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心の健康人生の輝きを最大限に伸ばすための新しい心理学
「ハイブリッド人生心理学」を分かりやすい言葉で語るブログです。

ハイブリッド心理学があなたを変えるのではありません。
変化への力は、あなたの心の底にある「命」が持っています。
ハイブリッド心理学は、その力を解き放つための導きです。
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カテゴリ: (10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 の記事一覧(作成順)

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島野自身の治癒過程を振り返って-序
全然関係ないけど、「長野SNOWLOVE」というので応募していた「長野県全スキー場共通リフト1日券」が当たった♪ワーイワーイ\(^^)/
やっぱ応募してみるもんだ^^。



さて先の記事でも触れましたが、私自身の過去を振り返り、絶望的な状況(^^;)から人生の輝きを見出すまでの過程を、ちょっとたどってみたいと思います。

そこで、心理学の説明というより、しみじみと感じる実感として「こんなだったなー」という心の状態の本質、そしてそこからの重大な転機の本質は何だったのかを、ざっと書いてみようと思います。
ぜひ参考にしていただきたいなと^^。

当時の自分に、今の自分からかけてあげられる言葉なんかも、考えてみたいなと♪


カテゴリーは『(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編』としておきます。なおカテゴリー名頭のカッコ数字は、『取り組み実践の全体』図での番号に対応させた数字です^^。


関係ない話が割り込んだこともあり(?^^;)、記事を改めて書いていきましょう^^。

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(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-1
「空想」だけに生きた心

『悲しみの彼方への旅』の中心部分として書いた、高校から大学への頃の自分を思い出した時、「空想」だけに生きていた、としみじみ感じます。

中学3年で、人生を生きることへの漠然とした不安が流れ始める中、私がはじめに頼ったのは、「こんな自分で生きればいい」という、「空想の内容」への自信だったわけです。^^;


ここに、大きな誤りがあったと言えます。

「空想」の中に「生きる自信」を見出そうとした人間は、やがて「空想」に押しつぶされていくのです。

「空想」の中の何かによってではありません。「空想」の全体にです。


「空想に生きる」・「現実を生きる」

ここで、今の私から言えること。

人間とって大切なのは、「現実を生きる」ことだ、ではありません
これはサイトや本の原稿に長く触れてきた方には、意外な言葉に聞こえるかも知れません。


人間とは、基本的に「空想」の世界で生きる動物なのです。
そして「空想」の使い方を、根本的に誤る動物なのです。


人間は、基本的に「空想」の世界で生きる動物だからこそ、「現実を生きる」という、もう一つの感覚の杭が、まあそれがサプリメントのように、重要になってくるのです。


ちょっと言葉のニュアンスを整理しておきましょう。

高校から大学への私が、「空想に生きていた」というのは、心の姿勢を指しています。
「現実を生きる」も、心の姿勢であり、その感覚です。「まっさらな現実」に触れ、それを生きるという感覚です。

一方、人間が「空想の世界で生きる」動物だというのは、もっと深く大きなところから、まあ「実存」としてそんな存在だという、ちょっと哲学的な表現です。


「選択」

ニュアンスが分かって頂けたかはさておき、心に入れておきたい叡智をまとめましょう。

私たち人間は、結局、空想の中で生きる動物なのです。「現実」と呼んでいる、空想の中でです。

だから、全てが私たち自身の
選択になってくるのです。
「空想」を、
自分を豊かにするために使うのも。
「空想」を、
自分を潰すために使うのも。


私たちが自らを豊かにするために使える「空想」とは、「憧れ」であり、「望み」です。
私たちが自分を潰すために使う「空想」とは、「怒り」であり、「恐れ」です。


「現実を生きる強さ」

そして「怒り」を捨て、「望み」を取る先に、「恐れ」を超えて、私たちが「現実」と感じる実存世界、つまり空想とも現実ともつかぬものの中に飛び込んでいった時、私たちがその中で生きている「空想の世界」の全体が、一つ飛び散って消え、新しい「空想の世界」が、心にリロードされるのです。

