものだと思います。
「なぜ」から「確かめる」までの「自分の考え」持てることで、自身の生活態度から人への基本的な接し方まで、全般的自己能動的にしていくことが可能になるのではないかと。
これはもちろん、本を一度読んで感銘してどう変われるかといったのとは対極の、日々の日常の中での着実地道な実践の積み重ねになります。


より深い学びへ

そのように、自分の前進の問題感じることができる、さらにその意志を持てることを前提として、「基本形」アンビバレントその4参照)の根本克服への取り組みは、まずは再び外面向け建設的な思考法行動法学びです。

その5では、人の和基本的な位置づけについての学びを示しました。「楽しみと向上の共有」として営まれていることを見る目を持つことです。人物の認め合いバトルにおける椅子取りゲームとしてではなく。

ここではさらに、「和」「個」「愛」位置づけについての学びです。
心が健康で自立した世界におけるそれについて。また、心の治癒成長成熟目指すための、その捉え方です。

対極的に、心の未熟と病みの目からはその位置づけどのように見えるかについても示しましょう。その心の罠から抜け出し、別れを告げるために。


「和」と「個」と「愛」の位置づけ

それはこのようになるものです。

「和」「個の確立」の上に、また「個の確立」のためにある、「個」を補い合い高め合うための場です。
「個の抹殺」の上に愛を与えられる場ではなく。

「和」「愛」を与えられるための場ではありません。「愛」はあくまで「個」と「個」の間で築くことが問われるものとしてです。もちろん、「和」がそれを促し仲立ちする役目大いに果たします。

ですから、私たちが人の和向かうためにまず成すべきこと、取り組むべきことは、「自己の確立」なのです。
それを携えて、人の和に向かうのです。


「自律的」な「楽しみ」と「向上」へ

そのために一番基礎になるのは、上述の通り、「自分への論理的思考」によって生きることの全体を、受け身ではなく自分自身でハンドルさばきをする自己能動的なものにする、日々の日常の中での着実地道な実践積み重ねです。

そこで、人にどう見られどう喜ばれるかからは一応独立した、つまり人に見られよう見られまいと、人に喜ばれよう全く関心を持たれまいと、自分自身として楽しみ喜べる、「自律的」な「楽しみ」と「向上」を、まず自分自身で持てるようになる・・否、持てるようにすることです。
なぜならここで決定的転換は、私たちが実際に何を楽しめるようになったかの「結果」問題ではなく、自ら楽しむという「意志」問題だからです。


歩みの全体の中で

これが「人の和」への向かい方の、「より深い学び」です。
ここでも、こうした学び意識して向かい直すことで人の和へのアンビバレント克服できれば、それに越したことはありません。実際私の場合も、こうした姿勢の先に、趣味のスキークラブ活動に参加したりする生活を通して、心が成長し、自然克服解消に向かった側面もかなりあります。

他の視点とも合わせて歩む中でです。『いざない1』でも述べた述べたように、心の悩みは、「悩むこと」取り組むだけでは、基本的根本克服できません「悩んではいないこと」についても幅広く、ということは結局人生の生き方全体取り組む先に、あらゆる惑いになる心の成熟変化として、それは訪れるのです。

それでも特に関連する視点を言うならば、「望む資格思考」打破などが挙げられます。楽しみ向上の共有があれば誰もが参加することができます。決して、人物の魅力や性格の良し悪しで和に参加する資格が得られるのではないのです。
私自身スキークラブ参加当所は、人に接する時自意識過剰でチグハグな自分悩む場面も多々ありましたが、「参加する自由」の思考歯を食いしばって続け、やがてクラブの中でごく落ち着いた自分のポジションを得ていった経緯があります。

あとは「怖れの克服」というテーマ全般重要になるでしょう。アンビバレントを構成する感情一つに、必ず「怖れ」あるからです。
これについては、「幽霊への恐怖」といったごく卑近なテーマから、その根本克服取り組む歩み決定的な役割を果たすであろうことを、ここでお伝えしておきましょう。

そして「自尊心」をはっきりと「生み出す」ことに置く思考洗練です。日常仕事の中で触れ動く、自他へのプラスとマイナス感情の揺れ動きを、そのにある価値観問い直す作業としてです。

結局、建設的な思考法行動法と価値観への取り組みの、全体になりますね^^。アンビバレント克服への原動力も。


一方、こうした外面向け思考法行動法による前進とは別に、内面だけで行われる転換による前進側面があります。
「人の和の中で愛が与えられる」ことへの置き去りにされた魂の願いと、そこに潜む心の業を見据える、神秘的心の治癒側面です。
まるで脳から変化していくような、全く異なる、異次元の未知の心への成長成熟もそこにあります。

これを次の記事でまとめていきましょう。

詳説・心の治癒成長メカニズム |   コメント(0)
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