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詳説・感情を鵜呑みにしない思考-序
さて、久々にちょっとじっくりの解説記事など書こうかと思います。

「感情を鵜呑みにしない思考」についてです。
「感情と行動の分離」というハイブリッド心理学実践の基本姿勢の、最新解説になります^^。


具体的に、それは何をどのように思考すればいいという話なのか。

-心の「外面」
-心の「内面」
-さらに、それを超えた「魂」と「命」


この3面が、「感情と行動の分離」における「思考」で、どのように現れるのか。


そこに、
-「感情を鵜呑みにしない」というのがどうも分からないとお感じの「変われない人」
と、

-メール相談アドバイスをごく自然に受け入れぐんぐん変化する「変わっていける人」
との心のあり方の違いを理解し、より多くの方が変化に向かうためのヒントを得るとともに、

さらに、メール相談を超えて自ら変化に向かう先にあるであろう、最近話題にもしている「真我」(心の学校)「全ての問題解決策を持っている本当の自分」「愛そのものの自分」と言っているような、
-「悟りに向かう人」
になるためのヒントなども示せたらと思います。


ということで、これだけは「変われない人」でさえも全て人が納得を示す、「動揺する感情を克服したいのであれば、その感情を鵜呑みに考えていては元も子もない」という自明の原則スタートラインとして、「では・・」の先から始めていきましょう^^。

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詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-1
では解説をスタートしましょう^^。


自明の心得・・

まず「感情と行動の分離」は、これだけは誰もが認めるであろう、とても自明の心得から始まります。

「動揺する感情を克服したいのであれば、その感情を鵜呑みにして考えたり行動したりしてしまっていては、元も子もない」と。


「感情と行動の分離」の勘違いバ-ジョン(^^;)

しかし、そこから一歩踏み出して、実際に「感情と行動の分離」実践をしようとするところで、多くの方が立ち止まります。
「ならば、まずは感情を鵜呑みにしない思考をすることだ」という段でです。

「さて、感情を鵜呑みにしない思考とは・・?」と。

事実、そこで分からなくなるのは、「感情を鵜呑みにしない思考」の姿勢を、再び、感情や気分、「気持ち」で考えるという誤りをしているからだと思います。
いつまでも、こんな気持ちで考えれば・・、という「気持ち」偏重、「気持ち」だらけ(^^;)の思考で考えているわけです。
「こんな姿勢で・・か」と。

そうして「感情を鵜呑みにしない思考」良く分からないまま、「感情と行動の分離」説明「2面の姿勢」へと進んでしまいます。一つの「こんな姿勢」じゃありません。
「内面感情はありのままに開放し、ただ流し理解するのみとする。その先に真実の感情に向かう。外面行動は建設的なもののみにする」と。


この結果、「感情と行動の分離」理解における、代表的な勘違いバージョン(^^;)がいくつか出てくるようです。
3つほどあるかと。

一つは、「感情を無視して理屈だけで行動する」ものかと考える。感情を無視しては、感情を理解することも、「真実の感情」に向かうこともできません

もう一つは、まあそれと似たものですが「理屈っぽい人間になる」ことかと考える。これは目的結果についての勘違いと言えます。
です。私たちの行動の原動力となるもの、そして結局どう「幸福」であれるか決めるのは「感情」です。感情全体を希薄にする人間像は、ハイブリッド心理学が目指すものとはです。

ハイブリッド心理学「感情と行動の分離」が目指すのは、豊かな心であり、豊かな感情です。それを開放するための意識姿勢意識実践として「感情と行動の分離」があります。

またもう一つのありがちな勘違いは、「とにかく明るく前向きになる」ことかと考える。ハイブリッド心理学を多少ともじっくり読んできた方であれば、それは「心の力み」「感情の強制」という、脱したい心の罠のことであることにすぐ気づくと思います。


2面の姿勢、さらにそれを超えて・・

そこで私としては、話を軌道修正しようとするわけです。
「そうじゃありません。一つの姿勢の話ではなく、外面と内面に対して、それぞれ別々の姿勢、別々の自分を持つということです」、と。
さらに良く分からなくなる?^^;

