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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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カテゴリ: (8)魂の世界 の記事一覧(作成順)

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全ての根底は「命」と「信仰」-1
さてここから『心の奥底の転換』の部ということで、ここまでの話を振り返り、全ての話の流れが尻切れ(^^;)になっている、最後のかなめを埋めたいと思います。

最後のかなめは、どうやら『魂の世界』に位置づけられるようです。このカテゴリーもここでスタートしましょう^^。
『取り組み実践の全体』では「8.魂の精神世界」に対応します。


心の変化の流れ

まず、未知の異次元の世界へと成長そして治癒していく流れとして、ここまで以下のようなものを見ています。
その全てがまだ尻切れのものとしてです。

・「怒り」の放棄

・病んだ心から健康な心への道
「未熟の故郷」から「成長の地平」に向う情景です。「受け身意識の闇の川」が間にあります。

・人生の道
大きく2つの視点から見ることができます。

 -「心が成長する道」「人生を見失う道」にさま変わりしてしまう姿。これは次の6つの歯車が関係しています。
  心の4つの歯車・・・未熟な望み自己の理想像受け身の価値観怒り処罰
  魂の2つの歯車・・・自分を愛さないものへの憎しみ自分が神になる思考
  (参照:4/3『神になるのをやめる-10・私たちの不完全性』

 -「愛」「能力」人生課題
  「命の本来形」を説明しました。これが「人生を見失う道」の中で変形してしまうという話です。


実践の流れ

心の成長と治癒への回復とその前進は、全て「感情と行動の分離」よって始められます。
「今の気持ち」を鵜呑みにせずに、「健康形」「成長形」と照らし合わせて、「内面の選択肢」を踏まえて考えます、という話をしました。
4/22『「内面の選択肢」を踏まえた実践』

照らし合わせ理解のために、上記「心の変化の流れ」のような学びが、役に立つでしょう。特に、「今の気持ち」がどのように「健康形」「成長形」からそれているかの、理解のために。


そこから「健康形」「成長形」へと復帰するとは、もちろん「これでは駄目だ」自分に否定の駄目出しをすることによってではありません。

結局のところ、私たちが向うものとして意識できるのは、次の3つ「心が良くなる流れ」になるようだという説明をしました。

1.「望み」に向う
2.選択思考
3.怖れの克服

(参照:4/21『「感情を鵜呑みにしない」とは(後)』

「選択思考」における「選択」は、ごく現実問題から、価値観といった範囲にわたる、心の全ての営みに関係してきます。


全ての根底にあるもの

ここで全ての根底となる、最後のかなめが見えてきます。

では、どうすればそれができるのか、と。


そもそも、「選択の思考」をする、という「選択」最初にあることになります。

それはどうすればできるのか。逆に言えば、それができない人がいるのです。「気持ち」が全てになって、思考が強制的に一つの方向に向かってしまう人です。


今まで、その心の状態違いを、「心の自立」として私は説明してきました。しかし、ではどうすれば「心の自立」ができるのかについては、根底では「命の摂理」なので分からない、手が出せないというのが、どうしても最終的な結論になってしまいます。

そこにもう一つ、今回のこのブログの執筆を通して、私の中で今までに増して大きくスポットライトが当たってきたものがあります。

それが「信仰」です。

これがどのように「最後のかなめ」になるのか、ざっと書いてみましょう。

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(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-2
先の記事は『(前)』から『-1』に変更しました。4つ以上になりそうなので^^;


「感情と行動の分離」ができない理由・・

動揺する感情を克服したいのなら、まず感情を鵜呑みにして考えて行動してしてしまわないことから始める。
その上で、
内面感情ありのままに流し理解することをし、外面行動建設的なもののみにする。

この「感情と行動の分離」大原則に、納得は感じても、実際にはそうできない方が、たくさんおられます。


それは多くの場合、「建設的な行動」頭で描けても、「感情を鵜呑みにしない」ことが難しいというものであることを、『「感情を鵜呑みにしない」とは』シリーズで説明しました。

心得たい要点が次の4つになることも。
1.「気持ち」は不変ではない
2.「自分の気持ち」の全てが「心の現実」
3.「人の気持ち」の全てが実は「自分の気持ち」
4.どう行動すると「気持ち」はどう変化するのかへの理解

