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カテゴリ: 「愛」と「能力」の成長課題 の記事一覧(作成順)

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「愛」と「能力」という人生の治癒成長課題-1
ここでは私自身の回想というよりも、まとまった説明記事ということでタイトルを変え、引き続きの『心の成長と治癒過程の理解・詳細編』カテゴリーで書きましょう。

「人生の治癒と成長の課題」という、今まであまり使わなかった言葉の表現ですが、大きな視点からの話です。
方向を見失った人生からの回復成長ということですね。


「愛」という課題

私自身の回想としても、病んだ心からの回復と成長は、はっきり「愛」がその軸になるものなのだと言えます。


大きく2つ「治癒」へのポイントがあったのが、私の体験だったという話をしています。

一つは、自分が求めているのが「愛」であることの自覚です。
その望みと衝動が「抑圧」されていたものからです。これは極めて苦しいものになることを、先の『「寂しさを感じない」と言う心理』で触れました。これはこの後もう少し具体的に描写します。

もう一つは、愛という「望み」に向かう先に、真実と嘘の錯綜が現れるポイントです。
ここに、「今までの心」が行き先をなくし、「今までの心」が一度死に、「新しい心」が生成されるという、神秘的なの作用が起きるようです。これも引き続きこのあと説明しましょう。


ここにもう一つ加えることができます。それは「治癒」という側面よりももっとはっきり、「成長」の側面になってきます。
それは「愛」を望む感情を、心の中で思いっきり開放することです。「抑圧を解く苦しみ」を越えた、遥かなる先へとです。

これはたんだん、健康な心の領域での話になってきます。とにかく、心を病むという要因によるものであるにせよ、日常生活に忙殺されてという要因であろうと、「愛への感情を心の中で思いっきり開放する」といった体験から遠ざかっているのがむしろ現代人のマジョリティではあろうことが課題と言えます。


「能力」という課題

一方、私たちの人生には、「愛」という課題だけがあるのではなく、もう一つの大きな人生課題を、ここでは「能力」という言葉で言っておきましょう。

これは大草原の動物で言えば、餌を見つけ、敵を倒し、住み家を作るといった、生きるための基本的な力をつけるという課題です。
人間で言えば、仕事の能力であり、「愛」とは関係なしの対人行動能力であり、その到達度の目安になるような、さまざまな資格や肩書きなど、「地位」を得るといった課題になります。

これらは「愛」からはいったん切り離して考えることができますね。


美貌」など優れた「外見」を得ることも、「能力」という課題の軸と考えることができます。
ただこの辺は「愛」とは関係なくとはちょっと言えず、自分で満足できることと、人の愛を得る手段という、2つの面があることになるでしょう。

対人行動能力の先に、私たちは「包容力」や「リーダーシップ」など「人格」「人柄」「性格」といったものをイメ-ジして目標にもするようになります。
これもやはり、「愛」とはひとまず切り離せる側面と、人に愛される性格という、「愛」を目標にした側面の2つがあると言えるでしょう。


人は「愛」において心を病む

ここでまず言えるのが、「心を病む」というのは、基本的に「愛」について起きることです。

親からの「適切で十分な愛」の下に育まれることに失敗する、という躓きから始まるものとして。
「望むものは拒まれる」という、根深い自己否定感情が、その根底の核になって、進行する過程として。

そうして、そこからの回復と成長が冒頭のようなポイントになる、治癒と成長への歩みが始まるわけです。


「能力」については、「心を病む」という問題は直接それをめぐって起きるのではないと言えます。

まず言えるのは、心を病む中で、「愛」を求める感情が抑圧されることの代償、つまり穴埋め腹いせ、「復讐」の位置づけを、「能力」が帯びてくるという現象になるでしょう。
すると人生は極めて不毛な、蜃気楼を追うようなものへと化してしまいます。


実はそれと同じことが、比較的健康な心においても、広範囲に起きている現代人だと言えるでしょう。
上に書いたように、「愛への感情を心の中で思いっきり開放する」といったことから遠ざかる現代人にです。