はてはさらに、「その2つの自分のはざまから、魂と命が姿を現すんです」となって、全然分からなくなる、という状況かと^^;


ということで、まず「感情を鵜呑みにしない思考」というもの自体から、解説をするのが良いかと思います。
実はこれが、多くの人が自然にはめったにやっていないことのようです。最近それが分かり、ちょっと拍子抜けしたような感じで。それじゃー心が成長変化しないわな、と。

具体的には、それは「論理的思考」であり、その一つである「科学的思考」を行う、という話になります。「感情と行動の分離」の基本的なですね。

そしてそこから、それを「外面現実」と「内面自己」の2面に向けて使うとはどういうことかという、「感情と行動の分離」内容の方が出てきます。

それぞれじっくり説明していこうかと^^。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-2:論理的思考
ではまず、「感情を鵜呑みにしない思考」とはどんな思考か、から説明しましょう^^。

それはまず言って「論理的な思考」ではありますが、ハイブリッド心理学では「論理的思考とは何か」という一般テーマはあまり扱いません。
まあ算数や理科の問題といった、もともと「感情」にあまり関係しないような内容で使う思考を主にテーマとして、論理的思考とは何ぞや、という議論も世にはあります。「論理学」と言うのかな。

ハイブリッド心理学で取り扱うのは、あくまで、「心」の問題、「感情」に深く関係した内容を考える時の思考のあり方です。


「感情を導ける思考」

するとまずは、次の2種類の思考のあり方の対比になります。

一つは、感情を鵜呑みにした思考です。つまり動揺する感情に流されるままに揺れ動き、それによって行動法を誤ってしまうような思考です。

もう一つは、感情を鵜呑みにしない思考です。動揺する感情に流されるのとは逆に、感情を安定へと導くことのできる思考です。


前者感情→思考という一方向の思考であり、後者感情→思考→感情というフィードバックがある思考だとも言えるでしょう。

感情プラスとマイナスを付け加えて表現するなら、悪感情からをテーマとして、
前者マイナス感情マイナス思考という一方向
後者マイナス感情中立思考プラス感情というフィードバック形になります。

後者で「プラス思考」とはしていないのがけっこうミソです。まあ「プラスマイナス」「感情」なんですね。「マイナス感情→プラス思考」とすぐに変えようとするのは「心の力み」「感情強制」形です。
それをしない「中立思考」によってなぜ「プラス感情」へと変化するのか。これが、「感情を鵜呑みにしない思考」をさらに心の外面と内面それぞれに向ける「感情と行動の分離」によって、という話になります。
これをおいおい説明していきます。


ともかく、ここではまず一言で、このように表現したいと思います。

「感情を鵜呑みにしない思考」とは、「感情に流される」のではなく逆に、「感情を導ける思考」だ、と。


「論理的思考」

そのための第一歩がどこにあるかへと、視点を進めましょう。

最初に言ったように、「感情に流されない思考」とはまず言って「論理的思考」なのですが、「論理的思考」ができればそれで「感情に流されない思考」になるわけではありません。


「論理的思考」とは、話の内容「つながり」がまずはしっかりしている思考、だと定義できるでしょう。

話の内容つながりとは、「理由」です。こう感じる。なぜならこうだから、と。
それをいちおうはしっかり意識できている時、感情に流される思考も、いちおうは論理的思考になります。


一例として犬恐怖など考えてみると良いかと。

私は犬に恐怖を感じる。なぜなら、犬は人を噛むからだ。
感情に流された思考ですが、つながりとしては「妥当」な、論理的思考ですね^^。

これが、話の内容のつながりがない思考になると、感情に流される思考であり、かつ論理的でもない思考になります。
私は犬に恐怖を感じる。なぜなら犬を見るとろくなことがない。家に泥棒が入るし、山で火事が起きる。
感情に流された思考で、支離滅裂ですね^^。