まあ無理もありません。

「建設的な行動」は、成熟して安定した心の人であれば行いそうな行動を、絵に書いた餅として(^^;)頭で描くことは、まあできるとします。

しかしそもそも「感情」というのは、それ自体が行動への方向性を持っているからです。
「愛」「楽しみ」は、近づくことへと。
「怒り」攻撃へと。そして「怖れ」逃げることへと。

それを、時と場合によっては正反対の行動をすることが、「建設的」になることもあるというのですから、難しくなるのは当然ですね。


なお上の中で、「楽しみ」だけが、そうした難しさのない感情です。
これも重要です。「楽しみ」が、全ての「建設的行動」への真の足場になるともいえます。

ただし、私たちが歩む道とは、「楽しみ」などまだ見えようもない動揺の中で、この「感情と行動の分離」必要になるものです。


2つの支え

動揺する感情の中で、感情を鵜呑みにしないで考え行動する。

その支えになるものは、2つあるようです。

一つは「意志」です。これについては、今までも「心の自立」という転換の話の中で触れてきました。

もう一つは、「信仰」のようです。


第1の支え:「意志」と「心の自立」

「意志」については、2/16『「意志」と「行動学」』で、「受け身でなく自発的に何かに向うおうとする強い気持ち」「気持ちを一本にまとめていく上位の気持ちなどと説明しました。

これは「心の自立」をすることと、ほぼ同じことだと言えるでしょう。「心の自立」とは、自分の「意志」で行動できるようになることです。


一方「心の自立」については、よく、「自分の気持ちを自分で受けとめること」だと説明しています。自分の気持ちを人に受けとめてもらうのではなく。

気持ちを人に受けとめてもらうのであれば、「意志」いりませんね^^。私はこんな気持ちなんです。それを相手に伝え、相手が受けとめてくれればハッピーエンドです。どうハッピーエンドなのかは微妙ですが・・^^;

自分の気持ちを自分で受けとめるとは、気持ちを人に伝えるのをやめる、ということではありません

「意志」による行動の中にあるものとして、伝えることが何かを生み出すことになるものであれば、気持ちを人に伝えるのです。ありのままに。


「意志」と「気持ち」の違い

「意志」持つ人は、この違いはっきりと分かります。

「意志」持たない人は、この違い良く分からないかも知れません。「意志」持たない人は、「意志」を、「気持ち」同列のものとして感じるからです。

だから結婚候補の相手が、自分を愛する気持ちの熱さ関心を払っても、自分を愛する意志の強さ関心を払うことができない、ということになるのでしょう。


「気持ちの熱さ」「意志の強さ」は、ぜんぜん違うものです。

前者すぐ冷め、今日も某有名女性タレントのニュースが騒がしいように(^^;)、いともあっけなく、お決まりのように(^^;)、離婚の話が出てきます。

後者は、生涯変わらないものになり得ます。そしてそれが、「気持ちの熱さ」をいつまでも失わないものにする可能性さえ、出てきます。


「意志」は「命」にあるもの

どうすれば「意志」が持てるのか。どうすれば「心の自立」ができるのか。


それに対する、ハイブリッド心理学からの
答えは、ありません。

それは本来「命」にそなわっているものであり、私たちがどうこうして作り出したり、学んだりする必要のあるものでは、本来ないと考えています。
問題は、逆に、私たちが自ら、積極的に、それを捨てるような思考を身につけたことであると。

それは私たちの人生の、あまりに早期幼い頃から起きているので、私たちはそれを捨てるような思考見直すとともに、それに向うとは具体的にはどんな行動の仕方のことかと、多少とも学び直す必要が出てくる、ということになるのでしょう。
人生を通してです。


こうした観点からの「意志」「心の自立」とは、全ての「命」ある生き物に言えるもの、といった視点から出てくるものです。

これが実際のメール相談の中で、どんな風に検討されるものとして出てくるか、ちょっと紹介したいと思います。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-3
「実践の流れ」への「意志」の役割

あと少し、「意志」役割の説明を加えておきましょう。「実践の流れ」における役割です。
『全ての根底は「命」と「信仰」-1』でまとめた流れです。


まず、「感情を鵜呑みにしない」で考え行動したい。要点は以下の4つでした。
1.「気持ち」は不変ではない
2.「自分の気持ち」の全てが「心の現実」
3.「人の気持ち」の全てが実は「自分の気持ち」
4.どう行動すると「気持ち」はどう変化するのかへの理解