その時私たちは、「まっさらな現実」に触れる感覚を得ます。
そして「現実を生きる」という「強さ」の感覚を、得るのです。


「リロード」
映画『マトリックス』を真似て言っています。人間の心とは、まさにその通りです。

『マトリックス・リローデッド』の中で、モーフィアスも言っていましたね。その通りなのです。
あるのは「選択」、と。


その「選択」を知った時、私たちは知るのです。

「現実」というものが、恐れるに足りるものではないことを。


私がその「選択」にたどりついたまでの長い道のりを、振り返ってみたいと思います。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(2)
島野自身の治癒過程を振り返って-2
私自身心の治癒と成長の過程を振り返って、心が異次元の安定豊かさ、そして清らかさへと成長そして成熟していく、決め手になるものを説明したいと思います。

それはまず、「未熟」ということに加えて、「心を病む」という側面を程度の差こそあれ誰もが抱える、同じ道のりになるのだと、私は感じています。


「気持ち」だけで描かれた世界

それはまず、「空想だけに生きた心」の世界として、始まりました。

その心に映っていたのは、「気持ち」だけで描かれた世界、とでも言えるものです。


もちろん生活人生の全てがそうなのではありません。「気持ち」には無関係の、学びごとや体験があり、生まれ持った資質や環境から与えられるものとの関わりの中で、人それぞれの唯一無二の人生条件が作られていくことになります。

そうした中で、「命の成長と成熟」が目指すものである、2つの愛の獲得へと心が向いた時、この道のりが人の心に現れるのだと思います。

「気持ち」だけで描かれた世界を相手に思考し、行動してしまうことが、「未熟の故郷」の地にとどまり、その中でしばしば、「心を病む」ことの穴の中に落ちてしまうという、迷路の中をいつまでもめぐり続けるようなものとして。


2つの愛

2つの愛については、『「命」の生涯』で触れました。


一つは「全ての人に愛される」という愛です。

人はこれを普通、日常生活の中で、「愛」というより「自信」という気持ちのテーマで考えます。
時にそれは、人を打ち負かし勝てることによって得られるのだと本人が考え、人を踏みつけてでも先頭に行けることを人生の中で求める一方、やがて人が自分から離れていくことを自覚した時、「これが自信だ」と考えていたものがはかなくも脆く崩れることがしばしば起きる、があるものとしてです。

「命」が求める「自信」とは、やはり「自分は誰にでも愛される」という形の自信です。


そしてもう一つの「愛」が、一人の相手と愛し愛されるという「愛」です。
そしてこれが人が日常生活の中で、「愛」という気持ちのテーマとして考えるものになります。

そのように狭い問題としてしか「愛」を考えないことが、問題の始まりなのかも知れないようなものとして・・。


「自意識」と「空想」の罠

心の罠は、そうして人生の課題となる「自信」「愛」に向かおうとする時に、未熟な心に映る「気持ち」だけで描かれた人物像を対象に、思考し始めてしまうことです。

「自分」に対しても、「他人」に対しても。
プラスの対象としても、マイナスの対象としてもです。

本人がそのことを自覚しているかしていないかはまちまちな形で、その全てが親と子の関係のような感情に塗られているようなものとして・・。


それはひたすら、心の未熟へと向いている目線です。なぜなら、心の成長と成熟とは、「気持ち」が未知の異次元の心の世界のものへと変化してくいことを言うのですから。

あの人はこんな人柄とても素敵だ。
あんなやつ喜ばせることなんか、死んでもしてやものか。
こんな気持ちでいければ、人々から、そしてあの人から、こんな気持ちが返されてきて・・。
そんな気持ちになれれば・・。そんな気持ちにならなければ・・。


これは仕方のないことではあります。だって、それしか知らないんですもの^^;


真実と闇の錯綜

同時にそこに、私たちが「望み」に向かうことにおける、真実と闇の錯綜とも言えるものが、現れることになります。

つまり私たちはそこで、そのように自分と他人を見る基準となる「気持ちにおいて、自分にとって絶対的に大切で守るべき何かがあると感じる一方で、自分自身をその「気持ち」に当てはめて行動しようとする時、厭うべき「嘘」が現れるというを見るのです。


その底には、「気持ちをもてあそぶ」「気持ちを踏みにじる」といった、憎しみの対象がかいま見えます。

その中で心が壊れていく、「気持ち」を操縦しようとする圧迫があります。見下すような目で「ほら笑え」と言われ、その通りに自分を演じる中で心の底に埋め込まれた、爆弾のような怒りと、絶望感の中で自分の全ての感情を麻痺させる・・そんな現実とも幻想ともつかない構図の記憶が、一つの心のイメージとして、私の記憶の中にあります。

