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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
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ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
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ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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カテゴリ: 島野が神になるのをやめた時 の記事一覧(作成順)

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島野が神になるのをやめた時-1
引き続き『島野自身の治癒過程を振り返って』シリーズですが、サブタイトルにすると長ったらしくなるのでタイトルを改めこれで。


島野が神になるのをやめた時

自分が神になろうとするのをやめ、ありのままの人間としての成長へと復帰する。

ハイブリッド心理学目標とする、この人生の大きな扉を開けるのは、もちろん頭の表面でそう考えてみるという話などでは全くなく、私たちの心の深い底で私たちの人生を支配している、「人生を見失う道」を生み出す正体となる見えない歯車を、捨て去ることです。

つまりこれは、心の深層への取り組みです。

自分の深層心理無意識の世界への問いかけが必要です。


ですからまず、自分の無意識領域に目を向ける姿勢が、最初の準備として必要になるかも知れません。これは「価値観」への取り組みを通して、自然に身についてきますのでご心配なく^^。

ただそれなりの積み重ねの時間は必要になりますので、このあとさらにまとめる『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』を、一つ一つじっくり検討していく実践を進めて頂ければ。


難しそう・・と感じる方もおおいかと思いますが、難しさの問題よりも、そこにある重大な人生のテーマを、まず感じ取って頂ければと思います。


人間の善悪と価値の選り分け・「選民思想」

その重大な人生のテーマとは、人間が人間の善悪と価値を振るいにかける、という思想行為です。

お前はいていい人、お前はいてはいけない人。
つまりお前は存在が許される人、お前は存在が許されない人。


これが人間の歴史の中で、国家による大勢の人々の虐殺として行なわれたことがあるのが、人類の歴史です。
中でももっとも大きな罪がなされたものの一つとして、ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、皆さんもご存知だと思います。

こうした、人間を選り分けようとする姿勢は、「選民思想」などと呼ばれます。


「人生を見失う道」の中で、理想に満たない自分や他人を叩くのは、これが心の内部で行なわれるものなのです。

自分他人への怒りを感じた時、それはナチスがユダヤ人を断じたのと同じことを、しているのです。
そう考えて、その怒りを捨てることは・・・まあできないかも知れませんね^^; ちょっと理屈が飛躍し過ぎていると。


私の場合も、そう考えてこの人生の大きな扉を開けたのでは、ありません。

つながりのない、幾つかの準備が成された後に、大きなひらめきのように、「怒り」の大元にある見えない大きな何か消えたのです。
これは自分が神になろうとしていることなのだ!という自覚とともに。


当時の日記から^^;

私がその大きな扉を開けたのは、何となくいつの間にか(^^;)という話ではなく、何年何月何日何時何分に、どこで何を考えていて、という境目がはっきりしている、明瞭な出来事でした。

それは私がもうすぐ37歳になる、1997年の12月16日に起きたことでした。さすがに何時何分という記録までは残していませんが、何時何分何秒にと言えるほどピカッと、そのひらめきが私の心を一変させてしまったのです。


それが起きた前後の日記を、ちょっと自分で読み返しても極端な心の世界が印象的に表現されており面白いので、ご紹介しましょう。

当時私はかなり仕事に精が乗っており、心理学としての整理など関心なかったので、自分の心の表面に起きた変化だけをごく手短に書いています。
「これは自分が神になろうとしていることなのだ!」という中途思考内容は省いてです。後にハイブリッド心理学を整理し始めてから、どうやらこの時だったと探した次第です。