私たちが生活の基盤として「能力」を増やそうとするの先に、それを通して「愛が得られるのではないかという、ほとんど無意識の、そして不実な期待願望が、横たわっているように感じます。
その代表が「お金」「地位」でしょう。

ですから生活の基盤として、「お金」や「地位」へとまい進すること自体は大いに健康な話なのですが、それでも、人は運命的ともいえるような重要な「愛」に出会ったとき、そうしたものの重みが愕然とするほど消えてしまうことを、時に体験します。これがさまざまなドラマの、基本的な骨組みにもなるものと言えます。

こうした点で、「愛の感情」を心の中で開放することは、病んだ心からの回復のみならず、心の健康と成長にとって大切なことだと言えるでしょう。


「愛と自尊心の分離」

こうした大きな視点から、まず「能力」というものをできるだけ「愛」の問題から切り離して、淡々と歩むことのできる、知恵とノウハウの仕入れと習得の過程へと、まっすぐに、まあスリム化というか合理化して捉えることが、とても大切な取り組みになってきます。

私たちのにおいてです。
つまり「能力の獲得と向上」を、過度に歪んだ重みで捉える傾向や、「人の目」という「愛」を自分の能力評価と取り違えて錯覚する傾向から脱出するとともに、合理的な目で、淡々と向上する歩みへと復帰したい。

これを「愛と自尊心の分離」の姿勢と呼んだりしています。
このポイントを次に説明しましょう。

それによって、生活の基盤の能力をつかんでいくことが、「愛」を軸にした「心を病む」ことの克服のための、大きな支えになってくれます。


人間の心の問題の全貌

一方実は、「能力」を直接的に軸にして、人間に「心を病む」というのと別系統の闇があります。
それは「全知全能」の幻想という闇です。

それが「愛」を軸にした「心を病む」ことと、絡んでしまう。これが人間の心の問題の全貌です。
全ての克服は、この「愛」を軸にした闇からの脱出と、「能力」を軸にした闇からの脱出が、交わったところに道が現れるという話になってきます。


これら「能力」の軸の説明を続けます。

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「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」という人生の治癒成長課題-2・真の答えへの雑感
「愛」と「能力」への向かい方パターン

「愛」「能力」という、人生の2大課題への向かい方によって、未知の自分へと向かう「病んだ心から健康な心への道」の歩み具体的なものになると言えるでしょう。

ですからまずはその2つへの向かい方の組み合わせによる、「人生見失いパターン」(^^;)「心の成長と豊かな人生パターン」(^^)を、よ~く知ることが大切です。


人生見失いパターン^^;

最も人生が不毛になるパターンは、先日の『「愛」と「能力」という人生の治癒成長課題-1』でも書いた通りです。

それは「愛」を求める感情が「抑圧」されたまま、愛を得られない穴埋めや腹いせ、そして復讐のために、全ての他人を打ち負かせるような「能力」による「優越」「勝利」を得ることに駆られる、というパターンです。

この人は、大元で自分が本当に求めているのは「愛」であることを自覚できないまま、「能力」の獲得へと駆られます。
しかしそれは実は「愛」の穴埋めであることにおいて、その「能力」の中身自体がその人にとって本当に純粋に大切なものでは、ないのです。

実はその「能力」の中身自体は、その人にとってどうでもいいことだったのです。本当に欲しかったのは、「愛」だったのです。
それを自覚しないまま、自分にとって本当はどうでもいい「優越」に駆られていた人生の不毛を、その人が心底から自覚するのは、「死」を目の前にして、といったことがしばしば起きることになるのです。

この人生の蜃気楼の罠からは、一刻も早く目を覚ますのが、人生の得策というものです。


人生の生き方知らず・・

一方で実はこのパターンは、現代人の限りないほぼ全てが、その中で生きているようなものにも、私には感じられます。

ちょっと雑感など。え~い言ってしまえと、島野としてめったに書かない世の中批評など^^; えへへ^^。


だから今朝もそうでしたが、毎日目を覚まして朝食を食べながら新聞を読むと、下の方に沢山の書籍の広告が出てきます。日曜朝刊には本の書評が組まれています。

そうして人生の生き方あーでもないこーでもない(^^;)と伝える書籍や、小説のほぼ全てが、その世界、つまり愛への望みを抑圧したまま代償としての優越獲得に駆られる心の世界の中で思考しているようなものの印象を受けます。
せめてその自覚に至る様子、そこからの抜け出しが大切というメッセージくらいは、書いて欲しいんだけど^^;