「つながり」の「正しさ」とは・・

ここで、話のつながり「妥当」「支離滅裂」かを判断する「基準」は、必ずしも絶対的なものではなく実は私たちの主観によるものであることを指摘できます。

犬が人を噛むと考えているのなら、犬を怖いと感じるのまあ仕方あるべえ、とくるわけです。おらっちは犬がそうめったやたらと人を噛むとは思わねえから犬っころは可愛いと感じるが、もし犬が人を噛むとばかり考えてたら、おらっちも犬が怖くなるべえだがや、とくるわけです(どこの方言だがや?^^;)

この言葉の中の「つながり」は一応「正しい」という話になります。


「犬を見ると家に泥棒が入る」になると、私たちがまず「そう考えるならまあ・・」と一応はうなづける「つながり」ありません。だからその言葉を支離滅裂と判断します。

あるいはその言葉の主は、「犬を見る」ことから「家に泥棒が入る」ことへの「つながり」を、この人自身の心の中では強く「感じて」いるかも知れません。かつて実際、偶然そんなことがあったこととして。
しかし、私たちは犬を見たあとに家に泥棒が入った経験などまずないので、その「つながり」「支離滅裂」だと「感じる」わけです。
これは「経験」による判断と言えます。

ただし人それぞれの「経験」の範囲限られたものです。それを、実際に自分で体験していないことについても、範囲を広げて、その確からしさを集めた思考が、「科学的思考」だと言えるでしょう。


まあこの辺はちょっと話が哲学的難解かと思いますが、要は、「こうだからこうなのだ」という「思考のつながり」の「正しさ」をどう考えるかには、実はかなり選択肢が出てくるということです。
その中に、「宗教思考」「科学思考」といった選択肢が出てくる、ということです。この選択位置づけを、また後で説明します。


「感情を表現する論理的思考」という第一歩

ですから後者の言葉でさえも、実は「論理的思考」です。「こうである。なぜならこうだから」と、言葉論理的な組み立ての形になっている。
「私は犬に恐怖を感じる。なぜなら犬を見るとろくなことがない。家に泥棒が入るし、山で火事が起きる」であってもです。

これが正真正銘、論理的でない支離滅裂な言葉になると、こんな感じ。
「犬が起きる。火事が入る。怖いと家、やめたい」。まあ『海辺のカフカ』猫のカワムラさんの世界ですね(読んだ人は分かるかと^^)。


ということで、「感情に流された思考」から「感情を導ける思考」までの変化第一歩について説明しました。
それは「感情に流された思考」であっても「論理的思考」である形です。
これは「感情を表現する論理的思考」です。

これが第一歩になります。まずは感情を表現している論理明瞭化する。これを「感情の論理」と呼んでいます。
それをはっきりさせることで、次に、別の論理からそれを見直すことが可能になるからです。


動揺する感情から抜け出せないという時、実はこれさえもできないケースが少なくないのです。
まあ猫のカワムラさん状態になるという話ではなく(^^;)、感情動揺によって論理的思考そのものがブロックされてしまうものです。平たく言えば、頭が回らなくる、という問題が起きてしまいます。
「怖いと感じる。なぜなら・・」という論理的思考ができず、「怖い・・逃げたい・・」と、思考が感情を鵜呑みにした次の段階へと進んでしまう

こうした心のあり方の状況分類についても、また後でまとめましょう。


とりあえず、「感情を表現する論理的思考」から「感情を導ける論理的思考」に移る、次の段階へと目を転じましょう。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-3:自分への問いと対話
不在のお知らせ:
午後よりあさって
11/18(木)まで予定にて帰省にて不在となります^^。


論理的思考は「理由」が命

「感情に流される思考」から「感情を導ける思考」への第一歩は、「感情を表現した論理的思考」であることをまず説明しました。
たとえば、「私は犬が怖い。なぜなら犬は人を噛むものだと思うから」と。
「こう感じる」という「感情」の、「理由」をはっきりとさせる思考です。


論理的思考では「理由」が命、と言えます。
なぜなら、私たちは「理由」に対して感情を抱くからです。

犬が人を噛むと思うから、犬を怖いと感じます。犬がただその形をした、ほとんど動かない生物体であれば、怖いとは感じないでしょう。
お金があればいろんなものを買えるから、お金が欲しいと感じます。もしそれが使えないものであれば、その紙切れを欲しいとは感じないでしょう。


