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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
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ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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カテゴリ: 「悟り」と「未知」 の記事一覧(作成順)

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「悟り」と「未知」-1
読者広場で頂いた質問コメントを書いているところなのですが、興味深いテーマにわたっていますので、その続きをこちらで書こうと思います。
哲学系などへの関心をお持ちの方がふらっとこのブログを訪問されたらすぐ目にとまるようにということで^^。

・ブログの位置づけ(『10/13hideさん質問へのコメント-1』No.375 2011/10/17)
・ハイブリッド心理学の探求のスタンス(『10/13hideさん質問へのコメント-2』No.377 2011/10/18)

に引き続き、宗教哲学で言う「悟り」と、ハイブリッド心理学で言う「未知」との比較話になります^^。
こっちだけ読んで頂いても話としてはokです。興味ある方は上記の方も読んでおいて頂ければ^^。


「悟り」と「未知」

>以前に当該ハイブリッド心理学で言う「未知」宗教で言う「真理(悟り)」とだいたい同じような意味だと回答いただきましたが、哲学が追究するものも「真理」で、これもまた同じようなものなのだと思いました。更に言えば真の芸術も真理を表現したものだという哲学者がいたのですが、これもなるほどと思いました。

これら全てだいたい同じものであるのは、まずは「意識を超えた命のエネルギー」体現することを指している、というようなことになると思います。

つまり「真理」とは、まずは「意識を超えた命のエネルギー」のことだと言えるかと。まこれもまずは言葉の定義として。

それを体現したのが、ハイブリッド心理学では「未知」哲学宗教では「悟り」芸術では作品になるのかな。


次に、「意識を超えた命のエネルギー」という共通項から、分野によりテーマが出てくる。

芸術の場合はまたそれなりのテーマ「美」とかかな)があるのだと思いますが、哲学宗教、そしてハイブリッド心理学での「真理」テーマ「人生」であり「幸福」ですね。

そこで哲学宗教で言う「悟り」と、ハイブリッド心理学で言う「未知」内容を、次のように比較して理解できると思います。


「体現」のされ方の相違

まず、「真理の体現のされ方」表現少し違うものになります。

「悟り」の場合、「悟り」によって「開く」もの、という表現がされると思います。

「未知」の場合、「歩み」の先に「訪れる」もの、という表現をしています。「未知によって開かれる」という意味不明な表現はしない。アハハ^^;


これは真理の体現に対する、我々自身意識の関与のあり方表現少し違う、という話になると思います。

「悟り」は、自らの意識努力によって直接引き出すという形。ま歯の生え替わりでたとえると、生え替わる乳歯つけて自分で引っぱる感じ。

「未知」では、向こうから現れるものという形。生え替わる乳歯が、自然と落ちる。それに気づく


そのように、意識の関与の様子少し違うとしても、起きることの本質は同じだと思うわけです。

生え替わるという事実が、本質ですね。糸つけて引っ張ることすれば、多少早くなるかも知れません。ただし、人生全体スパンにおいては数10年というスパンにおける数日違い程度という話になるかと。

ハイブリッド心理学では、そのような形において、ハイブリッド心理学以外の何でも、「気づき」役立つものがあれば結構なことだと位置づけています。他の取り組みとの間でなわばり争いするようなスタンスは一切ありません。


本質の同一

次に、そうやって「悟り」によって、あるいは「未知」として獲得されるものの、具体的な内容を言えると思います。重要なのは何よりもこれだと思います。


主に2つだと思います。

一つは、心の悩み惑い全て消え「穏やかな無」「豊かな無」心の境地

もう一つは、つい先日の黙示書・原型4「命の開放」によって現れるものと書いた、「愛における自意識のない能動意識」です。
「無」というだけではなく、こうした積極的な面があってこそですね^^。