で、どれも読む必要な-しと感じる^^; ここだけの話^^。

だから、世界に出ている数万冊の本を読み尽くしても、人生の生き方について何も学べない、という驚愕の事態が起きるのが実状のように感じます。
まあ僕もそうだったわけです。学べたと言える本は、人生全てを通して、片手で数えられる程度です。それ以外は全滅です*_*;


なお、「ハンディの中で逆に人生を見出す」という体験を伝える自伝書TVバラエティ番組は、けっこう豊富ですね。これはお勧めです^^。
問題は、自分の人生の生き方の学びに、それをつなげられるかですね。あまりに境遇が違うと、どーも自分の問題にはつながらなかったのが、昔の私だったと感じます。


真の答えは「考える必要もない」もの

一方に、人生の生き方の答えがあり、それを体得した人々もいます。頭のいい人だけではなく、というか頭の良さにはもう全く無関係に、頭の良い人にも、頭が弱い人にもです。


なぜなら、人生の生き方の答えが出た時、それはもう「考える必要」さえないものだからです。
だからそうした人々は、人生の生き方についてもうあまりあれこれと考えなくなくなるので、人生の生き方について特に何かを言うこともなく本も書かない
だから、本当の人生の生き方を伝える本がめったにない、という事態になるのだろうと感じます。


ハイブリッド心理学は、それをはっきり言葉で示したい。

そう考えて、問題を整理していくと、私自身が時に思考の罠にはまります^^; この問題をどう取り扱う先に、どう真の答えがでると説明していこうか・・と。
そう考えているうちに、時に思考の迷路に踏み入ってしまうわけです。


おとといに手短に『「生きる」とは』だけを載せたのは、実はそうした事情もありました。
「愛」と「能力」への向かい方ほぐれを、どう整理すると、残りの「正しさ」「全知全能」の問題と、答えの話につながるかと。
でちょっとうまくまとまらないので、いったん、話の流れの全体を俯瞰することからリセットしたわけです。


そうして昨日はスキーをしながら、話の流れの整理よりも、直感的に浮ぶことを優先に言葉を整理していくと、出る答えどんどんシンプルなります。
最後は、「考える必要もない」ものへと。
そして今日起きると再び、どうでもいいさー好きに生きるさーという感じで能天気にまた今日一日を生きようとしている、自分を見出すのです。


ちょっと話が膨らみましたが、そんな雑感を私自身が感じるようなものとしての、ハイブリッド心理学からの答えを、はっきりと言葉で(^^)説明していきましょう。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」の人生課題-3
タイトルを『「愛」と「能力」の人生課題』にちょっと縮めときます^^。


続・人生見失いパターン

「愛」「能力」への向かい方の組み合わせについてに、人生見失いパターンからまたおさらいします。

それは、「愛」を求める感情が「抑圧」されたまま、「能力」を求める感情が心の表面に現れる、というものだという話をしました。


実際それが人の心に、どんな「気持ち」として体験されるのかを、先の記事を書いた際にメモったものがありますので、そのまま書いてみます。


他人への憎しみの中で、全ての他人を打ち負かせるような優越を求める

まあこれは「分かりやすい」ものとは言えます。本人はどう考えているかはさておき、「憎しみ」「自分が愛されない」ことから生まれているという流れを、解釈できます。

もし「憎しみ」具体的で過酷な迫害を受けたものへのものである時、「全ての他人を打ち負かせる優越」を求めるとはならないでしょう。特定の相手への復讐衝動にはなり得る。まあそれがどう健康か病んでいるかの議論は、別の場に譲ります。