その先に、「心が良くなる流れ」に向いたい。3つあります。下のもの上のものへの支えになります。
1.「望み」に向う
2.選択思考
3.怖れの克服


「自分の気持ち」と「人の気持ち」への姿勢

「感情を鵜呑みにしない」
において、上記の2番3番決め手になってきます。

「自分の気持ち」は、全てを受け入れる。もちろん鵜呑みにするということではなしに、成長へのスタートラインとしてです。


「人の気持ち」として心に映るものこそが、鵜呑みにしてはならないものになります。

それは全てにおいて、「現実」「空想」混合の中にあります。
「人の気持ち」として心に映ったものが、かなりの程度で「事実」である場合もあるし、全くの「妄想」である場合もあります。

そして私たちが必ず考慮しなければならない事実とは、心を病むほど、「人の気持ち」として心に映るもの極端に偏ったものになる一方で、本人がそれを疑えなくなってくるということです。
もちろんこの先には、たとえば他人が全て自分への殺意を抱いていると確信する、統合失調症など最も重篤な心の障害があります。


心が健康であるほど、「人の気持ち」として心に映るものの偏りは少なく、自分でそれを疑えもするという形になります。

心を病むほど、「人の気持ち」として心に映るものの歪みが大きくなり、自分でそれを疑えることが極めて望ましいのですが、心を病むほど逆にそれに確信を感じるようになってしまうという問題があります。


少し話が膨らみました^^;
ともかく、「自分の気持ち」全て受け入れ「人の気持ち」はあまり感覚で決めつけない。あまり執着しない、とも言えるでしょう。

これが「感情を鵜呑みにしない」健康形です。


「心が良くなる流れ」への姿勢

その先に、「心が良くなる流れ」に向う。

「人の気持ち」にはあまり執着しないことが、3番目「怖れの克服」にとって、極めて重要です。
私たちは、空想上の「人の気持ち」におびやかされるからです。

「自分の気持ち」については、それを全て受け入れる先に、1番目「望みに向う」というのが出てきます。


「成長」

ただしもちろん、「意志」によって、「人の気持ち」への怖れが消え、「望み」に向うことができるなんて話には、そう簡単にはなりません。そう考えるのは絵に書いた餅以外の何ものでもありません。

なぜなら、「望み」そのものが、「人の気持ち」によって描かれるからです。
人からこんな気持ちで迎えられたどんなに嬉しいだろう。それが「望み」になるのです。

そこに、心の駒が再び「怖れ」に戻るつなぎ目があります。


私たちは、「人の気持ち」によって望みを抱き、「人の気持ち」によって怖れを抱くのです。
そこに、「成長」があるのです。



そこで、「自分の望む気持ち」「人の気持ちへの怖れ」凌駕して、行動へと向った時、そこにはっきりと、「成長」が現れるでしょう。

「人の気持ちへの怖れ」があまりにも強く、「自分の望む気持ち」行動へと至れない場合もあるでしょう。これをありのままに感じ取り、受け入れることも、また一つの「成長」になります。
やがて同じ場面で、「望む気持ち」「怖れ」凌駕する時の訪れに向っての、準備としての成長に。


人間の「不完全性」

これが「心の自立」の中に生まれる「意志」だけで可能になるかどうかは、人間の場合、とてもあやふやです。

そもそも完全な「心の自立」というものはないというのが、ハイブリッド心理学の考えです。(詳しくは『入門編下巻』で^^)


さらに、心に映る「人の気持ち」を疑えなくなる、「心を病む」という側面を、程度の差こそあれ誰もが抱えるのが人間だと、ハイブリッド心理学では考えています。

そこに、「意志」だけでは足りないものを補うものとして、「信仰」というものが出てくる。
それが人間の心なのかも知れません。


「信仰」がないと、「意志」も持てないのかも知れない。 それが人間の心なのかも知れません。
今はそう感じています。


どのように「意志」が生まれるのか、そして最後に「信仰」というものが出てくるのかへと、視点を移しましょう。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-4
「意志」と「信仰」への雑感

私自身は今人生で、「悩む」ということがありません「怒る」こともなく「怖れ」の感情さえも、もう自分の心の中に見当たらなくなっています。
そして生きることは、楽しいことばかりのように感じるようになっています。もちろんそうではない材料はいくらでもあるでしょうが、私はもうそれに「空想」を、さらに「意識」そのものを使うのを、やめたのです。