浮かれて軽薄な思考が現れるほど、私の気分は軽くなってしまったのです^^; ま俗人の島野ということで。えへ^^ゞ


このあまりにも印象が違う2つの心の世界分けたものが何だったのか、ここに至る時の「幾つかの準備」から考えてみたいと思います。

1997.12.15 (月)
 “人間を見る目ではなく、モノを見る目で僕を見る”回りの人々のイメージ。
 自分が役立たずの異物だと見放されていく。


1997.12.17 (水)
 きのう結局行きついたのは、“何の役にも立たない厄介者”という怒りを向けられる自己イメージだった。

 だが、きのう仕事をしているうちに、“何も役に立たないことなんかない。何でも少しは役に立つものだ”という気持ちが湧いてきた。
 それから僕の気持ちは一転して軽くなった。人に接することへの嫌悪感が消え去った。今まで人に接することは、即自分への嫌悪を意味していたようなものだから、自分への嫌悪が消えたことで、人に接することへの嫌悪感が消えたのも自然に思えた。
 そして気の軽さは、“もしもっと若い時にこうだったら、女の子誰とでも・・それが悔しい”という考えや、嶺村さん
(*)にまた会う考えなど、少し躁的な気分を生み出していたのが、きのうの一日だった。
(*)『悲しみの彼方への旅』登場の初恋女性です^^。

「何でも望める」気分に切り替わってしまったわけですね。現実に叶うかどうかは、全く別問題です^^;

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島野が神になるのをやめた時-2
まず、日記には書いていなかった、その時の私の思考を説明しましょう。


「存在価値のある人」と「存在価値のない人」

つまり、私にはその時、「存在価値のある人」と「存在価値のない人」、という感覚があったのです。

そうした感覚がある方は多いと思います。というか、その視線を向け合うものとして人間関係仕事場面を捉えた時、私たちはストレス動揺にさらされ、関係が悪化してしまいます。
そのになるもの、と言える感覚です。

人がそのように分けられるという感覚そのものについては、その頃の私疑うことをしないまま・・にです。

私の場合それは、人とどう明るく親しくできるか、そのための内面の覇気のエネルギーの多さ少なさのようなものを、「存在価値のある人とない人」の区分け基準にするような感覚がです。


その目が、自分に向き続けていたわけです。自分自身からの、その目が。

人生を通してです。
それは今から思い返しても、まるで
生まれたこと自体が犯罪であるかのような身かどうかという、裁判を待っているような心の世界だったと感じます。


「自己嫌悪感情」のメカニズム

一方で私は、カレン・ホーナイの精神分析にそった自己分析を当時また熱心に再開していました。まあ自分の感情の底で自分が抱いている価値観や姿勢を吟味して検討していくようなことです。


そこで私にはその頃、カレン・ホーナイ「自己嫌悪感情」が起きるメカニズムについて言っていた結論に、焦点を感じていました。

カレン・ホーナイはこんな文章で言っています。
自己嫌悪とその破壊的な威力を概観してきたが、そこに大きな悲劇があることに注目せざるを得ない。それは恐らく人間の心にとって最大の悲劇だろう。
人間は無限と絶対を手に入れたいと思いながら、同時に自分を破壊し始めるのだ。栄光を与えることを約束する悪魔と契約を結ぶ時、人は地獄に、己自身の内部にある地獄に、落ちねばならない。」
(誠心書房『神経症と人間の成長』 P.196)


つまりカレン・ホーナイは、自己嫌悪感情とは、完璧で絶対になることを求めることから生まれる、と言っているわけです。

私にはその時まで、それがいまいち納得できませんでした。
自分は別に完璧になろうなんて思っていないし、全能万能の無限の力を欲しいなどとも思っていない、と。

実際その3か月ほど前だったか、カレン・ホーナイのその文章について考えてみたことが、日記には書かれていました。しかしその時は心に何も起きませんでした。

それから3か月後のその時は、事態が変わったわけです。


神になるのをやめる

私はその時、改めて、また自分の中にごうごうと流れる自己嫌悪感情について、自分が無限と絶対を求めているからなのかどうか、自分の心にさぐりを入れたのです。

自分は別に神のような無限と絶対など求めているわけではない。自分は不完全な人間の一人なのだ。
それでも、「望ましくない程度」ある一定を超えた人間は「存在価値がない者」「存在を許されない者」として、怒り処罰に値するのは自然な話ではないのか。

