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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
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ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
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ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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カテゴリ: 「心と魂と命」の要の「本心」 の記事一覧(作成順)

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「心と魂と命」の要の「本心」-1
さて解説の続きですが、極めて重要ポイントにさしかかってきましたので、タイトルをこれにして続けましょう。
いちおう引き続き『「感情と行動の分離」の心の足場』シリーズの一部ということで^^。

どう重要かというと、このブログ解説の中で一番重要ポイントに、ここでさしかかる気配。
1年半書いてきてようやっとという感じですが(^^;)、まあハイブリッド心理学広さとはそんなものです^^; (要はまだ展開途上?^^;)


「本心」の重大ポイント

前々回前回「本心」への「妨げ」について簡潔にまとめましたが、それを受け、「回復」そして「前進」へと目を転じると、話が極めて重大ポイントにさしかかってきます。

で、引き続きの記事を書こうと言葉を練っても、本当に伝えたいのは何だ?とどーもしっくり来ず、またかなり考えていた次第です。


つまりこういう話の流れ状況です。

「妨げ」から「回復」への要件とは、前回までの話を受け、
感情面では、「別の感情を演じようとする」から、「ありのままの感情に向き合う」へ。
思考面では、「自分の考えを持てない」から、「自分で考えるということができる」へ。

そこから、ありのままの自分原点として、方向性を見出し、歩むという、成長本来の姿に戻る。

これを見るならば、「本心」とは、「自分に向き合い、自分を方向づけるための心の強さ」といった表現もできるでしょう。


一方、それだけに終わらない何かがある。
それを島野自身の今の心境推移の中で感じ取ったのを言葉にしたのが、つい先ほどの『写真と言葉』7/17『「嘆き」と「本心」』です。

「本心」というのは、それを取り戻すということに、つまり意識表面だけの話ではなく、それを超えた何かが起きる側面を持つ。

「本心を取り戻す」というのは、自分の進む方向性まだ見えない段階で、心の世界根本的に切り替えるものだということです。
心の世界根本的に切り替わることで、自分の進む道見えてくる。そんなものとしてあるようにも思われます。


「自分に嘘をついて愛することはできない」

それはどういうことかとだらだら(^^;)考えていて、ぴったりと行き着いたのは、まさに『入門編下巻』主題になるものです。

本心を偽って、愛することはできない、ということです。

ここでの「愛」を、とても広く考えるのがいいでしょう。相手のみではなく、自分が行うこと全て世界全てです。

本心を偽って、それに命のエネルギーをほとばしらせることは、できないのです。


私たちは、他人受け入れられようとして、本心を偽って別人を演じるということをしがちな、弱い存在だと言えます。
しかしそれはやがて、人目をうかがい、堅実な中身を持てずに右往左往する自分に、自分で自分や嫌になってしまう道につながるのです。

「愛」に「嘘」が結びつくという話です(『入門編下巻』P.119から詳しく解説してますので^^)。相手に愛されようと、自分にをつく。するとやがて、愛されようとしたその相手が、愛せなくなってしまうのです。なぜなら、自分が嫌になってくるからです。そうさせた相手が・・・むろん相手がそうさせたのではなく、自分自身がそうしたのだとしても、そんなことになることになった相手が、もう愛せなくなってくるのです。


そこに2つの道が現われると言えるでしょう。

「自分からは愛せない」のだから、もっと「相手から愛される」必要があるのだ、という感情徹する道。これが「人間性の核」からの心の足場欠いたケースで起きやすいと言えるでしょう。
そして自分への嘘を、善悪に衣を借りた傲慢で塗り消す・・ということになるのかも知れません。

そしてもう一つの道が、「本心を取り戻す」という、この人間の心の病みと闇原点の、最大の転換点向う道です。


その最大の転換点とは、このことに気づくことです。『入門編下巻』ではこう書いていますね(P.158)