なぜそう至ったか心の仕組みを、私自身振り返り研究し、出てきた結論が、「心が良くなる3つの流れ」だということになります。
1.「望み」に向う
2.選択思考
3.怖れの克服

と。


それはあまりに単純なことなので、誰もができることであり、誰もそう悩みなんて持たずに生きていられており、何もわざわざ私が書く必要のあることでもないのではないか・・。

新しい相談メールもなく、気の長い執筆だけに向う一日がある時、私はふとそう感じることがあります。

もちろん社会の人々実状そうではないことを、TV新聞、そして再び飛び込んでくる相談メ-ルといった「外部の刺激」に接することで感じる。
そんなことがよくあります。


10年そして20年といった、積み重ねの歩みの先にということになるのでしょうが、その先には30年40年と、もう悩みも怒りも怖れもなく、楽しく過ごせる人生があります。

一方で、その積み重ねの最初の一歩を嫌った結果、10年そして20年といった時期を過ぎ、その先の30年40年といった生涯を、あいも変わらず(^^;)悩み惑い怒り怖れの中で生きる人生があることになります。

好きな方を選べばいいのです。それは何かあまりにも、とても単純なことのような・・。


しかし自分の歩みを振り返った時、思い出すのです。それは茨の道であったことを。
特に、その始まりにおいては。

それは私の心の障害かなり深刻だったからです。心の障害深刻さに応じて、抜け出すためには明らかに茨の道があります。しかし茨の道厳しいほど、その先に見出す光の輝き増します。

心の障害の傾向それほどない一般の人々は、茨の道を歩む必要はあまりないでしょう。しかしその先にある「神になるのをやめる」という扉へとは向うことなく、自分が神だという無意識の感覚によって、何かの絶対的な束縛の下におかれ、やはり悩み怒り恐れの中で生き続けているように感じます。


茨の道を歩み出す、最初の一歩は、「価値観」大きく影響し、「意志」が踏み出しを決定づけ、そこで足りないものを、最後に「信仰」支える、ということになるのでしょう。

そして茨の道が至る大きな扉「神になるのをやめる」ことです。


全ては「信仰」に始まり、「信仰」に終わると言えるのかも知れません。

『理論編』(今は刊行の見込みぜんぜんなーし^^;)がそうした言葉で終わるように、私は人間の心のこの歩みの道全貌への俯瞰をしめくくるとき、いつもその思いに至ります。


いいかげん具体的な説明を、次の記事から書けるかと・・^^;

(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-5
「意志」の源泉

先日の『全ての根底は「命」と「信仰」-4』でも振り返りましたが、ハイブリッド心理学が考える「心が良くなる流れ」は、心の営みとして以下に向かうというものです。
1.「望み」に向かう
2.選択思考
3.怖れの克服


に言えば、それに向かわない生き方って、ぜんぜん心が良くなれないです。
成長できず動揺しまくりのまま、豊かにもならない。それだと、なかなか幸福になれないですね。

望み向かうことなく、自分で選択問うことをせず怖れの克服にも向かない。そんな生き方の場合です。


いずれにせよ、そうした「心が良くなる流れ」心の営みは、心の最も根底の働きとして、「意志」というものが支えになります。

「最も根底」であるとは、それがどう生み出されるか大元については、ハイブリッド心理学としてはもう何も言えない、終着駅だということです。
それは「心の自立」という転換の中で、自然と人の心に現れるものだと考えています。
それは「命」に備わっているものであり、それをどうこうして持ちましょうと、言う必要のあるものでは、本来なかった・・と。


しかし、問題2つあると言えるでしょう。

一つは、人間が自ら「心の自立」や「意志」を捨てるような「価値観」を持ち始めたこと。意志なんて持たない方がいいのだよ、とでも言うような。

あるいはそれは「価値観」というより、自分の意志なんて意味ないのだ、自分の感情なんて人にかえりみられることなどないのだ、という幼い絶望と断念の感情を核として、その後の来歴の中で「価値観」の鎧をまとったものかも知れません。


もう一つは、そもそも人間にとっての「心の自立」「意志」というもの自体が、とても不完全であることです。
ハイブリッド心理学では、そう考えています。それは根本的に、不完全なのだと。