そう考えたわけです。
しかし思考がさらに進みました。ではその「一定の境い目」は、誰がどうやって決めるのか?人間が不完全であれば、「存在価値がない人間」の境目人間が決めようとしても、それは「正しい正確さ」のものではなく、不完全で不正確なものだという話になる。
でも自分は、その「望ましくない程度」の中にある、絶対的な線を考えたのだ・・。


そこでピカッとひらめきが走ったわけです。これは自分が神になるということなのだ!僕は間違っている!と。

私の心の中で、「望ましくない程度」の中に引かれた、一本の「絶対的な線」が、消えていきました。

すると、消えた線を越えて色が広がるように、「全ての人」が「存在価値がある人間」へと塗り変わっていたのです。


私は、「生まれたこと自体が犯罪であるかの裁判」の部屋から、ひろびろとした外の世界に、出たのです。

そして振り返って見たら、そんな裁判の部屋など、そこには存在しなかったのです。



こうして私は、ありのままの人間としての成長の世界へと、復帰しました。

私の心に何が起きたのかは、とても難しい話のように感じます。それを説明できるよう心理学を整理するのに、2002年人生の転機が訪れ心理学の整理を再開してから、こうして8年間もかけているわけです^^;


この頃の私に進んでいた「幾つかの準備」を考えると、どうやらこんなことらしい、という人間の心の真実のメカニズムが、見えてきそうです。

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島野が神になるのをやめた時-3・実践への整理
私の心の中で「存在への裁判の部屋」消えた時、私の心に何が起きていたのか。

それは、その時期に私の心で進んでいた「幾つかの準備」を考えると、何となく分かってくるように感じています。
次の4つです。まず列記しておきましょう。

これを「4つの準備」と呼んでおきましょうか^^。
1.現実世界に「完璧」などというものは存在しない
2.社会を生きる自信
3.怖れの克服
4.「神」への思考への「未知」という答え

実践に向けて

ハイブリッド心理学「実践」において大切になってくるのは、この話になってきます^^。

つまり先に紹介したような「神になるのをやめるひらめき」そのものは、まずは直接「実践」できるものではないように感じます。
かなりいろいろと取り組んだ先に、その「ひらめき」が訪れるという段取りが考えられます。心のフタがパカッと開くような形でです。


ちょっと話を整理しますと、以下のような図にできます。


「人生を見失う道」へとさま変わりさせてしまう歯車があります。図の茶文字部分です。

「心が成長する道」への復帰とは、それを取り去った、「未熟な望み」「自己の理想像」から始まる「成長」ができようになることです。
それは、「未熟な望み」「自己の理想像」の中にある、「建設的要素」に向かうことです。「感情と行動の分離」の姿勢によって。
それが「ありのままの人間としての成長」なのです。

この復帰を支えるのが、上記「4つの準備」です。


「心が成長する道」「人生を見失う道」へとさま変わりする歯車

心の4つの歯車・・・未熟な望み、自己の理想像受け身の価値観怒り処罰
魂の2つの歯車・・・自分を愛さないものへの憎しみ自分が神になる思考
4/3『神になるのをやめる-10・私たちの不完全性』でいちどまとめてあります^^)

     ↑未熟な望みの中にある建設的要素に向かう!
        ありのままの人間としての成長

  復帰ポイント
    途上・・・「望みを消した善悪思考」から「望めない望みを望む自分の自覚」
         (なければ良いが、成長への貴重な苦しみ(^^;)になる部分です)
    達成・・・「今の全てで良い」「全ての人が存在する価値のある人」
          ←自分は神になろうとしている!というひらめき

     ↑
  復帰を支えるものが上記の「4つの準備」
   これは愛に関係ないところでの「能力」という人生課題に対応

これは何を言いたいかというと、ハイブリッド心理学が私たち自身の心に対して何をしようとしているのかと言うと、私たち自身の「未熟」を、私たち自身が受け入れられる。そんな心を築きましょうということです。