「自分に嘘をついて愛することはできない」、と。

自分から愛することを望む心が、この道を、見出します。


「未知」への原点

そのことに気づいた時、心の世界切り替わるのです。
まだはっきりとした自分の方向性見えないとしても。

ただ、はっきりと分かるのです。方向性が、この先にあるのだと。


では自分に嘘をついて愛することはできない代わりに現われるものは何か。「愛される」のではなく「自分から愛する」ということ。それは一体どんなことなのか。

そこに「未知」というものが、現われるのです。なぜなら、自分から愛しているような他人真似て、自分に当てはめるのは、やはりまたに戻るからです。
真の道は、「未知」にしかないのです。

そこに、「開放」が問われてくることになります。「開放」される「未知」は、何か得体の知れないものかも知れないのです。


踏み台の意味

こうして、「感情と行動の分離」への3段の跳び箱心の足場の、それぞれの踏み台意味を、こう言うことができるでしょう。

1段目「人間性の核」が、「開放」されるもの「種」を、ほぼ意味します。それが自分を後押しするものになるでしょう。最後に自分を助けるのは、それになるのだと。6/8『「開放力」としての「思考力」-5』で述べたように。

2段目「本心」が、「答え」への「扉」になります。「本心」そのを開くのです。

そして3段面「永久歯の心」が、「出口」になります。これがないと、出口は見えないものになってしまう。


中核にある「答え」が何かを書いておきますと、私たちの「心」そのものが、「命」を偽った薄っぺらいものだということになるでしょう。
そこに、「心」「死」を経て「命」再生するというテーマが出てくることになります。


この、「本心」開くあたりの要点を説明し、3段目「永久歯の心」出口の話へと続けていきます^^。

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「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-2
今日3つ目の記事です^^。


本心の2重の役目

その1概観した重要ポイントを踏まえますと、「本心」には2重の役目がある、それが2段階の深さにおいてある、と言えます。

まず「本心」2重の役目を書いてみましょう。


それはまず、着実に自分を変え、前進させていくための、エンジン本体です。

そのために、「別の感情を演じようとせずありのままの感情に向き合う」そして「自分で考えるということができる」という2つの回復要件がかかわります。これは「本心を持てる」ための、基本要件です。


次に、「本心」は、「本心に帰る」ための心の足場役目をします。

「本心」持つことで、次にそれを見失った時に、「本心に帰る」ということができる。「本心」持ち見失い「本心に帰る」という体験を経るごとに、「本心」より強くなっていくのです。

「これが自分の感情であり思考だ」と揺らぎなく感じることのできる心の財産が、より増えてくる。これが「自我の拡大」だと言えるでしょう。
「自我」については6/18『心の変化の核心と論理的思考-2』など参照^^)


「本心」は固定ではない

「本心」固定されたものではありません。それは心の成長とともに、内容的遷移(せんい)するものです。

「これが自分の本心だ」と頭で固定しようとすると、その時点ではそれが本当の本心であったとしても、やがてなります。そして再び、「本心に帰る」ことが問われるのです。


「本心」内容的遷移するのは、「命」プログラムされていることです。

これは何のことかと言うと、「価値観」最初から成熟形にしようとしても、無理だということです。最初から、「愛される」よりも「自分から愛する」に価値を置いた価値観しようなどと考えても、それはなのです。

解き放つ、つまり「開放」する。それを心の成長と成熟目指して行うとは、まず「愛されたい」願い心の中思いっきり開放し、次に、それを実際どう実現できるかに、全力を注ぐことです。一方的に愛されようとする未熟さの無様な側面を、いかに表沙汰にせずにです^^; そこに行動法学びが出てくる。
そして実際そうは思い通りにならない失意に、ありのままに晒すことです。愛されるよりも愛することの方が大切だなんていう、気休め捨ててです。そして心が死ぬような感情に、むしろ身を委ねることです。