とにかくこれは、「能力」へと駆られる衝動に、他人への敵意があり、そのには、結局「愛」への願望が眠っている。そうした心理構造があり得るという話です。


高い成績をあげて人に認められ評価されることへの願望

これはまず「能力」へのあくなき向上心として本人に感じ取られ、その先に「愛」も得たいという願望が見えているものと言えます。

こうした心理はかなり「一般的」なものであり、何がどう病んでいるのか、何をどう変えるべきなのかが、見えにくい話でもあります。
それがどう、「愛」への望みを「抑圧」したものが「能力」への衝動に化けていたのか。


「自分病」

言えるのは、こうしたごく一般的で一見して健康な「能力への向上心」の裏に、自分が求めるているものが愛であることを自覚しないまま、自分の能力向上の追及に駆られる、不毛な心理が潜んでいる場合がある、ということです。

これについては、まだ未刊行ですが(見通しなーし^^;)『理論編下巻』の原稿で少し詳しく論じています。
少し抜粋しましょう。原稿を全部読みたい場合は、サイトの方に掲載していますので^^。

「人生」の幻想

 をかけて自己の真実に向かった時、そこに未知の愛が現れる。
 それを身を持って知った後、私の心をまずしみじみと打ったのは、その逆形とも言える奇妙な人間の心のメカニズムでした。
 自分に嘘をついて得る愛を追い求め続けた時、そこに「人生の幻想」が現れる、とでも言える現象です。

 思い返せば、ほんの数年前まで、組織の中で認められることの中に人生があるかのように感じていた、別人の自分がいます。2001年年末考課で、期待通りの評価をしてこない上司への嘆きをつづった日記。執筆に専念するようになり、始めた日記の読み直しがそこに来た時、その時の屈折した感情が私の中に蘇ります。
 確かに私のその時の仕事はかなり先端的なもので、改めて考えてももっと評価されてしかるべきものだ、と感じました。しかし私が同時に感じるのは、あれほど入れ込んでいたその仕事の内容そのものへの、あまりにもあっけないほどの、今となっての無関心でした。
 私はその日記にこんなメモを記入しました。

 自分がその中で重要な役割を果たすことに誇りを感じることができた組織があり、事実自分にはそれだけの能力はあったかも知れない。
 だが、それだけ。「能力を示せる仕事」があった一方で、その仕事をする意味を与える「命」は失われていたような気がする。
 そう思い返し、少し悲しみが流れた。


 なぜ悲しみが流れるのか。私が追い求めたのは「愛」だったからです。仕事の内容そのものは、結局かなり副次的なものであったように思えます。その時は逆に感じていたのですが。
(『7章 人生の答え-2 -「魂の望み」への歩み-』より)

この、かつての私自身の状況を返すと、今でもなんか涙がにじむ感がありますね・・。

私はその原稿で、そのように「愛」への願望が自覚されないまま自己の能力追求に明け暮れる心理を、「自分病」とも呼ぶました。すでにどこかで使われた言葉でもあるでしょう。


「愛」「能力」への向かい方パターンの全体を、次にもう少し平たく、つまり他のパターンも均等に整理しましょう。
そこから、どう向かうのがいいのかの話へと続けていきます^^。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」の人生課題-4・3つの向かい方
「未熟」から「成熟」への3パターン

「愛」「能力」という、2つの大きな人生課題への向かい方は、大きく3つのパターンになると私は考えています。

ここでは、「能力」に向かうことにどう「愛」が絡んでいるかの視点から、分けてみました。


1.愛される手段としての能力の追求

これができれば愛されるのでは・・、これができることが愛されるための条件では・・、といった感覚の中で「能力」の獲得向上へと向かうものです。

これはかなり努力が不毛になるタイプです。

まず、「能力」の中身そのものに、自分自身で純粋に価値や魅力を感じているわけではないかも知れず、その向上努力が楽しみというよりも、ストレスによって駆られるものになりがちです。

そして向上というのは、楽しみによって向かうのが一番効果的です。ストレスやイライラの中では、あまり向上が身につかないです。

その結果、愛されるための目標に、なかなか到達できない。結果、愛されない、という話になってしまいがち。

さらに!そうして人が「これがあれば愛される」と感じて駆られるものに、どう到達したところで、本当に人から愛されるとは限らないという現実があります。


結局のところ、人から愛されるための確実な「条件」とは、自分自身からも相手を愛せることでしょう。能力美貌によって、自分への関心をどう引けるかがあった上での話としてです。