「心の豊かさ」「成熟」直接あみだすような思考法を練り上げることなどでは、まったくないことにご注意下さい。

「心の豊かさ」「成熟」は、「未熟」を受け入れて、その「望み」に向かって生きることの中で、「命」が自ずと生み出します。
「行動学」をたずさえてです。これを早いとこ出したいんですけどね^^; 医学講座と同じで、まず問題分析を先にしています。要点の漏れがないよう。本にまとめる場合は説明順番変えられるかも。


「未熟を受け入れる」ことが、「成熟」への道なのです。


ということで、「4つの準備」を引き続き私自身の振り返りで説明していきます。要点はまた『人生を豊かにする思考法行動法と価値観』カテゴリーでまとめますので^^。

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島野が神になるのをやめた時-4・完璧はない
「4つの準備」をざっと説明しましょう。


1.この現実世界に「完璧」などというものは存在しない

まずこれが「神になるのをやめる」という大きな扉に一番つながる話だと思います。

日常思考において、「完璧というものは存在しない」という考え方が定着したことです。


これは皆さん自身がどうであるか、確認して頂けることだと思います。
「これで完璧!」「あの人は完璧だ・・」とか思うことがあるのなら、「完璧存在する派」(^^;)です。

そうではなく、もう完璧なんてものはないから・・とすぐ、まあいまいち盛り上がらない思考をするなら、「完璧存在しない派」(^^;)です。

お勧めは、「完璧存在しない派」です。
なぜなら、現実「完璧」などというものは存在しないからです。


「極端な気分」をさます

これは別の言葉としては、すでに出している「全知全能」「なんでも」分かる、「なんでも」できる、つまり「完璧無欠」「欠点がない」と感じるような、感じ方の話です。

自分はなんでも・・、あの人は何でも・・といった思考。まあ認知療法などでも、「全か無か」の不合理思考と指摘されるものです。


ここでぜひ理解頂きたいのは、こうした「完璧無欠」「全知全能」といった感覚で気分の勢いを感じるものが、実は私たちの感情動揺の勢いのエンジンだということです。

「勢い」「圧倒感」といった気分の部品が、裏返ったときに「うつ」「ストレス」になるわけです。


「気分の勢い」で行動するという方が少なくないと思いますが、心の成長にはつながらない姿勢ですので、ご注意です。

勢いに頼る人は、勢いに負けます。高価な壷を買わされてしまったりします^^;


現実のものごとには、常に2面があります。それを常に同時に見ることのできる目を育てていきたいものです。

良い面悪い面長所欠点メリットデメリット可能性限界


「これで完璧!」という感覚を、仕事がうまくできたことの感覚などと考えてはいけません。

人間には必ずミスがあります。機械には必ず故障があり、コンピューター・プログラムには必ずバグがあります。それを込みにして安全な線を引けるようになった時、仕事が一人前になります。


こうした、「完璧はない」という思考を、日常堅実に持つようにします。

それが、私たちの心の底にある、「何か絶対的なもの」という感覚を、根底から薄めていくのではないかと思います。


「完璧」「何か絶対的なもの」という感覚が、恐らく、私たちが「容赦ない怒り」に駆られる時の、引き金の境目につながっているのだと思います。

弾丸火薬に対応するテーマが、次の「社会を生きる自信」「怖れの克服」になると思います。

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島野が神になるのをやめた時-5・社会を生きる自信
昨日はちょっと都内に所用でした。今日このあとは日帰りスキーに出かけます♪。


さて「4つの準備」の残りをさらっと説明したら、早いとこ「神になるのをやめるひらめき」とはどういうことなのかの結論へといきたいと思います。

次の2つ、「社会を生きる自信」「怖れの克服」は、合わせて「生きることへの安心」を得るものだと言えるでしょう。
まず前者


2.社会を生きる自信

37歳当時の私に大きく前進していたことの一つが、社会を生きる自信が芽生えてきていたことです。

まあはっきりそう自覚するというよりも、まずは「仕事」とはこうするものだというのが、かなり体得されてきたという感じです。
それで、先の日記で紹介したように、自分は役立たずの厄介者といういじけたイメージが流れる一方、そんなことはないという視野も芽生えていたのだと思います。