前者はその心のあり方における対自己であり、後者対他者だと言えます。


そしてこの2つ裏打ちとして、一枚一貫した変化があるわけです。「自分」という「とらわれ」「こだわり」完全に消えることです。


ここでいったんアップし、ご質問での、そこが乗り越え難いものという点についての考え方について引き続き。

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「悟り」と「未知」 |   コメント(0)
「悟り」と「未知」-2・真髄
「悟り」と「未知」の真髄

では「悟り」「未知」についての続きですが、先のその1「体現」のされ方相違および本質同一として書いた内容のおさらいと、それに対する加筆をまずしておきたいと思います。

全体を把握しやすいよう、キーワードを箇条書きにしましょう。

「悟り」「未知」真髄とはこんなものだ、というまとめになりますね^^。

「悟り」と「未知」の真髄

体現のされ方(意識の役割の若干の違い)

「悟り」によって開く
「未知」として訪れる


獲得されるもの(本質の同一)
・全ての悩み惑いが消えた豊かな「無」
における自意識のない能動意識

「未知」「真我」

裏打ち
「自分」という「こだわり」「とらわれ」消える

裏打ちの裏打ち(メカニズム)
望みへと全てを尽くした自然消化・・・自然型
「自分」は仮りのものにすぎない
・・・探究型
 (命のつながりという大きなものの中で)


「悟りの開き」「未知の訪れ」のメカニズム


加筆したのは「裏打ちの裏打ち」部分です。

つまり「自分」という「こだわり」「とらわれ」消えるという裏打ちによって、全ての悩み惑いが消えた豊かな「無」、そしてにおける自意識のない能動意識という、「未知」(ハイブリッド心理学)もしくは「真我」(スピリチュアル)と呼んでいるものが獲得される。

そこでさらに、どのようにして「自分」という「こだわり」「とらわれ」消えるのかです。

つまり、「悟りの開き」「未知の訪れ」メカニズムとは何か、です。


自然型

これは2つを考えています。

一つは、「望み」へと「命」全てを尽くして向った時、それがどう叶えられるかの結果関わりなくには「豊かな充実感」引き替えに、そうしたものが生まれる

それが「命」DNAなのだという考え方ができます。


これはその人間哲学心理学など特に意識、探究しなくとも「自然人間」姿としてそうなるだろうという考え。

ま本人の意識表現としては、「もうさんざん自分の好きに生きた。自分というものはもう満足」という感覚で、もう何も惑うことなく、大自然に触れ、の姿(特に子供など)を見てはほほ笑んで、生きていく。そんな姿

これを「体現」「自然型」メカニズムと呼べるかと。


「真の望み」であれば、そうなるというのがハイブリッド心理学の考えです。
「穴埋め腹いせの望み」だとそうならないいくら追っても充足感起きず、逆に追えば追うほどフラストレーション感膨張していくような代物になります。

この辺については詳しくは、『理論編下巻』
2章 基本の姿勢と歩み-2  -「望み」と「自立」という最初の鍵-

「第1の鍵」の説明など参照^^。


探究型

一方「探究型」は、結局ベースになるのは自然型・・なのかどうかはさておき、どんな意識「体現」なのかを、哲学なり宗教なり心理学なりで探求するものです。

すると結局こうなるのではという、ハイブリッド心理学での結論があります。
そこにおいて、「悟り」「未知」も、その真髄同一であろうと。


それは、自分が、「自分」を越えたものに生かされている、という感覚です。
それによる、「“自分”というものはほんの仮の姿に過ぎない」、という感覚です。
ハイブリッド心理学がその表現として採るものとしては、「命のつながり」という大きなものの中での、ほんの仮の姿というものとして。

この感覚に至ると、もう怖いものなしです。一方で、自分が生かされるものを持っている。
ここにゴールがあるという話になります。


とりあえずこの辺まで確認の上、どう、何を「乗り越える」という話になるのかを次に。

「悟り」と「未知」 |   コメント(0)
「悟り」と「未知」-3・核
「悟り」と「未知」の核

さてその2「悟り」「未知」真髄をざっと見ましたが、その心の境地生み出している感覚の流れは、次のようなものだと考えることができます

これが「悟り」「未知」になるものだと。

「悟り」と「未知」の核

自分は自分を越えたものに生かされている
“自分は仮りのもの”

