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島野隆のブログへようこそ!

このブログは、
心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
本当の心の治癒と成長に向かって!
 
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詳説・実践のポイント1・「逆の取り組み姿勢」の轍
では「取り組み法誤り」パターン理解と対処から始め、実践のポイントを説明していきましょう。
「成長の道標への歩み方」シリーズの続きですが、このタイトル(カテゴリーにもします^^)連番振っていく形で^^。


「逆の取り組み姿勢」の轍と対処

まずは「逆の取り組み姿勢」対処からです。

「逆の取り組み姿勢」とは、ここ一連の記事で触れている、
「心に取り組むために、心に取り組んでしまう」というもの。

それすると、はその姿勢とは裏腹悪化し、外面現実放置され悪化してしまうという、先の「取り組み姿勢の正誤」最初の絵の方のパターン

これがまさに、取り組むため、それが良かれと人が考える取り組み姿勢がまさにそれにはまるという、3つの問題点を説明しようと思います。
そしてそれへの対処。まこれは外面現実の具体的問題ベース学びからという、本来の入り方での仕切り直しということですけどね^^。


良かれと考える姿勢が、まさにそれにはまる。何にはまるかのと言えば、「自意識の業」です。
自意識の罠です。自意識の罠はまり自意識の業落ちてしまう。


「心に取り組む」ことの3つの問題点

「心に取り組むために、心に取り組んでしまう」という姿勢含み得るものとして、3つの問題点があると考えています。
まず列記しておきましょう。

「心に取り組む」ことの3つの問題点

1)根底で自分の心への駄目出しを続ける
2)「内面的優越」という病み
3)「現実」に向かうことをしないままでいる

「心に取り組む」ことをやめる取り組み・・

この3つを眺めたとき、まさに次のような概観を、感慨とともに得るのを感じます。

それは、私たちはまさに今まで、そうして自分の心に取り組もうとしてきたわけです。人生を通して。
そうして、自分の捻じ曲げることへと、取り組んできたわけです。

ですからこの取り組みとは、それをやめる取り組みなのです。人生を通して、誤った形で自分の心に取り組んできた、取り組みを。
それによって実際すでに捻じ曲がってしまったを、元の純粋なものへと回復させることも含めてです。


そのように、「心に取り組むことをやめる取り組み」だとも言えるでしょう。このハイブリッド心理学の取り組みは。
その先に、まさに「豊かな無」というゴールがある。の通った話ですね^^)v (←ぶいマーク余計^^;)


短いですがいったんアップして、3つの問題点対処説明を続けます。

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詳説・実践のポイント |   コメント(0)
詳説・実践のポイント2・逆姿勢からのいざない
取り組みへのいざない

さて、実践のポイント1では「逆の取り組み姿勢」含み得る問題として以下3つを指摘しました。

1)根底で自分の心への駄目出しを続ける
2)「内面的優越」という病み
3)「現実」に向かうことをしないままでいる


その3点それぞれを起点にして、取り組み実践入り口に入るための「いざない」言葉などまとめようと思います。


逆姿勢の問題点について何を言いたいのかと、結構考え整理していた次第です。今までの執筆内容おさらい的文章を書いていたのですが、どーも違う、と。

必要なのは「入り口に入り直す」ための言葉です。それはつまり、取り組み実践まだ分かっていない段階です。往々にして、心理メカニズムやら行動法やら、断片的な知識については深入りしているとしても。それでも本当は分かっていない
そうした人が、取り組み入り口入り直すための言葉です。

まだ入り口にも入っていないのですから、細部に深入りしないまま、ハイブリッド心理学を伝えるための言葉を・・。


分かっていなかった島野・・

実は思い返せば、私自身そうだったわけです。大学院まで心理学追求し、恐らく頭に詰め込んだ知識としては当時他には余地がないほどのものであったにも関わらず、分かっていなかったわけです。

そうして「知の探究」として進めることへ完全に見切りをつけ、「心の探究」そのものさえもう自分はやめたという感覚さえ持ちながらも、社会人としての生活人生の出来事が、私を次第に一つの道へと導くことになった。

そうしてはっきりと自分が変化を得てさえ、実は分かっていなかったわけです^^ゞ なんで自分が変化したのか。
で後から、自分に何が起きたのかを理解するために心理学を再開して、9年・・。ようやっと見えてきた、と。


逆姿勢からのいざない

ちょっと話が膨らみましたが、そのように「分かっていなかった」ことの重要ポイントが、やはりその3点になっている。

それは一言でいえば、何を分かっておけばいいかを言うならば、
・そもそもこの取り組みで何をするのか、であり、
「自尊心」「愛」という取り組みの道への理解、であり、そして
「未知」に向かうという答えのための基本的な意識のあり方

であったわけです。

ですから、この逆姿勢3つの問題点話の足がかりにして、そこからへと、つまり真っ直ぐな方向へと向き直したあとに何があるのかを、つまりハイブリッド心理学取り組み全てを、今までで最も短い言葉でざっと語りいざなう言葉が必要なのではないかと。


それをざっと書いて見ようと思います。
短いですがこれもいったんアップして、それぞれを視点にした上で、入り口へとつなぐ話を続けます。

ということで実践のポイント1『「逆の取り組み姿勢」の轍』訂正してあります^^。

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詳説・実践のポイント3・いざない1・何をするのか
「いざない説明」3つ書くつもりですが、1つ目です。
に載せる原稿モードで書いており、長いです。この先合わせ最長になるか・・^^。


心の取り組みに「入り直す」

では「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という逆姿勢含み得る問題点理解から始め、取り組み実践入り口へと改めて入り直すためのいざない説明などしたいと思います。

これはハイブリッド心理学これまでの学びであろうと、他の心の取り組みであろうと、読みかじって取り組み始めた時必ずはまる問題です。
ですから心の取り組みとは必ず、「改めて入り直す」中でやがて真のものになると言えるでしょう。


心に取り組むことの逆効果

含み得る問題最初に、単純な逆効果を言うことができます。

心に取り組もうとして心に取り組むと、心の問題が悪化してしまう。

それは、「心に取り組もう」とする姿勢が、結局のところ心の底自分の心への駄目出しをした上で、意識で心をどうにか変えようとする焦りストレスを生んでしまうというものです。
実際、自分の心これでは駄目だと感じる面があるから、心に取り組むわけです。そうして取り組んで即座に良くなる方法があればいいのですが、どう自分の心に取り組むか意識を働かせ始めた段階で、自分の心に駄目出しをしたことへの心の反応が起き始めるわけです。それは重苦しい自己否定感情です。
そしてその自己否定感情さらに加えて、「これじゃ自分の心は駄目だから・・」と、これではいけないと心に取り組もうとする。するとそこで自分の心に駄目出しをしたことへの心の反応が起きる。それは重苦しい・・。

これは『入門編下巻』最初にも触れた話ですね。「心のハウリング」が起きてしまうわけです。「自分の心への駄目出しのハウリング」だと呼べるでしょう。


生み出される「自己操縦」の姿勢

さらに加えて、そうして自分の心自分でどうにかしようとする姿勢は、どうしても、自分の心「こんな心」と見られるものにしようとする、無意識自動的な自己強制演技ストレスを生み出すことになります。
この「無意識自動的な自己強制演技」心の動きを、ハイブリッド心理学では「自己操縦」と呼んでいます。
この説明を始めるとこの記事あまりにも長くなるので、詳しくは『実践編上巻』の以下などに収録ということで。
8章 人生をかけた取り組み-4  -「感情強制」の解除・内面の解放-

さらにそれは「見せかけへの恐怖」という心理メカニズムを、派生物として生み出しがちです。それは「見せかけ」がばれることへの怖れであり、「見せかけるストレス」自動的に働く対人場面への怖れです。
また厄介なものとして、こうした文脈で、「見せかけへの怒り嫌悪」派生してきます。自分見せかけストレス抑圧しようとするほど、それは他人に映し出され、生理的嫌悪感として体験されるというメカニズムがあります。