これが、「神になるのをやめるひらめき」よりも先に用意されたというとになります。


そうしたひらめきによって、人に対して心が開けるようになった先に、社会を生きる自信が持てるのでは・・と空想される方も多いかも知れません。

逆です。そう考えると、人に対して心が開けることも、社会を生きる自信が持てることも、得られなくなってしまうように感じます。


「仕事」は「気持ち」ではなく「客観軸」でする

どいうことかというと、「仕事」とは、「人に心を開く」とか「やる気」とかの「気持ち」でするものはない、ということです。
全く別のものに、進めるものです。


これについて、より詳しくは後にして、比較的最近のメール相談でアドバイスしたものを紹介しましょう。
それは「客観軸」というものです。


以下に紹介するのは、交際相手仕事場面での相手への気持ちの動揺を主な内容とされた若い女性のご相談者へのアドバイスメールからの抜粋です。

その方の場合、感情動揺には多少の心の障害の傾向も感じられましたが、心の芯比較的健康であることを直感的に感じました。
そこで、内面的な話を幾つか心得とした上で、まずは仕事のための思考法という外面向け実戦が良いのではと話を進めた次第です。

まずは「客観的行動指針」という軸を持つ、強化する、というのに取り組んでみるといいと思います。
これはつまり、
1)外面への建設的な思考法行動法
2)内面感情(気持ち)への理解

における1)外面への建設的な思考法行動法の側の話になりますが、その中でも、最も「気持ち」に揺るがない、というか「気持ち」に揺るぎようもない無関係なもの、その上でしっかりと「行動の指針」になるものです。

そういった、「客観的行動指針」というを、まずは持ってみる。その内容を充実させていく、というのをまずは取り組んでみるといいと思います。

・・(略)・・

>今の仕事は短期間で大量募集ということで、たいしたスキルは求められていません。ただ、どんどん増える書類の山に一人で入力していくので、たまに焦りますが、焦ってもしょうがないと思ってやっています。

こうした比較的単純な作業であっても、この姿勢の有無による、仕事のこなしかたの上手下手が出てきます。

下手な方(^^;)を先に言いますと、とにかく目の前に置かれた仕事量を、一刻も早く片付けられることがベストなのだ、という感覚で当たる姿勢です。

それだと、量が増えるごとに、焦りに駆られ、その結果まず作業品質下がり、つまりミスが多くなり、本人の意識においては、より一生懸命頑張る状況になるほど、なぜか叱られることが多くなると、次第にやる気をなくしてしまうパターンに陥ります。

上手なのは、まず「ペース見積もり」先にやってみて、実際に作業した「実績」を見て、その「見積もりと実績の差異比較」などを適宜する姿勢です。
で、この程度はこの時間で、と見積もると同時に、そこに休憩時間なども入れ、ストレスがたまらないような調整も盛り込んでいくわけです。

それによって、無理もなく、ストレスもためることもない状況を作るということで外堀を埋めて、あとはその作業そのものにじっくり意識を集中できる、という状況になってくるわけです。

その結果は、作業の品質上がりミスも少なく、高く評価されるようになりやすくなってきます^^。

メールではこの後、こうした「客観軸」を、動物大自然生きる知恵を学ぶようなものとして使うのが良いという話などいろいろしています。機会があればまた紹介しましょう。

後日、こうした「客観軸」視点すぐ効を奏した様子が、この方から報告されました。これも紹介しておきます。

客観軸を持つというメールを最初にいただいてから、翌日からすぐに自分ができそうなことをやってみました。
島野さんのアドバイスにもあったように、数字で把握する、ということです。

今まではただひたすらパソコンへ入力していましたが、1日に100件ペースなら1時間でどのくらい?そして他の作業にあてる時間はとか、郵便物の発送も、今日はこの数くらいなら時間は少し遅めに準備しても大丈夫、とか、本当にわずかの事ですが、そうするようになってから焦らなくなりました。
どんなに山のような書類がきても、1日にできるペースがわかっているので、闇雲な気持ちになりません