こうして、「気持ち」だけで描かれた世界に、「望み」「真実」「嘘」の錯綜が現れるわけです。

望み真実であり、一方で、望みに向かう自分には、があり、真実が何よりも必要である一方で、が何よりも許せないものになる・・。


まあ難解な話になってきたかも知れませんが、心の異次元の世界への分岐点が現れるのが、そういう場面です。
この場面に心が向き合うことを避け続けるという、別の問題もあるのかも知れません。


いずれにせよ、分岐点で世界が分かれます。その説明を続けましょう。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-3
引き続き未知の心への成長進み方の概観ですが、ケース分けの整理ちょっと難解かと思います。

これしておかないと、先に進む時の話がどうしても当てはまらない人が出てきます。なぜかと言うと、進み先よりも前から、道をそれているケースです。
それはどんなそれ方か。

それも含めて、道のりの概観を引き続き。


分岐路

「望み」に向かい、そこに「守るべき気持ち」をめぐる真実と嘘の錯綜が見える場面が来た時、実はもう答えが出されているのだ。
それが今私が感じるものです。

そこから、心が未知のものへと成長そして成熟の変化をとげる、意識の闇の空間への跳躍台が、そこに現れていることになります。

分岐路は、その跳躍台から意識の無の空間に飛び出すか、それとも、踵を返してふたたび「未熟の故郷」にもどって、自分と他人に対する奇妙に同じ思考と行動を繰り返し続けるかになります。その先はやはりどうしても、人生が先細りになりがちな形で・・。


成長への2つの道

私たちには、大きく「成長」への2つの道があることになります。


一つは、「望み」へとストレートに向かい、その「実現」へと実際に前進していく道です。そこで実際に望みが「叶えられる」結果が得られれば、人生の喜びの華が咲くことになります。

これは『病んだ心から健康な心への道-6・「本格的な歩み」の全貌』で触れたAのコースです。
これを力強く推進するために、ハイブリッド心理学では「行動学」を用意しています。

もう一つは、「望み」へとストレートに向かい、望みが叶えられない事実に真正面から向き合う道です。
もしくは、「望み」を感じ取り、なぜ自分が望みにストレートに向かうことができないかに、ストレートに向き合う道です。
そこに真実と嘘の錯綜が現れ、意識の無の空間への跳躍台が現れることになります。

その時、人の心ではそれが自覚されないまま、望みが尽き果てる、私の言葉では「望みが看取られる」ということが、心で起きる。そしてその後に、全くつながりのない形で、まるでその「望み」が満たされた後であるかのような、豊かで安定し清らかな未知の心の状態が一歩前進する。

これが、「受け身意識の闇の川」の住民であることをやめた先の、Bのコースになります。


成長なき道

「望み」ストレートに向き合えば、私たちには「成長」があることになります。恐れる必要はありません。


成長がないのは、「望み」にストレートに向き合うことをしていないケースになります。

これは2つあります。一つは、「望み」を「愛」として感じ取っていないケースです。人を打ち負かすことなどを「望み」だと感じているようなケースです。

もう一つは、自分を起点にするのではなく、他人を起点にして「望み」を感じているケースです。
人にこう見られ、こう思われるのが「望み」だと感じているケース。
人の期待像に自分を当てはめるという形で「望み」を感じているケース。
日常思考において全般的に、「だって誰々が・・」といった、自分ではなく他人を起点にした思考の仕方をするケース。などなど。

あとは怖れからの逃げ自分をごまかす思考全般的な思考の停止などで、「望み」から遠ざかってしまっているケースになるでしょう。これは基本的なプラス思考によって、まずはどんな形であれ望みらしきものが見えてくるような変化を図れると思います。


望みらしきものが見えてきた時、他人を起点にして思考し、否定破壊できることに「望み」を感じるというモードである場合に、成長なき道にあることがはっきりしてきます。

真実と嘘の錯綜が見えた場合の分岐路において、踵を返して「未熟の故郷」に戻ってしまうのも、根本にあるのは同じもののようです。
それが「受け身意識の闇の川」「黄色の水」つまり「正しさ」という観念です。