こうした心理メカニズム分析は、どこかで役に立つ場面もあるでしょうが、最初から深追いすることは無用です。その前にやるべきことがあります。

そもそも心に取り組む基本姿勢間違えているのです。それをまず、正しい姿勢戻すことです。
問題多くが、心に取り組もうとして心に取り組んだことが生み出したものです。
ならばまず、心に取り組むのをやめればいい

では心に取り組むために、正しくどんな基本姿勢で、何をするのか。
心の治癒成長と成熟向かうための、ハイブリッド心理学でのその取り組み実践を、まずざっと把握して頂きたいと思います。

かなりの文量になりますが、まずこの程度の全体把握して頂くことが必要だと考えています。そのためこの一記事に収めた次第です。全体補い合う関係にあり、視点が抜けてばらばらになった時、一つ一つの取り組みの意味さえ失われる危険があるからです。
全部幾つの視点が出てくるのか、それは両手指の数ほどだとしても、自分にその10本の指があることを忘れる人はいないと思います。あまりうまく使えない指があったとしても・・。そう思い浮かべながら各パラグラフ番号を振っていったら、ちょうど10個になります。
中に出てくる具体的実践項目にも別途番号を振っておきました。ここでは6項目主要実践項目として出してあります。
取り組むに当たって、まずこの全体把握する。忘れてしまう部分が出たなら、該当するパラグラフ何度でも読み返して下さい。そして一つの実践が、未知の全体へとつながることを感じ取ってから、実践の入り口入り直すのがいいでしょう。


1.基本姿勢

まず心の取り組みとして何を行うのか基本として、心のあるべき姿を知り、それと自分の心を照らし合わせ、しっかりと自分の心を方向づける・・ではないということです。
心の外にある現実世界を正しく知り、それへの向かい方を知ること。そしてそれに向かって生きることを行います。

もちろん心を無視した向かい方ではありません。心の叡智を携えて外面現実世界に向かって生きることが、やがて自分の心豊か成長させていくような、そんな向かい方を行うわけです。
「自分」という囚われ惑い消滅させ、「無条件の愛」「豊かな無」へと至らせるような、そんな向かい方です。

それは具体的何をするのかを、ざっと書いてみましょう。


2.建設的な思考法行動法

それはものごとの合理的な(無理にそう捉えるのではない)プラスの面を見て、 ・・・1)プラス思考法
それに向かう喜び楽しみや向上の共有をベースに人に接することです。 ・・・2)建設的対人行動法
それが自分から幸福に向かうための思考法行動法答えです。

もちろんそれをただ機械的にこなせばいいというのではなく、本心からそれをどう理解納得できるものかを検討し、すんなりとそれを理解納得できない、あるいは心に引っかかるものがあれば、その原因探究することを行うのです。
プラス思考法建設的対人行動法考える暇もなく流れる悪感情についてもです。ここに、自分の心に取り組むという側面が出てきます。


3.価値観検討

そこにあるのは、対照的に、ものごとの悪い面を見て、そこに感じる怒りや不平をベースに人に接する、という今までの心かも知れません。これは自分から不幸を目指すような思考法行動法です。
この違いを生み出すのは、「自尊心」「愛」、そして「怖れの克服」「人生」について、私たちが心の底で抱く考えである「価値観」であり、さらにその違いを生み出す、「心の依存と自立」そして「人間性の核」という心の土台あり方です。そこには、自らを不幸におとしめることが、その矛盾した全体のつじつまを維持するための落としどころになるといった、心の力学もかいま見えるものとして。

心の成長病みからの治癒、そして豊かさは、自分から幸福に向かう価値観心の土台自らの意志によって選択し、思考法行動法日々の地道な実践を通して「今を生きる」ことが生み出します。もはや自分で自分の心を取り繕うことなしにです。

そうした心の基盤について学び、自分に無理に「当てはめる」のではなく、自分に「問う」ことをするのが、重要な実践になります。自分心の治癒成長どう理解しているのか。そのための具体的思考法行動法価値観検討学びは、今この場面どのようなものになるか。自分はそれに納得しているのか。自分として何を選ぶつもりなのか、と。 ・・・3)価値観検討


4.感情分析

本当に納得したとしても、建設的な思考法行動法すんなりと選べないこともあります。抵抗するのです。そこで再びその原因探る
「納得できればそうできる」「分かれば変われる」。それは「知」による成長の幻想です。私たちはそのように頭だけで自分を変えられる存在ではないのです。それぞれの人が、それぞれの人唯一無二の様子において、心のさまざまな分子重荷を抱える存在だからです。それは頭で納得した先に、「現実」の中で「自分から動く」ことをしようとした時に、ありありと見えてくるのです。

そこに、心の深層の深いひだ探究する実践が出てきます。建設的な思考法行動法試みるだけではなく、それを妨げる心の分子にもスポットライトを当て、それが自分にとってどんな感情的な意味と、今までの心にとっての価値を持つものかを、じっくりと味わうのです。 ・・・4)感情分析
そしてさまざまな果実の中で自分が本当に好きなもの選ぶように、今の自分はどの価値観を取っているのか、本心の針が向く価値観を、自分自身にはっきりさせるのです。

これは一つの賭けのようなものです。私たちのありのままに開放した時、何が現れるのか。
たとえそこで現れたものが、病みと破壊に甘美を見出す自滅の感情であったとしても、心に隠されたままの感情に向き合い明らかにすることは、見えないストレス消失させる治癒になります。少し時間を経ると、心が変化してきているのを感じるでしょう。健康と成長へと向いたものへと。暴かれたもの病みと破壊へと向くようなものであってさえもです。ここに心の変化仕組みのがあります。

そうして変化していく新たな心の土台で、こうして延べてきた取り組み実践繰り返すのです。


5.「本心」と「自分に対する論理的思考」というスタート

こうした全ての取り組み実践を勧めるエンジンになるのが、「本心」です。私たちの思考が私たち自身「本心」につながった時初めて、そこに人生前に前進する力が、「命」からつながってくるからです。
上辺だけの「つもり」の思考、あるいは人の考えを真似ただけの思考には、「命」の力つながってきません人と同じになろうと別のものになろうと、まず自分の言葉で、自分の考えを持っていくことから始める必要があります。

もし「本心」そのもの人生の中で失っている、あるいは持たないままでいるのであれば、そのこと自体にまずしっかりと向き合い、「本心」でものごとを考えるとはどういうことを学ぶことから始めます。
それは「自分なんて・・」といった観念の中で、自分の思考を持つこと、あるいは自分の感情を大切に持つことを、捨ててしまった幼少期ありありと思い出すといった追体験を伴うケースもあるでしょう。私もそうでした。

「本心」とともに、「感情に流されない論理的思考」とても大切になります。感情に任せて思考するのは、今までの心の中だけで思考を回すということであり、心は現状維持しかできなくなるからです。他人を論破するための論理的思考ではなく、自分自身に対する論理的思考を学ぶことからです。 ・・・5)「本心」と「自分に対する論理的思考」

そうして得る「本心」「自分に対する論理的思考」エンジンとして、ここで述べてきた取り組み実践を、進めるのです。


6.道のりを知る

その先に訪れる変化の道のりを、あらかじめ心に入れておくのがいいでしょう。それを自分の心に当てはめようとするのは誤りですが、訪れる変化への気づき早める効果があります。

心の変化は、私たちがに乗って人生の旅に出る先の情景です。それをあらかじめ知ったところで、それだけではもちろん、私たちは一歩も前には進みません。自分がいるこの立ち位置で、しっかりと車輪地面をつけて前進することを始めなければ。
私たちが行うべきことは、最後まで、常に今を原点として前に進むことなのです。
心がどうなれたかが重要なのではありません。大切なのは、方向を知り、それを歩むことです。