そうして時が経つと、何か変化しているように感じます。何が変化したのかは分かりません。
しかし前と同じように、愛されたいと思えるような魅力的な人物を前にした時に、自分の変化を、はっきりと感じ取るのです。もう、一方的に愛されたくてじれるだけの感情ではない!自分から、相手と何をすることに楽しめるかを、考えることができる。相手に近づくための自分の行動の幅が、広がっている。

その時、魅力を感じる相手とどうお近づきになれるかどうか以前に、自分のこの変化に、感動を感じるのです。

心の成長成熟とは、そのようなものなのです。


「価値観」の遷移

とちょっと話が膨らみましたが、「本心」内容変化は、そのように、「命」プログラムされているものであって、自分でその内容方向づけ変えていくことは、できません

この表現ちょっと意外に感じる方が多いかと。それが「方向づけ」ではないのか・・と。

違います。自分で強制的に変えようとせずに、ありのままに感じることに心を「開放」するという方向を向くかどうかを、問うているのです!
「感情と行動の分離」というのは。内面側の話としてということになるでしょう。


今、「本心」ということをテーマにし、このあとそのための最も実践的な基盤となる「自分に対する論理的思考」解説していきます。

それができたら、「価値観」への取り組みが、ハイブリッド心理学実践の本道になります。

そこで多くの方勘違いしているのは、成長成熟形の価値観「当てはめ」をすることだと思っておられることです。このような価値観にすれば、いいらしい、と。
違います。実践するのは、「本心」に立って、今の自分の価値観を嘘いつわりなくあからさまにすることです。そしてそれが心の成長成熟段階においてどんな位置づけのものであるかについて、じっくり学び考え、自分に問い続けることです。本当にそう感じるのか?それだけか?と。

そうした「向き合い」によって、見えないまま変化へと向います。その変化は、「命」プログラムされているのです。


だから、生涯を通して、続ける必要がある。時間がかかります。一生を通しての、成長成熟です。

『入門編下巻』は、そうした「命」プログラムされた心の遷移を書いていますので、読んでピンと来ない、つっかえてしまうところがあれば、先はあまり無理に読まず、本は古本屋に出さずしまっておいて(^^;)、まずは目の前の人生と生活の課題に向うのがいいでしょう。そこで、つっかえたテーマどう感じるかに向き合うと、次第に違った感覚に出会うと思います。そこでまたじっくり読んでみる。

『入門編下巻』は、そのような読み方をして頂くためのになりますので^^。


ちょっと話が膨らみましたが、「本心」2重の役目というが、さらに深さにおいて2段階であるという話の後半を次に。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-3
では引き続き解説の方を。

ここでは「本心」「命」関係について、思い浮かんだ話をつらつらと書いていきます。


何よりもまず「本心」を持つこと

さて、「本心」についていろいろ書いていますが、要は、何よりもまず「本心」を持つこと重要だ、という話になりそうですね^^。

「どう考えればいいか」よりも前に、ということです。
「どう考えるか」内容にかかわらず、です。


なぜなら、「本心」を持った時、「命」のエネルギー「心」つながるからです。これはおととい『写真と言葉』『「本心」と「命」』で書いたことですね。

「命」のエネルギー「心」つながるとは、「命」のエネルギーみなぎるということです。これは話の繰り返し?^^;
その時、何をどう考えるか以前に、今を生きるこの時間輝き今を生きるこの世界輝くのです。


「命」はいかなる状況においても生きることを楽しむ

これはつい先日、読者広場「ゆうすけさん」フィードバック書き込みしてくれた言葉が、その一つの実際の様子が分かりやすいと思います。
抜粋しますと、

「空の青さ、葉の色、綺麗で驚いた。胸の中が軽い、すーっと浮いていってしまいそうな。空がめちゃめちゃ綺麗でおどろた。何か楽しい事が起こる予感」と書いてました。いつも、当たり前に見ている空が、こんなに青かった!?wというほど、とにかく「青い!青い!w青ぉ~!」って感動しました。 (No.313 2011/06/26)