「人の関心を引ける」ことと、本当に人から信頼され愛されることとは、かなり違うことです。

もちろん、だから「自分から愛しましょう」という気持ち論は、ハイブリッド心理学ではぜんぜんしません
どんな風に、「自分から愛する」ようになる「心の成熟」「命」の作用によって生まれるかの、道のりを論じます^^。


なおこのパターンは、「愛されないことへの復讐」としてというものと、「愛されるための条件」としてというものが、少し気持ちの色合いが違ってきますが、「能力」「愛」をめぐる気持ちへの道具になる点で、同じ系列のものになります。


2.愛の影響を受けない実直な能力追求

これは一応「健康形」と言えるものに感じられます。

基本的には「愛」とはてんで無関係なものとして、「能力」の追求に向かうものです。大草原で、動物が食べ物を手に入れるための能力を、次第に身につけていく姿です。

身近な話では、自転車に乗りたいと思い、練習して乗れるようになる。
それを「愛されるために」と考えて始めるよりは、ごくシンプルに、自転車は便利だから乗りたいなあと感じ、練習し始めるのが一般的でしょう。
そうした姿。

ここでは、能力習得の過程に、「楽しみ」が生まれ得ます。それが次のパターンへと移行する原動力にもなると思われます。


3.自ら愛することとしての能力追求

これは「成熟形」と言えるものです。

「能力」が、「愛される」ためではなく、「自分から愛する」そして「その価値を多くの人へと分け与える」ための方法手段のような形で、能力の追求へとまい進できる姿。


これは手前味噌ですが、ハイブリッド心理学を洗練させるという私にとっての能力追求は、そのようなものとしてあります。
自分で価値を感じ、それを多くの方に分け与えたいと思う。それを形にするための、能力追求です。

私はそれを自分自身の「成熟」と感じます。もう何によって惑わされることもない、安定した気持ちで、自分自身から向かうことができるようになったからです。

そうなりたいと意識したところで、なれるものではありません。それを生み出すのは、「命」だからです。

そうした「命の作用」に委ねるとは、意識的努力における思考法行動法としてはうすることかを説明するのが、ハイブリッド心理学です^^。


シンプルな答えへ

愛をめぐる気持ちの道具に、能力追求がなってしまう。
それは自分で気づかないまま、ストレスに駆られながら不毛へと向かうです。

このを抜け出るためには、「愛」「自尊心」つまり「プライド」などの感情をどう切り分けるか、といった心理分析の話もあります。

しかしより根本においては、そもそも「愛」「能力」にどう向かうのが、「命」の「本来形」なのかを考えると、そこに、拍子抜けするようなシンプルな答えが見えてくるように、今は感じています。
それを次に説明しましょう。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(2)
「愛」と「能力」の人生課題-5
最後のつながりへ

ここで話の流れをまとめておきますと、大きな2つの流れで話を進めています。


一つは、「病んだ心から健康な心への道」において、「受け身意識の闇の川」に落ちて抜け出すという、「成長のサイクル」の話の流れです。「抜け出し力」のための話です。

これが『島野自身の治癒過程を振り返って-4』までの記事です。ここまでは、「未熟から成長そして成熟へ」という、まあ時間の流れの軸での話です。
そこでは、「愛」の望みに向かうことで真実と嘘の錯綜が現れるというところまで説明しました。実はそこでもう答えは示されるのだと。

ただしこの闇の川抜け出しに関して、「黄色の水」つまり「正しさ」の水の話が、残されたままです。


もう一方で、抜け出しへの答えがどう示されるかを理解するためにまだ必要な話として、『「愛」と「能力」という人生の治癒成長課題-1』から、「愛」「能力」という心の課題の広がりの軸の話へと転じました。