一方、「日本人は理由が苦手」という言葉を聞いたことがあります。理由苦手、つまり「理由」考えたり説明したりするのが苦手、ということです。
「とにかくそう感じるから、そうなの!」という思考をしがちだということでしょう。まあこれは実際は日本人に限った話ではないのではないかと。

しかし、もし「そう感じる」「理由」勘違いなどの誤りがあったならば、「理由」問い直し「理由」誤りに気づいた時、感情変わり得る、という話になります。


「感情」と「理由」の逆転・・

論理的思考苦手、つまり「理由」を考えるのが苦手、という先に起きるのは、「感情」と「理由」の逆転と言える現象です。
「理由」があって「感情」が起きる、のではなく、「感情」が「理由」になるのです。

怖いと感じるから、それは危険なのだ、と。
怒りを感じるから、相手が悪いのだ、と。
空しさを感じるから、人生に意味はないのだ、と。

これが「感情を鵜呑みにした思考」完成形(^^;)になる、と言えるかと思います。
このプログでも「感情による決めつけ」として、その解除大切さを説明したものです。
関連記事


「感情」によって、「出来事」「世界」「人間」そして「自分」を考える。それは「感情」で色づけした世界です。
そしてそれによってまた感情が揺らぎ揺らいだ感情でまた色づけして世界を見て、また感情が揺らぎ・・。
まるで土石流に流されるかのように、感情によって思考先へと流されてしまいます。


「こう感じるから、そうだと思うのだ」。この「感情を鵜呑みにした思考」を、一歩踏みとどまるとは・・。


自分への問いと対話

それはまずは、「“こう感じるから、そう考えればいい”とは言えない面もあるのでは・・」と、●自分の思考に疑問を投げかけることができるか、からになるかと。

怖いと感じるからと言って、それは危険なのではないかも知れない・・と。
怒りを感じるからと言って、相手が悪いではないかも知れない・・と。
空しさを感じるからと言って、人生に意味がないということではないかも知れない・・と。


そこに、2つの問いが生まれてくることになります。

●まず、なぜ自分はそう感じたのか。その時の「感情」の「理由」です。

●感情を鵜呑みにして考えた、「こう感じるからそう考えた」ことが、感情を抜きにして実際どう考えられるのか。今これからの「現実」を、感情で色づけしない世界として視界にとらえることです。

そうして、自分はこう感じた・・いや待てよ、こう感じたのはこう思ったからだ。でも本当は現実はそうではなくこうではないか・・。すると、おや感じ方も変わってきそうだぞ・・
とくるわけです。

ここで3つの意識ポイントが働いていることになります。
・感情を鵜呑みにせず、自分に疑問を投げかけ、問いかけることです。
・今起きた「感情」の「理由」を考えることです。
・今これからの「現実」を感情で色づけせずに見ることです。


「感情と行動の分離」に、なっているんですね^^。感情鵜呑みにしない姿勢、内面感情ありのままに理解し、外面現実への建設的な目を持つ。


ちなみに「論理的思考とは何か」といった一般テーマでの情報をちょっとネットで見たところ、「なぜと自分に問いかけ説明を考えるという、もう一つの自分を作ることが大切」といった説明がされていましたね。
成長の根本は、どんな領域であろうと普遍的であり、一つですね^^。


自分に問えない姿勢・・

そういった「自分への問いと対話」できなくなってしまうのは、「変われない人」心のあり方の場合です。
サイト冒頭『ハイブリッド心理学とは』 - 4.「変われない人」と「変われそうで戻ってしまう人」

そこでは、「感情」つまり「気持ち」を、人に受けとめてもらうもの、人に見られるものと位置づけてしまうため、思考能力の問題ではなしに、対人衝動として感情を鵜呑みにする思考に流されてしまいます。