これは、それまでの心の惑い動揺について「どう考えるか」意識が、いったん飛び散って、「意識の構造」が切り替わっているわけです。
「命」のエネルギーが直接つながった「心」の状態へと。

そして、「命」とは、それが置かれた「現実状態」いかなるものであれ、生きることを望み、生きることを喜ぶという性質を持っています。
それが「命」最大特徴です。

「魂」ともまた一線を画する特徴「魂」はむしろ「本当はこうでありたかった」という「大元の望み」を示す性質のものです。


それが「ゆうすけさん」ケースでは、その時の目の前にある「命」がつながるもの、つまり「大自然」の一つである「空の青さ」反応したという形になります。
かくして「青ぉ~!」感動するような感情反応として湧いた、という仕組みです。


「命」につながるための「思考」の取り組み

ハイブリッド心理学思考面取り組みは、このように「本心」を経て「命」につながるためのものだ、と言えます。

だから、それは「無」につながるわけです。その時、もう何をどう考えればいいか、ではない。何をどう考える必要もない全て消えているのです。惑い煩った思考全てがです。

そのように、「豊かな無」「すがすがしい無」「輝く無」つながるための、自分をつなげるための、「思考」取り組みであるわけです。


「ただありのままに流し理解する」という感情面取り組みももちろんその目的のためにあるのですが、そもそも、内面感情に対して本当にそのような姿勢取るために、、その姿勢について本当に心底から納得理解し選択するという「思考」が必要になるわけです。

そうした「思考」のあり方を、このあと「自分に対する論理的思考」として詳しく説明していく予定です。


ここでいったんアップして、「本心」「命」関係についてのよもやま話(?)をあと少し^^。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-4
「本心」「命」関係絡みの話の続き。今日はこれで3個目記事ですね^^。


同じ「命」は再現しない

先の記事の続きとなりますが、「本心」によって「命」がつながることで出現した「豊かな無」状態は、そう長続きするものではありません。
これも「ゆうすけさん」の投稿に、島野がその件でブログコメント(これの方で指摘した点について、その通りであることを書いておられますね。

それは一言でいえば、人間の心が「心」「魂」「命」分離されてしまったものを持ち、それをそれぞれに生きることが宿命であるからです。

「心」から「魂」へ、そして「魂」に導かれて「命」へ。この三者連携の中で、「命」そのものが成長する。そのように、全ての大元「命」プログラムされています。

ですから、一度体験できた「豊かな無」の心の境地を、あとからまた再現しようと、どのように考えれば、どのような姿勢になればいいか、と思案するのは、誤りです。
「命」は変化遷移するものです。「命」の一つの同じ状態は、二度と再現されることはないのです。
再現しようとするのは、誤りです。


まあこの辺が、「心の学校」「真我開発」などでちょっと視点が欠けている部分かも知れませんね。詳しくは知りませんが^^;

所定のやり方「命」刺激してみて、すでに準備されている範囲において「豊かな無」一瞬感じることはできるかも知れません。しかしそれだけでは進歩ないということです。
「命」いかなる現実状況でも生きることを喜ぶので、その時「真我は完璧です」とも言うことができるでしょう。
しかし、その状態をそのまま継続できれば最高・・なんて話にはなり得ないわけです。なぜなら「命」変化するものだからです。
まあ、主催の田久保さんもそのことには感づいており、今後どう活動展開するかの検討を日々行っておられると想像いたします^^。


同じ一つの「豊かな無」ずっととどまるとは、成長を止めるということです。

どのように「豊かな無」提唱している人でも、実際そこにずっととどまっていることなど、できていないと思います。それが本当にできるとは、死ぬ時のような・・^^;


「心」と「魂」との連携の中で「命」が現われる

この辺の話も、読者広場「ゆうすけさん」の投稿への島野のコメント(No.314 2011/
06/27)
で説明していますので、まだの方は一読あれ。
「パラレル・スパイラル前進」という話です。