そこに、「信仰」という支えが重要になるのだと。


「意志」を持ちたいと本当に感じるか・・

ここではまず、「意志」への、「価値観」影響を見ていきたいと思います。


どうすれば「意志」持てるようになるか、という問いは、ハイブリッド心理学ではしません。
それは「命」もともと備わっているものであり、問題は、私たちがいかに、それを自ら葬り去り、背を向ける思考をしているかだと、ハイブリッド心理学では考えます。


その思考はあまりにも根深く、そして広く、私たちの心に染みついています。

果てはその結果、「意志が大切だ」受け身に人から言われて、では「意志」を持とうか、はてどうしたら「意志」がもてるのだろうかと悩み「意志」を持たなくちゃいけないのか、と落ち込んだりする姿が現れたりします。
それって、「意志」への入り口とはぜんぜん違う方を向いているんですケド・・という感じ^^;

もしこの人が「意志を持った自分」を目指す時、心の表面では「意志を持ちたい」「意志を持たなければと思考しているかも知れません。
しかしそれは、心の姿勢は実は全く違う方へと向いた挙句、360度方向がずれて、一見すると前を向いているようなありさまであるのが、しばしば実状です。


「価値観」向き合いへの道

まずは、自分が本心ではどんな「価値観」でいるのか、落ち着いた心で向き合えるようになるのが、一苦労(^^;)です。

それまで、ハイブリッド心理学を学んで自分の心を変えたいと思うことの全てが、実はまだ「心の力み」の中にあるのです。


メール相談などを活用した本格的な取り組みでも、それだけでまず1年以上かけるのがザラです。2、3年くらいかけて、自分の本心からの価値観に向き合えるための、心の整理が行なわれると考えるのが正解でしょう。

そこからまた年の単位で、日々の生活の中での思考法行動法の実践とともに、自分の本心からの価値観を問いていくのです。

思考法行動法の実践と、その中で出会う「人生の体験」が、を除々に変化させ、それによって本心からの価値観感じ方が、少しづつ変化していくのです。

これは算数や英語のドリルのように、一度一通りおさえればいいといったものとは根本的に異なる、人生を通して向き合い続ける取り組みになります。


メール相談では、「価値観」核心に切り込むよりも、急を要する生活問題への対処法などをアドバイスするのが優先です。
現実問題の解決につながらないまま「価値観」など問いたところで、心に届かないのです。

「心の力み」が本当に取れて、自分が人生でどんな価値観を抱くようになったかを、自分でしみじみと振り返ることができるようになる頃には、「心の障害」もうほとんど消えています。

そこからが本当の、「心の障害」への取り組みではなく、人生の生き方への取り組みに、なってきます。


ざっくり言いましょう。

まず1年かけて、自分が一体どんな思考で生きているか、自分で分かるようになる。「一歩一歩の向上思考」を学び、「心の力み」を脱するのが主体です。

そこから数年をかけて、思考法行動法の実践と合わせて、「価値観」に取り組み、「神になるのをやめるひらめき」のような大きな転換を成す。ここで心の蓋が開きます。

心が大きく成長変化し始めるのは、ここからです。ここから、また数年


短く見ても10年がかりの取り組みです。この数字でさえも、そうできればいいペースです。いい人生です^^。


次の記事で、長くメール相談を続け、「価値観」変化の節目にきた方のなど紹介したいと思います。

同時に、「価値観」への視点などを説明できると思いますので^^。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
全ての根底は「命」と「信仰」-6
今日はこのあと帰省に出てあさって戻る予定です^^。


「価値観」が心底から変化していく時

先日、長くメール相談を続けていた方から、「価値観」についてようやく本心において変化が生まれているらしい報告を頂きました。

「受け身の価値観」から、「自己能動の価値観」へと、ですね。
(参照:3/26『神になるのをやめる-5・価値観』

ただし、「自己能動の価値観」はっきりなれた、というようなものではありません。
「受け身の価値観」どうもおかしいと、本心で感じるきざしが起きてきたという段階です。

これがハイブリッド心理学への取り組みを始められてから、数年を経てです。
数年を経て、いかに自分に「受け身の価値観」が根ざしているかを、しみじみと感じ取れるように、なったようです。

ここから、「自己能動の価値観」どう実際に自分が選択し得る価値観なのかを、人生の中で問う、また数年間以上の年月が始まるでしょう^^。


そんなものです^^。

これをもし、「一刻も早く自己能動の価値観にならなければ・・」といった気分を持たれる場合、それはまず「心の力み」です^^。
「心の力み」について理解し、解除するのがまず実践になります。
そして「一歩一歩の向上思考」実践する。
それによって、生き方への感覚の変化が感じられてきたら、いよいよ「価値観」検討項目に入れる。