それでも次に自分が見るであろう情景知っておくことは、良い目印となり、道をそれることなく、旅の行程を大きく早めることに役立つでしょう。

大きな節目は、今を原点として前に進むことに価値を置く「人生観」心の底浸透していくことと、人間の本性に向かうものであることを科学的そして医学的に理解する「性善観」の確立背景基盤として、私たち自身とこの現実世界あらゆる不完全性を受容する、「否定価値の放棄」と呼んでいる価値観転換です。


7.魂の世界

それによって私たちのに、成長と成熟への原動力となる「望み」感情開放されます。
開放された「望み」に向かうことが、心の成長への歩みを、そしてそのための具体的な建設的行動日々の生活人生の全体を、俄然充実したもの変貌させるでしょう。

さらに、「望み」の中にある、「魂の感情」目を向け耳をすませることが、心の成長と成熟への最大の原動力になります。それは目の前の現実向上越えて、そして私たちの「自分」という囚われ越えた純粋さと深さを、私たちの響かせるものになります。それが、深い傷と膿のように残されていた、すさんだ、あるいは淀んだものとして残されていた心の部分をも、目に見えて浄化するようになってきます。 ・・・6)魂の世界

やがて「魂の感情」は、私たちがこの現実世界さまざまな不完全性による失意に出会う中で、より深く、より輝きを増すことに気がつくでしょう。思い通りにならなかった時こそ、自分が真に望んでいたのは何かふるいにかけられるということが、生み出すことなのでしょう。「自意識」が描いた、自分に嘘をついた思惑通りにならなかった時にこそということなのでしょう。
その先に、私たちは、私たち自身を生かすものが、この「自分」ではない、大きな「命」のつながりであることを感じ取るのです。これが「永遠の命の感性」この心理学で呼ぶ、心の成熟ゴールの扉を開くものになります。

その向こうに、「無条件の愛」「豊かな無」といった心の境地があります。そこに、「揺らぎない自尊心に支えられ、愛によって満たされ、もはや恐れるのの何もない心」この心理学で表現する心の世界が、訪れるのです。


8.心の外にある「現実世界」への向かい方に取り組む

何をするのかをざっと書きました。話を最初に戻しましょう。

そうした道のりを歩む実践として、「自分の心」にではなく、心の外にある「現実世界」への向かい方に取り組む取り組みだということです。
その基本姿勢抜きに、「自分の心」に取り組もうとした時、その道のりにおける前進全てが、なしになるようなものとして。

心の治癒成長そして成熟向かうための、「現実世界」見方と向かい方の答えがあります。それをまず学び、次に、それについての自分の本心からの納得状況考え検討する実践としてです。

最後までです。最初の、建設的な思考法行動法の学びだけではなく、その後の価値観検討も、自分の心の深層への感情分析も、そして魂の感情への向き合いも。それは心の外にある「現実世界」に、それらがどのように向かっているものであるのかに、向き合うことを行うのです。

なぜなら、「命」「現実世界」に向かうという「命の生涯」に、心の成長変化への全ての原動力があるからです。
「自分の心はどうだ」と、「自分」に向いてあれこれ考える、つまりそれは「自意識の殻」の中で考えることの中には、それはありません


9.「我流」をやめる

そうした取り組み実践入るために、留意して頂きたいことを2つお伝えしましょう。
一つは、「我流」をやめることです。

検討する問題材料について、まずは外面現実世界への建設的な思考法行動法学ぶのですが、それは「自分なりに」考えるのではなく「ハイブリッド心理学なりに」の考えを学ぶことです。それをするのが「ハイブリッド心理学の」取り組み実践です。それを説明しています。我流でする取り組み実践法ではなく^^;
もちろん我流で進めるのは自由なのですが、その結果については、ハイブリッド心理学では何もいえません。

「変われない人」「戻ってしまう人」
多いのがそのパターンです。「自分なりに」建設的な行動法考えている「つもり」なのに、変われない・・と。
それはひとえに建設的な思考法行動法として考える内容浅いのが原因です。「今までの心」で考えた中では建設的、というのにとどまっている^^;
まず検討の基準にしたい建設的行動法とは、「詳細マップ」「右ハンドル」冒頭にも記した通り、まずは健康な心の世界における、心を自立させた人の行動法です。それについての自分の納得感問うことで、立ち位置が如実に示されるからです。
社会多数派の人の行動法ではなく^^; 多数派の人は、まず言って成長していませんので^^;

心が健康で心を自立させた人の行動法というのが、想像もつかないというケース多々あります。思い返せば、かつての私もそうで、「建設的」ということにかなりの勘違いをしていた時期がありました。この辺は、「乳歯の心」と「永久歯の心」というテーマでの学び重点的に重要になってきます。

もちろん、あなたが出会う全ての場面のための具体的な答えを、ハイブリッド心理学全て用意して掲載しておくことは不可能ですので、まずは基本的な考え方と、幾つかの具体例を示すことになります。それを自分の検討材料応用すると具体的にどうなるのかは、多少自分なりに考えることが必要にもなるでしょう。また『読者広場』に書いて頂ければ、具体的なヒントをお伝えすることもできます。今後事例集など掲載し、より豊富な情報も提供する予定です。

そのように、まずはハイブリッド心理学による具体的建設的思考法行動法答えを得て、それについて自分の納得感問うことで、より深い価値観というレベルでの自分の立ち位置というものが見えてきます。
それをさらに問うのです。自分はこうした価値観で今生きているということか、と。これからもそれで生きていくのか、と。「当てはめ」をするのではなく
そこで「本心」の針がどっちに転ぶとしても、向き合いがそこまで深まった時、心は必ず見えないレベルでの変化始めています。そして再び、次の場面での具体的な検討を、というサイクルを、繰り返すのです。その先に、上に書いたような道のりが、進み始めるわけです。


10.「最初の一歩」では悩みを、「終わりなき成長」では悩んではいない自分の思考法行動法を検討する

もう一つは、検討の対象次第に変えていく必要がある、ということです。
悩んでいることではなく、悩んではいない自分の思考法行動法へとです。

なぜなら、後者前者を生み出しているからです。「悩んではいないいつもの自分の思考法行動法」が、見えないリンクによって悩み生み出すのです。それを変えずに、悩む感情だけ治したいと思ったところで、そうは問屋が卸さないのが大抵です。
悪感情だけを取り上げて検討しても、解決への糸口は基本的に見えません生き方の全体取り組む必要があります。悪感情生き方全体ひずみが生み出したものです。

一般に言って、悩み直接取り組んで効果を出せるのは、その時一回限りにおいて、そこで準備されている克服への力引き出すことにおいてです。
同じ悩みが再び起きるのであれば、同じやり方で悩みを消そうとしても、もうできません。さらに悩みを越えるための何らかの成長を、克服のために準備する必要があるのです。
克服のための準備は、悩んではいない普段の思考法行動法への取り組みによって生み出すものになります。
ですからハイブリッド心理学取り組み実践として、「最初の一歩」では悩みを取り上げ、「終わりなき成長」では悩んではいない自分の思考法行動法検討すると言えます。それによって、悩み消えるのが、やがて自動的になってくるのです。

メール相談では、取り組み糸口見えやすいものからということで、一番気になる悩みから検討し、なるべく即効的アドバイスを伝えることから始めます。そうしてメール相談であまり切れ目なく効果が出せるのは、長くてせいぜい半年です。
ギヤを変えるべき時が来るのです。人の言葉で変わることから、自分の考えによって自ら変化することを模索するべき時へ。悩みを取り上げる時から、悩んではいない自分の思考法行動法を取り上げるべき時へ。そのための材料探しから、自分で行う時へ。それをしなければ、もう何も変化が起きなくなる時が来るのです。