「心」が再び「現実生活」に向う。そこでは、一段階前進した新しいステージで、またそれなりの惑い煩い「心」が思案し始める。
そして昨日の『写真と記事』『本心を見失うと、心がすさみます』で書いたように、多少の不遇となって、自分の望みどう本心からのものであるかが問われる、つまる「魂」接する時が訪れるのです。
そして自己の中のがふるいにかけられる時間を経て、再び、「命」が姿を見せるのです。

この繰り返しになります。


この繰り返しに、本当に向うか。それが、「感情と行動の分離」深いレベルでの選択になるわけです。
それを、このあと説明する「自分への論理的思考」によって選択していくのが、実践になります。


「心」と「魂」と「命」と「自我の拡大」

話のついでに「自我の拡大」について言えば、このように「本心」を足場にした「心」「魂」「命」連携のサイクル繰り返しの中で、

「心」この歩みへとハンドルを切る思考を堅実に蓄え

「魂」はこのサイクルの中で癒され

「命」より多くの部分、まあ燃焼された部分「自我」の中に取り込まれる。

そのような姿で起きるものだという印象を感じます。


それが、ハイブリッド心理学の考える「心の治癒成長成熟」だという話になります。

「本心」とはこのように、「心」「魂」「命」連携するための足場だ、と言えますね。


そんなものとして、
・「本心」は自分を着実に変えていくためのエンジンとなる
・「本心」は「本心」に帰るための足場となる

という2重の役割があるという話までだいたいしました。

それが深さにおいて2段階あるという話を次に。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-5
これがいよいよハイブリッド心理学真髄部分の話になるかと^^。
・・・と書き始めたものの、これはまだよもやま話か・・^^;


「本心に帰る」ことの2段階の深さ(話はまだあと^^;)

「本心」には2重役目がある。

一つは、自分着実に向上させ変えていくためのエンジン本体
そしてもう一つは、「本心」が、「本心に帰る」ということを行わせる。

「本心」が、私たちのに、「本心に帰る」ということを行わせます。
「本心」がないと、「本心に帰る」もなにもない^^; 「どう見られるか」惑うだけ。


この「本心に帰る」に、2段階深さがあります。


「本心がない」人々・・

これはあとでもう少し詳しく取り上げるかどうかともかく、「本心がない」という印象の人は多いです。あるいは現代人マジョリティ?^^;

「本心」ない人生の早期「本心」持つことを放り出してしまったような人たち。

それは要は、「本当に心底から納得」を問いながら、それを心のふところ蓄えていく地道な生き方積み重ねるというよりも、「自分」というものを「こう見られる人間」という自己把握の仕方をする人たちです。


「こう見られる人間」として、「自分」というものを把握する。

それはつまり、「あるいはそう見られるかも知れないとして」の次に出てくる、「自分としては」という、自分としての確固とした感じ方考え方持たない、ということです。

・・・と書くと、少し違う気もする。
「自分としての感じ方考え方を持たない」というよりも、それを持つ意識の方向が、違う「本心」持つ人とではです。

あくまで「こう見られる」起点になっている。そこから、それが良いか悪いかという思考が始まる。
すると混乱が始まる。
そうした思考ごく表面の印象見栄えのことしか取り上げることができずものごとの本質見る目を失っているので、良い悪い判断の思考が、表面をすべるようにあっちに行ったりこっちに来たりとなるのです。


やがてそれに疲れてくる。そして思考の起点「こう見られる」を、またその表面思考によって捻じ曲げようとする。人は自分のことなんて見ていない。人の目なんて気にしなければいい、と。

何も根本的に前進しない。しばらく時間を経ると、また「こう見られる」起点になる動揺へと戻ることで、思考ほぼ全て表面の空回りであることが、心理学の目から観察されることになります。