    
「自分」という「とらわれ」「こだわり」消える
    
心の境地のゴール
 ・全ての悩み惑いが消えた「豊かな無」
 ・「愛における自意識のない能動意識」

=「揺らぎない自尊心に支えられ、愛によって満たされ、もはや怖れるものの何もない心」(ハイブリッド心理学)

「悟り」と「未知」は一瞬・・

しかしこう聞いて、「“自分を越えたものに生かされている”と思えばいい」なんて本心でもない思考を持ったところで、心はその方向に微動だに動かない(^^;)ことは言うまでもありません。

に書いたのは、いわば意味論的流れであって、心の変化の段階流れではありません。
そうした心の境地さまざまな意味の側面言葉で表現し、意味の順序関係としてはそう整理できるというだけの話です。


そもそも実際の体験においては、「豊かな無」「愛における自意識のない能動意識」ではそもそも自意識消えているので、自分がどんな心の状態であるかと、思考で意識するようなものではないのです。

感覚としては、ただ、ふわ~さらさらグングンハツラツ~という感じで(^^;)、自分がそれこそ「未知」心の状態包まれ始めているのを感じる。
今まであまりにも違う。こんなにいい心の状態があったなんて、と感じる。

これはどんな意味なのだろうと考えてそうした意味に気づくのです。その意味気づく、その心のあり方意識思考で確認することが、その心の状態しっかりと自らの心に刻み、維持させるという役目も出てくるでしょう。


そんなものであることにおいて、それは確かに「一瞬のもの」だと言えます。
この辺が、

>悟りが開かれるときは一瞬だと仏教関係のある方は申しております。ちなみに私が以前に受講した心の学校でも、「真我は一瞬にして開かれる」といううたい文句でした。

というような話になる部分ではないかと。


まあ要は「悟りが開かれる」時には、その前に実はもう「準備されている」んですね。
それはすでに生み出されているわけです。

これは以前、心の学校「真我開発講座」について触れた2010-11-05『「のぼるごとに、同じものが見える」(後)』で指摘した話です。


では何によってそれは生み出される、という話になってきます。
この辺で、確かに「悟りの追求」と考えると混乱してくる部分が出てくるかも知れません。これを次に。

「悟り」と「未知」 |   コメント(0)
「悟り」と「未知」-4・混沌
「悟りを生み出すもの」の混沌

その3までで書いたように、哲学宗教「悟り」によって何を得ようとしているかは、比較的話が集約できるように感じます。

しかしそうした「悟り」、そしてそこで得るものが、そもそも何によって生み出されるかについては、哲学宗教が考えていることの全体には、混沌、さらには混迷があるように感じられます。まあくまで聞きかじった範囲になりますが。

まさか「悟り」全てを生み出すとは考えてはいないでしょう。
の生え替わりにたとえるならば、「悟り」生え替わる歯糸をつけて引っ張ることだとして、さらに「悟り」新しい歯をカルシウムを集めて粘土のようにこしあえるようなものだとは。

「悟り」「悟り」が生み出すのではない、という話にはなるかと。
ではそれを生み出すのはなのか。


「知」と「成長」

一言でいえばそれは、「知」それらを生み出すものと考えるか、それとも「成長」それらを生み出すものと考えるかによって、探究のスタンス大分違うものになってくる、と言えるでしょう。

「知」それらを生み出すというスタンスでは、「あなたは今これが分かるか?」という問いになります。

「成長」それらを生み出すというスタンスになると、「今分かるか」もうあまり問うものではなく、この人今までどのように「成長」に向かえてきたか、そしてこれからどのように「成長」へと向かうことができるかに、関心の焦点を当てるものになります。