加えて言うならば、悩み取り組もうとすること自体を、捨てるべき時というのが来るのです。解決が良く見えなくてもです。「自意識の惑い」への別れとして、と言えるでしょう。
何らかのテーマごとに、人生一回きりの節目のように。もし悩み取り組もうとすることが、もはや自意識に見入るむし返しだけの意味しかなくなってきているようであれば。
これは心の深層「依存の愛」「既存の愛」への別れでもある可能性があります。私自身のそんな体験の時の日記を、9/25『「ハイブリッドの道」の歩み方-14・エンジン始動4』紹介しました。
これはもちろん、「気にしなければいいのか」という惑いの段階感情を無視するという、取り組み以前の人が考えがちな、誤った姿勢とは全く違う話です。依存の中で嘆きにふけることから、自分の足で立って歩く方法の模索へと、自分の存在あり方の全体、そして心の取り組みの全体ギヤを、そのように変える時訪れるということです。その節目に、あらかじめ心をときずませておくのは道の行程全体早めるのに良いことでしょう。

普段の生活場面、例えば家族との普段の会話などに、悩んではいない思考法行動法検討材料豊富にあります。自分普段他人の批判をして生きているか。それとも自分から生み出すことをして生きているか。ということは、結局自分破壊に価値を感じているのか。それは根底で、与えられてナンボ、人に良くされてナンボの受け身依存の価値観で生きているということか、という風に。

そうは言っても「全てを見直す」総体としては結局そのレベルになるかと)では、日々の実践としてはあまりにも漠然と範囲が広くなりますので、まずは「悩む直前の外部状況」焦点を合わせると取り組みやすいでしょう。
外部状況についてであれば、建設的な思考法行動法学びあり得たはずです。それを見直す。そして自分の納得感問う
悩む感情「この感情をどうすれば」と検討するのではなく悩む前に自分がした思考法行動法検討することです。
あるいは、外面行動法分かっていても心に流れる逆行感情については、自分の心を見るのではなく、自分が何を見たのかを、見るのです。すると自分でも気づかなかった自分の心の歯車良く見えてくるでしょう。
そこまで視力がついてきた時、自分を変えるということが「当てはめ」ではなく、「自分への問い」によって「命」が答えを返してくるものだということが、次第に分かってくるでしょう。


最初の課題へ

そうして建設的な思考法行動法学び納得感問い自分の立ち位置検討するのであれば、ほとんど全ての方最初の課題はっきりしているように思われます。
「自分では論理的に思考していない」ということです。人の話論理的に聞くが、というもの。
それでは、「終わりなき成長の道」へは、一歩も進むことができません学び正確に記憶理解し、自分の問題応用し、選択肢あげてみる。そうした作業は極めて論理的な思考によって行うものになるからです。それがハイブリッド心理学やり方です。

そうした「論理的思考」が、「心の開放」「魂の開放」、そして「命の開放」という道程のために、どのように使われるものになるか、前期過程実践のポイントから説明していきましょう。

その前に、「心に取り組もうとする」という逆姿勢含み得る、残り2つの問題を見ておかなければなりません。「内面の優劣」の感覚と、「現実は主観の解釈」とする世界観です。
それはそもそもの取り組みスタートのための、「外面現実世界へと向く」ということそのものを、完全に遮断するものだからです。
そこにおいては、そもそも外面現実世界全く見ていないのです。車のフロントガラスに、「今までの心」が解釈した外部世界の絵を貼りつけて、それを外界現実だと考えるというになるものです。
そこにある誤りを知り、それをやめることです。

そこに同時に、「愛」「自尊心」、そして「未知に向かう」というこの取り組みのを進む基本姿勢確固としたものにするための、良い糸口が示されるでしょう。


はあー、と思わずため息の労作^^; あはは^^;

詳説・実践のポイント |   コメント(0)
詳説・実践のポイント4・いざない2・人生の鬼門1
読者広場にて以下ご質問へのアドバイス入れています。結構重要なポイントなど出してますのでご参考頂ければ^^。
『バラバラな内面に耐えること』 Cさん No.401 2011/12/13
『はじめまして』 irohasuさん No.403 2011/12/14



「鬼門」と「扉」

では「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という逆姿勢含み得る、残り2つの問題対処について説明を続けます。

先のいざない1では、まず「心に取り組んでしまう」ことの単純な逆効果と、そうではない基本姿勢から何をするのか、そしてその先の道のりまで、ざっど説明しました。

残り2つの問題への視点が、その道のり入るために、そして進む中大きな道標至るために、決定的に重要になってきます。
2つの問題とは、「内面の優劣感覚」「現実は主観解釈という世界観」です。

なぜならその2つは、「道のり」における「鬼門」「扉」とでも言えるものにかかわるからです。どちらも、「道のり」「入り口」入る、そして「大きな道標」通過するにあたってです。


「鬼門」という言葉をここで使うのは、まずその言葉の印象最も合っていると浮かんだものとしてです。「内面優劣の感覚」についてです。
言葉正確な意味は・・と調べたところ、「邪悪な鬼が出入りする場所」とのこと。
まさにその通り。ハイブリッド心理学の言葉で言えば、人間の心に備わった「悪魔」というプログラムミスが取り付く場所です。

「扉」という言葉意味はよろしいかと。それを開いて異なる世界出入りする境界です。
「現実は主観解釈という世界観」は、ハイブリッド心理学では閉ざす方に位置づけられます。


どんな鬼門であり、何のか。一言でこう言えます。
「自尊心」「愛」という人生の鬼門であり、「未知」へのです。


「内面の優劣」という病み

まず「内面の優劣感覚」について。

これはさまざまな言葉で語られるものです。
平たくは、「あいつより自分の方が内面は優れている」「心は自分の方が上」「内面的優越感」「精神的優越感」
「内面的な豊かさ」という観念さえもが、これに属するかも知れないのです。もしそれが「外面的な豊かさ」敵対的に語られるのであれば。


これが問題となる、2つの側面があります。

1つ
は、こうした「内面的優越感」「精神的優越感」というものが、基本的病みであることを、心理学からは指摘できます。
私が集中的に学んだ精神分析であるカレン・ホーナイ指摘が印象的です。「私が関係した神経症患者の全てが、他人に対する自分の道徳的優越性を信じていたのが、実に印象的である」と。

「自分の道徳的優越性を信じていた」とは暗示的な表現ですね。それは病みつまり妄想的感覚であり、それが崩壊するのが治癒通り道になるという話になると言えるかと。

「精神的優越感」暴走どこに行くかはもう世間が良く知るところですね。カルト集団の教祖(^^;)になったり、「自分は神だ」と言い出したりする人(^^;)が現れる。

「内面的優越性」とはまさに、それを目指すことのごく健康から、その暴走の病理の極致まで、まさに「鬼門」であるわけです。


ただそうした、「病理がないのが健康」という消極形でばかり捉えるのは視線の偏りです。
私たちはもちろん精神的に豊かになることを目指して、こうした心の取り組みをするのですし、外面でどうかはさておき内面あり方人よりも優れた人間になりたいという動機で、こうした心の取り組みをするわけです。

そこからスタートするして、何が私たちの進み先を誤らせるのであり、何が本当の答えへと導くのかという、より積極的な、心の健康と成長への理解大切です。


「内面の優劣感覚」が持つもう一つの問題側面理解すると、それが見えてくると思います。
今度の話一記事に収めなくても良さそうなので、いつもの細切れで行こうかなと。

詳説・実践のポイント |   コメント(0)
詳説・実践のポイント5・いざない3・人生の鬼門2
「病んだ内面プライド」のメカニズム

では「心に取り組む時の轍の罠」2つ目について説明したいと思います。おととい『写真と言葉』『心に取り組む時の罠』で書いた、
「心の優越を目指して心に取り組むと、病みの乗り越えではなく焼き直しになる」というもの。

いざない説明としてどのように話すと良いかと整理していましたが、まずは心理メカニズムそのものを説明するのが良かろうと。基礎知識としてです。

それは、「病んだ内面プライド」メカニズムです。


なぜここで心理メカニズム解説単独でも取り上げるかというと、その影響範囲あまりに大きいからです。
前記事『心の成長に向かう軌道に、競争心を乗せていく』では入り口からゴールまでのテーマとも書いておきましたが、思い返すと、それは個人の心の取り組みテーマ軸であるのを超えて、我々が家庭社会心をコントロールされた方法とさえ、言えるんですね。