それでは問題解決しません正しく人の目を気にするのが答えの出る道です。


心の動揺の2大根源

これはどこかで触れようと思っていた話ですが、私が「心の動揺の2大根源」と感じているものがあります。
心理メカニズムなどの難解な話は置いといて、直感的に感じるものです。

その一つに6/28『心の変化の核心と論理的思考-9』で触れています。
「攻撃性へ」の取り組みという話で。

「自らの攻撃性を克服できていない」。

もう一つがこれです。

「自分を見失ったまま、人の目を気にする」。


この2つ組み合わさることで、世の人心の動揺が見事にワンパターンで(?^^;)作り出されます。

自分に注がれる「人の目」を、攻撃的なものと感じて動揺するのですが、それはまさに本人が自らの攻撃性を克服できていない状況において、人の目が自分に対して攻撃的に見えるのです。
そして自分を見失っていることにおいて、実は自分自身が攻撃的な性向であることを、真正面から見据えて克服へと向うことができない

かくして見事に、「自分を見失ったまま、人の目を攻撃的に感じて動揺する」という惑いの心が出来上がります。


まず自分を取り戻すことが、動揺根本的克服への第一歩というか足場になります。

それはもちろん、「本心を持つ」という取り組みのことです。



「本心」を築く取り組み

「こう見られる」以前に、何をどう感じどう考えるのか。そこに「本心」が問われます。

その結果として、自分は人にどう見られるか自ずと方向づけられる。これが分かってくると、自分を人に良く見せるための、着実戦略というのも出てきます。
「こう見られる人間になれば」といった思考よりもはるかに着実に、実際人に良く見てもらえる、つまり「信頼」を築くがです。


精神論ではなく、具体的な思考内容問題になってきます。

「心底からの納得」基本的な歯車として、思考のを動かしていく実践の、積み重ねが重要になります。

これについてはこのあと「自分に対する論理的思考」として、詳しく解説をしていきます。


「本心がない」という症状(?)問題にちょっと話が道草(?^^;)しましたね。いったんアップしておきましょう。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-6・心の軌道修正
では真髄部分の話へ^^。


「本心に帰る」の深さの2段階

「本心」が果たす「2重目」役割として、「本心」が、私たちに「本心に帰る」ことをさせる。
そうしたことをさせる心の足場として、「本心」というものがあるということです。

その「本心に帰る」という心の動きが、深さにおいて2段階においてある。


「心の軌道修正」

まず基本的なものを、「心の軌道修正」と呼べるかと思います。

これはごく健常な人生の日常で起きるものです。「人の目」によって見失った「本心」取り戻す

たとえばこんな話。甲子園の夢破れ、親の期待もあり医学部に進み、もう野球は諦めようと思っていた学生が、やがて野球への情熱を捨てられないことを自覚し、再び大学野球にてその挑戦を続ける。まあ医学部やめちゃうのはもったいないので、続けながらがいいですねとして^^。


「本心」が「価値」を感じ取る

仕事の進め方について私がよくアドバイスする内容も、「本心」という言葉は出しませんが、根底において「本心に帰る」というテーマを横たえたものであることを言うことができます。

結果がどう評価されるかばかりに駆られストレスに陥るような仕事への姿勢を、自分がどのような「価値の生み出し」をしたいのかに、向き合い直す。目線を、「結果」よりも「課程」へと方向修正する。


話の内容はかなり実践的なノウハウですが、その根底に「本心」という根底テーマがあるわけです。

仕事において「価値の生み出し」に向うためには、「本心」に立つ必要があるわけです。
なぜなら、「本心」が「価値」を感じ取れる心だからです。
価値を感じ取ることができるとは、自分から愛せるということです。そして本心に嘘をついて愛することはできないのです。形だけ真似ようとしても、「価値の生み出し」はできないのです。

そのため、「まだ本心がない」段階ご相談者の場合、「価値の生み出し」という話は得てしてピンと来ていない傾向があったのが、これまでのメール相談でも思い返される次第です^^;