そんな順序がお勧めです。


「受け身の価値観」という心の故郷からの旅立ち

ともかく報告メールから、一部を抜粋してご紹介。

ご相談者の方の詳しい状況省略しますが、30代前半女性で、『実践編』でも「B子さん」として登場して頂いている方です。

心の来歴としては、「女性は従順謙虚であれ」という母親価値観の圧迫の下で、心が錯綜したとも言えるものです。
それはまさに『入門編上巻』で書いているような、子供を愛し子供のためというをまとった独り善がりの大人の価値観だったと言えるでしょう。


この方からの報告は、実は3/24『神になるのをやめる-3・人間の魅力価値』紹介したものでもあります。

そうした心の来歴から、錯綜した思春期の心理の中で、その記事での引用にあるように、「人々は謙虚な私にこそ集まるべき」だという衝動が心に生まれ、怒り嫉妬に動揺される人生が始まったわけです。

それが過ぎ去りつつあるご様子です。

心が病んでいったのは母の愛を得るため自分の本当の価値観とは違う所で努力を続けていたからのように思えます。

でも、一番の問題はそれではなくて今まで気がつかなかったのですが、そもそも自分の生活環境を人にすべて整えてもらおうとすることのように思います。
これが人として、女性としてというよりも生物として間違っているように思えます。

生きるということは常に自身の維持のために、自分で環境を整えていくことだからです。
それができなければ生きていると言えるのか?と感じます。

ただ、私の根底の価値観今でも受動的だと思います。

生物として間違っている価値観を捨てればいいというものでもなく
今はこのまま両者を感じているのがよいように思えます。
無理をすれば、また道を踏み外すように思えるからです。

・・(略)・・
父が生きていたら受動的な価値観でも問題なかったであろうと思います。私は努力せずとも父が生活環境を整えてくれるからです。
まあ、心が病みやすい傾向にはあったでしょうが。

・・(略)・・
嫁入り道具着物などを見ていて彼女がとても彼女の両親に大事にされていたのが伺えます。事実、彼女の人生において自身の親や兄弟達に従順でいること豊かな人生を送ることに繋がっていたのだと感じました。

参考まで、私が返したコメントも紹介しておきましょう。

これは答えというか、僕からの視点として言っておきますと、計算違いのように感じます。

お父さんが生きていたとして、果たしてどのように「生活環境を整えてくれる」ことができたかですね。
まあこれも、価値観前提で変わるかも知れません。マジに、自分ではなく他人が、自分の生活環境を整えるということが「可能」だと感じる。

それが受け身の価値観の中で、起きる思考かも知れません。受け身の価値観そのものではなく、副産物として。

違う思考法では、これも全ての生物摂理として、まず自分の世話をしてくれた者は、自分より先に死ぬんです。
価値観思考以前に、そもそも親が自分の人生を整えてくれるという思考は、計算としてできない
まあそれが、つまり親が子の人生をセットアップするという構図が成り立ったのが、人間の文化ですね。

特に女性が、そのなかで受け身の存在として位置づけられたのが、この数千年の人類文化であり、それが今崩れる、人類の節目が来ていると僕としては考える次第です。

いずれせよ、「父が生きていたら受動的な価値観でも問題無かった」は、価値観姿勢なんて問題ではなく、ごく現実問題として計算間違いではなかったか。

これが検討ポイントになるかと^^。

「価値観」と「信仰」の根本へ

人間とは何か。とは何か。とは何か。そういった、根本的な考え方が、最終的にはその人の価値観を決める、「選択」になると思います。

「選択」はもちろん自由です。ハイブリッド心理学ができるのは、選択の違いによる、心の変化の流れを説明することまでです。


それでもこれを採りたいというものを、ハイブリッド心理学では説明していきます。それは私の人間観でもあります。
それを支える「信仰」とは何なのかについても。


ここではあさってまでのブログお休みを控え、言葉だけ出しておきましょう。

格言としてそのうち記事にしたい言葉。

「いざという時は男になれ」。もちろん女性向け格言です。これに対応する、男性向け格言は、「自分の中の女も知れ」
人間は同じです。ただ違うことになるでしょう。も、さらには枝葉まで同じです。その先に、大きく咲かせるだけを変える自己能動姿勢で。