それは内面の優劣比較をし、軽蔑攻撃をするというものです。
そんなんじゃ駄目だ。これが尊い心です。自分が情けなくないのか。いまどきの人間は。そうした言葉で語られる全て目線根底に、これがあります。
人間の内面を取り上げて優劣比較し、その善悪審判をあおごうとするものです。自分の心に鎮座させた「神」に、と言えるでしょう。
そうして、人は自分が神になろうとする。その先に、自分自身の破壊という、が控えるものとして・・。

ハイブリッド心理学進む道は、この全てが、消え去るゴールへと続くになります。


ちなみに「自意識の業」という根源「黙示書」でも言っていますが、それが生み出す具体的心理メカニズム一つが、これなのだと言えます。
他には何が・・とちょっと考えて浮かぶものを入れると、これを含め3つが浮かびますね。人呼んで(ハイブリッド心理学の島野しか呼ばないけど^^;)「自意識の業の3大メカニズム」と言えるかと。
「自己処罰感情」「病んだ内面プライド」そして『いざない1』でも書いた「自己操縦」。この結合の先に、自らを破壊していくのだ、と言えそう。まこの話はまたどこかでということで。


「病んだ内面プライド群」の動き方

「病んだ内面プライド」は、幾つかの感情連鎖発展として動くものです。

にしてみました。
このに、心を病むメカニズムから治癒までの、きわめて高度な心理学凝縮されていると言えますv。(←ぶい余計^^;) こう整理するのに数日かかった次第。

「病んだ内面プライド群」の動き方
前期~中期 後期
1)内面の優劣 (競争心)[価値観の隔たり](向上心)   
2)病んだ内面プライド
 (内面的優越感、精神的〃)
自分の成長の過剰評価
3)卑怯な傲慢への怒り嫌悪
4)現実の裏切り 現実幻滅体嫌(治癒)
精神バランス悪化 優劣感覚が消えた「未知」へ


「病んだ内面プライド」の悪化連鎖

軽く解説しておきましょう。

まずは左側「前期~中期」つまり「否定価値の放棄」以前のもの。これが「病んだ内面プライド」悪化連鎖動きになります。

1)内面の優劣
「内面の優劣比較」が起きる心の状態です。
一般に「優」と感じられるのは、感情の豊かさ、明るさ、自発性、積極性、活発性、開放性、意志の強さなど。
「劣」と感じられるやすいのはそので、感情の貧弱、暗さ、受け身依存、消極、沈滞、内にこもる傾向、意志の弱さなど。ここにしばしば加えられやすいのが、こうした面に基づいた「自意識」、いわゆる自意識過剰状態です。

要はこれらは、「うっ屈のない心」「うっ屈のある心」というのが大きな本質でしょう。詳しくは省略しますが、「根源的自己否定感情」影響を受けていない心と、受けている心前者「優」後者「劣」のように感じてしまう、というのが根源で働くメカニズムだと考えられます。


2)病んだ内面プライド
こう定義できます。「自分が軽蔑する自分の感情を抑圧し、それを他人に映し出して、それを軽蔑攻撃する」というプライド感情
悪化連鎖核エンジンと言えますね。次のものへと連鎖発展する。

3)卑怯な傲慢への怒り嫌悪
「病んだ内面プライド」はどうしても「卑怯な傲慢」というのものになります。無実の汚名を他人に着せ攻撃することでプライドを得るのですが、その汚名は実は自分のことだという構図。つまり「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」です。
これはもちろん、こうした心理メカニズムに陥る人の外界現実の話ではありません。「病んだ内面プライド」動かすと同時に、心の底は、自分が「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」動かしていることを当然分かっているわけです。

ところがこの「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」と来た日にゃー、もう「劣」どころの騒ぎでなくなるわけだこりゃー(崩れた江戸っ子調^^;)
それはこの世で最もおぞましいゾッとする人間行為であり、幾ら攻撃しても足らないような怒り憎しみを感じて当然のものに思われる傾向があります。病んだ内面プライド動かす本人においてです。ちなみに健康な心の人は、特に感じません、というか特にそうしたものは知覚しません^^。
でその「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」がまた、「自分が軽蔑する自分の感情を抑圧し、それを他人に映し出して、それを軽蔑攻撃する」という病んだ内面プライド乗っかる
詳しくは省略しますが、「軽蔑憎悪応報型」の視線恐怖症などでは、この怒り憎悪軽蔑攻撃自分他人との間で繰り広げられ妄想が展開されているのを、本人の内省報告などから観察することができます。


4)現実の裏切り
「心は自分の方が上」「あんなやつよりは自分の心の方が」といった「内面的優越感」「精神的優越感」は、「病んだ内面プライド」ベースになるものだと言えます。
そうした感覚から、とりあえず特定相手への攻撃感情取り除いたものを、「自分への自信」の基盤感覚のように、考えがちです。
そうするとあとはもう飛んで火に入る夏の虫(^^;)心のバランスを崩す心の障害のメカニズムが見えてきます。

そうした「自分への自信」の感覚というのは、全て、「自分は分かっている」「自分は知っている」というのをベースにしているわけです。
心はこうでなければ。こんな心であってはならない。自分はそれをちゃんと分かっている。それにひきかえ他人は・・まあ問題は他人ではない。自分がしっかりすることなのだ、と。
そうして、「自分はこうあれる」という「自分の心」のイメージを心に抱いて、現実の世界へと、現実の他人へと、再び接しようとする。

そこに、「現実の裏切り」というメカニズムが起きることになります。
「自分の心はこうあれる」と思った通りには、動かない自分の心。それは場合により、他人に汚名を着せて攻撃した汚名のあり方で動こうとしている自分の心
「卑怯な傲慢への怒り憎しみ軽蔑攻撃」に、裏切られるわけです。それによって自信を持とうとしたのが、この世であり得る最大の逆転劇へ。軽蔑攻撃他人に向けるものだと約束したのに、軽蔑攻撃寝返って自分自身を攻撃しようとしてくる。

こうした心の動き流れが、人生重要「自尊心」さらには「愛」を、それによって得ようとする文脈の中にある場合、精神的破綻が起き、精神のバランスを損なってしまうのが、心の障害症状悪化メカニズムと考えられます。

そこまでいかなくても、この動き流れは、「現実」というものへの、全般的な対面恐怖を引き起こしがちです。それが「対人恐怖」「引きこもり」を引き起こすことが考えられます。

そのような心の障害症状ならなくとも、こうした「現実の裏切り」に出会うことの懸念は、特定相手への生理的嫌悪としてしばしば、比較的「普通」の人にも体験されるメカニズムになると考えられます。


治癒

治癒についてもざっと書いておきましょう。

まずこうした感情について、「分析」無駄です。ただそう流れているのが見えるだけ。

治癒は、まずこれら全ての心理メカニズムの影響を受けていない、現実における健康な心の世界への視野を持つことです。
これが前期課題「自分への論理的思考」ツール築きあげていく、実践課題となるものであり、このあとその実践ポイント解説へと移っていく予定です。

そうして、これらの感情が映すもの全てが、現実外界起きていることではなく自分の内面世界で起きているだけのものという状況確立し(もちろんこれは健康な心の人共に生きる相手として選択するという生き方選択必要です)、そこで「現実において生み出す」という価値観生き方確立へと向かうことです。

そこで「否定価値の放棄」によって、心で動くもの状況一変してくるのですが、面白い(?^^;)ことが起きてきます。治癒としてです。
上記のに示す通り、「否定価値の放棄」によって、「劣」であるものを他人に映して攻撃するという否定側面消える一方、心の優劣という感覚残ります。
それが今度は、「現実において生み出す」行動法習熟による自信獲得と増進の中で、心の優劣感覚の突っ走りは、自分心の成長過剰評価という形を取るようになります。