分かりにくい話かと思いますが、もう少し具体的な心の様子を次に説明しましょう。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-4
進み方のケース分けなどはあるいはピンと来ずちょっと退屈な話だったかと思いますが、結局何が言いたいのか(^^;)をまとめましょう。

・・と言いつつ、流れのまとめからです。心が異次元の未知の世界へと成長そして成熟していく転換点が起きる状況です。


心の状況

まず状況をまとめましょう。

「未熟の故郷」から「成長の地平」へと向かう、「病んだ心から健康な心への道」があります。その間には、「受け身意識の闇の川」が流れています。

そこで私たちの心は、基本的な「未熟」と、程度の差こそあれ「心を病む」ことを抱えて、歩み始めます。
それは、「望み」が、自分が特別に人から抜きん出るような何かによって、人を惹きつけ愛されたいと感じる、自己中心的な願望です。そこに程度の差こそあれ、他人への敵意と競争心と、時に憎しみという、すさんだ色合いが混じることになります。
(参照:2/10『病んだ心から健康な心への道-2』3/3『病んだ心から健康な心への道-6』


「対人感情と姿勢」の型が、4つあります。

私たちがその中でまず人生を歩みはじめるものがあります。それは、「気持ちオンリー・思いやり」というパターンです。
その中では、心が窒息しがちで、その結果「気持ち」がとても揺らぎやすいのですが、それをもとに対人行動を考えるので、対人行動もとても不安定になってしまいす。
心がなかなか成長できません。
(参照:2/23『「対人感情と姿勢」の4型-2』2/23『「対人感情と姿勢」の4型-3』

それとは異次元の対人感情と姿勢の世界があることを、私たちは家庭学校で教わることはまずありません。一部の人々だけが、人生でそこに至るようです。
それは「心の自立へ・行動学」「魂の望み・わが道を歩む」「無条件の愛・求めることなく満たされた心」という3つの型です。
(参照:2/25『「対人感情と姿勢」の4型-4』


「病んだ心から健康な心への道」と、「対人感情と姿勢」の型が、対応しているものになります。

「未熟の地平」にとどまるものが、「気持ちオンリー・思いやり」です。

「受け身意識の闇の川」を越えて「成長の地平」へと歩んでいくのが、「心の自立へ・行動学」「魂の望み・わが道を歩む」「無条件の愛・求めることなく満たされた心」です。

そこで心が異次元の未知へと変化するのは、「受け身意識の闇の川」を越えた後で、どう「成長の地平」を前進するかではなく、闇の川に落ちて抜け出す体験一つのサイクルとして、心が脱皮するように変化することを、繰り返していく先にという形になります。

心がもとから健康であれば、闇の川に落ち抜け出る部分はあまり必要とすることなく、ひたすら「成長の地平」を歩むこともある程度可能でしょう。
しかしそれは、あくまでその心の中における成長の範囲の話であり、別人のレベルへとさらに成長そして成熟していくのは、同じように「抜け出し体験」が必要になるだろうと、私は考えています。
そもそも、完璧な人間はいませんので。


「気持ち」だけで描かれた世界

「病んだ心から健康な心への道」の情景が、心の歩みを外側から俯瞰した様子になります。

「対人感情と姿勢」の型が、その人自身の心のあり方の様子になります。

それをさらに、本人の「意識」のあり方にズームインして、その歩み始めを、私自身の回想として描写しました。
それは「空想だけに生きた心」だったと。
そしてその「空想」とは、未熟な心で今まで見知った「気持ち」だけを材料にして描いた、「人物」「人柄」の空想だったと。
(参照:3/9『島野自身の治癒過程を振り返って-2』

その中で、私が進んでいった隘路(あいろ。「狭くて厳しい道」の意^^)を描写しました。
それは、自分の「望み」「愛」であることに真正面に向き合い、やがてそこに真実と嘘の錯綜が現れる、隘路です。
(参照:3/9『島野自身の治癒過程を振り返って-3』


「抜け出せる」時に見えるもの

そこから長い月日が流れ(大きくすっとばして^^;)、「抜け出し」で何が起きているのかが、ごく最近になって、しみじみとはっきり見えるようになってきました。

そこにある「苦しみ」とは、自分が本心でない自分を演じ演じることをいかに嫌に感じていたかを、今であればしみじみと感じ取ることができる、心の中の小さな落とし穴のようなものです。
全てがそこで起きているのです。一度に、全てがです。