これがハイブリッド心理学の採る人間観です。


「信仰」とは、「人ではないもの」への委ねの情緒です。生物学的には本来、自分を守る他者つまりに向けるような情緒であったものとして。

それが、「怖れ」凌駕するものとして、人間を支え、人間の心を豊かにします。

われによって私たちは、不完全な親を超える足場を得るのだと、私は今は感じています。


では良い残りのGWを~(^^)/

(8)魂の世界 |   コメント(2)
「信仰」の絶大な位置づけ
なんかいきなり夏ですねー^^;
タイトルは『全ての根底は「命」と「信仰」-7』でもいいのですが、ダラダラ感払拭のため(^^;)なるべく独立タイトルということで^^。


「信仰」

ではそろそろ、「信仰」について今私が考えるものをまとめたいと思います。


私の定義では、「信仰」とは、「委ねの情緒」です。答えが出せない問題について、またもともと答えのない願いについて、何か心を委ねることです。

自分で答えを出そうとするのをやめてです。
悪あがきやめて
じたばたするのをやめてです。


そうした「委ね」向ける相手が、「人」ではない何ものかになるのが、「信仰」です。これが私の「信仰」定義です。

もちろんその「人ではない何ものか」として「神」が抱かれていたのが、太古の昔からの、人間の心だったわけです。
そうした「神」に委ねることで、「怖れ」捨てるものとしてです。


人が「信仰」によって「怖れ」捨てる。その姿は、たとえば映画『タイタニック』で描かれていました。
真摯な信仰の情緒の中で静かに死を迎えた人々と、逃げ惑い人を踏みつけにしてでも我先にと助かろうとした人々と、対照的な姿としてです。


島野にあった「信仰の情緒」

「望みに向かう」「選択の思考」「怖れの克服」という「心が良くなる3つの流れ」支えるものは、まず「心の自立」の中で「意志」を持つことだという話をしてきました。

しかし「心の自立」「意志」は、人間にとって根本的に不完全なものです。


私自身、「怖れの克服」が、「心の自立」「意志」によってスンナリとできたようなものでは、ありませんでした。

では最後に私を支えたものは何だったのか。それがやはり「信仰の情緒」だったのかも知れない、と今は感じています。


振り返るならば、私には明らかに、幼い頃から、「信仰の情緒」あったように感じます。

それは少年時代に読みふけった少年少女向け文学全集の中で、魅力を感じた物語、たとえば「ああ無情」といった物語の中に、常に流れていたもののように感じます。

さらには、隅から隅まで眺めるのを楽しみにしていた科学図鑑の中に、「信仰の情緒」流れていたのを感じます。そこには「科学でもまだ解明されていないもの」がしばしば記されており、太古からの人々がどのように伝えているかが時折記されていたからでしょう。


そんな背景もあって、私の中には、「神」とは何かについては全く白紙のまま、実は色濃い「信仰の情緒」があったように、今振り返ると感じます。


それが表立って私をどう救ったかは、なんとも言えない面があります。しかし今はっきりと言えることがあります。

それは私が、「人の気持ち」を最後の受け皿にしない感情を、持っていたということです。

それが結局、『悲しみの彼方への旅』で描写したような、不完全な「心の自立」の中で、「人の気持ち」の空想にあえぎ、自分を見失う絶望の中で、私を最後に救ったのではないかと。


逆に言えば、「信仰」の情緒を失う代わりに、人は「人の気持ち」自分の「生き先」の受け皿の全てのように感じることになるように思われます。

それでは「怖れの克服」はできようもないですね^^。「人の気持ち」に惑うばかりだと思われます。



ぜひ、「信仰」のそうした本当の良い面にも向き合うのが良いことだと感じます。

同時に、「神」という観念「神のよう」と代名される「優劣」の感覚が私たちにある限り、私たちはそれへの答えを出さなければならないのだと感じます。
誰か他人自分「神」の座に置くことを、是とするのかをです。


「信仰」と「魂の感情」

相手が「人」ではない何かへの「委ね」の情緒
これは同時に、この心理学「心の豊かさ」源泉そのものだと考えているものに、そのままつながっていきます。

それが「魂の感情」です。

ここにおいても、「信仰」が、ハイブリッド心理学の考える心と人生の豊かさへの、その絶大な位置づけを感じさせるものに、なりそうです。

(8)魂の世界 |   コメント(0)
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