そして混迷が起きる原因は、実際に「悟りを開いた」賢者は、それを生み出すのは「成長」であることを感じてはいても、「悟りの学び」である限りはもっぱら「知の探究」言葉整理される形になるのが、哲学宗教ではないかと。
「今分かるか」という言葉でですね。

かくして、哲学系「悟りの学び」では、「悟り」を生み出す「成長」についてはあまり語らず勿体ぶったように、「おまえが悟るには10年早い!」(^^;)という説教をしたり、逆に、をもらっている限り誰に対しても「あなたにも真我が開かれましたよ♪」言ってあげるしか(^^;)ないという状況にもなるかと。


「悟り」は再び「業」へ・・

「悟り」はさらに、「成長」無視し、否定さえするようなスタンスで語られることもあるかも知れません。

自分は“自分”を越えたものに生かされている。その「悟り」を、事実「成長」経ずして、幼少にして開くこともあり得るのであれば、それがブッダのような天才的精神性の持ち主だとも言えるのかも知れません。

いや天才的精神性である必要もなく、誰も幼少の頃からその教えを学び、自らは多くを望まない謙虚尊ぶことで、平和を維持し、人々の絆を培った、素朴な「良い時代」があったのかも知れません。

しかしそれは同時に、「自分を越えたもの」「神」として具象化権威を持たせ、やがて自らがその座に座ろうとする、つまり自らが神になろうとする傲慢をも生み出したのが、宗教の歴史でもあったわけです。

それはまさに、人々の心蹂躙(じゅうりん)する「悪魔」を生み出す、人間のです。
「神」はそれをどう見るのか。

こうして、「悟りを生み出すもの」への視線は、宗教の根源にある人間の心の原型世界を視界に捉えることになります。


視野がここに至り、ハイブリッド心理学「未知」「悟り」とは全く異なるものであるのがはっきりしてきますね。
具体的な説明は「道標」の説明として、この話の結語を書いておきましょう。

「悟り」と「未知」 |   コメント(0)
「悟り」と「未知」-5・「知」を越えて
ではこの話の結語を。
言葉の整理難しい話(ま「意識哲学」なんて話でもありそう)であり、いまいち読みにくいかと思いますが、まずはこんなところで^^。


「一つの真実」をめぐる「真理」の真と偽

こうして、ハイブリッド心理学における「未知」対比させての「悟り」への概観は、後者の中に、同一の真髄と、決別をはたすべきものと位置づける、人間の心の業の根源とも言うべきものを、同時に見出すことになります。

同一の真髄とは、「自分は自分を越えたものに生かされている」という感覚の先に見出す、「自意識」を超越した「豊かな無」「愛における能動意識」であり、心の業の根源とは、自分を越えた「絶対なるもの」を抱き、やがてその「絶対なるもの」から自分と他人と世界の不完全性を破壊攻撃し始める、「自分が神になろうとする」という「自意識の業」のようなものとして。


この2つが、「真に望むのはこの“自分”ではない」という理(ことわり)、つまり「心と魂と命」別々に機能しているという一つの真実をめぐる、本当の「真理」嘘の「真理」として生まれてくる。そんな印象を私に感じさせます。

それは、「“自分”とは命の大きなつながりにおける仮りの存在」として、なおその大きなものに向って自ら望んでいくか、あるいは自ら望むことをやめ、それを高貴なことと考え始めるか。この一点にその分かれ目があるようなものとして。


「原罪の克服」

そしてその2つが、「依存に閉じ込められた愛と嘘の結びつき」という、その捨て去り前進の原型となるハイブリッド心理学歩み道程の中で、どのような位置づけになるのかを俯瞰した時、結論が見えてくるように感じます。