そしてそれもやはり「現実の裏切り」相当する場面を迎えることになる。こんなに成長できたと思っていた自分の心は・・と。
ところが今度は、それをさらに逆手に取るという治癒が可能になるわけです。なんということでしょう。(ビフォーアフターのナレーション調^^;)
つまりそこで、「自分はこうあれる」という「自意識」の、思い上がり自己卑下全部トータルにした、「自意識の無駄」が、意識思考を超えた心の底浸透するという事態が起きる。そして「自意識で生きる心」が、消滅に向かうわけです。
これが起きる体験重みによって、それは多少手痛い自分への幻滅体験から、「自己操縦心性の崩壊」と呼ぶ、意識一度死に向かうような切り替わり体験まで、多少バリエーションを持つものになります。
ただいかにも「崩壊」という感じのものは中期以前になりますね。後期になると、意識保たれたまま、より深い何かが見えてくる。それが「原罪の乗り越え」といった最終局面に位置づけられるものになります。


ということで、いったんメカニズム解説を入れ込んでおきました。
あくまでいざない説明のための、基礎教養科目としてです。
心の取り組みへの逆姿勢から、入り口正しく入り直すという段階における、実践的心得ポイントという本題の方を、次の記事で書いていきましょう。

詳説・実践のポイント |   コメント(0)
詳説・実践のポイント6・いざない4・人生の鬼門3
では先の記事での「病んだ内面プライド群」説明を踏まえて、「心に取り組もうとして心に取り組んでしまう」という逆姿勢が含み得る、2つ目の問題について説明しましょう。


「内面の優劣」の中で取り組む誤り

まず直感的な言葉で書いてみましょう。

それはつまり、「内面の優劣」の感覚枠内で取り組んでしまう、というものです。
「心の優劣」において、取り組んでしまう。自分の心「優」にするために、取り組んでしまう。

これはまずそうなると思います。私もそうでした。自分の心「優」にするために、取り組んだわけです。その時、私にとって私の心は、痛々しいほど「劣」だったからです。
でもその姿勢では結局、「優」にならないんですね。「自分の心は劣」という「世界」を、抜け出せない

根本的誤っているわけです。
心に取り組むとは、生きることです。自分の心「優」にするために、心に取り組むとは、「心を優にする」ことが「生きる」ことの「目的」と化すことです。
それは違うんですね。「生きる」とは、私たちが生きるこの「現実世界」に向かって、を開放して前進していくことです。それによって自ずと、成長治癒そして成熟への変化を起こすものとして。


「病みの焼き直し」の3パターン

どういうことか、分析的に説明していきましょう。

「内面の優劣」感覚枠内で心に取り組んでしまうのが引き起こす問題一言で表現したのが、『写真と言葉』『心に取り組む時の罠』で書いたように、「病みの乗り越えではなく焼き直しになる」というものです。

この「病みの焼き直し」様子を、3つ言えます。


「病んだ内面プライド」への箔づけ

まず程度最も悪いもの(^^;)から言いますと、「病んだ内面プライド」および「卑怯な傲慢への怒り嫌悪」という、他人の内面のあら捜し攻撃に、心理学の知識再利用(^^;)するもの。他人の内面の攻撃に、心理学の箔(^^;)を加えだだけであるのがあからさまのもの。
心の取り組み結果に、一切の改善向上が見られないまま、「心の取り組み」病んだ心にさらにお墨付きを与えてしまっているようなありさまです。

ちなみに先日もちょっと触れた(12/6『ありのままの自分を好きになりたければ』)、最近寝つけ薬がてらの読書に選んだ、『悲しみの彼方への旅』最初の方にも出てくる日本で最も著名な某人生論者(ネタばれ^^;)を読んだところ、最初から最後までひたすらこの「自己欺瞞に立った卑怯な傲慢」の他人(主に「親」)を批判攻撃する内容になっており、呆れたところです^^; 1行も役に立つ文章がなかった・・・ *_*;


「内面的優位性」の勘違い

次は、そのようにあからさまに他人攻撃心理学再利用されているという風ではなくとも、漠然と、心理学他人に対する自分の内面的優位性としてあるように感じているもの。
まあハイブリッド心理学なりこのブログなり幅広く読んでいれば上記パターンはないとしても、こっちはあるかも知れませんね。
前記事でちょっと触れたように、「後期」になると「自分の成長の過剰評価」というのが必ず起きます。それは多少このパターンでもある。


問題本質は、「分かること」「知ること」「わきまえること」が、「成長」直結するもののように感じていることにあります。だから、こうした心理学を「知った自分」は、他人への優位性を得たのだと・・。

それは誤りです。は、その成長豊かさあり方知ったところで、分かったところで、わきまえたところで、成長しません「現実を生きる」ことをしなければ。もちろん、「望み」に向かってです。
その点で、「本当に分かれば変われる」という感覚は、心の成長をまだ「分かっていない」ことを、まさに示す感覚です。


なお「後期」「自分の成長の過剰評価」は、それとは別ものです。実際自分の心変わってきている。分かって自分で自分の心をどうこうしようとあがいていた昔とは、もう別人のように・・。
で、その過剰評価が起きるのですが、「分かって成長する」のではないことをすでに身を持って知った段階であるからこそ、前記事で触れたように「現実の裏切り」さらに逆手にとって「自意識に生きる心」根底から捨て去るような、さらなる脱皮成長つなげることができるようになるわけです。

そんなものとして、心理学他人に対する自分の内面的優位性のように感じる取り組み姿勢とは、「分かれば変われる」という誤り意識の中にとどまっている、つまりは全く成長変化できない取り組み姿勢にあるという問題です。


心の答えは心の中にはない

心の取り組み姿勢「内面の優劣」が絡む問題面最後は、最も根本的な話になります。

上の最初に書いたように、私が犯していた誤りです。そのせいで、後に「失われた20年」と振り返るような間延びを置くことになってしまった。

それは、はどうしても「自分の心の中の“劣”」取り組んでいたのです。そんなものがあるから、大学院まで心理学を学び、「知の探究」としてそれを進めることに完全を見切りをつけ社会に出てからも、認知療法など新たな心理学にも関心を持った。「自分の心の中の“劣”」解決する答えを求めて。

もちろんそうした学びの中から得るものも、断片的にはあるのですが、その取り組み姿勢にある根本的な誤りとは、取り組みの全体が結局、前記事最初「内面の優劣」の感覚に、乗っかったものとしてある、ということです。
だから、もう他人の内面あら捜しなどは求めないようになり、自分の中で起きる悪化連鎖減らすことができたとしても、外部にそうした動揺減少よりも強い問題が起きた時に、全てが同じ感情の繰り返し戻ってしまうわけです。

心に取り組もうとする逆効果が起こす問題との連鎖の中でです。「内面の優劣」を基準にして、「心の駄目出し」「自己操縦ストレス」「見せかけへの嫌悪恐怖」に陥って「やはり自分は駄目・・」となる「現実の裏切り」に出会う。

心の取り組み姿勢原点「心の優劣」にある限り、「戻ってしまう」というのは必然という大きな枠があることを、ここで感じ取って頂ければと。

心の答えは心の中にはない、と言えます。それは心の外にあるのだと。


島野に答えへの視力を与えた「一つの文章」・・

にそうした「心への答えとなる心の外のもの」への視力を与え、あと戻りすることのない前進のための車輪(つまり「現実」への着地装備ですね^^)を与えるきっかけとなった、一つの文章というものを、今思い出しているところです。
それは心理学関係ではなく、当時の仕事関係で学んだ中にあったものです。

心の答えは心の外にある。このブログ執筆を通して焦点を当ててきているこの命題の、具体的な表れとなる思考を私に示したのは、あの言葉ではなかったか。自分はそれによって、「自分の心の外にある答え」に、自ずと目を向けるようになったのだ・・と。
そこから得るようになった生き方への自信足場に、やがて自分が神になろうとうする誤り根底から捨てる「否定価値の放棄」至ったのではないか・・。