そこで、「愛」「能力」への向かい方の組み合わせパターンなど説明し始めたわけです。この後説明するのは、その「命の本来形」と言えるものです。
これは病んだ心からの抜け出し以前の、健康な姿の話です。それは私たち人間が大昔に見失ったものを、再び見直すことです。
これは、心の成長への最も基本的な、「足元の強さ」のための話です。

「愛と能力に向かう命の本来形」見失わせるものについての理解が、重要になってきます。
それは「怖れ」です。

そして私たち人間は、成長への基本的な足元の強さにおいて、「怖れ」から逃れようとして、成長を見失うものへと向かうことになってしまいました。
そfれが、「正しさ」という観念です。

これで全てつながります。


「病んだ心から健康な心への道」では、「抜け出し力」が大切になります。
「愛」「能力」に向かう人生の基本的な歩みとして、「足元の強さ」が大切になります。

足元が強い人であっても、闇の川に落ちてしまいます。それが人間の不完全性というものなのです。
一方で抜け出すためには、その足元の強さが支えになるでしょう。

ここに、大元からの「足元の強さ」と、闇の川に落ちてからの「抜け出し力」最後のひと踏ん張りが、一つの同じ問題に、かかってくるのです。

それが、「正しさ」という観念を捨て去ることなのです。


村上春樹論・・^^;

こうして、話は村上春樹パラレル・ワールドよろしく、2つの流れの話が最後に一つの収束点に向かうものになる次第です。
『世界の終わりと・・』がその最も端的なイメージ。

参考まで、ハイブリッド心理学の世界村上春樹のパラレル・ワールドは、かなりの類似点があると私は感じています。まあ「現実世界」「魂の世界」という2元世界ハイブリッド心理学なので、そうなるのでしょう。

ただしその先に描こうとするものは、ちょっとかなり違った方向に行く感ありです。

『海辺のカフカ』が面白かったので、ちょっと村上春樹個人的思考などにも興味持ち、続者との問答もの『スプートニク・・』『国境の南・・』など読んだりしたのですが、ちょっとがっかりの感。行き先全然対照的という感じ。

特に『国境の南・太陽の西』『悲しみの彼方への旅』ストーリーの始まり方の、ちょっと軽く驚いたような類似性が、行き先がまったく逆の形とも言える世界に行き着くというものに、最も端的なものを感じている次第です。
「抜け出さない世界」に逆戻りというか・・。『海辺のカフカ』抜け出しの雰囲気がちょっとあったんだけど・・。とブツクサ^^;

そんなこともあって、『1Q84』はちょっとあらすじを聞いた段階でもう読む気になれない感じ・・。もうその手の話はお腹いっぱいという感じ・・^^;

他の作家については、まず論じることに関心ないですが、村上春樹の場合はまあ有名税ということで、ちょっとこんな批評も書いて良いかということで^^;


では「愛と能力に向かう命の本来形」について。夜以降の予定になりますー。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(3)
「愛」と「能力」の人生課題-6
「抜け出し」「足元の強さ」について、最後のつながりへと、さらに一歩進めましょう。
ちょっとくどいおさらい(^^;)の感もありますが、最後のつながりポイントをここで登場ということで。


「愛の望み」と「真実」と「嘘」が見える時・「抜け出し」の本質

まず「抜け出し」においては、「愛の望みに向かうことで真実と嘘の錯綜が現れる」というところまで説明しました。そこにもう答えは示されているのだと。

そこでは私たちは、「愛されるためにはこうできなければ」と、「能力」「愛される手段」になっている不毛パターンに、陥っていることになるわけです。
「能力」中身そのものに、自分で純粋に価値を感じているわけではない。だから一直線にその「能力」に向かうことができない到達できない・・・愛されない、という意識の流れに必然的に陥るパターンに、なるわけです。


真実と嘘の錯綜が現れる」とは、実はそのを、その人自身がはっきりと視界にとらえたことを言っています。

自分が本当に求めているのは、「愛される」という形での「愛」だと。
そのために、ありのままの自分を偽った、別の自分を演じようとしているのだと。
愛への望みには真実があり、それを得ようとする自分の姿があることをはっきりと視界にとらえた時、この人の「意識」は、行き先を失います。