「本心」が問われる。まず「本心」という心の足場築くことが、重要になります。
「本心」「心底からの納得」駒の動き基本とするです。

そのために、「なぜそうなのか?」とことん自分に問う「自分に対する論理的思考」が、ハイブリッド心理学から提供できる、「本心を築くための方法」です。

それを説明する前に、「本心」位置づけを一通りということで、「本心に帰る」ことのより深いバーションの話をに。
それがまさにハイブリッド心理学取り組み道のり本体ですね。
それを「人生の浄化」と呼びたいと思っています。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
「心と魂と命」の要の「本心」-7・人生の浄化
「人生の浄化」

私たち人間のにある、「本心に帰る」という心の動き
そのより深いバージョンを、「人生の浄化」と呼びたいと思っています。

これはつまり、私たちの「人生」そのものが、「本心」を見失った、あるいは「本心」に嘘をついたようなものとしてあるものから、「本心の人生」へと帰るということです。


人生のレベルでの深い「本心」とは、「命の本心」だと言うことができるでしょう。

その、「命の本心」立脚した人生へと歩む。
どんな状況においても、生きることを望み生きることを喜ぶそうした「命」本性立脚した人生へとです。

これがまさに、ハイブリッド心理学取り組みそのものになります。


「心の再生」

そこで起きる「本心に帰る」とは、「心が本心に帰る」というよりも、私たちのその中で生きていると感じる、意識構造そのものが「本心に帰る」というようなものになります。

これが先の記事で説明の「心の軌道修正」とは、深さにおいて異質なものである特徴を、2つ言うことができます。


まず、「心の軌道修正」では、「どっちが」自分の本心かという選択肢が、その時の見えます。
学業だけに専念する。それとも大学野球にも挑戦する。「結果」を見るか「過程」を見るか。

がその選択肢見比べでじっくり吟味することで、に見えてくるわけです。自分本心こっちだ!と。


一方、「人生の浄化」として起きる「本心に帰る」動きの中では、「どっちが」自分の本心かという選択肢が、見えません

選択肢一つしか見えないということです。それが人生なのであり、その中で自分は生きるのだ・・と感じる、今の心今の意識構造しか、ということです。
当然、それが本心を偽ったものとは、考えようも、見えようもないものになります。

一方転換のには、別の選択肢が見えてくる。別の選択肢というか、以前とは違う自分の心であり、以前とは違う人生の感じ方が、見えてくる。
それが自分の本心を取り戻したものだという、しみじみとした深い自覚と共に。


「自己操縦心性の崩壊」

で、本心見失われ本心帰るというより、意識構造切り替わるのです。
「本心を見失った意識構造」から、「本心を取り戻した意識構造」へとです。

これは何が起きるかと言うと、一つの心が死に、意識に連続性のない「意識の断絶」が起きてから、新たな心が再生するとでも言える様相になるということです。


ハイブリッド心理学を長く学んできた方であれば、これが「自己操縦心性の崩壊」の話だとすぐにお分かりかと。このブログでは2010-02-17『病んだ心の自己崩壊』解説しています。
2010-04-12『「絶望」の名手になれ』なんて記事でも関連する心得を書いていますね。


「意識構造の遷移」の中で見失われた本心

ちょっと長くなりますが続けましょう。
次の特徴も、「自己操縦心性」成り立ち経緯と関係してきます。


「心の軌道修正」では、自分本心を見失った経緯が、自身に見えます。

甲子園の夢が破れた一方、医学部に進学することができた。これからは親を喜ばせてあげたい。そう思ったのだが・・、と。
就職できた。頑張らねば、上司の期待に応えなければと思った。そんためにはこれこれの結果出さなければ・・と。それがいつしか、意欲情熱ではなくストレスだけに変化していった・・と。