「未知」は、「悟り」とは全く別のものです。「未知」とは、あらゆる「知」の形をも取り得ない、文字通りただ「未知」としてのみあるものなのだと。


それを決定づけるのが、まさに同一の真髄である「命の力の体現」ゴールへと向う、最後の通り道の様子です。

それは「原罪の克服」です。実はこれが、ハイブリッド心理学における「命の開放」位置づけられるのです。

「原罪」が、それを前に人が自ら望むのを禁じた、最も根源です。
自らが神になるという誤りの中で、それを前に人が自ら望むのを禁じた、心の闇根核です。
「原罪」とは、「自意識の罪」です。「自意識」という「けが汚れの罪」なのです。(『入門編下巻』P.325)


「原罪の克服」様子は、『入門編下巻』「10章 人間の真実「愛」と「命」」で詳しく描写しました。
それはもはや「悟り」などと呼べるものでは全くありません。その時、一切の「論理」を持たない「恐怖」の砂粒全身の毛細血管をかけめぐる、「砂嵐」と呼ぶ状態が心に現れます。意識働かなくなり、消滅し、その後に、新しい心、否、新しい世界リロードされます。(同P.327)(聞いただけでは何のことやらでしょうが^^;)

そうして全てただ「記憶」の中だけに残る、新しい世界に立った時、ありありと感じることになるのです。
自分は自分を越えたものに、生かされている、と。


ハイブリッド心理学からの「真理」

結論を言いましょう。

ハイブリッド心理学歩みの「道のり」には、沢山「変化の節目」があります。

その「変化」は、いかなる「知」の形も取り得ない、つまり「知ってそうなる」というものではないものとして生まれます。

それが起きた後に、そこで起きた変化の意味言葉にすることはできます。
それは例えば、「内面の力の回復」であり、「望みの開放」であり、「永遠の命の感性の獲得」といったものとして。


そのように、起きた変化内容について、人間の意識思考によって意味を明確化し、心に刻むことをするのが「悟り」なのだと。

「豊かな無への悟り」は、そうした沢山の「変化の節目」の中のごく一つへの意味づけに過ぎません。おそらくは最後の節目への意味づけではあるでしょう。


「道のり」には、それ以外にも沢山変化の節目があります。まず重要なのは、その最後のものだけを念仏のように唱える(^^;)のではなく、今自分がいる足元しっかりと見て、地道に進み、次の道標を目指すことになるでしょう。
そのための「実践」があります。これでもうその内容はう哲学宗教とは全く違うハイブリッド心理学独自の領域になります。
もちろん、「感情と行動の分離」始まるものとしてです。


「変化」自体は、いかなる「知」の形も取り得ない、「未知」として起きます。
一方、「悟り」があくまで「知」の形の一つである限り、「未知」とは「悟り」とは全く別のものである。これが結論です。

それは私たちの意識構造そのものが突破され、新しい意識構造へと切り替わる変化です。「意識」は結局何らかの意識構造の中で働くと考えるならば、一つの意識構造から別の意識構造への移行変化を、意識が捉えることは、論理的にも不可能であると理解できます。
それはただ、「未知」としてしか、その時は把握できません。


それを生み出すのは、「命」です。

ですから、ハイブリッド心理学はあくまで「実体験の探究」であり、「真理」という言葉は基本的に使いませんが、言うとすれば、たった一つの本当の「真理」とはこれだという話になるでしょう。

「見えない真実へと向かえ」。これが「真理」だと。


ということで、話を具体的「道程」の方に移したいと思います^^。

「悟り」と「未知」 |   コメント(3)
「悟り」と「未知」-6・乗り越えるべきもの
「乗り越えるべき難所」・・

一つ追加しておきましょう。

読者広場10/13hideさん質問で、以下の部分ですね。

>最後ですが、島野さんのハイブリッド心理学では、心(顕在意識としての)から魂や命が開かれる方法・過程は理屈ではない、ということで結局ここがたいていの人間には乗り越えられないところですね。
>そして当ハイブリッド心理学も、同じ真理なのではないかと考えています。そして、乗り越えるべき難所も同じような心の状態を指しているように思います。