そこに、もう答えは出ているのだと。

ただしその答えがこの後起こす心の変化難解です。「今までの意識」がいちど消滅し、いったん「無」の状態が現れてから、「新しい自分」「再生」されるというような様子に、なるのです。

本人の意識において見えるのは、「真実と嘘の錯綜」を自分が真正面にしたところまでです。「そこまでの意識」は、そこで消滅していくのです。


「心を病む」という問題が深刻であるほど、ここにとても苦しい、「膿が出る」ような感情悪化が起きることを、知っておくのが良いことです。それが根本治癒の現象だからです。
「自分はおぞましくも汚い嘘つき人間」といった、幻想的で、悶絶するような自己嫌悪感情が流れ出します。それをただ耐え、やり過ごすのです。心に根本治癒が起きているものとして。


これが「抜け出し」です。
つまり「抜け出し」とは、「愛されるために」という意識世界が崩壊し、無を通って新たな自己が再生されるという、大きな一歩です。


「正しさ」と「怒り」によって「愛への望み」は見えなくなる

ここで例によって(^^;)ケース分けをしておきましょう。このせいで話が長引くのですが(^^;)、心の蓋をパカっと開ける時というのは、四方八方同時に見えた時なんですね。


同じような袋小路に陥って、抜け出さないままのケースがあります。ありますというか、この「病んだ心から健康な心への道」を通らないまま、世の一般の人がその中で生き続けるものという話に、なるでしょう。

もとから純粋でシンプルな能力追求である場合は、こうした袋小路、つまり人の目に見られるという意識の中で心が揺らぎ窒息していくような袋小路は起きません。

人を相手にして「こうできなければ・・」という感情動揺に陥る時というのは、結局、「能力」「愛される手段」になっている不毛パターンに陥っている時です。
これは実に広範囲に起きるものと言えるでしょう。全ての心の悩みの根底にこれがあると言えるくらい。

しかしそれを「愛される」という「愛」への望みと、それをめぐる真実と嘘の錯綜とは視界に捉えない


それは、「正しさ」という観念と、それを損なうものへの「怒り」へと変わるケースです。

「こうできなければ・・」が、仕事におけるやる気成果であるにせよ、対人関係における思いやりであるにせよ、「そうできなければ・・」が信念として抱かれ、「間違ったものは許せない」という「義憤」を抱くケースです。

その時、心が窒息し動揺して、「あるべき通り」になっていないのは、相手が「悪い」のか、それとも自分が「悪い」のか、といった思考をするケースです。

そして「怒り」を、相手か、自分に、ぶつけていくケースです。


分岐路

こうして、人を前にしてこうできなければ・・できない・・という心の動揺に際して、分岐路が現れることになります。

一つの道は、自分の心の動揺が「愛される」という「愛」への望みから始まるものであることを自覚するケースです。これは「愛される」という「愛」を失うという自覚を同時に意味するので、深い「悲しみ」を同時に伴うものにないrます。

もう一つの道は、自分の心の動揺が何か「あるべき姿」を損なっているという事柄として自覚するケースです。これは「怒り」を伴うものになります。

そこで、このどちらも心は袋小路に陥り、前者無を経て未知の自分へと向かい、後者は少しして同じ自分が繰り返されるのを見ることになります。


「あるべき姿」をめぐる「怒り」を捨てるということが、この分岐路を決定づけます。


なお実際には、この2つの道は必ずしも人の心の中で明瞭に分かれているものではなく、多分に重なっていると考えるのがいいでしょう。

そこで「愛の望みの自覚と悲しみ」に傾いているほど、心の成熟変化が起き、「あるべき姿をめぐる怒り」に傾いているほど、心の現状維持にとどまるということになります。


「全知全能」の分岐点


こうした話を聞くと、「怒りを捨てなければ・・」と思う方も多いかも知れません。
そうして「怒りを捨てられた自分」が再び「あるべき姿」となり、いつまでも怒りを捨てられない自分への怒り・・と心がループしがちです。