さらに、そうして感情に流され感情を鵜呑みにする思考になってしまうのですが、そこでの「感情」「気持ち」が、人に受けとめさせる、人に見せつけるものとしての「見せかけ」つまり「嘘」の要素を帯びてしまうことから、感情がどんどんすさんでいきながらストレスが大きくなっていくという、泥沼になってしまいがちです。
そこから、自分の気持ちを自分で受けとめるという姿勢、そして心のあり方へと、目を覚ますことが大切です。

思考法の問題の根底に、さらに対人姿勢の問題、そして根本的な心のあり方の問題というものが横たわっているという、全体的な理解を進めて頂ければと思います。


では次に、そうして「感情を鵜呑みにしない思考」を取った先に、どう感情が良くなるのかの段階に目を進めましょう。

思考を変えただけでは感情は良くなりません。それをどう踏ん張り、どう先に目を見やることができるかに、この転換がかかっていると言うことができるでしょう^^。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-4:3つの関門と3つのハードル
では引き続き、「感情を鵜呑みにしない思考」から「豊かなプラスの感情の開放」までの流れを見ていきましょう。


第一歩

感情「理由を考える論理的思考」が、その第一歩であることを説明しました。

私たちは「理由」によって感情を抱くからです。たとえ、意識の表面ではすぐに「感情が理由」となって先へと思考がどんどん進んでいってしまうとしても。
大元の「理由」についての「考え」変わることで、私たちが抱く「感情」に、変わり得る余地が開かれることになります。

私はこう感じる、なぜならこう考えるからだ、という思考をするようにします。
私は犬を怖いと感じる。なぜなら犬は人を噛むと考えるからだ。


3つの関門

ただしそのように「感情の理由」が思考できたとして、そこにすぐに、「感情」に向き合う私たち人間まちまちな姿勢が、ばらばらな方向への道を生み出します。

そのまちまちな姿勢とは、「豊かなプラス感情」に向かうための、大きな3つの関門に関係するものです。
内面思考の関門
外面思考の関門
・思考を超えた「望み」における関門
この3つです。

内面の思考の関門とは、本心を偽らずに考えることです。
外面の思考の関門とは、ありのままの現実を感情でねじ曲げずに考えることです。
思考を超えた「望み」における関門とは、困苦の先にある成長を見据えることです。


この3つの関門を全て通過できた「思考」によって、「豊かなプラス感情」が開放され・・いや、ここでもまだ「思考」では直接プラス感情を生み出すことはできません。

この3つの関門を全て通過できた「思考」によって、「体験」が開放されるのです。そして開放された「体験」の中で、見えない「命」作用を及ぼすことで、感情未知の豊かさへと変化するのです。


「感情の理由」をまず論理的に考え、そこから自分の本心を偽らずに、また感情によって現実をねじ曲げずに考え、困苦の先にある成長を見据えて、「望み」を抱くことで「体験」が開放されることで、「命」の作用で、感情が未知の豊かさのプラスへと変化するのです。


3段のハードルを超えた先にあるような話になります。

まず感情に流されてその先の思考に進むのではなく、感情の理由を問うこと。
次に「内面」「外面」および「望み」という3つの関門を通る思考を検討すること。
そして最後に「体験」を開放し突入すること。


感情を変えようのない世界・・

この一方にあるのは、最初の段階別方向にそれている思考です。「感情」が「理由」となり、「こう感じるから、それはそうなのだ」という思考の先に、「だから」とか「ではどうすれば」とかを思考し始めてしまうもの。

最初にマイナス感情がある時、それをもう変更不可能な既定事実と決めつけたような先で思考している世界です。


まず言って、世の99パーセントの人はこれだと思います。今になってそれが分かった感じ^^; あら~~そうだったんだ~、と。これではいくらハイブリッド心理学書いても足りないはずだわ、と。

私としては今まで、「人は基本的に論理的思考ができる」と、考えて今まで生きてきたわけです。
ところが、今になって、この「世の人々観」根底からくつがえってしまったのが、ここ最近です。

それは、「論理的思考ができる」という命題そのものが変化したということです。
つまり、「自分で論理的思考ができる」ことと、「論理的知識を見聞きすることができる」という2つのことへとです。
そして、この2つは、ぜんぜん違うのです。今まで、後者の姿を見て「論理的思考ができる」ことと考えていたために、全く違う思考世界で生きている2種類の人を区別できなかったわけです。