「乗り越えるべき難所」と呼ぶにふさわしいところとは、どの辺にあるか。


体験的に言うならば、「喪失体験」の中で「魂」「命」開放される場面というのは、「乗り越えられる」という感じのものではないです。

です。自分では乗り越えられず、自分は死ぬわけです。それまでの自意識によって作られた心においては。
それをじたばたせず、心が死ぬに任せると、「無」のはざまから「魂」「命」が現れてくる、という段取り。


島野の直近の「心の死と再生」体験

実際のところそれがどんなものであるのかは、もう日記など読んで頂くのが一番分かりやすいと思います。

ということで、9/9『お願いです(島野の最新執筆姿勢も^^)』でも触れた、「覚悟を決めた」経緯のあたりの日記を、『過去日記』ブログ開設に先行して抜粋紹介します。

奇しくもこの心理学が示すように、「命」「再生」へのパワーを持っていた。私自身の「心」が、一切そのような道筋を意図しないままに、という顛末です。

まずはご覧あれ。

2011.6.16(木)

 ・・(略)・・

 12時半。少し家の中の作業など入れながら考えたのは、今の自分のこうした心境の流れ自体を、僕自身がどう捉えるかだ。
 何となくうまくまとまらない面が多々ある。自分が全てを失った・・・という観念・・・それはそうなのだろうし、一方で、そこで得たものは何だったかという疑問も出る。今の自分が、“ただ裸の命だけを持つ”という考えに、一抹の前進感を感じはする。それでも流れる抑うつ的な悲しみの気分は、自分が、人に自慢でき、それの上で生きていけるものを、持たないという事実にあるように感じられる。まっとうに人生を得た者であれば誰でも持つであろう、それをだ。いまさらにして、自分が社会において何者でもない人間になったという考え・・・。

 午後6時半。その後の流れを書いておく。上のメモを書いて僕が感じたのは、自分の心が死のうとしている、という感覚だった。前後関係はどうだったか、少しオーバーに言えば軽く目まいがして、頭をしめつけられるような感覚が流れ始めていた。
 しかし、「心が死ぬ」というその浮かんだ感覚が、むしろそれが正解のように思えてもいた。僕が心理学の執筆によって生きていることを感じられるのである時、それでは生きていけないのなら、事実僕の心は死ぬのだ、と。ただそれが事実でしかないこととして、事実何の収入も得ることができなくなった自分が、「人生の転落」をしただけの人間のようにもイメージされ、それが旧友達の目の先にあるイメージは、苦しみの感覚を帯びてもいた。 この窮状を、人の内面など無頓着な父に訴えるイメージも浮かぶ。もちろん僕の自我は、何も感じてはいない外面を取ることを選びながら。
 「人生の転落者」が書いた「人生の生き方」など、誰も読みはしない、という自嘲的な言葉が頭に浮かぶ。婚活(注:執筆継続の岐路、および母の死などを受け、すぐにでも結婚したいという気持ちがこの頃出現。この後の流れを受け見事に消えたもの^^;)についても、今まで結局それによって女性を得ようとしたものである、「プロフィール属性」を、自分は持たないのだと思えた。
 そうしてもう何もないといううち沈んだ気分を、僕はもう死ぬのだ・・・といった観念で、否定しないまま、僕はただ生活費を稼ぐための仕事へと向うのだ。その目線に、気分が沈んだまま、力があることを感じる。感情はただ無へと薄れていく。

2011.6.17(金)