「人の気持ち」を基準に仕事をするのではなく、「客観軸」を持って、それを基準に行動する。

これがさらに、正真正銘人を相手にした仕事でもできるようになるのが、完成形になると言えるでしょう。

するとそれは、「気持ち」度外視するようなものではなく、安定した軸に「気持ち」をほどよく絡めことのできるものになる。
まあ「客観軸」土台として、「気持ち」トッピングしたおいしいケーキができるわけです。それを、トッピング材料だけでケーキを作ろうなんて考えると、とんでもない別ものができてしまいますね。

そうした完成形へのコメント部分も紹介しておきます。

あとは、そうした客観軸複雑で高度なものになっていくということになります。
人間関係における行動法などにおいてもです。

それをハイブリッド心理学では、「原理原則」と呼んでいます。気持ちはこう。しかし原理原則はこう。そのように思考できるものが増えるごとに、安定した気持ち仕事対人行動に向かうことができるようにできますし、動揺する場面乗り越えることができるようになります。

重要なのは、対処の場面において、相手の人物との関係の間に、そうした客観軸を置くという構図の感覚です。

自分が直接相手の目に晒されているのではなく、自分が持つ客観軸を問いているということです。
相手をどうこう変えようとするのではなく、自分と相手との間にあってその場で決定力を持つ客観軸を調整するという姿勢です。

まずはそうしたものとして、仕事における自分の「役割」を把握することで、仕事をうまくこなすということがぐっと手近になってきますので^^。


島野が神になるのをやめた時 |   コメント(0)
島野が神になるのをやめた時-6・怖れの克服(前)
このテーマかなり重要になりますので、ちょっとじっくりめに説明しましょう^^。


3.怖れの克服

37歳当時、私が関心を持ったことの一つが、「怖れの克服」です。

根本的なものとしてです。
つまり、私は「怖れ」という感情そのものの存在に、疑問、さらに言えば不信のようなものを感じたのです。

なぜなら、それは全く役に立たないからです。


「怖れ」「恐怖」の感情は本来、危険を察知した時に、逃げる行動をせよという脳の信号として生まれました。

それは「怒り」という感情の発生と、少し似た面があると思います。どちらも、外界の敵や危険を前にして、全身の血流を減らし内臓の代謝機能を低下させます。怪我を前提として生き延びようとするかのように。


しかし「怒り」脳に血を集めることでパワーを生み出すのに比べて、「恐怖」はただ血の流れを止めるという形になるようで、度が過ぎる「腰が抜ける」「ヘビににらまれたカエル」という言葉のように、逃げる行動さえもできなくなってしまいます。

これはまあ、動物個体意識において、「怒り」「自分は強い」という勇気の感覚を生み出すメリット面がある一方、「怖れ」「自分は弱い」という感情として作用するということで、そうなるのでしょう。

もちろん人間の場合、「怒り」によって「自分は強い」と感じようとすることで、長い目真の強さに向かわず逆に心身を消耗していくという、があるという話になります。


ですから、「怒り」心身に有毒な感情だと言っていますが、「怖れ」も同じように、場合によってはそれにも増して有害な感情だと、ハイブリッド心理学では認識しています。


いずれにせよ、「怖れ」の感情は、そうした生物学的な発生の由来がある一方で、うまく機能してない面がある。
臆病なタヌキ肉食獣に出会うと恐怖のあまり失神してしまうと聞いたことがあります。それでまあ意識だけは逃げれるかもしれませんが、そのまままんまと肉食獣の餌食になってしまうわけです。