ともかく、どういうことか具体的に説明していきましょう^^。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-5:最初の脇道
第1の脇道

「感情を鵜呑みにしない思考」から先に、「豊かなプラス感情」に至るまでは、いったい幾つの脇にそれる道があるのかと思えるようなものになりそうです。
3つのハードルがあり、その一つには3つの関門がある、となるとつごう5つの脇道、ということになるのかな・・。

ともかく具体的に見ていきましょう。


「私は犬を怖いと感じる。なぜなら、犬は人を噛むと考えているからだ」。

第1の脇道は、「なぜなら・・」感情の理由を問うことをせず、それはもう変更不可能な既定事実、もしくは与えられた条件(「私にとって犬は怖いもの」)とした上で、思考を先へと進めるものです。
たとえばこのように。「私は犬を怖いと感じる」の先です。

だから私は犬が嫌いだ。
どうすれば犬をこの世から消し去れるか。


ここで、「犬」「他人」に置き換えると、まさに心の病の中で人がしばしば陥る思考になるわけです。


第1の脇道とは、「感情の理由を問うのをやめてしまう思考」です。


第2の脇道

感情の理由しっかり考えることができた次に、すぐ現れるのが第2の脇道です。

まずは、「私は犬を怖いと感じる。なぜなら、犬は人を噛むと考えているからだ」
次に、いちおうは犬が怖いのを克服したいという「望み」があるという前提の場合です。

「犬は人を噛まないと考えればいい」。

ここでも、「犬」「他人」に置き変えると、心の病での思考がそのまま検討できます。
私は他人が怖い。白い目で見られると考えるからだ。人に嫌われると考えるからだ。
では、人に嫌われると考えなければいい。

これはしばしば、「こう考えればいいですよ」と、心理カウンセリングの中で語られることもある「思考法」です。


これは事実、多くの人に、「脇道」にすら見えないものと言えます。「プラス思考」と呼ばれる形で。

私は人がそれに満足しようとしている姿に口をはさむことに、関心はありません。
それに満足できない人に、実はそれが脇道であり、本道が別のものであることを伝えることに、関心があります。

答えを言いますと、「魂」と「命」は、「現実」との出会いの中で姿を現す、ということです。頭の中でどのように思考をめぐらせるかの中には、「魂」「命」姿を現さないということです。
「魂」「命」は、「現実」との出会い「体験」の中で姿を現します。頭の中でどのように思考をめぐらせるかは、そうした「体験」を自らにどう開放するか、つまり許すかに関わるものです。


いずれにせよ、根本的な問いが提起されます。

「犬は人を噛まないと考えればいい」「人に嫌われたりしないと考えればいい」とは、どういうことか。
「考えればいい」とは。

「現実」は、どうだということなのか。


「こう考えればいい」という言葉に、答えを見出せない時、あるいはそこに何かの「嘘」を漠然と感じる時、「感情を鵜呑みにしない思考」から先の3つの関門のうちの、2つを損なっていることが考えられます。
自分の本心を偽らずに考えること。
現実を感情で歪めずに考えること。

本当は、犬は人を噛むと考えているのです。本当は、人に嫌われると思っているのです。本当は、犬が怖いのであり、他人が怖いのです。


第2の脇道とは、「ありのままの本心と現実に目をつぶる思考」です。
これは「魂」と「命」に蓋をする思考、ということとイコールです。

この脇道は、本道よりも広いので、多くの人がそれを本道と勘違いして向かってしまうようです。
無理もありません。
2つの道を、先まで見てみるといいでしょう。第2の脇道広いけど、先が行き止まりです。
いったん狭くなる本道の先を良くみやると、先へとはるかに道が続き、その先に雄大に輝く自然の光景が広がっています。


ともかくまずは、その先の地を訪れた先人の体験を、実際に聞くのがいいでしょう。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
詳説・感情を鵜呑みにしない思考-6:魂と命は「真実」に反応する
「論理的思考」の真価