 きのうの続きを書いておけば、もう考えるのをやめていつもの夕食から風呂へと入った頃、早くも変化が起き始めているのを感じた。
 ただ「消えている」のだ。意識が軽快に動かせるようになっているのを感じた。そして意識したのは、まずその「脳の騒がしい皮が一枚はがれた」ような状態だ。また面白いことになったきた、と。これがあるから、この歩みをやめられないのだと感じた。それまでの問題意識への考え方がどう変わるかという以前に、それまでの問題意識の全てが消えていた。結婚相手探しも、仕事への就き方についてもだ。
 ただなるようになるものへと向えばいい、と感じた。これから生きていければいい形で書き続ける者として。「プロフィール属性」など、もうどうでもいいと感じた。

・・(略)・・

2011.6.20(月)

 今朝感じた新しい心境を書いておけば、自分が進む先の方向感がないまま、自分で“目をみはるような”すがすがしい感覚があるのを感じた。「輝くすがすがしさの無」とでも呼べる感覚。・・(略)・・

ちなみに、上記6/16「心が死ぬ切り替わり」翌日に書いたブログが、この『写真と言葉』だったりします。
2011-06-17『「心」の死と「命」』

この後、多少残りの揺れとも言えるものを経て、多少ヤケを起こしたような気分(^^;)の中、自分の将来の家族のためという計画枠に位置づけていた手持ちの株なども全部投げ打ってしまえ、という発想が、やがてあれっそれで全然いいんでないの、という能天気状態へと変わり、今の島野へと至ったという顛末です^^ゞ

これを経て、今はもう人生問題おおかた答えを出したこともあり、人生最も気分の安定持続の日々、ただ執筆に向う状態になっている今日この頃です^^。


この後日、「あらゆる状況において生きることを喜ぶ」という性質を感じる場面が来ます。これも書いておきましょう。
島野の趣味の余談などもちょっと出てきます。

2011.7.19(火)

 先に書き漏れたことを書いておけば、全て執筆につぎ込むという腹が決まってくると共に、自分が本当にこれで、レールの外を歩き出したのだ、と感じたことだった。道もなにもない、草が茂っている、じかの野原だ。
 同時に、そんなものとして、楽しめるものは楽しみたい、という気分が湧いてくるのを感じた。たとえば洋服の趣味をだ。スクールカウンセラーが不採用になり、先が見えなくなった昨年暮れ頃以来の、お洒落の趣味心の復活となる。
 どんな状況においても生きることを楽しむ、「命」のエネルギーというものを感じた。

ということで、ヤフオク安い古着を買って自分でミシンかたかた寸法直しすることなども趣味としている、今日この頃の島野です^^。


乗り越えるべきもの

この日記を紹介し、そこから感じ取って頂きたいのは、一つは「心の死と再生」様子という本題に加えて、私自身がこの流れの中で、内面感情に対しては完全に無統制の姿勢を取っていることです。ただ流れるに任せる。しっかり覗き込みながらです。

決して、「ここで頑張らなければ」とか「前向きでなければ」なんて、感情を自分で方向づけようとする姿勢を、一切やめている中でこそ、こうして不思議なる心の仕組み発動しているということです。

この面で、これはもう「乗り越えるべき難所」なんて感覚はないものなんですね。そもそも「自分」では乗り越えられていないので^^;


「乗り越えるべきもの」は、こうした内面変化開放できる状態へと準備する段階にあります。生き方姿勢思考法行動法そして価値観を、この「開放」を是とするものへと根本転換する段階です。

それは「魂」「命」「開放」段階ではなく、それよりずっと前の準備段階です。誰もが、乗り越えることが極めて難しい関門があるのは。


2つです。

ありのままの自己の現実を受け入れる、自分に対する論理的思考によって本心を獲得すること。
これができず、言い訳ごまかしで生きているのが世の人の傾向。

そしてもう一つ「否定価値の放棄」です。これによって「魂」開放されます。
だがこれを成している人は、めったにいません。

これができれば、あとは「乗り越える」なんてものではなく、自動という感じです。
「魂」導きますので。心のドラマもそこからです。


詳しくは「道程」「自分への論理的思考」の方で説明していきましょう^^。

「悟り」と「未知」 |   コメント(1)
  
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