そう考え、その文献いつのものだったか確認したところ、まさにその通り!でした。
私が「否定価値の放棄」に至ったのが1997年の12月(参照:2010-04-05『島野が神になるのをやめた時-1』)。私がその文献に触れたのが、1997年の初頭からでした。どんぴしゃです。


それを次に紹介しましょう(TV番組のつなぎ手法みたい^^;)この記事で書いた「病みの焼き直し」3パターンに応する、3つの対処心得の説明の中でということで^^。

詳説・実践のポイント |   コメント(3)
詳説・実践のポイント7・いざない5・人生の鬼門4
「内面の優劣」視点締めちょっと長いです^^;


自分の競争心を「手なずける」

さて、「内面の優劣感覚」心の取り組み絡んでしまうことの問題を、それぞれ一言で呼べば、
「病んだ内面プライドへの箔づけ」
「心理学による内面優位性の勘違い」
「自分の心の“劣”の見入りへのとどまり」

といったものとして説明したのが先の『人生の鬼門3』です。

これに対する対処心得が、先の『写真と言葉』でも述べたように、「外面向け思考法行動法」歩み方ガイドでの右ハンドル1の、キモになります。


心の成長への歩みには大きく3つのテーマがあります。「自尊心」「愛」そして「怖れの克服」です。

ハイブリッド心理学では、まず「自尊心」目指すものと位置づけています。順番として。まず「愛」依存しないものとしてです。それを基盤にして、次に「愛」向かう
これがになると、全部崩れてしまいます。愛されることで自尊心を得ようとする。自分自尊心支えることができず望み通りに与えてくれない他人への怒りに駆られ、それが壊します。
まず「愛」に依存しない「自尊心」。次にそれを支えに、「愛」へ。それが正しい道のりです。

「怖れの克服」はその2つそれぞれ対応し、まず「世界への怖れの克服」、そして「愛における怖れの克服」という2段階になると理解頂くとよろしいでしょう。

3段階のハンドルさばきと同じく、こうした道順の考え方もお忘れなく^^。「当てはめ」るためではなく「自分に問う」ためのものとしてです。



そうした、最初に目指すものとしての「自尊心」において、私たちは「未熟」からスタートする存在であることにおいて、その進み先は必ず、「自分と他人の比較意識」「競争心」どう自ら手なずけるという、鬼門を通るものになると言えます。

「手なずける」という言葉を、ここで最も印象が合う言葉として使いました。
念のため意味をネット辞書で調べたところ、「動物などをなつくようにする」「面倒をよくみるなどして味方に引き入れる」。まさにその通り!見慣れぬ動物のように自分の心の中うごめいてしまう他人との比較競争心を、こうやって手なずけて、味方に引き入れるのです。自分の成長のための味方に。という話。


「“自分”ではない高みを目指す」

それは一言でいえば、このように変えるのです。

「自分より劣ったものを叩く」という他人との比較競争心から、「“自分”ではない高みを目指す」という、やがて比較するものがなくなる競争心へ。そこにおいて、もはやそれは競争心でさえなくなる、魂の前進力へとです。


競争心そのものに手を加えるべきではない

まず基本的な心得として、私たちは、競争心そのものの有無強さ度合いについてあまり手を加えるべきではありません。それは心の成長の段階に応じて、それを感じるのであればそのように「ある」ものなのであり、『写真と言葉』10/19『「自意識」とは大きな燃料ロケットのようなもの』で言ったように、飛び立つために、最初に必要になるものなのです。

それが燃焼することさえ禁じ心の中行き先を封じ込めると、心が病みます競争心が別の衣をかぶった、歪んだ感情流れるようになるのです。その典型が、「病んだ内面プライド」『人生の鬼門2』参照)になるものとして。


例えば女性競争心はそぐわない、といった見方考え方を、大胆に捨て去る価値観が、ハイブリッド心理学推奨するものです。
競争心抑圧し、例えば好きな異性を、競争に勝って得るものと考えることに抵抗を感じ、ただ受け身に自分が選ばれることを期待した人ほど、そうはなれない時激しい嫉妬に駆られるという心理メカニズムが考えられます。
これは『理論編上巻』「1章 現代人の心の荒廃 -失なわれた「自己の重心」-」でも述べたことです。以下のように。
嫉妬は比較的日常の中でも観察される感情であり、動物にも見ることのできる感情でもあります。そしかしそれは単純な欲望の感情ではなく、競争心の中で「そんなもの望まない」と自分につこうとした嘘が失敗して起きる感情という、かなり複雑なメカニズムをすでに備えた感情です。

このを考えるならば、「健康に開放された競争心は嫉妬を起こさない」、とか言えるかと。


人が「競争心」悪しき感情と考え、心の中で抑えようとするのは、それが「望みの停止」による「情動の荒廃化」が始まった中で、意識されることが多いからです。そこでさらに「こんな競争心はいけない」「望みの停止」強めると、さらに「情動の荒廃化」が進み、すさんだ競争心形を変えたはけ口を求めて心にくすぶるということになりがちです。

それらは全て、「競争」というものを、「自分より劣ったものを叩く」というものとして考えるのが原因です。
それを、「“自分”ではない高みを目指す」という内容「競争」に、変えればいいのです。

「競争心」という心の泉から湧き出る鉱水を、をしようとしたり、その場できれいな水に変えようとしたりするのではなく、まずそれが流れる水先を変えてあげればいいのです。
流れていくうちに、自ずきれいな水に浄化されていく。そんな水先へとです。
それが心の叡智です。


「“自分”ではない高み」とは

心理メカニズムの話なども入れて少し長くなってきましたが、「“自分”ではない高みを目指す」とはどういうことか、ポイントを簡潔に書いていきましょう。

「内面の優劣」心の取り組み絡んで起きる、3つの問題に対応し、3つのポイントになります。


1.
他人との優劣比較をする内容を、より健康なものへ、というより、比較して意味のあるもの、意義あるものに、変えていくことです。


まず現実に比較できるものへ。空想の中で比較するものではなく。
次に、より長い目で人生で役立つもの比較競争心水先にすることです。

とうことは、まず「心のあり方」「気持ちのあり方」よりはっきりと客観的な外面の優劣で考えた方がいいということです。
「心のあり方」「気持ちのあり方」競争心に乗せると、心が病みます「自分こそ世界で一番控え目な人間だ!絶対にそうなってやる!」メラメラと復讐の炎を燃やすのであった・・(^^;)というようなパラドックス矛盾が起きる。奇妙に捻じ曲がるわけです。
他人の優れた面は、客観的に認めることが重要です。「外面は良くても内面はきっと・・」なんて思考をひねくれさせることなく。いやそう考えてもいい事態もあるでしょうが、そうだとしても、外面に実際に存在する優れ方はそれとして見る客観的な評価能力というものを持ちたい。
それが、自分の優れた面を客観的に認めるための目基盤になります。

一方、客観的な外面の優劣は、時間と共に変わりすたれます。ならばいずれ、「結果」ではなく「生み出す過程」をしっかり体得していることが、何にも勝る人生での優越になる。
できるだけ早くそれへの持つことです。生み出す思考法行動法において、他人より優れることを目指すのです。


2.
空想の中での「自分」、つまり「自意識」で把握する「自分」ではなく、現実場面においてどう動けるかの「自分」で、「自分」というものを考えることです。

心のあり方について「分かっている」「知っている」ことを、他人への内面的優位性と考える誤り自覚することです。そうではなく、現実場面に際して、心が実際にどう動くか「自分の心の現実」です。それをベースにすることで、「現実の裏切り」『人生の鬼門2』参照)は、「現実の学び」変わるのです。


3.
何が本当に「優」で何が本当に「劣」なのか、「自分で感じること」ではない答えが、自分の外にあることを学ぶことです。それを見る目を培うことです。

この社会何が本当「優」であり、何が本当「正しい」のかです。
その答えは、自分の心の中にあるのではなく、心の外部にあります。心が健康な世界における、建設的なものとしてです。それを学び外面向け思考法行動法基盤にすることで、まさに、「自分の今の心」からは独立した、内面感情揺らぐことのない、磐石の「感情と行動の分離」足場ができるのです。