根本に、大きな分岐点があります。それをしっかり見ることが、本当にこの分岐路のどっちを取るかを、決めます。

「愛」「能力」という人生課題にはどうしても、「怖れ」というものが伴います。そこから逃れようとして人間が持ち始めた感覚こそが、全てを狂わせることになるのです。

それが、「全知全能」の感覚です。

今の私たちが日常生活の中ではっきりとそう意識して思考するものとしてのそれではありません。幼少期に抱いた、「何でも叶う魔法があれば・・」といった空想のにあったものです。


それが、私たちの人生の全てを、狂わせるのです。

ここにいたり、心の問題は「親からの適切で十分な愛情を受けることに失敗する」という最初の躓きとはもうほとんど別の、人間の意識の根本的な罠の話に、なってくるのです。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
「愛」と「能力」の人生課題-7
「愛される必要はない」という抜け出し

「能力」「愛されるための手段」として意識されていると、私たちは心を窒息させ、その能力向上そのものストレートに向かえない。結果、向上できない、愛されないという意識に流れてしまう。

ここでもし、「愛される必要はない」と感じることができるのであれば、心の惑いを一刀両断に断ち切れるという話も、ここで触れておきましょう。

それは愛されるためのものではなく、自分が生きるためのものなのだ。そう考えることで、あるいはその能力向上へのストレートな目線を、自分自身の中に見出せるかも知れません。


これは「病んだ心から健康な心への道」の話というより、基本的な生き方姿勢と思考法の知恵の話になります。
心に自由が利いて、これが使えて役に立つなら、それに越したことはありません。


「愛と自尊心の分離」

ハイブリッド心理学「愛と自尊心の分離」と呼んでいる、基本姿勢があります。

「愛」「自尊心」を、基本的に別々のこととして考えることです。

「自尊心」とは、自分で自分を尊敬できることです。人に良く見られることではなく。
これを意識することは、「足元の強さ」を促すと言えるでしょう。愛と能力に向かうための、基本的な心の強さです。


卑近な話で言えば、私たちは仕事で苦労している時、良く分かっていない親(^^;)「そんなことないよ、誰々ちゃんは一番だよ」なんて言われても、あまりうれしくないと思います。
自分で仕事を解決できなければ、どうしようもありませんね。

一方で私たちは、「お前にそんなことできるわけはない」と言われると、自分の能力を否定されたと感じ、怒りを感じがちです。

しかしこれも、親バカに誉められることの軽さと、同じ軽さのものでしかないと考ええれば、相手にする必要はないと言えます。まあ適当に相手をする振りをするのが賢明と言えます^^:


人に同じことを言われるのでも、「愛」が底流にあると、相手の言うことをそのまま自分のこととして取り入れる心の動きが強くなるので、不要なほどの影響を受けてしまいがちと言えるでしょう。

それを、相手に言われたことを真に受けるのと、「愛」とは別だと切り分けるのです。


これは「行動学」の話です。


再び分岐点へ(ちょっといったり来たり・・^^;)

受け身に愛されることに心が強く駆られるごとに、これはちょっとできなくなってきます。

自分がより強く望む「愛」を得ようとするごとに、「愛されるためには・・」と、「愛されるための手段としての能力」の圧迫が心に迫ってきます。

それが特定の相手であろうと、他人全般であろうと、心が「愛される必要」に駆られるなら、同じ罠が現れるわけです。


「愛される必要はない」と感じれるのであれば、それで良し。「能力」ただ自分が生きるための問題として、ストレートに向かう。


愛されなければ・・そのためにはこれができなければ・・」という動揺が心が圧迫した時、私たちには、「できない・・」という袋小路が近づいてくることになります。

その袋小路に、早く向き合ってしまうのが得策なのです。蜃気楼を追い続け、蜃気楼に圧迫され続けるような人生を、続けたくないのであれば。


その袋小路に、「怒り」へとそれていく道と、「愛の望みと真実と嘘の直視」という抜け出し口に向かう道の、分岐点があることになります。


分岐点を決定づけている、「全知全能感」という別の流れの話に、スポットライトを当ててみましょう。

「愛」と「能力」の成長課題 |   コメント(0)
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