「人生の浄化」においては、自分がいつ、そしてなぜ本心を見失ったのかが、よく見えないのです。

自分人生を見失っていることを自覚した人が振り返ると、それはやがて幼少期にさかのぼるものになります。そこにあるのはまずそして兄弟姉妹との関係の、何かの挫折です。
しかしその始まりを、そしてその正確な意味を、よく思い出すことができませんいったい何が起きたのか。最初の引き金は何だっのか。最初の引き金の、本当の正体は何だったのか。

そこにあるのは、ただ、あるべきでないことがあったという、漠然とした意識から、人生始まったという事実です。


このように、始まりをさかのぼると見えない壁があるのは、出生時「自他未分離」の混沌とした意識から、「自他分離」し明晰な意識へと、意識構造が変化するのをまたがって、本心を見失うような最初の何かが起きたものだという考えを、ハイブリッド心理学ではしています。

これは『入門編下巻』「7章 人生の答え」P.196あたりで書いたことですね。
人間出生後ほどなくして起きる、「心と魂の分離」この心理学が呼ぶ、意識構造の変化またがって、問題の始まりが起きたのだと。
だから、変化後の私たちの「意識」では、もう問題の始まりを思い出すことはできなくなるのだ、と。


「自己操縦心性の発動」

そして「人生」そのもの本心を見失うものになることを感じさせる変化が、思春期に訪れます。

ある日「漠然とした不安」自分おおっていることに気づくと共に、人々の目線が急にトゲトゲしいものになっているのを感じます。外見見栄えをめぐって、優劣意識強烈に他人へと飛び交うのを感じます。当然、その優劣意識自分へと戻り、強烈に降り注がれてくるものとして。

そこから、が、いや人生の全体が、何かに追い立てられるようなものになったのです。
この辺の話は、まず『入門編上巻』ではP.250あたりで書いています。


こうして思春期に置きた変化を、哲学的表現で言うならば、「存在の善悪と身分」をめぐっての「天国か地獄か」の審判が下される競技場に、自分が放り出されたと感じる。そんな変化です。
世界からは、そんな自分に注がれる、意地悪で攻撃的な目と、慈悲的で同情的な目が飛び交います。しばしば、私たちはこの視線の強烈さ絶えられなくなる感覚を、思春期に体験しています。程度が強くなると、「視線恐怖症」を引き起こすものとして。

これも何の話か分かる方も多いかと。「自己操縦心性の発動」が起きたのです。

これについて最も詳しく解説しているのは、未刊行ですが『理論編上巻』「3章 心が病むメカニズム-2 -「思春期」における発動-」になりますので、ご興味ご関心のある方は読んで頂ければ^^。


もし「命」が、あらゆる状況においても生きることを望み、生きることを喜ぶものなのであれば、「存在の善悪と身分」による「天国か地獄か」人生とは、まさに「命の本心」を偽った人生なのでは・・という話になります。

「人生の浄化」とは、そこから、「命の本心」のままの人生へと、立ち帰る歩みだと言えます。
それは果たして本当にあらゆる状況において生きることを望み喜ぶものに、なるのか・・と。


同じ本質へ

「人生の浄化」が、「心の軌道修正」とは深さにおいて異質である特徴を、まず2つ説明しました。
一つの心が死に、新たな心が再生するという様相になること。
本心見失う経緯の始まり見えず「不本意の人生」思春期発動するという心のメカニズムになること。

そんな事情があるので、「自己操縦心性の崩壊」なんていう特別な治癒現象について、理解しておくことが重要になるわけです。
意識構造レベル「本心に帰る」転換となるものとしてです。


そうした違いはあっても、私たちの意識姿勢において、そこにある「本心に帰る」ことの意味の本質は、同じものであることを理解することが、極めて重要になります。
その同じ本質見据えることが、まさに、「人生の浄化」とへと歩むための、心の足場になるからです。

その同じ本質とは何かを、次に説明しましょう。

「心と魂と命」の要の「本心」 |   コメント(0)
  
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