生物学的に意味のある、根の深い感情でありながら、ぜんぜん機能していない面があるわけです。


対人行動への最大の妨げ

なぜ私が「怖れ」を克服したいと考えたかと言うと、対人行動への最大の妨げだと感じたからです。


人に向かってのびのびと行動したい。それができないのは、「怖れ」が邪魔をしてです。

そしてもう私にははっきり分かってきたわけです。自分が何よりも怖れているのは、「怖れ」によって人に向かって行動できなくなった自分が、人の目にさらされることだということを。
それを怖れ、行動できなくなるのです。

怖れによって行動できなくなることを、何よりも怖れたのです。だから最初からその行動など考える必要もないところに自分を置こうとする。
何も望まなければいいのです。

もちろんこれでは根本克服にはなりません。


怖れの根本克服を求めて

怖れによって行動できなくなることを怖れる
これはぐるぐる状態になるので、答え良く見えないものになります。

人によっては、「怖いなんて思わなければいい」と考え、「自己暗示」によって「怖くない気持ち」になってみて行動を試みます。
私も良くやりました、ふと意識「怖れ」からそれて、それが見えなくなった時に、「今だ!」という感じ^^;

まあそれで行動できた場面ごく少数はあったと記憶していますが、それでいくら場数を重ねても、積み重ならないという事態がやがて判明してきます。前進できた気になれても、ふと意識「怖れ」また向くと、どっひゃーと元通りなわけです。苦労と工夫と努力を重ね、100歩前進したつもりが、1歩で元通りのような^^;

これが、「自己暗示」や、あまりに単純な「自分への言い聞かせ」方法の不毛さと言えます。


30代後半ともなると、さすがにもう自己暗示では根本的な問題解決にならないことが、実感として分かってくるわけです。


では何が根本解決への答えなのか。

それは、見えないままでした。
根本解決への答え見えないまま、それでも私はその頃再び、自分の心への取り組みに、本腰を入れたのです。当時買ったバーンズの『いやな気分よさようなら』などを良い力添えにしてです。

もちろんその本を手にしても、根本解決への答え良く見えません
それでも、単なる自己暗示を超えて、思考を変えることで気分を根本的に変えることができる部分が、多少なりともあることが見えてきます。

そんな面もあって、その頃の私に、「怖れの根本克服」というものへの関心が生まれ始めていたような気がします。


そこからたどった道筋を次に^^。

島野が神になるのをやめた時 |   コメント(0)
島野が神になるのをやめた時-7・怖れの克服(中)
捨てることのできる怖れ

人への行動で感じる怖れへの答えすぐには見えない一方、私が関心を持ったのは、まず対人場面などとは全く無関係な領域で、「捨てることのできる怖れ」を捨てることでした。

それは例えば、幽霊といった話、最近のその筋の代表である「心霊写真」を見て感じる恐怖感や、ひどい痛みを体験することへの恐怖残酷な場面や映像へのめまい吐き気がするような恐怖といったものです。


まあ今あげた最後のものなどになり結構ハードルが高くなってきますが、まず私は、考え方としてはとにかくラディカルつなり過激な発想をしたのです。
現に身体的に潰されるような物理的危険がない限り、恐怖感なんていうものは感じる必要はないし、捨てていいものなのだ、と。原理的には。


「怖れの克服」への道

しかしそれで正しいのです
まずそこから始め、自己暗示などに頼ることなく、全く捨てていい「怖れ」「恐怖」の感覚や感情を見つけたら、捨てていく

対人場面への怖れがそれによってすぐには消えないとしても、では自分は何を怖れているのかという、一歩も数歩も前進した場所からの視線が生まれてくるからです。


その先の答えは、その頃の私にもほとんど見えませんでした。そこから長い年月の先に、この姿勢が自ずと、その答えを私に示したのです。
最後に残る怖れとは、愛を失う怖れなのだと。そして自ら愛を望む気持ちの強さこそが、それを凌駕するのだと。これが最後の答えだったのです。入門編下巻ラストで描写したように。


怖れによって行動できなくなる自分怖れ行動など考える必要もないようなところに自分を置こうとします。それがいいのだと考えながら、
つまり、最初からたいして望まなければいいと。そうして「望みの感情」を、全般的に薄めています。