ありのままの自分の本心偽ることなく考える。そして、
ありのままの現実感情で歪めることなく見る。

この2つの関門を通る先に、私たちは「論理的思考」の真価に向き合うことになります。

「論理的思考」の真価とは、「真実」を捉えることです。
「真実」とは、「真の事実」のことです。嘘のない、ありのままの事実です。


なぜそれが論理的思考の真価になるのか。

「魂」と「命」は、「真実」に反応するからです。
私たちの心が「真実」を捉えた時、「魂」と「命」が、豊かなプラス感情を、「魂の感情」として返すのです。


逆に、私たちが自分の本心を偽って考えている時、そして現実を感情で歪めて思考している時、つまり私たちの思考に「嘘」がある時、「魂」と「命」は、押し黙ったまま、心の奥底に押しやられたまま、何の感情も返してきません。
いや、ただ「不明感」「空しさ」という、マイナスの魂の感情だけを心の中に流し続けます。



「真実」とは何か

では「真実」とは何か。それを捉える論理的思考の要件とは何か。具体的に見ていきましょう。

「真実」には2面があります。「内面」「外面」です。
もちろん、その片方だけを「真実」だと強調しようとする時、それは「真実」ではなくなります。
ハイブリッドです^^。


内面の真実

「内面の真実」とは、究極的な「嘘偽りのない感情」です。

「感情」なんですね。「感情を鵜呑みにしない思考」とは、「感情を無視する思考」ではないゆえんです。
感情を鵜呑みにした思考の中で、私たちのは、嘘偽りのある感情にまみれていく傾向があります。感情によって現実を歪め、歪められた現実イメージによって感情がさらに歪む、という循環を膨張させるからと言えるでしょう。

これについて、私たちの人生で起きていることは何かと言うと、まず嘘だらけの思考(^^;)の中で生きることに慣らされてしまってから、私たちが自分の人生というものを考えるようになるという事態だ、と言えるでしょう。
の中で。学校の中で。そして社会で。


「究極的な」嘘偽りのない感情であるとは、一時的に「これが自分の嘘偽りのない感情だ」と錯覚することを超えて、やがて恒久的に、それを自分の嘘偽りのない感情として、納得し、安心でき、自分を支え、自分の人生の前進力の基盤とすることができる、そんな「感情」です。
これはもちろん、「魂の感情」の中に、私たちがそれを求めることができるものになります。

そのためには、今現時点において自分の中の嘘偽りのない感情探ると共に、「外面の真実」模索することに心を向き合わせる中での自分の感情の変化を感じ取っていくという、総合的な取り組みが重要になります。
「内面の真実」とは、そうして模索し続けるものなのです。


外面の真実

「外面の真実」とは「客観的な真実」です。つまり「客観的」な、真の事実です。

しかしこれも結構難しい話でもあります。絶対的な「客観」というものは存在せず、結局は私たちの五感という「主観」によって捉えられた外界世界について、私たちは「より客観的な真実」模索することになります。

この「主観と客観」という哲学的テーマちょっと難解でありハイブリッド心理学としてはあまり深入りする意図はありませんが、「究極的な客観的真実」というものが、やはり最後に大きなテーマになります。
それは「感情」という、私たちの幸福の度合いを決定する「主観」を超え、その最も根源にある何かが捉えるということになるからです。

それが「感情」を超えて安定した感情の世界、スピリチュアリズムで言う「普遍意識」の世界を、私たちの心の世界に捉えさせるからです。
これが私たちの身体という、実に制約の多い器に引きずられることから開放された、超越的に満たされた幸福感の「感情」を引き出す。私たちのが、どうやらそのような仕組みを備えているらしいのです。これを得る至宝目指さないのは損だと感じます。


ちょっと難解になりましたね^^。

まあ進む先の最後には、そうした難解な、スピリチュアリズムが言うのと同じゴールに至るのがハイブリッド心理学ですが、スタートライン極めて具体的で実直な「論理的思考」の歩みの積み重ねからです。

「2面の真実」のための、「具体的で実直な論理的思考」を、具体的に見ていきましょう。

詳説・感情を鵜呑みにしない思考 |   コメント(0)
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