自分が本心でない自分を演じることを、いかに嫌に感じていたか。
その結果、その嫌なことの引き金となる相手への、嫌悪を感じざるを得ないこと。
相手に抱く嫌悪によって、自分は嫌悪されるという構図が、生まれざるを得ないこと。
この全てが、相手に愛されるためにこんな自分で」という、受け身の自意識によって、始まっているのです。

「愛されるため」に始まった意識世界が、その前提を自ら破綻に陥れるのです。


そこからの「抜け出し」は、今の私であれば、「こうなっていたんだ・・」としみじみ感じ、ちょっとこげた気分を感じながら、答えが出ることはなく、寝て目覚めた時、そこから意識のつながりがなく「不連続な」、新しい自分を知るものとして。
(参照:3/3『病んだ心から健康な心への道-7・「抜け出し」の情景』


闇の峠

ようやっと答えを言う時が来ました。
・・と言いつつ、どんな状況の話か読んでおられる方が分からなくなっている心配アリ・・^^;

それは「未熟」からのこの歩みにおいては、「愛されることの重み」があまりに大きく、それが(自分自身によって)失わされるという負の側面しか心の視界に入らない、否、負の側面しか心に存在しない事態になるということです。

「命」が、それを超えさせるものを、用意し始めるのです。



・・とまあ「心の脱皮」が起きる状況を、結局かなり難しい心理学解説(結局必要なことを入れるとこうなってしまう^^;)の形で説明しましたが、そこからの心の変化を再びしみじみ回想モード(^^;)で説明しようと思います。

日中出かけるかもで、夜遅く以降かと。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-5
「心が成長する道」への復帰までを、かなり長ったらしく(^^;)説明ついでに、私自身の体験をまた振り返ってみたいと思います。

「恐怖の克服」「人間の善悪と価値の選り分けへの問い」が、その復帰への大きな扉を開けるになるという話をしようと思っているのですが、かつての自分を思い返すと、その鍵にしてもそうスンナリとは手に入らない、一筋縄ではいかない状況があったと思われるからです。


おさらい

『島野自身の治癒過程を振り返って』については、その4まで書きました。「真実と嘘の錯綜」が現れるという場面の、雑感です。

「真実と嘘の錯綜」とは、『島野自身の治癒過程を振り返って-2』から引用すれば、こんな言葉で表現されるものが、自分自身の中に見える場面です。

望みは真実であり、一方で、望みに向かう自分には、嘘があり、真実が何よりも必要である一方で、嘘が何よりも許せないものになる・・。
これは『悲しみの彼方への旅』で描写したような、私の心に大きな治癒が起きた、山場の頃の場面です。


「未知の自分」を今見ることはできない

これは要は、「抜け出し」の場面です。「受け身意識の闇の川」に落、そこから抜け出す場面です。

そこで私が中途半端に(^^;)語ろうとしたこととは、「抜け出し」の際、私たちは抜け出す先を見ることはできない、ということです。
何もない闇だけが見えます。


つまりその時、私には、その相手に「受け身に愛される愛」だけが見え、それが世界の全てである心理状態に陥ったわけです。
同時に、それを望み向かおうとする自分に、「嘘」がまといつくことを見たわけです。そして自分が「嘘」を憎んでいることを。
望めば望むほど、自分はそれを得ることは不可能になる・・と。(『悲しみの彼方への旅』P.278言葉を多少変えています

その先にあるのは、ただ、「意識」が崩壊するのです。

そして、新しい自分が芽生えます。
「受け身に愛される愛」をもう今までの強度では必要としない自分が。それは同時に、「自分から自己能動に愛する」ことができる自分の、芽生えでもあります。
その時の私の「意識」は、それをまだ知らないままに、です。


「心の成長への道」への復帰は、私たちには見えない歯車によって促されます。それが「命の歯車」ということに、なるのでしょう。

先の『神になるのをやめる-11・心の問題の根源の正体』で、「心が成長する道」「人生を見失う道」へと変化してしまうさま変わりのポイント3つあげました。

それに対応するように、私の治癒の道のりは、3つの形の中で、見えない「命の歯車」が作用して促されたもののように感じられます。

それをざっと説明した上で、大きな扉を開けるの説明をしたいなと。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
島野自身の治癒過程を振り返って-6・復帰のポイント(前)
「成長への復帰」の3つのポイント