それが、人生の全てを見失わせるという大きな結末へ、最初の小さな一歩なんですね。
それによって、捨てることのできる怖れを捨てることからさえ遠ざかり、そして最終的に怖れ乗り越える力になる、「望む強さ」を、捨ててしまっています。


注射や心霊写真への恐怖を捨てることから全てが始まる

まずは、「注射」「心霊写真」といった身近な「恐怖感」見直し、捨てていことから、全てが始まるでしょう。
心と人生の豊かさへの歩みの、全てがです。

このブログでも、まず「最初の一歩」の段階をざっと説明し、そのあと「本格的な歩み」としてまず心の仕組み説明をながながとしていますが、結局何を最初にしましょーという話をするなら、これになるのではと思えるくらい、これが大切です。

に言えば、「注射」「心霊写真」怖がるようなうちは、何も前進しませんので安心あれ(?^^;)。まあはっきりそこに問題があり、そうしたはっきりした糸口から始められることに、ご安心下さいという話です^^。
ハイブリッド心理学での心の仕組み難しいですが、実践すること実にシンプルなんです。


まずは科学的な思考が決定的に重要です。

たいそうな科学教養などいりません。でもとにかく、身の回りで「怖れ」を実際感じるものについては、科学的な思考で対処ができるようにしたい。

神だのみ運だより占いだよりではなく。日常でそうした思考を用いることが、力強く人生を生きる心の基盤全てを崩壊させる、ダムの底に開いた小さな穴なのです。


島野は霊魂や前世を否定しません^^

私自身具体的な考え方を例として説明しましょう。


「注射」はいいですよね。目的と得られるものを理解し、すると決めたら多少の痛みはもう無視することです。
かなり痛いものも、「ただ痛みを痛む」姿勢。痛みを嘆かない痛みを怖がるのもやめる

「心霊写真」なんていうのはまず作り物です。どうやって作るかを考えてみましょう^^。私でも楽チンで作れそう♪


一方私は、「霊魂」「前世」といった超常現象を、「否定しない科学思考」を持っています。物質的には電磁波の塊のように存在し、人体を超えて存在するのかも知れない。

その手の超常現象実体は、まず物質的には間違いなく「電磁波」です。
しかしだからといって、それが「霊魂」「前世」という神秘的な働きをすることも、否定できない。なぜなら、「電磁波」「命」を帯びることで「霊魂」「前世」という「働き」が生まれるという話になるのでしょが、そもそも「命」というものが何なのか、科学では全く分からないからです。

だがそうしたものがあったとしても、電磁波の強さとしてはごく微弱であり、身の回りのモノを動かしたり破壊したりする力はないと考えています。

だから、「お化け」の話は、その存在は科学的に否定せず、その怖さは科学的に否定しているという感じです。


こうした「怖いもの」私の克服思考について、もっと関心あればなんでも質問などお寄せ頂ければ^^。


人生の大きな選択

問題は、こうした身近な問題でそうした科学的思考に徹する姿勢を選択できるかに、なるでしょう。

なんか理屈っぽく風情がないような・・と。そうした理屈を超えた感覚の持ち主でいたい、というような。
かよわさが愛されるような、怖がりサンでいたい、というような。


オーケーです^^。選択は自由です。

でも・・と考え始める方も多いかも知れません。TVでは、心霊写真怖がる若い女性タレントキャーキャーと華々しいです。
そうしたブリッコさんでチャホヤされるのは、よっぽどの美人さんで人生のごく一時期だけです^^; 真似する気にならないよう気をつけましょう^^;


どっちを取りますかという話です。
注射心霊写真への怖れ(を捨てること)と、心の貧弱と人生先細りと。
好きな方を取るのがいいでしょう。


問題は、注射と心霊写真への怖がりが、どう心の貧弱と人生先細りにつながるのかが、私たちの素の思考では全く見えないことだと言えるでしょう。

それについて少し書いておきます。

島野が神になるのをやめた時 |   コメント(0)
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