この目を与えてくれた、一つの文章がありますので、にそれを紹介しましょう。


とりあえず3つのポイントをまとめておきますと、
生み出す思考法行動法において、他人より優れることを目指す
・それを「分かっている」「知っている」自分という「自意識」による「自分」ではなく、現実場面でどう心が動けるかの「自分」をベースにして考える。
・そうして「自分」が目指す思考法行動法で何が本当に「優」で「正しい」のかの答えが、自分の心の外にあるものとして、心が健康で建設的な世界にはある。それを学び目指す。


これが、「“自分”ではない高みを目指す」というものです。
私の場合、その転換どんな感じだったか、ここで引き続き書いていきます。


島野に「“自分”ではない高み」への目を与えた一文

それは『人生の鬼門3』前触れしておいたように、私が「否定価値の放棄」に至った1997年12月に遡ること1年弱前、当時定期購読していた『日経コンピューター』誌に、その年の年頭から掲載された論説記事です。

当時大手コンピューター企業に勤めており、仕事は主に大企業向けカスタムメイドのITシステムを構築するものです。
そうした仕事のスキル向上のために読んだその記事は、「システム構築戦略」という分野のもので、要はどんな作戦で企業に貢献するシステムを作ればいいか知恵指南です。

でその記事は、もちろん一介の記者が書いたものではなく、実績を積み重ねたIT構築の上層プロですが、究極的とも言える大上段から話を始めたわけです。

「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」と。
念のため説明しておきますと、「価値の創出」とは、今までなかった何かの価値を生み出すこと。先日亡くなったステーブ・ジョブスが生み出した情報メディア革命などが、その好例と言えます。

そうした「創出する価値」という視点から、その企業が生み出す「価値」の強み分析し、「業務分析」「システム機能要件分析」といったものにつなげ、ITシステム構築へ、という方法論です。


もちろんITコンサルタントを目指すのでない限り、こうした話の内容理解不要です。
それでも「会社は何のためにあるのか?」といった基本的な社会テーマについては、多くの人それなりに考えるものです。それについて、その一文が、まずは私の人生最も納得感を得られるものでした。
「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」。

どうです皆さん。今までに見聞きした言葉と比べて。

それまでは、「会社の目的は結局金儲け」と言ったせこい言葉(^^;)から始まり、「お客様と社員の幸福」「地域の活性化」といったそれなりの美辞麗句もあったけど、私の場合この言葉ダントツで心に響くものを与えたわけです。


「“自分が”正しいと思ったこと」という姿勢を捨てる

どう心に響くものを与えたのか。私の体験上重要なのはここですが、それまでの私は、その学びを得るまで、違う仕事の姿勢をしていた感じです。

「前」は、「利益」のためであろうと「お客様へのサービス」のためであろうと、そうした「目的」のために、自分で正しいと思えることをする、という姿勢
これは当然ではありますね。自分で正しいと思えることをする。実際、「正しいと思えることをしなさい」と、よく教わったものです。
自分で正しいと思えることを。自分が、それが正しいと思ったこととを・・。「自分が正しい」と思えることを・・。
これは結局、自分が神になる姿勢なんですね。


「企業の使命とは、社会に対する価値の創出である」。その言葉を学んでから、それとは違う姿勢が、仕事への姿勢の中に芽生えた思い返して、そんな気がします。
それは、何が本当に価値あるものであり、優れ、正しいのかは、「この自分」が判断するものではない、という感覚です。
「この自分」から離れ人々の中にわたり行く中で、自ず判断されるものなのだ。「この自分」が判断するような狭量のものではない長い目尺度によって。
そんなものとしての「価値」を生み出していくことを、探究するのです。

思い返せば、それ以前の私の仕事の仕方は、かなり自分よがりであったのが事実です。公然と上を批判したり、同僚とぶつかったりと。
「自分として何が正しいと考えるか」という思考法基本として、ですね。
それが、「価値とは何か」という、「価値概念」「価値言葉」を使う思考へ。「自分」が消える思考法です。

その先に、「真の判断」下すのは「この自分」ではない、つまり「自分は神ではない!」「神は自分の中にあるのではなく外にある!」という心の根底感覚大転換に至る、という話になるのではないかと。


長くなってきましたのでこの辺でこの記事ケリをつけたいと(^^;)思いますが、重要なのは、「自分として」何が正しいと考えるか・・と思考する「自分」の外に、答えはあるということです。
心の外側にある、この「現実世界」にはです。
心が健康で建設的な世界では、それが必ず勝ちます。上記で紹介した、実績ある上層プロ言葉が、ダントツに私にも納得感を与えたように。

そうしたものを習得し、外面行動法ベースにするのが、「感情と行動の分離」における外面向け視野だということです。


「優劣」基準からの転換の全体

駆け足になりますが、「心の優劣」という、来歴から引きづった取り組み姿勢から、どう変わるか大枠の全体まで書いておきましょう。

それは自分で感じる「心の優劣」の感覚において、空想の中「自分」「他人」を比較競争するものから、まず外面世界においては、この記事で書いたようなものに、競争心水先を変えるのです。
それがこの現実社会で、自分よがりにならずに、確実に、揺らぎなく、自分を「優」へと導いてくれる方向だからです。スタ-トがどんな未熟な競争心だったとしてもです。

ただしそれがあくまで「右ハンドル1」です。

今まで「自分が感じる優劣」における競争心に駆られた。それをまず「“自分”ではない高み」向上する外面の思考法行動法習得する。他人競争できるのはこれだと。


前進力は「優越感」ではなく「楽しみ」だけに残される・・

一方内面はどうか。「自分が感じる優劣」における「優劣」は、「“自分”ではない高み」姿変え、やがて競争であること自体が消え去ります。「自分の優劣」の問題ではなくなるので、他人との競争にもならなくなるということです。

それはつまり、「優越感」前進の原動力にならなくなる、ということです。

これはその場においては、つまりこの姿勢転換直後は、功罪半ばする様相になります。「優越感」という、今までの心においては甘美な前進力を、失ってしまうことになるからです。まあ「劣等感」というその裏面消え去ると同時に。


そこで残される前進力は、「自分がそれを本当に楽しめるか」だけになるのです。
「優」になるは分かった。しかしもし自分が本当にそれを楽しめないのであれば、それに向かうことはできないのです。それが「心の現実」です。
それは自分に嘘をつくことだからです。自分に嘘をついてでも「自己操縦」をするストレスを選ぶか。しかしもうその代償となる「優越感」も、そこにはないのです。


「外界現実」と「心の現実」を見据えて

そうして、「“自分”の外にある答え」を学ぶ(右ハンドル1)と同時に、自分は本当にそれを楽しめるのかを問う(左ハンドル)
それを踏まえ、もう一度「現実」目を転じます(右ハンドル2)。そこに、自分の内面に応じた、もちろん白黒二極の画一的なものではない、唯一無二の行動法が見えてくるという次第。それは今までの自分からは、まさに「未知」だったものが見えてくるものとして・・。

あるいはここで完全に袋小路至るケースもあります。競争心優越感意味がなくなってくる一方で、何かの恐怖から、自分はそうならねばならないという圧迫感だけ見えてくるケースです。そして自分はそれを楽しめないことも明白に・・。
これはを経て再生されるルートになります。

いずれにせよ同じなんですね。私たちの「意識」「外界現実」「心の現実」という2つの世界を見据え、その間に意識のはざまの「無の空間」が生まれます。(参照:入門編下巻P.63)
そこに「命」行き先示すのです。今行動可能な、唯一無二の道を示すか、それとも、今の心一度死なせ新たな心のリロードまず成すべきか。それに委ねるのです。


最後の方映画『マトリックス』ばりの難解世界の記述になった模様^^;

読者広場「B子さん」からちょうど良さそうな具体例相談が寄せられましたので、具体的にどんな感じになるか、あとで書いておきましょう^^。

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