「人生さま変わり」3つのポイントに対応できそうな、私自身「成長への復帰」3ポイントとは、どんな形のものものだったか。


「人生さま変わり」3つのポイントとは、次のようなものです。

望みに向かうのではなく、向かう前に理想になれていない自分叩く

望みに向かい「真実と嘘の錯綜」が現れた時、さらに先に進むのではなく、自分の嘘叩く
ここでさらに先に進むとは、識の崩壊を経て未知の自分へと向かうことを指します。これは確かに、「怖れの克服」ができないとちょっと考えようのない話かも知れませんね。

人生でのあらゆる場面での成長に向かうのではなく、「こうできればいいとすぐ分かってそうできない自分」叩く


「愛」と「善悪」

表に現れるテーマは、「愛」「善悪」というものになると思います。

それは一貫として、「愛」にまとわりついた「善悪」が捨て去られることによって、「愛」がその本来の姿を現わす、というものになると言えそうです。
それに向き合う時間が、心に治癒と成長を起こしたのです。その時、それを見ることはできないまま。



「受けとめ」

1つ目のポイント。

これは比較的最近のメール相談から、私がかつての自分を述懐した部分を紹介しましょう。
もう過去の自分を思い出すことも最近はほとんどありませんが、辛い状況にあるご相談者の言葉に触れ、ふと思い出して感じたことなど書いたものです。

■「望み」を変化させるのは「命」

>今までの望みは、「愛されること」だったと思っています。望む程に虚しく悲しかった。悲しみで溢れて、何が辛いかも理解出来ませんでした。

僕も最近、こうしたご相談者の方の言葉を読んで、かつての自分を何となく思い出すことがあります。『悲しみの彼方への旅』で書いた、大学から大学院にかけての頃ですね。
死ぬほど孤独だった・・って、ですね。愛を求め、自分が愛を求めていることを自覚することが苦しく、そしてその思いが満たされることはなかった・・。ただまあ、なんと辛い心の中にいたのだろうと、ただ感慨ですね。

それがやがて、何も悩みのない能天気人間になるのですから、面白いものです^^;

>「どうなりたいか。」が、現在変わりました。「人生をのびのびと、楽しんで生きてゆきたい。」です。

やはり、人生をのびのびと楽しんで生きてゆきたいですよね^^。

そんな風に、「望み」が変わってくる。より大きく伸び伸びとしたものへと。
それは自分で変えようとして変えるものではなく、僕のカウンセリングでそれを導けるようなものでもなく、結局のところ、見えない「命」が「望み」を除々に変化させるということをしているのだと思います。

それに委ね、自分ではとにかくその未知の力を閉ざすのをやめて開放する、自分自身への手助けを続ける、という意識がいいと思います^^。

これが1つ目のポイントです。

思考法も何もあったもんじゃありません。自分が持つ「愛への望み」を、ただありのままに見つめた。それだけです。
それが私を成長させていたわけです。今振り返って初めて、しみじみとそう感じとれることとして。


このポイントの前に私が通ったのは、この「愛への望み」その思考によってうやむやになっていた、「善悪」の思考捨てる過程でした。

そこでの善悪とは、「自分が目指すべき内面の理想」です。それは偽りでした。

自分が求めているものが、ただ「愛への望み」であることに直面することの苦しみ・・それ自体がどう苦しいかというより、自分の中で逃げていたものに向き合い直す時に一般に言える苦しみという面がかなりあるかも知れません・・それから逃げる形であれこれ思考していた「自分が目指すべき内面の理想」が、ほとんど意味のないはりぼてであったことを自覚する期間が、このポイントの前にあったことです。

これは『悲しみの彼方への旅』では、前の方の章の短い描写にとどまっていますが、実際には大学2年自己分析を開始してからの2年間くらいを要しています。
まあもしその時ハイブリッド心理学があれば、その期間もっと短く済み、上述のような苦しみもっと軽くて済んだと思いますが・・^^;

これが1つ目のポイントで、「望みに向かう前に理想通りでない自分」叩くから、「望みに向く」への復帰と言えます。

「望みに向く」からさま変わりした「善悪」捨てて、ということで。


ここまでをこの話の前半として、次を後半ということで^^。

(10)心の成長と治癒過程の理解・詳細編 |   コメント(0)
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